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カテゴリー ダメダメ家庭をめぐる環境
配信日 04年4月30日
タイトル 現場の論理を無視する環境
最近、よく児童虐待の事件が起きますよね?
さかんに報道され、皆様の周囲でも話題になったりするでしょう。
セミナーとか討論会とかの公開の場で議論されることもあるようです。

事件というものは一般的に「加害者」と「被害者」が存在するものです。
では、児童虐待の事件で被害者はどっちで?加害者はどっち?
親と子供でどっちが被害者?

「オイ、オイ!何をトンチンカンなこと言っているんだ?!子供が被害者で親が加害者に決まっているだろうが?殴っている人間が加害者で、殴られている人間が被害者って、これは常識だろ?」

たしかに、それは一般常識ですよね?
しかし、ちょっと前の日本映画でこのようなセリフがありました。
「事件は会議室で起こっているんじゃない!!現場で起こっているんだ!!」

いい言葉ですよね?
皆様だって、この言葉には賛成するでしょ?

だから児童虐待の問題だって、会議室の常識や、セミナー会場での常識や、役所での常識を簡単に適用してはいけないんですね。現場であるダメダメ家庭の常識で考える必要があるわけです。

現場であるダメダメ家庭では、全くの逆になっているわけです。
「殴っている親が被害者で、殴られている子供が加害者。」

えっ?!どうして?
そのように、疑問に思うのも当然でしょう?

しかし、ダメダメ家庭では親は常に被害者意識があるわけです。
親としては、親である自分こそが「子供が生まれたことによる被害者だ!」と認識しているもの。
そもそも、子供が欲しかったわけでなし・・・
妊娠中はつわりで大変だったし・・・
お金はかかるし・・・
自分の自由時間はなくなるし・・・

全くコイツが産まれたためにロクなことはない!!
私はこの子が産まれたことによる被害者だ!!

その後になっての子育てにおいても同じこと。
被害者意識が強いダメダメな親は、「子育ては親である自分が背負わされた被害」と思っている。

勿論、一般的には、そもそも子供自身が「ボクを産んでください!」と頼んで産まれたわけではないのだから、子供に責任を求めても無理でしょ?そのように考えるのは当然ですよね?
「子供が自分で判断して産まれてきたわけではないんだから、親の側が責任を持って子供を育てることが当然じゃないか?」
そのように、一般社会の人は考えるもの。

しかし、それはあくまで会議室の論理。
現場の論理は違うわけです。

先日の「お題」で、ダメダメ家庭は他力本願ということを書きました。
ダメダメ家庭では、自分でできること、やらなければならないことについて考えたりはしないので、上手く行かなかったことは全部他者のせいになってしまうんですね。だから、ちょっとのことで被害者意識になってしまう。親にとっての他者の代表例が自分の子供です。だから「私は子供による被害者」と思ってしまうことになる。

そもそも、当事者意識がないダメダメ人間にしてみれば、子供を持つという判断の結果として子供が産まれたわけではない。ただ、避妊という判断をしなかったら、いつのまにかできていた・・・ただ、それだけ。つまり、子供を持つということについて、何も判断はしていないわけ。何も判断はしていない上での結果なんだから、子供が産まれたことについては、純然たる被害者となるわけです。

だから、ダメダメ家庭においては、「子供を育てている親の側が被害者であり、親に子育てを強いている子供が加害者」という基本的な関係性があるわけ。
「自分は被害者の側」と親が思っているので、まさに「報復」行為となってしまう。
報復であるので、それは倫理的に適った行為とみなしているわけ。
だって、「被害者が加害者に報復して、何が悪いの?」という話になってしまうでしょ?
ただ、その「被害者」と「加害者」の設定において、一般社会との大きなズレがあるというだけ。ダメダメな親にしてみれば、被害者である自分が、加害者である子供に報復しているだけだと考えているわけ。
そのような「親が被害者,子供が加害者」という現場の論理を無視して、行政や警察や学校がダメダメ家庭に介入するとどうなるでしょうか?

介入したやり取りの後に、親が子供に対して言う言葉は決まっていますよね?
「全く・・・オマエのおかげで面倒かけられっぱなし!」
「ますます面倒をかけられたじゃないか!!」
と、ますます被害者意識が高まることになる。ということで、子供への「指導」なり、受けた被害に対する「報復」にますます熱が入っちゃうわけです。
よくありますよね?このような事例。

例え子供がキライな人間でも、子育てへの覚悟がなくても、することをすれば親にはなってしまうものですから、そのようなダメダメな人間は「私は子供による被害者。」という意識を持つことも多いわけです。
ダメダメ家庭はダメダメ家庭なりの論理があるわけです。

このような親と同居しているわけだから、子供の方も「自分は加害者」という意識があるわけ。まさに、心理的な刷り込みになってしまう。だから周囲にも相談できない状態。だって加害者の方がどうして相談するの?
被害者である親にますます迷惑がかかるだけでしょ?
そして、親に迷惑がかかったら、結局は、それによって、子供が報復されるだけ。

しかし、意を決して、子供が周囲に相談したら、どうなるでしょうか?

このメールマガジンで何回も書いていますが、子供が言われる言葉はお決まりのもの。
「子供を愛さない親はいないのだから、家族で相談したら?」
と門前払い。あるいは
「自分は『産んでくれ』と親に頼んだわけではない!なんて言葉をいうモンじゃない!!ケシカラン!!ご両親がお気の毒だ!」
そうやって逆に説教されてオシマイですよね?
だから、周囲からも「親の側が、子供による被害者。」と認定される始末。

違いますか??
言ったことありませんか?
あるいは言われたことありませんか?
このような『正論?』
周囲の「善意ある」人間からの説教を受けて、子供はますます加害者意識を持ってしまうことになるわけです。

おまけにダメダメな親は、自分の子供の出来の悪さを周囲に対し常にグチったりしている。だから、できの悪い子供を育てているせいで親が被害にあっているということが、その家庭の周囲における「定説」になっちゃうんですね。
ダメダメ家庭の問題が深刻化する背景には、ダメダメ家庭ならではの考え方を理解していない、このような周囲の配慮のなさが大きいわけです。

「事件は現場で起こっているんだ!」って、いい言葉ですよね?
だから、映画で納得したら、ちゃんと実践しないとね。

しかし、そのような現場のことを何も知らない人間に限って、この手の家庭問題にアドヴァイスしたがるでしょ?
そのような説教オヤジやオバンが一番性悪なんですね。
「『自分を産んでくれ!』なんて親に言った覚えはない。」というダメダメ家庭の子供の必死の声を、一刀両断に糾弾して、自分の良識に悦に浸っているだけの性悪オヤジは、子供を虐待している親と同罪なんです。

周囲の環境がダメダメ家庭に配慮できるような柔軟性を持っていたら、たとえ家庭内で児童虐待が起こっていても、当事者である子供も周囲に相談することができますよね?
だから深刻な問題にはならなくても済むわけです。
ダメダメ家庭の問題は、周囲の環境の硬直化と切り離して考えてはいけないんですね。

ちなみに、あまりに当たり前のことですが・・・
私は児童虐待の事件において、「親が被害者で、子供が加害者だ。」と申し上げているわけではありません。事態を改善させるために、事件の現場の論理を考慮する必要性を申し上げているだけです。
そして、そのような現場の論理を踏まえ、中途半端な介入は逆効果になることを十分に理解する必要があるわけです。

(終了)
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発信後記

ゴールデンウィーク中なので、この文章をあとになってお読みになられる方も多いかと思います。
別に新鮮さがウリという文章ではありませんので、あとでノンビリお読みいただければ結構です。
いつお読みになられても結構ですが、少なくとも今後は、学校関係者や行政関係者の方はこのようなダメダメ家庭なりの現場の論理に対しての配慮を忘れないでくださいね。

まあ、多分そのような人たちはこの文章を読んでいないと思いますが・・・

学校関係者は「ワタシを産んでくれと親に頼んだわけではない!なんて言葉をいうモンじゃない!!」と生徒に対して説教するしか能がない人ばかりですもの。だから生徒も家庭内で虐待されても、学校関係者に相談できないんですね。

児童虐待の事件があると、何故学校に相談できなかったのか?などと疑問を持たれる方もいらっしゃるかと思いますが、ダメダメ家庭にも「過程」があるように、学校にも「過程」があるわけです。

生徒から相談させないような環境つくりをやっているわけですね。
ダメダメ家庭があるように、ダメダメ学校も厳然として存在するわけです。
R.10/11/12