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カテゴリー | ダメダメ家庭にないもの |
配信日 | 03年12月31日 (10年4月9日,10年8月14日に大幅に改訂) |
タイトル | イヴェントが少ない |
〈あなたが小学校6年間の中で手に入れた宝物(たからもの)について、10年後の自分自身に伝える手紙を書いてください。〉 中学受験での問題にこのようなものがあったそうです。 これはダメダメ家庭の人間には難しい課題ですね? まあ、ダメダメ家庭出身者でも、それ相応の年齢を重ねると、『正解?』を作り上げることもできますが、中学受験の段階では対処は難しいでしょう。 上記のお題のような小論文ポイントとしては、 1. あまり金銭的に価値のないもの。 2. それを手に入れるために、自分の周囲の人が労力を払った。 3. その周囲の人への感謝。 4. その宝物が将来の自分への希望につながる。 と言ったところでしょ? 課題とされた、その「手紙」の文章としては、自分が大切にしているものの中から、それにフィットしているものを探し出し、ストーリーを作り上げればいいだけです。 たとえば、プロ野球選手のサインボールだったら、いかにそれを手に入れるために両親が苦労してくれたかとか、サインを書いてくれたプロ野球選手の暖かい人柄に感激したとか、「ボクもいつまでも夢を持ってがんばって行きたいと思いました・・・マル。」でいいわけです。 まさか、「このサインボールが将来値上がりしたらネット・オークションで売りさばいて大儲け!」なんて書いたら、不合格間違いなしでしょう。 あるいは、前記の条件にフィットした宝物としては、ちょっとした写真などの場合もあるでしょう。 たとえば、「拾ってきた犬が大きくなって、2年後に子犬を産んだ。その母犬と子犬の写真が私の宝物です!」な〜んてねっ。 家族みんなで世話した犬が、大きくなって子犬を産んだ。家族でその子犬を抱きかかえる。家族みんなも涙涙。ああっ、家族ってすばらしい!!私の宝物はその時の写真です!!! これで合格です。 あるいは、それこそ、もうお亡くなりになっている祖母からの形見の品にするという方法もある。 これだったら、インパクトのある「手紙」になるでしょ? 祖母との思い出を書き、「いつまでも、この思い出を大切にしていきたい。」「あんなやさしい人にワタシもなりたいと思った・・・」とか・・・ これだったら、見事な「宝物」ですし、出来のいい手紙になるでしょう。 そんな「宝物」が実際にあれば、それについて書くだけ。あとは、「どうやって書くのか?」という「How to」の問題。しかし、宝物を持っていなかったらどうなるの? 勿論のこと、年齢が行くと、そのような捏造作文など朝飯前なんですが、中学受験の時代だったらどうなんでしょうか?そんな課題を与えられたら、まずもって、「宝物」の段階で考え込んでしまう。 「えーとぉ・・・ボクの大切なものって・・・いったい何だろう?」 その段階で、時間を使ってしまったら、手紙の文章なんて書けませんよ。 小論文における「How to」以上に、「What to」の面で考え込んでしまう。 まあ、その問題を作成した学校側も、そんな点への視点があったのでは? ダメダメ家庭の子供を見分けるのに有効な問題ですからね。 ダメダメ家庭の子供としても、自分が実際に大切にしているものとして、将来の値上がりを見越して持っているグッズとかをリストアップするわけには行かない。そんな欲深な自分をアピールしてもうまくは行かないでしょう。だから、どうしてもウソを書くしかない。 かと言って、現時点で大切にしているものなんて、持っていないし・・・ああ!どうしよう?困ったなぁ・・・ まあ、「てきとう」に、でっち上げるしかないかぁ・・・ そうなんですね!ダメダメ家庭の子供の場合には、完全な捏造しか、そのような文章は書けないわけです。 そもそも、そんな宝物なんて持っていない。 ダメダメ家庭においては、楽しいイベントなんて全くないわけですので・・・ たとえイベントがあったとしても、正直言って、思い出しても、楽しくない。 あるいは、大切な人などは周囲にいないので、そんな人と関わりがあるがゆえに、大切なものとなった・・・そんな物も存在しない。 別のところで書いておりますが、ダメダメ家庭では、子供の写真すら撮らない家庭もあったりします。将来において思い出したいような楽しいイベントなんてありませんしね。それに家族が写真を見ながら談笑する・・・そんな光景もない。将来のために写真を撮っておくようなこともしない家庭の子供が、10年後の自分に対して手紙なんて書くことができるの? 頭のいいダメダメ家庭出身者が弁護士資格を取ったり、東京大学に入学することは、それほど困難なことではありません。まあ、一生懸命勉強すればいいだけなんですからね。 しかし、親の実力の方が問題になる小学校とか中学校の入試に合格することは、逆に難しかったりするわけです。 まあ、だから大阪教育大学の付属小学校の事件も起きたりするわけでしょうね。 テレビ・コマーシャルでも「モノより思い出」なんて言っていましたが、ダメダメ家庭の子供に一番欠けているのは「楽しい思い出」ですね。 だからどうしても日々の生活に閉塞感が漂うことになる。 私は刑務所暮らしはしたことはありませんが、刑務所暮らしで一番気が滅入るのは、日々が毎日同じ生活の連続ということではないの? 昨日も今日も明日も同じ生活が続いていく。 これじゃあ気も滅入りますよね? 勿論のこと、刑務所というところは、楽しい日々をその目的にしているわけではないので、それはそれで問題もないわけです。 しかし、ダメダメ家庭ではまさに刑務所のように、日々が同じ行事なんですね。 ちょっと過去を振り返ってみても、思い出すことも何もない。 それがダメダメ家庭というもの。 別に付属小学校や付属中学校の入試に合格できないくらいならまだしも、区切りのない日々の元で成長した人間が、まっとうな社会生活を送れないことは自明でしょう。 そんな人は、過去のことを考える感覚が違っているんですね。 マトモな家庭の出身者では過去の日々はイベントの履歴であるわけです。 家族旅行とか、一緒に遊んだとか・・・ しかし、ダメダメ家庭の出身者は過去というものを、まさに、「西暦何年の何月何日に何々した。」といった歴史年表のように純粋に時間的なんですね。イベントの推移ではなく、物理的な時間の推移が記述されるわけです。 ある意味において、正確そのものでいいわけですが、そんなスタイルは、記録としては便利でも記憶には残っていないということでしょ? それに家族でのイベントは、いわば、成長後の思い出話のネタでしょ? そんな思い出話ができない人が、大人になって、どんな話をするの? 自分たちでは何もやっていないんだから、そうなると、唯一のネタとしては、被害話になってしまう。 「あの時は、こんな迷惑を受けた。」 「その時は、こんな感じで困った。」 そんな話しかできないようになってしまう。だからクレーマーとか、あるいは、それが集団化して、市民団体のような活動に身を投じることになってしまう。 被害体験はいくらでも語れるのに、楽しかったイベントは全く語れない。 そんなイベント体験は、写真の数だけでなく、ちょっとしたレジャーとのぎこちない対応で見られたりするものです。 それこそ、学校でスキー旅行をすることになった。 スキーとなると、それ相応の費用がかかる。 そうなると、出身家族の力量が見えてくるでしょ? もちろん、雪とは無縁の南の地方の出身なら、これはしょうがない。 あるいは、経済的な問題がある場合もしょうない。 あるいは、当人が運動がキライということなら、これもしょうがない。 しかし、経済的にそれなりの水準なのに、そして運動神経は抜群なのに、なぜかスキーができない・・・ そうなると、家族でのイベントが実に少ないことが想定できるわけ。 あるいは、家族でのお食事会のようなことの積み重ねも、ちょっと一緒に食事をすれば見えてくるでしょ? それなりに経済的に豊かな家庭の出身のはずなのに、意外と料理を知らない、あるいは、食事のマナーを知らない・・・そうなると、家族での食卓体験が見えてくるわけ。 自分の過去を振り返って、「特にいいこともなかったなぁ・・・」と感慨にふける小学生も、実際にいたりするもの。 そんな小学生は、将来にも「いいこと」なんて起きそうもありませんよね。 それにその時点で「宝物」を持っていなかったら、将来も持てそうにないでしょ? 大切なものを持っていないということは、別の言い方をすると、不要なものとの区別がないということ。 それぞれのモノが、「大切なもの」でものなく、不要なものでもなく、「後になって使うかもしれないから」という名目で、捨てられずに家の中に雑然として存在することになってしまう。 これでは、ゴミ屋敷にもなってしまうでしょ? 逆説的な言い回しになってしまいますが、大切なものがない人ほど、ものを捨てられないわけ。大切なものへのセンシビリティがないがゆえに、不要なものとの選別ができない。 実際に、ゴミ屋敷になるような家庭は、家庭内におけるイベントが少ないものでしょ? ゴミ屋敷とは、すべてが大切だから捨てられないのではなく、大切なものとは何なのかについて何もわからないがゆえに、発生してしまうもの。 それは過去において楽しいイベントもなく、そして将来においても、自分たちなりの将来像がないがゆえに、その人たち自身にとって大切なものそれ自体が存在しないわけ。 楽しい思い出そのものがあるから、まさに思い出の品物というものが存在する。 逆に言うと、思い出の品物なり、大切なものを持っていない人は、思い出そのものや、イベントもないわけ。 そんな日々を、ダメダメな人間は、どのように表現するの? そう!「ふつうの日々」と言ったりするわけ。 だからこそ、そのまま突っ走ってしまって、ゴミ屋敷になってしまったり、「大切なものとは何なのか?」について、何も考えないままで、子供を作ってしまったりする。 しかし、できてしまった子供が、そんな親から大切にされないことは、論理的にも心理的にも自明のことでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 当然のことですが、今回で今年最後です。 本年は色々とありがとうございました。 来年もよろしくお願いいたします。 ちなみに、上記本文中で大阪教育大学付属小学校の事件について、ちょっと触れていますが、あの宅間被告が結婚したそうですね? 宅間被告がダメダメ家庭(というよりメチャメチャ家庭)の出身者であることは有名ですが、お相手の女性もダメダメ家庭出身者でしょうね。 ダメダメ家庭出身者の女性にありがちなパターンとして「恋に恋する」女性と言ったタイプが多いことは、このメールマガジンで何回も触れています。 ダメダメ家庭出身者はどうしても妄想の世界に走りがちなんですね。 まあ、今回の結婚?で子供を作らないだけ、マシなのかも? 新たなダメダメ家庭が誕生することはありませんものね。 では、皆様よいお年を!! |
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R.10/8/15 |