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カテゴリー | 認識からの逃避 |
配信日 | 04年6月14日 |
タイトル | 大本営による管理 |
「大本営発表!!本日、我が帝国海軍は敵駆逐艦を轟沈せり!!」とか・・・第2次大戦中はそのような情報統制がありましたよね?って・・・歴史の本ではそう書いてありますが・・・ 現実とは遊離した情報を、「上」の方から発信し続けることにより、あたかも現実がその「大本営」の情報どおりに事が運んでいるように社会全体が認識するようになって行く。 そうなると、誰かが現実に起こっている問題を指摘しても相手にされないわけです。 だって、「大本営」によると、現実は何も問題なく順調に進んでいるわけですからね。 しかし、第2次大戦中に、その大本営が「万事良好!!」と情報を発信しても、すべての国民が本当に信じていたのでしょうか? 違いますよね? 少なくとも実際に戦場で敵とドンパチやっている兵士は、そうは思っていなかったはずです。 「オイオイ、この戦争は負けだな〜」 そのような言葉が・・・小声で交わされたことでしょう。 大体において、実際の戦場だと逆によく見える。兵隊の人数だって、食料だって、装備だって敵さんの方が充実していれば、根性もヘチマもありませんよ。 いくら気合を入れて鉄砲を撃ったって、戦車には勝てないよね。 実際にその現場にいれば、自分たちの問題や、相手の実力なんてよくわかるものなんですね。ところが大本営のスタッフは実際の戦場には行かず、現場から上がってくる情報を基に、スタッフルームで作戦を練っているだけ・・・これでは問題も解決されるわけがありませんよ。 あれあれ?このメールマガジンは戦争についてのメールマガジンだったっけ? すいません。上記は喩え話です。 このメールマガジンの本来のテーマであるダメダメ家庭に戻りましょう。 実はダメダメ家庭の問題も、現場においてはそれなりに問題点を認識していたりするんですね。 例えば、学校という現場もそれなりの教師の間ではちゃんと正確な問題認識がなされているわけです。例えば居酒屋さんで隣の席で教員たちのグチが展開されている時がありますね。あるいは電車などでグチっていたり。 それこそ、 1. 子供を見ると、親のレベルもわかる。 2. ダメダメな親は「子供のしつけ」は学校の仕事だと認識している。 3. 親がダメなら、子供には何を言ってもダメ。 4. 子供は親と似たような一生になる・・・妙な宗教に入れ込んだり、子沢山になったり、早くに結婚して若い親になってしまったり。 5. 中学校を卒業したような年代の子供に、今更になって心の教育も何もない。 6. 親の服装を見るだけで、子供の将来もわかる。 7. あんな口の悪い親に育てられたら、いい会社には行けないね。 8. あの親は自分の子供のことを何も知らないんだ! などと、言い合っている。 教師だって本音では、子供の問題はダメダメな親のせいだとわかっているわけですね。 では、何故そのような現場の常識が、学校の運営や行政の施策に反映されないのでしょうか? これって、まさに戦争中の大本営のシステムと同じなんですね。 そのような現場の常識を、学校のトップなり教育委員会なりに持ち上げたらどうなるでしょうか? それこそ、 「オマエの指導力不足だろうが・・・」 「大体、子供を愛さない親はいないのだから、ダメなのは教師だ!」 「そんな弱気なことでどうする!!」 「面倒なことを上に持ち上げるな!」 と、一喝されてオシマイ。 まあ、教師としてもがんばるだけはがんばってみても、家庭がダメダメだったらねぇ・・・解決なんて無理ですよね? だから、子供の問題を解決するためには、ダメダメな子供の家庭の問題にメスを入れる覚悟が必要なんですね。 しかし、そのような痛みを伴うことをする覚悟は教師にとっても、学校にとっても、教育委員会にとっても、文部科学省にとっても鬱陶しい。勿論のこと、対象となるダメダメ家庭にとっても鬱陶しい。だからどうしても先送りになってしまうわけです。 それに、実際問題として、学校にいる3年間で爆発さえしなければ、教員にしても、後は関係ないでしょ? 結局は、現場の教師→学校の校長→教育委員会→文部科学省と情報が上がって行くにつれ、本当に現状で困っていることが薄められ、耳あたりのいい情報だけになってしまうんですね。 これって、まるで北朝鮮ですよ。 同じような事例は、児童相談所などの現場でも顕著です。 1. ウチの子は将来は何になりたいんでしょうねぇ・・・と、のんきに笑う親。 2. とにかく「普通」の子供にしてくれればいいの!・・・と、他人任せな親。 3. 殴ってもいいのでビシビシと鍛えてやってくださいね・・・と、頼み込む親。 このようなダメダメな親と数多く接している児童相談員は、子供の問題と言っても、結局は子供の親がダメダメなことが根本の原因であることは先刻承知なんですね。 だけど、児童相談所では子供の家庭の問題には踏み込めない。 虐待等のフィジカルな事例ならまだしも、メンタルな問題となると何もできない。事件が発覚するとそのような相談所が「良識派?」からの電話攻撃にさらされるわけですが、では社会がそのような相談所に十分なスタッフや強制力を与えているか?と言うと与えてはいませんよね? まあ、十分な物資も与えられていないのに、戦争で陣地を敵に取られると、司令部から文句を言われる最前線の現場司令官のようなもの。やってられませんよ。 挙句には、「死守せよ!さもなくば玉砕せよ!」とのお上からの命令となってしまう。 現場で実際に問題と直面しているスタッフたちの声は、上に届かず、耳あたりがいい言葉だけが定説として通用してしまう。そんな現実無視の定説から外れた現実的な見解を言い出すと、「敗北主義者だ!」「偏った見方だ!」「やる気があるのか?」と罵倒され、つるし上げられるだけ。まさに、戦争中の大本営発表と同じなんですね。 同じようなことが夫婦間の家庭内暴力でもありますよね? 実際に「被害者」の女性のサポートをしているスタッフは、女性の実家に問題があることがわかっている人もいる。 そもそもそんな暴力夫との結婚を許可した時点で親は失格ですよ。 だから、そんな親は、自分の娘の苦境においても、何も有効なサポートもできない。 こんなことだから、その家庭の娘がその程度の暴力男と結婚してしまうわけですよね? だからと言って、そのようなドメスティック・ヴァイオレンスの現場の相談所のスタッフの現実を踏まえた認識が上に上がることはない。 上に上がるのは、「邪悪な精神を持つ夫が、いたいけな妻に暴力を振るっている。」ただそれだけ。 まあ、そのような説明の方がマスコミ受けしますし、一般のボククラな人にも大うけする。 マスコミだけでなく、それこそ学界でもそうなってしまう。現実無視の美辞麗句を元に、学者さんは議論する。 そして、少しでも違った見解が出てくると、大騒ぎして、つるし上げ。 しかし、そんなことだからドメスティック・ヴァイオレンスの問題はますます深刻化するわけです。そして、そんな上意下達のスタイルは、家庭問題に限らず、様々な分野の市民団体などの行動にも顕著でしょ? 学校の現場の認識も、児童相談所での現場の認識も、ドメスティック・ヴァイオレンスでの現場の認識も、有効に活用されることもない。 権威筋の方から、現場に視察に来ても「皆の者!うまく行っているようじゃの!!余は満足じゃ!!」でオシマイ。まるで北朝鮮での金将軍の視察と同じ。 実際に困っていることとか、現場の認識は行政には反映されないわけです。 それこそ少子化問題の政府懇談会の風景など典型的でしょ? 自分の子供のオシメも取り替えたことがないような爺さんたちが、がん首並べていますものね。 一体全体何を議論しているのやら? ということで行政に期待すること自体無理なんですね。 自分の子供のために、自分のできることを確実にやる。これしかないでしょ? だって、子供の困りごとを聞いてあげることなんて、お金がかかるわけではないし、政府がダメでも可能ですからね。 むしろ親にとって重要なことは、子供が属している集団(学校等)が、上記のような現場を知らない大本営によって身動きが取れない状態ではないのか、チェックすることになるわけ。現場の論理で動けるような集団であれば、問題はそれほど大きくはならないものです。 しかし、大本営の意向に逆らえないような状態だったら、どうなるでしょうか? それこそ子供に対して「命の大切さ」を教えれば万事解決!そのような発想なんですね。 しっかし、それで解決すれば世話ないよ。 家庭だってそう。子供が親に対して、フランクに会話できるような家庭だったら、大事件にはなりませんよ。 そんなフランクな会話が喪失し、家庭内でも上意下達の大本営が幅を利かせている・・・それがダメダメ家庭というわけです。 ちなみに、長崎県の小学6年生による殺傷事件ですが・・・ 教員がマトモな人間なら、事件の前兆は関知できますし、もし教師がニブイ人間で問題が関知できないようなレベルの場合にも、子供の方から相談を持ちかけられる雰囲気であったら、このような事件にはなりません。 だから問題は、子供が気軽に相談を持ちかけられないことなんですね。 しかし、「命の大切さ」を問答無用に上意下達するような学校では、子供は気軽に相談を持ちかけられないのですから事件は起こって当然ですよ。 権威筋認定のご高説を上意下達するシステムだったら、一番下の立場である子供の声が上まで届かないことは理の当然でしょ? そして、実際に事件が起こってしまったら、その対応も上意下達。 だからこそ、この手の事件は繰り返されるわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 当然のことですが、文部科学省に反対すれば問題は解決!なんてものではありません。 自分たちの問題は、自分たちで考える・・・そんな当たり前のことをしないことがダメダメなんですね。 ただ自分で考えた場合は、その考えた結果責任を取らないといけない。ダメダメな人間はそれがイヤであるわけ。だからこそ、「大本営」の管理を喜んで受け入れるわけですね。 そして、事件の後で、学校の文句を言うだけ。 |
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R.10/11/14 |