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カテゴリー もてなしの心
配信日 03年12月22日  (10年3月1日,11年1月31日 記述を追加)
タイトル プレゼントを鬱陶しがる
もうすぐクリスマスですよね?
クリスマスとか子供の誕生日になるとプレゼントが話題になります。
子供だって、それなりに期待もあるから、そわそわしたりする。

このプレゼントについても、やっぱり、ダメダメ家庭とマトモ家庭では大きな違いがでてきます。

そもそもダメダメ家庭では、子供のためにお金を使いたがらない。
誕生日プレゼントなんて、そんな行事自体からして無縁となっている場合が結構あるんですね。

しかし、子供へのプレゼントなんて、純金1kgなんてものではないわけですから、金額的には大した負担ではありませんよ。
むしろ、ダメダメな親にとって鬱陶しいのは、プレゼントについて考えることなんですね。

「あの子にとって、どのプレゼントがいいのか?」
「あの子は、どんなものを受け取ったら喜ぶのか?」

そのようなことを考えること自体が、ダメダメな親にしてみれば、面倒で鬱陶しく思っているわけです。
このあたりの感覚は、以前に配信した「子供に名前を付ける」ということと同じです。
ダメダメ家庭は抑圧的であり、選択したり判断したりすることが、心理的に苦痛となっている。

ちゃんとしたマトモ家庭では、そもそも「あの子に何をプレゼントしようか?」と考えること自体が楽しいわけでしょ?プレゼントとは「想いを伝える」ことでもあるわけですからね。
それこそ、子供が美術を好きだった場合には。一緒に美術館に行って絵画を見たりするというプレゼントにすれば、お金もかからないし、思い出にも残りますよ。それこそが、子供の親ならではのプレゼントといえるでしょ?
しかし、ダメダメ家庭においては、子供のことを考えること・・・それ自体が不快なんですね。
ダメダメ家庭は減点法であり、何をするにせよ、減点面を意識し、結局は「ふつうでいいや!」と、なげやりでぞんざいとなってしまう。
顕著な減点がなければ、それで充分と思っている。

だから、実際にプレゼントを子供に上げる場合でも、ダメダメ家庭では、
「お金を1万円上げるから、これで欲しいもの自由に買え!」とか、
「自分の子供がまるで関心がないもの」とか、「いかにも無難でふつう」で済まそうというのがミエミエなものとか・・・
そのような、「てきとう」で「ぞんざい」なプレゼントになってしまうわけです。

フィンランドのアキ・カウリスマキ監督の映画「マッチ工場の少女」でも、親から「ぞんざいなプレゼント」をもらった娘が、気が滅入る様が描かれていたシーンがありました。
そんな状況における、親の側の心の声はコレでしょ?
「金をやったんだから、文句はないだろ!」
つまり、「子供が喜ぶ」というシンプルな肯定形ではなく、「文句を言ってこない」という二重否定形式となっているわけです。

子供にとっても、自分の親がプレゼントを考えることを面倒臭がっている、あるいはケチっていることはスグにわかるわけです。まあ、あげる方が鬱陶しく思っているような場合には、もらう方だって不快なんですね。

また、いかに親の側が子供にプレゼントを与えることを嫌っているのか?ダメダメ家庭では子供に念を押したりもします。
具体的な例ですと、子供の誕生日当日には、誕生日のことについて一言も言わない。しかし、誕生日の次の日に、「昨日はオマエの誕生日だったな・・・」と言ったりする。
こうなると、子供の方は何とも言いようがありませんものね。

誕生日当日だったら、「プレゼントをおくれ!」「何かお祝いでもするの?」などと言えるかもしれませんが、翌日ではね・・・
また「親はボクの誕生日を忘れていたのかな?」と思うわけにもいかないし・・・ちゃんと覚えていたことが証明されたわけですし・・・
まあ、子供としては「ああ、この親たちは、よっぽどボクに何かを与えることがイヤなんだな。」ということが明確に分かることになる。

また、子供の側から、気を利かせて、
「プレゼントなんていらないよ!」
「安いものでいいよ!」
などと言い出す場合もあります。

そもそも親からヘタにプレゼントをもらったりすると、後になって、「あの時は、プレゼントをやったのに・・・何も喜ばなかった!ああ!損をした!」「コッチがプレゼントをした分だけは、後になって親孝行するんだぞ!」とグチグチ言い出すだけ。
そんな事態を回避するためには、プレゼントのようなイヴェント自体を回避した方が子供にとっても、ラクですよ。

ダメダメ家庭は、被害者意識が強く、スグに「費用対効果」的な考えを持ち出したりする。だからこそ、スグに見返りを要求したりする。
そんな常識の中にいるんだから、ヘタにプレゼントをもらってしまったら、後になってどんな見返りを親から要求されるのか、危なくて、とてもじゃないけど、お気楽にプレゼントなんてもらえませんよ。

まあ、親たちはよく子供の前で「クリスマスなんてなくなってしまえばいいのに!プレゼントについて考えるのなんて大っキライ!!」なんてグチっているわけですしね。
だから子供としては親の負担を軽くするために、気を利かせる必要があるわけです。
しかし、「家庭内でそんなに気を使う子供が将来どうなるか?」なんて言うまでもないでしょ?

「これからも楽しくやって行きましょう!」くらいのニュアンスのプレゼントだったら、贈る側も楽しいわけですし、受け取る側もお気楽に受け取ることもできる。しかし、「楽しくやっていく」という発想自体が存在しないのがダメダメ家庭なんだから、プレゼントを贈る側も、受け取る側も、プレゼントに関わる際には、その被害について考えてしまう。
ダメダメ家庭においては、プレゼントを上げる側も、鬱陶しく思っているわけですし、プレゼントをもらう側も、プレゼントに対して、警戒心に満ちている状態。
だからこそ、ますます、プレゼントという習慣自体を、お互いがジャマくさく思ってしまう。

あるいは、クリスマスの後になって、学校でプレゼントが話題になったとしましょうか?
このようなダメダメ家庭の子供は、もらったプレゼントについて他の子供にどう言うのでしょうか?
決まっていますよね?
「君はプレゼントは何をもらったの?」
『普通のもの。』
「普通って何?一体何なの?」
『だから普通だよ!』

まあ、ダメダメ家庭ご用達の「普通」という言葉で、そんな状況を回避する以外にはありますよね?
ダメダメ家庭の子供の「普通デビュー」は、こんな感じなんでしょうか?
これでは、大人になってから「ふつう」「ふつう」と連呼するようになるのも当然でしょ?

プレゼントというのは、贈る側が、贈る相手について、どの程度考えているのか?それが明確に示されるもの。
そもそもそんな発想自体を持っていない親に対して、子供が困った際には相談を持ちかけられるわけがないでしょ?
だって、誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントすら鬱陶しがる親に対して、困りごとを相談しても、真摯に対応しないどころか、「もうっ!鬱陶しい!そもそもオマエを育てるために、コッチはどれだけ苦労したと思っているんだ?!」と逆切れするだけですよ。

そんな事態が簡単に予想できるから、それこそ、そんな家庭の出身者が結婚後にドメスティク・ヴァイオレンスに陥っても、実家には相談しない。
そして、そんな実家について考えたくもないし、周囲の人に説明したくないものだから、「親に迷惑をかけたくない!」という「てきとう」で「通りがいい」理屈でごまかしてしまう。まさに子供時代から、実家については、スグに「ふつう」という言葉でごまかしていたように。そして、その親がプレゼントなどについて、「てきとう」で済ませていたように。

そもそも、そんなダメダメ家庭の周囲にいる人間は、そんな通りのいい理屈に簡単に引っかかるようなボンクラばかり。だから、ドメスティック・ヴァイオレンスに陥った当事者と、実家の関係の問題に目が行かない。というか、その周囲の人自身も、その面に問題を抱えていて、同じように逃避している。
だから、その際のドメスティック・ヴァイオレンスが解決しても、そんな事態を生み出す精神的な構造は変わらないので、また同じような事態になってしまう。

ドメスティック・ヴィオレンスのような問題も、本来は、自分の子供へのプレゼントすらしないような親の問題を認識しないと、本質的な理解にはならない。
それだけ、親が子供に何かを与えることを不快と思っているだけですからね。
そのことを自覚しないまま、そんな家庭の出身者が結婚して、子供を作って、子育てをしたらどうなるの?

子供が何かせがんだら、「ウルサイ!産んでもらっただけで感謝をしろ!」と子供を一喝するだけでしょ?
プレゼントがない家庭そのものを、親から受け継いでしまっている。
別の言い方をすると、親が子供に与えるという発想とは無縁の家庭が連鎖することになる。

こうなると、完全にネグレクトとなってしまう。
自分の子供に誕生日プレゼントもしたことがない家庭で育ったら、そんな人が子供に何を与えるの?与えようとしても、その具体例を知らないわけでしょ?
そもそも、自分の親は「産んでやっただけで感謝しろ!」と言っているんだから、そんな家庭で育ったら、やっぱり「産んでやった」だけになってしまって、「その後」は放置になりますよ。だって、当人自身がそんな子育てを受けてきたわけですからね。

それこそ、10年に発覚した大阪ネグレクト事件のようなことになってしまいますよ。
あの事件の母親は、子供の頃にもらったプレゼントについて語れるでしょうか?
ちょっと考えられないでしょ?
プレゼントの思い出もない人が、子供を持ったりしたら、命以外はなにも与えない親になりますよ。だって、それが、その人にとっての「ふつう」なんですからね。
自分がもらったプレゼントについて語れない人は、親になるにせよ、相当の覚悟が必要になるわけです。そんなことは「言われてみれば」当然のことでしょ?

ちょっとしたやり取りにおいても、プレゼントについての話題になったりすることもありますよね?
ダメダメ家庭出身者は、その話題には対応できない。
だって、子供時代にそんな体験をしてきていないわけですからね。そんな話題を振られたら、「最後にもらったプレゼントと言っても・・・いつだったかな?何だったかな?全然覚えていないなぁ・・・」と考え込んでしまう。だって、かなり昔のことになるし、もらった際に、うれしかったわけでもない。だから記憶にも残っていない。これでは友人との気楽な会話もできませんよ。
逆に言うと、そんなプレゼントを鬱陶しがる家庭の出身者同士で結びつかざるをえないわけです。
せめて、そのことを自覚しないと、親からのダメダメなメンタリティこそが親からのプレゼント・・・そんな事態になってしまい、ネグレクト事件を起こしたりするわけです。

(終了)
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発行後記

今週は時期も時期ですので、クリスマス特集?と題して、そんな感じのものを配信する予定です。
R.11/1/31