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カテゴリー | ダメダメ家庭と「いい人」 | |
配信日 | 04年8月11日 (10年6月7日 記述を追加) | |
タイトル | 天使のような善人 | |
もう引退してしまいましたが、フランスの映画俳優にアラン・ドロンという人がいました。端正なマスクと独特の雰囲気で、オバチャマ達を熱狂させた・・・らしい。 彼が引退してしまったのは、彼が父親役をやれないことが原因でしょうね。俳優だって、そこそこの年齢になってしまうと、いつまでもラブロマンスの主人公というわけにはいかない。むしろ脇役に回って父親役をやった方がサマになる。 しかし、アラン・ドロンは父親役ができない・・・キャラクターが違っているんでしょうね。愛を求める役はできても、愛を与える役はできないというわけです。 同じようなことは、女優だとオードリー・ヘップバーンもそう。 彼女も母親役ができないので、早めに引退ということになる。 日本の俳優さんでも、父親役や母親役がサマにならない人っていますよね? そのような「愛を与える」役ができないのは、俳優としての能力というより、その人の人間性なんでしょう。「愛を与える」だけの余裕がないからこそ、「切実に愛を求める」役での演技であれほどハマるわけですね。 そのアラン・ドロンの母親はまるで天使のような善人だったそうです。息子のアランがしでかした様々な実生活の不始末の後始末を、グチも言わずにコツコツとこなしていたそうな・・・ 「あんなに腰が低くて、『いい人』の子供が、どうしてあんなに傍若無人なの?」 ドロンだけでなく、よく言われる疑問の言葉ですね?アラン・ドロンの母親もそう言われ、周囲から同情を受けていたそうです。 皆さんもお聞きになったこともあるでしょ?この手の同情。 とても血がつながっているとは思えないくらい性格が違っている。親の方はあんなに謙虚なのに、子供は乱暴で・・・一体、どうしてなんだろう? しかし、子供の立場になって考えれば、むしろ当然のことなんですね。 それについて考えるために、ちょっと別の例を考えてみましょう。 国の運営についてです。 日本では最高位の存在として、天皇という存在もありますし、行政の長として総理大臣という立場もありますよね? 天皇はニコニコとしていて、手を振っているのが仕事。難しいことはしなくて、ニコニコしていればいいわけ。しかし、総理大臣はそうはいかないでしょ? 総理大臣がいつもニコニコしている状態では、国民は逆に不安になっちゃいますよね?本当に困ったときには頼りになるだろうか?と思いますよね? 天皇は善人である、というよりも善人と見えることが仕事。しかし、総理大臣は善人であることは必要ではないでしょ?国民を善人にするのが仕事であって、本人が善人かどうかはどうでもいいことなんですね。むしろ世界に存在する「悪」としっかり向き合っていく強い精神が必要ですよね?そうでないと外国との交渉もできないでしょ? 「難しいことはわからな〜い!」とか、 「そんな、汚い世界なんて興味な〜い!」とかではダメなんですね。 酸いも甘いも噛み分けたような人でないと、組織の運営の責任者としてはふさわしくないわけです。 そんな「汚い世界なんて興味ない!」なんて人が、組織の運営者だったら、むしろその組織の一般の個々の人がそれぞれの自覚をもって、日々注意しながら生きていかないとダメでしょ? 家庭だって、組織ですから、同じことです。 親の方だって「汚い世界なんて関わりたくない!」と言いたいこともあるでしょう。しかし、そのような場合は、その組織・・・つまり、その家庭は維持できるの? 親の方がそんな善人だったら、むしろ子供の方が世の中の「悪」と向き合っていかないと、家庭だって持ちませんよね?子供としてもやりたくはないでしょうが、うまく行かないツケは、一番弱い立場のものに集約してしまう。だから、子供としては対応せざるを得ないわけ。 その組織の全員が、現実の悪とは無縁の絵に描いたような善人だったら、組織だってガタガタになってしまいます。だから、緩衝材としての役割を果たすことができず、一番弱い立場のものが、周囲からの攻撃を受けてしまう。だからこそ、子供としては率先して対応するしかない。 「ボクの親は頼りない人だから、ボクの方がしっかりしないと・・・」 「私の親は人に譲ってばかりだから、私の方が強く出ないと・・・」 実際にそうならざるを得ないわけです。 結局は、親が汚れない分、子供の方が「汚れ役」を勤めることになるわけです。世の中の「悪」や「汚れ」と直接に関わり、自分自身や自分の家庭を守るために日夜奮闘する子供となってしまう。しかし、それって本来は親の役目でしょ? いい歳をして「善人」でい続けられる人間は、現実の社会を本当には見ていないし、自分自身で世の中と接触していないわけです。 面倒な問題はすべて周囲の人間にやらせる・・・自分自身はきれいごとに終始し、権威筋から与えられた正論を高らかに繰り返すのみ。だから、いつまでも「善人」でいられる。まるで天皇のような状態。 これが夫と妻の間柄で、どちらかが善人でいられるということならば、本人達の問題と言えるでしょう。大人同士ですからね。 しかし、そんな家庭の子供は、両親の善人さを守るために、子供の方が「汚れ役」を背負っているわけ。なんと言っても無邪気な善人に、現実問題での解決を頼んでも、現実的に出来ないわけです。それに、「清らかな」精神を持つ親の心を汚すわけにはいかない!だから子供の方はそのような覚悟を持ちながら日々を過ごすことになる。そして、必要に迫られ、対処能力もついてきてしまう。だから、親の方もますます子供の方を頼りにしてくる。だから、家庭の中で、世の中の「悪」と向き合えるのは子供だけになっている状態。 このような必要性から、子供は現実社会と向き合い、どんどん汚れて行くことになるわけです。 清らかでイノセントな親と、酸いも甘いも噛み分けている、汚れてしまった子供。 こうなると、汚れた子供は、清らかな親の前で惨めな気分になるわけです。自分の前にいる親は天使もひざまずく清らかさ!それに対しこの私は・・・こんなに汚れてしまって・・・ それこそ、何かあっても、子供が親に相談を持ちかけるわけにも行かないでしょ?だって、子供の方が「酸いも甘いも分かっている」わけですからね。 こんな日々だったら、子供だって暴れたくなるでしょ?まずもって精神的に疲れてしまいますよね? アラン・ドロンがあれほど、愛を求める人間になってしまったのは、彼の母親がいつまでも善人でいたことと深く関係があるわけです。 それにこのような善人の親というパターンのダメダメ家庭は、解決が難しい。それこそ「あの親御さんはあんなにいい人なのに、子供はあんなにヤクザもので・・・お気の毒!」と言われるだけ。 結局は、周囲からのプレッシャーがますます子供の側に集中し、子供がますます主体的に対処することになり、子供はますます汚れてしまって、そして、ますます切羽詰ってしまって、ますますトラブル。 そして、やっぱり「あんなに腰が低くて、いい人の子供が、どうしてあんな傍若無人なの?」という周囲の人の声。 しかし、そのような絵に描いたような善人こそが、本当の原因なんですね。親が悪と向き合わなかった分だけ、子供が悪と向き合うことになってしまった結果なんですね。 いつまでもキレイにいたいのなら、家庭なんて持ってはダメですし、ましてや、子供なんて持ってはダメでしょ? いい人では組織は運営できないもの。 組織のトップとしては、それこそ、イタリア・ルネッサンス期のマキャベリが指摘しているようなことが求められるもの。 マキャベリは、まるで権謀術数の大家のように言われたりしておりますが、「国家を維持し、発展させていくためにはどうすればいいのか?」そんな問題意識が根底にあるわけです。 その問題意識は、家庭を維持し、発展させていく問題意識と全く同じなんですよ。 組織のトップの役割を担うものは、キレイ事を連呼しているだけではなく、その「重荷」なり「業」を背負う覚悟が必要になるわけ。 ところが、当時のイタリアの都市国家の多くが、「イヤなものは見たくない。」という逃避的な心情を持ち、自分たちの防衛を、傭兵たちに投げていたわけ。 「戦争なんか、汚らしい!」 「人間という存在は、もっとすばらしいものなんだよ!」 「LOVE & PEACE だよ!」 そんな現実無視の正論を連呼して、事態の真実には向き合わない。 マキャベリが問題視したのは、そんな逃避的な心理なんですね。 決然とした意思と、重荷や業を背負う覚悟がない人は何もできませんし、もちろんのこと、集団のトップになってはダメでしょ? しかし、逆に言うと、そんな現実無視の正論を連呼する人がトップだからこそ、市民は現実と向き合わなくてもいい。 それこそ、当時のイタリアでは、現実を直視した人がトップとなったら、傭兵ではなく、徴兵になってしまう。 そうなると、市民としても鬱陶しい。 しかし、国家が破綻して、一番苦しむのは、一般の市民でしょ? 国家においても、あるいは家庭においても、その組織のトップが、まさに「天使のような善人」であったら、その組織の逃避的な心理が見えてくるわけ。結局は、その組織はガタガタになってしまう。 そして「あの乱暴ものの息子が悪い!」とか、それこそ「外国勢力がどうのこうの・・・」とか、「時代が悪い。」とかで、そのトップ以外のものが犯人として認定されてしまう。 「だって、あの人は、あんなに『いい人』なんだよ。」 しかし、現実的にはトップが「いい人」だからこそ、トラブルになるわけですし、そんな「いい人」をトップに求めてしまうから、トラブルになってしまうわけ。 (終了) *************************************************** 発信後記 この手の天使のような善人は、得てして、道徳の教科書のようなセリフを臆面のなく展開することが多くあります。以前書きましたが「人間は生きているだけですばらしい存在なんだ!」とかね。 まあ、汚れた世界を全然見ていないわけですから、そのようなことも言えるんでしょうね。 |
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R.10/6/7 |