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カテゴリー 子供がピンチの時
配信日 04年6月21日
タイトル ウチの子は手がかからなくて助かるわ!
ダメダメな親は子供に煩わされるのがキライ。
そもそも、子育てに対して当事者意識がない。むしろ、被害者意識を持ち「親であるワタシは子育てという面倒を押し付けられた被害者なんだ。」と確信していたりする。
子育てを被害と思っているんだから、子供には手間がかからないのが一番。ということで、子供に対して「親に手間をかけない」ことを求めるんですね。

子供だってバカじゃない。
親の期待に応えようとして、すべての問題を自分で解決するようになってくる。そうなると、本当に「手間のかからない子供」になるわけです。

そうなると親は喜んで、「ウチの子は手がかからなくて助かるワ!」と、周囲に話したりするわけです。
それを子供が聞いて、ますます「親に手間をかけないように」努力するようになる。

勿論のこと、いいことでもありますよね?
いわゆる「子供の自主性を尊重した子育て」という美辞麗句もあったりする。
しかし、普段からそんな気配りや緊張の日々だったら、子供だって疲れちゃうでしょ?

子供だって、普段は自分ひとりで対処しても、いざとなったら、親がサポートしてくれるという感覚を持っている場合と、イザとなったら、親からのサポートはない、それどころか、トラブル状態になってしまったら、親の被害者意識が刺激され、逆上するだろう・・・と思っていたら、その心理的なストレスはまったく違っているでしょ?
その心理的なストレスはいずれかはどこかに出てきますよ。

ということで、親の前では「手間のかからない」子供でも、親の見ていないところでは問題を起こしたりするわけ。人間というものは常に「いい子」でいることなんて出来ませんよね?
しかし、自分の前で「手間のかからない」子供しか見ていない親は、自分の子供のそのような問題行動を周囲から聞かされても対処不能だし、信じられない状態。

「本当なの?!ウチでは、本当に手間のかからない子供なんですよ!」
まあ、親の前で手間をかけていない分、親の前以外の場所で発散しているわけで・・・
子供だって、「家の中」では「よそ行き」の自分、「家の外」では普段着の自分・・・そのような使い分けをするようになるわけです。

しかし、子供のそのような精神的努力が長続きするわけもなく・・・
結局は、親が自慢していた「手間のかからない子供」が登校拒否になったりするわけです。
しかし、このことは当然ですよね?
手間を掛けないことを子供に求めている親に対して、学校での問題を相談するわけにもいかないでしょ?
どうしても、自分ひとりで解決しなくてはならない状態。
そうなると、「問題を起こさないようにするには、学校に行かないのが一番!」となってしまうわけです。

こうなると、子供の手間を扱った経験のないダメダメな親は全く対処できないわけ。
そもそも原因だってわからない状態。
「全く問題のない普通の家庭のウチがなぜこのようなことに?」と、嘆くことになる。
ということで、「たまたま」登校拒否という事態に陥った、以前は「手間のかからなかった」子供に登校を求めるわけ。

『私のために学校に行ってよ!』
『もう、これ以上は面倒をかけないでよ!』
その要求に従って、子供の側も、結局は「親に手間をかけないため」に学校に登校したりするわけ。

しかし、そんなことをしても問題が潜在化するだけなんですね。
そんな子供は、親に対して信頼感を持っていないし、家において安心感も持っていない。
常に不安の中にいる。
こうなってくると、犯罪一直線に進んだり、女の子だったら結婚後にはドメスティック・ヴァイオレンスの被害者になったりするわけです。

しかし、新しい家庭で、家庭内で夫に暴力を振るわれていても、実家には助けを求めない。
だって、「ウチの子は手がかからなくて助かる!」と喜んでいる親を悲しませ、嘆かせ、怒らせるわけにはいかないでしょ?

あるいは、安心感のない家庭による欠乏感を紛らわせようとして、異性関係に逃げ込んでしまう。
その手の異性関係は、「求め」「与える」という居場所が安直に達成できるでしょ?
逆に言うと、そんな安直な居場所ですら、自分の出身家庭よりもマシというわけです。
しかし、そんな安直な状況が長続きするわけもない。
まあ、そのうち金輪際、子供から手間がかからない状態になってしまうわけです。

しかし、子供の自主性を尊重しているという美辞麗句なり、そして、親に迷惑を掛けないように必死でいい子ちゃんをやっている子供の親は、周囲に対して通りがいい。
それに、自分の子供に対して手間を掛けていないので、時間があったりする。
だから、それこそ、ボランティア活動などをやって、「困っている子供を助けたい!」と言い出し、ますます「いい人」街道をまっしぐら。

そんな「いい人」の体面を汚すわけにはいかない、その人の子供は、ますます「問題を起こさないように」、そして、「問題が起こったら自分でなんとかしないと・・・」と切羽詰ってしまう。
だから、結局は、収拾不可能な事態になってしまう。

実際に「ウチの子は手がかからなくて助かる!」と周囲に話している人って、どんな感じでしょうか?よく見てみるとダメダメでしょ?
それこそ、「手間がかからない」という状況を大義名分にして、子供のことを何も知らないし、知ろうともしないものでしょ?
第一、 そんなに「子供から手間を掛けさせられたくない」のなら、何故に子供なんか産んだの?

だって、それが『ふつう』だから・・・
ダメダメ家庭ご用達の「ふつう」という言葉が、結局は登場してくるわけですね。

(終了)
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発信後記

まあ、長崎の事件でも、加害者も被害者もこのような「手のかからない」子供だったのでは?
R.10/11/15