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カテゴリー | ダメダメ家庭における女の子 |
配信日 | 04年1月5日 (10年11月13日 記述を追加) |
タイトル | 女性の限界を強調する |
以前に比べて、かなり改善されてきましたが、女性の社会進出にはまだまだ困難が伴いますよね? ダメダメ家庭での女の子は、そのような女性の困難さを、家庭内で散々に聞かされたりします。 「女性だと、いくらがんばっても限界がある。」 「だから、いくらがんばっても結果は知れている。」 「優秀な女の子の近所の△△ちゃんも、あんなにやっていたのに、結局は、☆☆になってしまっている。」 そのように聞かされた女の子が一生懸命に努力するようになるでしょうか? 机に向かって勉強している横から、 「女はどうせ出世できない。」 「勉強なんてやっても、ムダ、ムダ。」 「しょせんこの世は女には厳しいのよ!」 と、シビアーな現実を語って聞かせる親の行為。 このことは、法律的には合法的な行為と言えるでしょ? 「勉強して身体を壊したら、治療費がかかるだけ・・・」 「その分を、オマエは返してくれるとでも言えるのか?」 親からそのように言われて、いくら気丈な女の子でも、なおも努力し続けることができるでしょうか? このような場合には、「女と生まれた自分を呪って」オシマイとなるわけですね。 結局は、親の要望に従って、自分の将来を諦めてしまうわけです。 親にとっては、将来を諦めた子供は、ある意味において、ラクで手がかからないわけです。 将来の希望を持っていると、それを達成させるために、親としてサポートを要求されたりしますよね? しかし、人生を捨ててしまった子供は、放っておけばいいだけ。 そして、一緒にグチっていればいいだけ。 親にとってはラクラクですよ。 そもそも、女性の限界を何かと言い出す母親は、じゃあ、どんな女性なの?今までに、どんな活動をしてきたの? 色々ことを一生懸命にやってみたけど、社会的な制約があって、結果的に達成できなかったとでも言うの? 「若い頃には、こんなことを手がけた。また、あんなことにも関心があり、色々とやったりした。そして、ある程度まではものになった。もう少し続けたかったけど、女性だから途中で止めざるを得なくて、完成にまでは至らなかった。」 そんな経験をしてきているの? しかし、一生懸命にやって、社会的な制約の関係で、求める成果が達成できなかったのなら、自分の娘に対しては、その社会的な制約に相応するサポートをするものでしょ? 自分が取り掛かって、開拓した地平を、今度は、自分の娘がより広げていくわけでしょ? そんな母親だったら、「オンナはどうせ努力してもムダ、ムダ。」なんて自分の娘に言うわけがないじゃないの? そんな母親は、現実的には、何もチャレンジもせずに、「あ〜あ、女は損だなぁ・・・男はいいなぁ・・・」とグチっているだけでしょ? あるいは、女性だからということで、今は、家庭内で主婦をやっているのはいいとして、その主婦業をそんなに立派にこなしているの? そうではないでしょ? そもそも自分の娘の努力を妨害する時点で、主婦失格ですよ。 そんな母親が家事をしっかりこなすわけがないじゃないの? あるいは、その手の母親は、たとえ子供が男の子でも、やっぱり子供の努力を励ましたり、サポートしたりはしないものなんですね。 それこそ「おまえはどうせ、うまくいかないさっ。」と言い渡すだけ。 その手の妻というか母親は、自分が自分なりに努力しないことの言い訳として、「女だから」ということを持ち出して、自分を納得させているだけ。 だから、自分の娘がそれなりに成果を出してしまうと、「女だから、できなかった。」という言い訳が成立しなくなってしまう。 ということで、取って置きの言い訳を守るためにも、自分の娘に成果を出してほしくはないわけ。別のところで書いていますが、ダメダメ人間には精神的な閉鎖性があり、その閉鎖性が、たまたま、性別の領域で出ているだけであって、領域の問題ではなく、その心理にある閉鎖性の問題が重要になるわけです。それこそ地域の問題でも、「あ〜あ、田舎はイヤだなぁ〜」とグチっているだけで、そこから出ようともしない。あるいは、いわゆる差別の問題でも、その場所から出れば実質的にはほとんど解決するのに、そこから出ようとはしない。むしろ、出ようとする人を妨害したりするものでしょ? 事態やハンディキャップを解決することよりも、そのハンディによって、自分が何もしない言い訳が出来ることの方を選ぶわけ。 そして、そんな女性と結婚し、子供をもうけた男性は、じゃあ、マトモな男性なの? そういうものではないでしょ? 向上心を持っていない女性と結婚するんだから、基本的には同類ですよ。 と言うことで、「女はどんなに努力してもムダ。」という言葉が、両親双方から娘に浴びせられることになる。 そんな日々だったら、「この門より入るもの、希望を捨てよ!」の境地になってしまいますよ。 そうして、ダメダメ家庭の女の子は、諦めの境地で日々を生きていくことになる。 しかし、ことは、簡単ではない。 本当の絶望が来るのは、その後です。 片や自分が、「女として生まれたことで、チャレンジを諦めてしまった。」その一方で、別の女性が両親の励ましやサポートのもと、勉強し、努力し、社会に認められる成果を上げて行くことになる。つまり同じ女性の間で、大きな格差が発生するわけです。 当然のこととして、現実の社会でも、活躍している女性はいるでしょ? 政治でも、学問の分野でも、スポーツの分野でも、経済界でも、様々な女性が活躍していますよね? 社会で活躍している女性は、その姿をテレビで見ている自分とは、性別が違うとでも言うの? 『どうして、こんな格差になってしまったの?』 テレビを見ながら、『ワタシだって、学生時代は、●●が得意だったのに・・・』『あの○○をもっとやりたかったのに・・・』と悲痛な空虚感が湧き上がってくる。 そうなってしまうと、テレビを見ていて、女性が活躍している映像が出たりすると、とたんにチャンネルを変えることになってしまう。 いたたまれないわけ。 あるいは、そんな活躍している女性の姿をテレビで見ていると、横にいる親が言うことになる。 「この人は、女性なのに立派だなぁ・・・それに比べてオマエときたら・・・」 「オマエも少しはこの女性を見習って努力しろよ!まったく、だらしない!」 「あんな娘をオレもほしかったよ。」 親からのその言葉によって、血圧が30くらいは、上がってしまう。 そんな家庭環境を想定すると女性運動の活動家の抗議スタイルも、理解しやすいでしょ? 具体的な着地点を想定することもできずに、どうしても感情的になってしまいますよ。 逆に言うと、だからこそ、抗議することそれ自体をアイデンティティとしてしまう。 しかし、本当に抗議しないといけないのは、その人の親に対してなんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 年末年始に関係なく配信していますが、まだ松の内ですね。 まだまだネタは沢山ありますので、この調子です。 |
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R.10/11/13 |