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カテゴリー | もてなしの心 | |
配信日 | 04年6月23日 (10年10月7日 記述を追加) | |
タイトル | トイレに無頓着 | |
音楽のためのコンサート・ホールでも、映画館でも、その会場の「よしあし」を判断するのに、手っ取り早い方法はトイレを見てみることですね。あるいは、このことは、野球場などのスポーツイヴェントのための会場でも同じです。 暗かったり、汚く、臭ってくるようなトイレでは問題ありでしょ? あるいは、大勢の人が来訪する会場では、やっぱり洋式と和式の選択肢もあった方がいいでしょ? あるいは、そもそもトイレの数が絶対的に少なくて、休憩時間に沢山の人が列を成している音楽ホールもあったりします。 トイレのために列を成すのは、列を成している人にとっても不快であることは言うまでもありません。格好のいいものではありませんし、それに、楽しいことができるというわけでもないし・・・ あるいは東京のホールだと、トイレの出入り口が男女共通のところもあります。そんなことは、音響のよしあし以前の問題ですね。まあ、悪名高いホールですが・・・ コンサート・ホールにおいても、映画館においても、その施設が語られる際には、トイレの問題が表に出てくることはまれです。普通は上演している作品について語られるものですものね。 それに観客も言いにくい話題ですよね? 「トイレがひどかった!」なんてクレームは付けにくいでしょ? しかし、だからこそトイレの「よしあし」は、そのホールの質を端的に表すことになる。人に言われない部分に対しても、スタッフがちゃんと配慮しているのかについてわかるわけです。 そこまでフタッフが配慮しているようなホールや映画館だったら、その他の面も配慮しているんですね。 日頃の管理の面だけでなく、そのホールなりスポーツイヴェントの会場を、そもそも設計する際に、どこまで入場者のことを考えているのか?それはトイレを見ればわかるわけ。 たとえば、音楽ホールとか、スポーツイヴェントでは、入場者がトイレを利用するのは、休憩時間に集中するでしょ?これが美術館だったら、そのような時間的な集中はない。 利用時間においても、それぞれの施設において、特徴があるわけ。 入場者数あたりにこれくらいの個数があるから大丈夫とかの単純なスタイルでは考えられないわけ。 その建物の使われ方まで、しっかり考慮された上で設計されているのかが、トイレをみればわかることになる。 その手の施設のトイレを実際に見てみると、その手の施設を入場者として利用している人の常識的な感覚が、どの程度まで反映されているのかについてわかってくるものなんですよ。 音楽ホールだったら、「このホールの設計をした人は、聴衆として実際にコンサートを聞いたことがない人だなぁ・・・」「ホールを作った人は、音楽に対して愛情を持っていない人だなぁ・・・」と、トイレを見ればスグにわかってしまう。 そんなホールは、「残響○秒」とかの、数字上のスペックは良くても、ホール内の階段とか、ホール内の移動とか、座席に到達するまでの苦労とか、会場内がやたら暗いとか・・・そんなちょっとしたことで「居心地」の悪さを作ってしまう。それに、その「残響○秒」と言っても、音響数値的にはそのように示されていても、音楽的な残響にはなっていなかったりする。 まあ、音響的な残響はあっても、音楽的な余韻はない・・・そのように言えるでしょう。 そんなホールは、結局は、聴衆も離れて行ってしまうものなんですね。 ホールの「よしあし」がトイレに端的に示されるように、家庭の「よしあし」もトイレに端的に表れますよね? 勿論、たまたまキレイな状態のダメダメ家庭もあるでしょう。住んでいるマンションが比較的新しい場合などですね。 しかし、ダメなトイレの場合には、その家庭は確実にダメダメ家庭ですね。 このようなことは、それこそ「歯並び」の問題と同じ。 たまたま、いい状態であることはあっても、ダメな状況であったら、その土壌としてダメダメになっていることが見えてくるわけ。 だって、トイレがダメな状態を放置しているということは、 1. そもそも衛生観念が希薄 2. 家族の意向が反映されにくい状態 3. お客も少ない 4. ケチ 5. グータラ と言うことでしょ? トイレというものは何も利益を生むものではないので、お金の支出を渋りがちになり、配慮が行き届かなくなる。来客だって、いきなり「トイレがちょっとぉ・・・」とは相手に言いにくいでしょ?当事者意識がなく、誰かから言われなければ対応しないという感覚を持っているダメダメ人間にしてみれば、お客からクレームがないものを改善しようとは思わない。 だから、ダメダメ家庭ではどうしても、トイレの問題が先送りになってしまうんですね。 しかし、21世紀の今日の日本で、まさか汲み取り式トイレというのは問題でしょ? トイレなんて、車でベンツを買うわけではなし・・・どんな地方だって、水洗トイレくらいにはできるでしょ? ということで、家庭の「よしあし」もトイレに端的に表れているわけです。 児童の家庭訪問においても、結婚を予定している相手の実家に行った場合でも、友人の家庭でも、その家のトイレを見ることによって、多くの情報が得られるわけです。 勿論、自分の子供の友人の家族について考えるのに、相手の家のトイレについて調べることは手っ取り早い方法です。 子供がその家庭に遊びに行った際に使ったトイレについて聞いてみると面白いですよ。 「あの家庭は、やっぱりダメダメ。」って、わかることも多くあります。 このようなことは、会社とのやり取りにおいても同じでしょ? ダメなトイレのビルに入居しているような会社は、ユーザーに対しての細かな配慮はしていなくて、外面だけが格好のいいことをする傾向があったりするでしょ? あるいは、トイレの問題は、家の購入のような大きな買い物においてのチェックポイントにも使えるのでは? トイレが安っぽい家屋は、別のところでも手抜きがあったりするのでは? そのような情報を集める努力もせずに、事件が起こった後でワイワイ騒ぐ・・・それでは、どっちもどっちのダメダメですね。 実際に、トラブルが起こった後になって、「あそこはトイレが汚かった。」とかのコメントが出てくることが多いものでしょ? ちなみに、長崎県で色々と事件が起こったりしますが・・・ 関係者の家のトイレはどんな感じなんでしょうか? あまり「キレイ」とはいかないような・・・ あるいは、被害者の側の子供の親は、加害者の側の家庭のトイレについて子供に聞いてみたりしたのでしょうか?聞いていれば、あのような事件にはならなかったと思うのですが・・・ このサイトでは、ダメダメ家庭の問題は「言おうとしないこと」に注目する必要があると頻繁に書いておりますが、「言いにくいこと」「語られにくいこと」に注目すると、色々と見えてくることが多いもの。 その代表例がトイレというわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 長崎の事件のあった小学校で、学校側とPTAがもめているそうですが・・・ PTAも今更もめてもしょうがないでしょ? さっさと子供を転校させるのがマトモ。 しかし、ただ騒ぎたいだけの人間が、時すでに遅しの正義を振りかざして大騒ぎするのはダメダメな親がよくするところ。 まあ、ダメダメな学校とダメダメな親は「割れ鍋に綴じ蓋」の関係なんですね。 |
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R.10/10/7 |