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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない体験,境遇
配信日 03年12月12日  (10年5月10日,11年2月14日 記述追加)
タイトル オシャレの楽しみ
いくら子供だって、裸で行動しているわけではありませんよね?
当然のこととして、服を着て生活いたします。ですから子供にとって、着ている服装によって、他の子供と自分との「差」を感じることが多くあります。
二人並んでいて、もう一方が「センス」のいい服装で、自分が「野暮ったい」服装の場合には、野暮ったい服を着ている方は、大層気が滅入ることとなるのは当然のこと。

それが写真で撮られて、後でその友人から見せてもらった場合など、服装の歴然とした「差」に驚愕することになり、自らの立場を思い知らされることになるわけです。
このような経験を経ると、「野暮ったい」服を着せられる子供は、外に出るのを恐怖するようになりますよね?

また女の子の場合は、両親の配慮などで「色気のない」服装の着用を義務付けられている場合もあったりいたします。特に子供時代に自由にオシャレをさせてもらえなかった母親は、往々にして自分の娘の服装を野暮ったくしたがる傾向があるようです。「贅沢は敵だ!」ならぬ「オシャレは敵だ!」というわけですね。
また自分自身が女性としての満足を得られていないような母親の場合は、自分の娘に対して、野暮ったい服を着せたがるものでしょ?

なぜ、オシャレは敵なんでしょうか?

オシャレというのは一種の自己表現ですよね?
オシャレを抑圧することによって、子供の自己表現そのものを抑圧することができてしまうわけです。
自分自身が「満たされていない」親は、子供がのびのびと自己表現をしているのが、何となく気に入らない。
だから、常に「色気のない」服を着せようとする。加えて、下着でも、「今時・・・ちょっと何?」というような下着を着せたりする。
そうなると学校での着替えの時など、落ち込んでしまいますよね?
女の子二人並んだりすると、どうしてもお互いの服を比較することになるわけですので、野暮ったい服を着させられている場合は気が滅入ることになってしまいます。

一般的には、子供に「質実剛健」な服装を着用させるのは、理にかなったことであり、まさに推奨されるべき子育てとされています。世間受けがいいわけです。
しかし、オシャレの楽しみというのは自己表現の練習であり、自分自身の「色気」や「アピールポント」とどう付き合うかということの練習として、有効なものでしょ?

「色気なし」では面白くないし・・・
「色気バンバン」じゃあ・・・水商売ですよ。

そのように自己表現の練習の機会を奪われ、ひたすら野暮ったい服・・・
あるいは「無難な服」を着せられた子供は、自己表現自体が不得手になるわけです。

自己表現がヘタであることは、コミュニケーションがヘタであること。
コミュニケーション能力の不足が、ダメダメ家庭そのものなんですね。
それに、「無難な服」ということで常に周囲を気にしていたら、気分も疲れてしまいますよ。
加えて、このように「自分の子供のオシャレを許さない親」というのは、親本人も野暮ったい服を着ていることが多くあります。

ですから、子供の方も、自分の服のことで親に要望を出しにくい。
さすがに野暮ったい服を着ている親に向かって、「お母さん、あそこのかわいい服買ってよ!」とは言いにくいでしょ?
また、「もう少しかわいい下着が着たい!」・・・そのような言葉が親に対して言えないのがまさにダメダメ家庭。

それに、親同士が並んだ場合、親の服装の比較がどうしても始まってしまうわけです。
片方は、こざっぱりとしてセンスのいい服。
自分の親は、野暮さ爆発の服装・・・
それだけで子供の気分は落ち込んでしまいますよね?

ダメダメ家庭は抑圧的であり、自分の希望を押さえつけてしまう。
そして「ふつう」というお題目を掲げ、周囲に合わせるようにする。
「とにもかくにも、目立ってはダメ。」という発想をもっている。
子供がたまたま流行の服を着るにせよ、流行に合わせておけば周囲から目立たなくできる・・・
そのような減点法的な考えであって、「流行の服で、オシャレを楽しみたい!」という加点法的な発想ではない。

親として目立ちたくない人間は、子供に目立たなくさせたがる。
そんな発想なので、子供は「人に合わせすぎる」ようになってしまう。
野暮ったい服を着ている人は、周囲をうかがってオドオトしていたりするものでしょ?
自分の考えを、相手に分かりやすい形で伝えるというコミュニケーションの基本ができていないでしょ?

そんな子供がどうなってしまうの?
自分の感情を抑圧し続け、その抑圧が、やがては臨界点を超えて爆発して事件となってしまう。
そして、ボンクラなご近所さんによるお約束のコメントが登場する。

「あんな『目立たない』『おとなしい』子が、どうしてあんなことを?」
「ワタシたちには、ふつうの家庭に見えた。」

まあ、「ふつう」の家庭に見せるために、切羽詰ってしまっているのがダメダメ家庭というものなんですが、ボンクラな人にはそれがわからない。
頻繁に書いていますが、ダメダメ家庭というものは、自分たちのダメダメさが「ふつう」とされてしまう地域環境を求めるもの。だからこそ、そんな事件も起こるわけですし、そんな地域だからこそ、「どうして、こんなことに?」という能天気な疑問となるわけです。
しかし、子供を見る際に、「あの子の服装は、ちょっと野暮ったすぎるのでは?」という観点で服装をチェックするくらいは、本来は誰でもできるでしょ?
そんな点から、ダメダメも見えてくるものなんですね。

前にも書きましたが、オシャレとは、自分自身との距離感と関わってきます。
「自分の美点を、どうやってアポールしていくか?」
オシャレにはそんな発想があるでしょ?
たとえば、背が高いのなら、それを上手にアピールポイントにすればいいだけ。
そして、オシャレによって、自分との付き合い方の練習ができることになる。
逆に言うと、自分との付き合い方ができないと、自分自身から逃避してしまい、自分の以外の人間を凝視するようになってしまう。
そうして、その減点面に注目する。
そして、その減点面を攻撃するというクレーマー系の活動に入れ込んでしまう。

クレーマー系の活動をする人の服装は、まあ、野暮ったいものでしょ?
つまり、それだけ、自分の美質との付き合いができないわけです。
そして、自分を表現する方法が、抗議をするというパターンだけになってしまう。
マイナス面には過剰に反応するけど、それを、相手に分かりやすく形で伝えることができない。
何も表だってクレーマー活動している人だけでなく、それこそインターネットの掲示板に入り浸って、誰かに文句ばかり言っている人の服装なんて、まあ、予想がつくでしょ?

オシャレは自己表現の練習として、ちょうどいいのでは?それに、失敗しても笑ってすむだけでしょ?
服装もリフレッシュしたら、気分もリフレッシュできますよ。
まさに着は心?と言うじゃないですか?
すれ違った人から、「ワァ!今の人、格好いい!」と言われると、気分がよくなるでしょ?
「どうやって、自分をアピールしていくのか?」という点から、自身のダメダメからの距離も取れてきますよ。だって、オシャレには自分との距離感が必要になってきますからね。逆に言うと、ダメダメ家庭の親は、オシャレの楽しみを子供に禁じることで、自分の子供を、自分と同じようなダメダメにしてしまうんですね。

(終了)
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発行後記

今週は体調を崩していましたので、色々と大変でした。
皆さんはお体にお気をつけくださいね。
R.11/2/14