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カテゴリー やり取りと距離感
配信日 04年7月30日
タイトル 気まぐれに構う
よくスーパーマーケットなどで、子供たちだけで騒いでいる光景が目にされますよね?あるいはお祭りの最中とかで子供だけが集まったり、走り回って大声を上げて騒いでいる。これが中学生以上だったら、何かと問題になるのでしょうが、小学校の低学年くらいまでなら「うるさい子供だなぁ・・・」くらいで済んでしまう。あるいは「元気な子供だ!」と肯定的に見られることもあるかもしれません。

あるいは電車に乗ったりすると、やたら元気で走り回る子供っていますよね?単に周囲に迷惑になるだけでなく、騒いでいる子供自身にとっても危険でしょ?電車が急ブレーキをかけたらどうするの?あるいは、そのような大声で走り回っている子供は、レンタルヴィデオのお店などでも結構いますよね?そんな子供の姿を見て、「ウチの子は元気がいい。」とか言っている場合じゃないでしょ?だって、他の人に迷惑になっているんだから。

よくそのような状況になると、「子供がそのような迷惑行為をするような場合は、強く叱った方がいいのか?」それとも「優しく懇々と言って聞かせる方がいいのか?」議論になったりします。

さあ!厳しく叱るのがいいのでしょうか?ちゃんと言って聞かせるのがいいのでしょうか?どっちでしょうか?

実はどうでもいいことなんですね。
だって、すべての子供がそうやって騒いでいるわけではないでしょ?むしろ騒いでいない子供の方が多数派でしょ?
そのように、騒がないでちゃんとしている子供を見てみるとスグにわかりますが、親と会話しているんですね。

それこそスーパーマーケットでも「今夜は何が食べたい?」「お父さんは何時ごろ帰ってくるかなぁ・・」「これどんな味なのかなぁ・・」とかの別に他愛のない話。
子供だって一緒にいる親が自分の話を聞いてくれれば、別に遠くまで遠征して騒ぐ必要もありませんよ。一緒にいる親の話だって別に他愛のない話でOKです。要は会話があるか?が重要です。そんな会話なんて、別にお金がかかるものじゃないでしょ?

逆に、子供たちだけで騒いでいるような場合は、親が怒鳴りつけて子供を呼び戻したりしても、結局は子供との会話がない。親はブスっとして材料を選んでいたり、大人同士でしゃべっているだけ。あるいは、最近だったら、携帯電話を見たり、話をしていて、子供のことなどそっちのけ。それだったら、子供は面白くありませんよ。当然のこととして親の元から逃げ出して自分自身で楽しみを見つけようとするでしょ?

そのようなことは、人間だったら当然の発想でしょ?そうやって、そのような子供が集まって騒ぎ出し、また親の方から怒鳴り声。
「何やっているの!戻ってらっしゃい!」
その怒鳴り声を聞いて、戻ってきて、結局は、遠征し、また戻って・・・と、その繰り返し。
だから、「厳しく叱る。」とか「やさしく言って聞かせる。」という問題ではなく、そもそも親が子供の相手をしていない・・・あるいは気まぐれに構っている・・・それが問題なんですね。子供の行動の原理など単純です。自分にとって一番面白いことをする・・・ただそれだけ。

しかし、ダメダメ家庭の周辺では、このような子供だけで騒ぐ光景はおなじみでしょ?そもそも親の側だって、子供の相手をすることが楽しいと思っているわけでもないし・・・子供が誰かとぶつかっても、ぶつかられた人に対し親が謝るわけでもなく・・・周囲からの白い視線にも気にせず自分の世界。

まあ、子供が小学生だったら、子供同士で集まって周囲の迷惑を顧みずに騒ぐくらいでしょう。
しかし、このまま親が子供を「気まぐれに構う」状態で子供が成長したら?

子供も自分たちだけで、楽しみを見つける能力がますます発達していくことになる。能力だけでなく、そもそもそういうものだと納得している状態。
そして、それこそ今大声で走り回っている小学生の子供が女の子で、やがて中学生,高校生になったらどうなるのかな?

そんなことわかりきったことですよね?
よくそのような事件が起こったりすると、女の子の相手をしたスケベなオヤジが糾弾されてしまいますが・・・まあ、そのようなスケベなオヤジも暴力を使ったのならいざしらず、それなりの合意に基づいているわけでしょ?
だから本当の問題は、自分の娘をそんな風に育てる親の問題ですよね?

スーパーマーケットで子供たちだけで騒ぐ子供を見て、「このままではいけない!」と思うのか?「私は手のかかる面倒な子供を持ってしまった・・・ああ!ワタシはなんてかわいそうなの?」と嘆くのか?
ダメダメな親は自分は被害者という認識。だから自身では何も対策を取ろうとしない。周囲の人に迷惑になるとかの次元とは別に、こんなちょっとしたところの親の対応を見るだけで、子供が将来に体験する事件も簡単に予想できるものです。

スーパーマーケットで騒いでいる子供に対して、「厳しくしかるべきなのか?優しく説得するべきなのか?」考えても意味がないわけです。子供の問題というより、その親の問題なんですから。
まさに、しかる対象は、子供ではなく、親の側にすることが、現実的には必要になるわけ。

本来なら、大声を出さないと子供が従わないような状況だったら、今後どうなってしまうのかについて親としても考えないといけませんね?そもそも、そんな状態になってしまったのには、ちゃんと理由があるわけでしょ?

子供としては、「親の近くにいても面白くない。」と思っている。相手にされるわけでもなし・・・だから、遠くまで遠征して騒ぐのは人間として当然です。それだけその親がツマンナイ親だと子供の行動によって証明しているわけです。

別のところで書いていますが、ダメダメ家庭の人間は、信頼というものが理解できない。
ダメダメ人間が理解できるのは、好意という一時的な感情のみ。
信頼というのは、一時的な感情ではなく、一貫した態度が要求されているでしょ?

気まぐれなのは、その人のキャラクターといえるわけですが、態度に一貫性がない限り、そこには信頼はないわけです。親の気まぐれな態度を見ている子供としては、基本的に親を信頼していないわけ。だからこそ、子供の事件が起こるわけですし、トラブルが小さい段階で親に相談することもない。
それこそ、自分の相手をしてくれた人と意気投合して、一線を越えてしまって妊娠して、出産して・・・そして殺害などという事件になってしまう。
子供がそんな事態になっていても、親の側は、子供のことに関心がなく、やっぱり自分の世界にいるだけ。そんな事件も、スーパーマーケットでの親の振る舞いの延長線上としてみれば、簡単に理解できるでしょ?

一貫したものがない人間が何も達成できるわけがないことは、言うまでもないことですが、そんな人が唯一できることは子供を作ること。
だからこそ、子供の事件も起こってしまうわけです。

(終了)
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発信後記

パチンコ屋さんの誘拐事件の似たようなものでしょうね。子供は純然たる被害者でしょうが、子供の親は被害者なの?しかし、そんな事件が発生した後でも、パチンコ屋さんの前で一人で遊んでいる子供っていますよね?
目を疑ってしまいますが・・・まあ、ダメダメな親ってそれくらいダメなんですね。
R.10/11/15