トップページに戻る 配信日分類の総目次に戻る
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ
カテゴリー ダメダメ家庭の雰囲気
配信日 04年8月16日 (10年6月20日 に記述を追加)
タイトル 強さを誇示する
ダメダメ家庭は社会から尊敬されませんね?
コミュニケーション能力が低いのですから、当然といえば当然です。
それに当事者意識がないんだから、自分たちで達成した成果があるわけではない。
こんな状態で、どうやって尊敬を得ていくの?

ということで、少なくとも自分の子供からは尊敬されたいと希望を持つことになる。
これはこれでいいこと。
しかし、具体的には、どうやって?

ダメダメ家庭の親は自分で勉強したり、スポーツとかで成果を挙げたり、あるいは仕事とか、地域活動などで成果をあげて、「お母さんは、すごいね!」「ボクには、とても、かなわないや!」と子供に言わせることはありません。
本で読んだ面白い内容を子供の前で披露するとかをすれば、「わあ!お母さんはスゴイ!」「色々なことを知っているんだ!」などとの感想を子供から得ることもできるでしょうが、そのようなことにはならないわけ。
ダメダメ人間が取るのは、もっと別の方法なんですね。

それは誰か人を叩くこと。

自分の気に入らない人間を自分の子供の前で打ち据えたりします。
勿論のこと、フィジカルに暴力を振るったりしたら犯罪になってしまいますから、いくらダメダメ人間でも、サスガにそのようなことはいたしません。

しかし、他人をいじめる方法なんていくらでもありますね?
無視したり、悪口を言ったり・・・あるいは今だったらインターネットの掲示板を利用したり・・・
あるいは、別のところで言及いたしますが、裁判という「国家認定」の場を活用したりする。
裁判所を使って、相手を打ち据えるのは、勿論のことに合法的でしょ?
だからこそ、スグに「訴えてやる!」などと、言い出すわけ。

それこそ、クレーマーの方は、そんな姿を、自分の周囲の人に、これ見よがしに見せたりするものですよね?
そのように、「気に入らない人間を打ちのめす。」姿を子供に見せることによって「お母さんは、強いねぇ・・・」と、子供から思わせようとするんですね。

前にも例示しておりますが、よく言う物言いに「この人には、とても、かなわないや!」なんて言い回しがあるでしょ?言葉そのものはともかく、マトモな家庭とダメダメ家庭では、その意味合いが違っているわけ。
マトモな家庭においては「とても、かなわない。」という言葉で、子供よりはるかに能力が高く、成果もある・・・そんな肯定的な方向での「とても、かなわない」という言葉になるわけですが、ダメダメ家庭においては、「バトルの勝者」という意味合いになっているわけ。

バトルをしたら、ボクよりもはるかに強い・・・そんな意味合いになっているわけ。
バトルとは、相手を否定することでしょ?
親の方が、子供である自分よりも、もっと人を否定する能力が高い・・・それが、ダメダメ家庭における「とても、かなわないなぁ・・・」という意味になるわけ。
「とても、かなわない」という言葉は、尊敬方向を意味する場合もあれば、恐怖の方向に向かう場合もある。ダメダメ家庭においては、常に恐怖の方向なんですね。

しかし、言葉に対して鋭敏ではない人は、「とても、かなわない」なる言葉を聞くと、それを尊敬と受け取ってしまう。
ダメダメ家庭の子供が語る「ボクはお母さんにはとてもかなわないよ。」という言葉から、「きっと立派な母親なんだろうなぁ・・・」「きっと、スゴイ業績があったりするんだろうなぁ・・・」と受け取ってしまうわけ。
しかし、ダメダメ家庭の現実においては、「ボクは、あの人には、とてもかなわないよ。」言葉は、「怖い」という心理を表現しているわけです。

「尊敬」と「恐怖」の違いを認識しようとしないのは、周囲のボンクラな人だけでなく、ダメダメな親本人も同じ。

前にも書いていますが、ダメダメ家庭の親は、決して自分自身の能力を向上させようとは考えない。他者を陥れる方向に発想が向かうわけです。
子供の前で他人をいじめて、『どうだ?お母さんすごいだろ?アイツをやっつけてやったぞ!!』と言ったりするわけ。

しかし、そのような姿を見た子供は本当に「お母さんは、強いねぇ・・・」と思うのでしょうか?
まさかね。

まあ、そんな行為をする親は、確かに子供にとっては恐るるに足りる存在ではあるでしょう。でも尊敬に値する存在とは言えませんよね?まあ、いじめられる側に対して同情を持つことはあっても、いじめる側には尊敬などしないでしょ?
子供が考えることは、そのような「嫌がらせ」が自分に向かわない様に、日々配慮しないと・・・ということなるのは当然のこと。

だから、子供にしてみれば、そのような気配りが、家庭内で必要になってくるわけ。まさにダメダメ家庭のダメダメ振りがますます潜在化し、進行していくわけです。そして、ちょっとしたトラブルが多発することになる。そして社会のおけるその家庭の位置づけもますます下がってくる。

「気に入らないものを攻撃する。」という二重否定的な行為は、単純な肯定的な敬意とは違っているわけ。
しかし、何かを否定するしか能がないダメダメ人間は、「自分以外のものを否定する。」ことしかできない。だからこそ、自分自身を肯定することが、ますますできなくなってしまう。
そんなことは、いくらダメダメ家庭の親だって、冷静に考えればわかることなんですが、考えようとしないのがダメダメ家庭。

二重否定的な発想なので、やり取りにおいても、「自分の考えに合意してもらう」という肯定を向いた発想ではなく、「反論できない状況を作る」という二重否定状態を志向する。
自分の強さを誇示し、「逆らうと怖い」と子供に印象付けることによって、その家庭からフランクな会話がなくなり、逆に言うと、「問題があるようには見えない」「ふつうの家庭の姿」という二重否定的な状況になる。
逆に言うと「問題を見たくない」だけなので、その物言いも強圧的となるわけ。

強圧的なんだから、まさに、字面どおりには「強い」姿とも言えるでしょ?
しかし、その心理としては、相手から反論されたら対処できないという、一種のコンプレックスに根ざしていたりするんですね。自分なりの考えに基づいた行動なり発言だったら、それを人に説明できるわけですが、何も考えずに、人に合わせているだけなので、説明できないわけ。だからこそ、反論されて、説明する必要が発生してしまうのが怖い。
だから、反論を許さない、強圧的な雰囲気がどんどんと進行することになる。

例えば母親が子供の目の前でそのような方法で「強さを誇示」した場合、その夫はどうするでしょうか?マトモな感性が少しでもあれば、「オイオイ!そんなことやめろよ!子供がどう思うのか考えたことあるのか?」などと妻を説教するでしょう。
しかし、何度も書いていますが、ダメダメ家庭は夫も妻もダメダメ。
そんな妻の姿を黙って見ていたり、「ハハハっ!サマーミロ!」と子供の前で喜んだり・・・
そんな親の姿を見て、子供がどのように育つのかなんて言わずもがなですね。
まあ、未成年の事件も起こるわけですよ。

そして、実際に事件となって、そんな親はやっぱり「アイツを訴えてやる!」と自分の強さを誇示しようとするわけ。
しかし、そんなアクションによって、周囲から恐怖を持たれることはあっても、尊敬なり信頼を持たれることはないでしょ?
そして、そんな状況を、「自分は周囲から理解されていない。」と被害者意識を持って捉え、ますます自分の強さを誇示しようとする。
そうやって、スパイラル的に、周囲から恐れられてしまうんですね。

当事者意識がないダメダメ人間は、自分自身を高めたり、あるいは成果を得るための自分なりに努力するという単純な肯定形の方向ではなく、自分以外の存在を否定し、けなす・・・そんなパターンばかり。

このような方向性の違いは、たとえばスポーツの分野などで出てくるビックマウス・・・いわゆる「大口たたき」行為でも顕著に違っているでしょ?
「オレは世界一のプレーヤーだと思っている。」
「オレは、きっと歴史に残るような成果をあげるぞ!」
なんて、大口をたたくスポーツ選手がいますが、まあ、自分自身をどのように認識しようが、基本的には当人だけの問題でしょ?
その自己認識が、あまりに間違っていれば、ただ、「アイツって・・・自分のことが見えていないなぁ・・・」とかで笑っていればいいだけ。逆に言うと、単に笑って済む問題といえます。

ところが、ビックマウスと称される行為でも、
「アイツはゴキブリ以下だ!」
「あいつらは、スグに降参して、泣き言をいうようになるさ!」
なんて物言いだったら、笑って済むというものではないでしょ?
しかし、自分自身を称揚するのではなく、対戦相手をけなしてばかりいるスポーツ選手って、実際にいたりするでしょ?

本来なら相手をけなしても、じゃあ、「当人自身はそんなに立派なのか?」となってしまうでしょ?
逆に言うと、自分自身の問題から逃避してしまっている状態の中で、自分を大きく見せようと必死になってしまって、相手を叩くことしかできないわけ。

自己逃避の人間が、周囲からの賞賛を得ようと、自分以外の人間を必死に叩く姿は、スポーツ分野だけでなく、ダメダメの領域では頻繁に見られるもの。
それによって、何か達成できるものではないわけですが、逆に言うと、達成したい具体的なものがないがゆえに、そんなことしかできないわけです。

(終了)
***************************************************
発信後記

今、アテネでオリンピックが開催していますが・・・
私は競技そのものは興味がないのですが、競技者の顔には興味があります。

やっぱり成果をあげる人はいい顔をしている・・・別に容姿端麗ということではなく、いい顔ですね。
特に豊かな国の代表で成果をあげる人は、いい顔ばかりです。
スポーツの分野でも、ひとつのことに真剣に取り組んで成果をあげるような人は、単に運動能力の問題だけではないのでしょう。当然周囲のサポートの存在も必要でしょうしね。

しかし、政情に問題のある国の代表で勝ちあがっていく人で、ちょっとヘンな顔の人もいます。何かオドオドしていたり、目の焦点が合っていなかったり・・・

スポーツの世界だと、豊かな国の競技者は自分で自分を律することが最重要なのに対し、政情に問題のある国の人は「他者に律せられる」ことが通例になっているのかな?

勿論、経済的に貧しくても、政情が安定していれば、いい顔をしている・・・
ということで、私は表彰式を一番面白く見ています。
R.10/6/20