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カテゴリー | ダメダメ家庭をめぐる環境 |
配信日 | 04年9月29日 (11年1月31日 記述を追加) |
タイトル | 思いやりのないお節介 |
「個別進化は系統進化を繰り返す。」って、生物学で言われることです。 別に難しいことではなくて、人間が人間の姿で産まれるまでに、お腹の中で、尻尾があったり、エラがあったり・・・と、魚や爬虫類から人類の進化した過程をなぞっているわけです。 やっぱり人間と言っても、魚類や爬虫類などと共通する面も持っている。 人間の出産の時間が満潮の時間と関係があるのは、カメの出産と同じなのかも? カメの方は干潮の時間に産むのだったっけ? まあ、これはこれでいいでしょう。 お魚のサケやマスは出産のために、大群で川を上ったりしますよね? どうも、多くの日本人がその魚の本能をまだ持っているようで、お正月やお盆の季節になると大群で「故郷?」に移動したりします。 「あんな困難な移動を達成するなんて、スゴイ!」 「急流や熊にも負けず、故郷に帰る魚はスゴイ!」 「あんな大群で、よくもまぁ・・・」 「ヤツラは一体何を考えているのだろう?」 まあ、ある種の本能なのかもしれません。 人間でも、その種の強い本能に支配されている人は、そのような行動に導く衝動に突き動かされたりするのかな? しかし、そんなことは魚と同じでしょ? 人間の尊厳に直結していることではないでしょ? つまり、他人に強制できる類のものではありませんよね? 「君も魚の行動を見習ったら?」なんて、人に対してアドヴァイスしたら失礼ですよね? 魚のような振る舞いを、人に強制するような環境が住みやすい環境なの? しかし、現実的には、おなじみのセリフが出て来るわけです。 ダメダメ家庭出身者が一番キライなセリフと言えるもの。 「君もたまには実家に帰って、ご両親に会ったら?」 まあ、ダメダメ家庭出身の人間は当然のこととして実家には行かなくなってしまう。 だから、周囲から非難を浴びることとなる。 最初のうちは、そのアドヴァイスに従って、実家を訪問したとしても別に会話があるわけでなし・・・ 親から言われる言葉といえば、グチとイヤミだけ・・・ 「あ〜あ、オマエを育てるために、ワタシの人生を棒に振った・・・」 と言うことで、結局のところ、もう実家とは関わりがなくなってしまう。 そうなると善意の周囲からますます非難を浴びることとなる。 「親不孝もの!」 しかし、「たまには実家に遊びに行ったら?」そんなセリフは、それこそアウシュビッツ収容所で生き残ったユダヤ人に、「たまにはアウシュビッツに遊びに行ったら?楽しい思い出もあるんじゃないの?昔の仲間とも会えるんじゃないの?きっと懐かしく思うよ。」と薦めるようなもの。 鬼畜や外道の振る舞いと同じですよ。 実家の葬式等での出席拒否問題でも、同じような問題が発生したりする。 「子供として、出席すべきだ!」 『絶対にイヤだ!』 とモメたりすることになる。 葬式に出席しないと親戚から非難を浴びることとなる。まあ、この非難については、ある意味において、しょうがない面もあるでしょう。 しかし、そんなに「形」に拘ること自体がダメダメなことと言えるのでは? まあ、その親戚がそんなにマトモなら、このような事態になる前に、何とかしていますよ。 それこそ、以前に芸能人さんの葬儀の際に、かつての妻と娘が出席拒否となり、そのことについて、お亡くなりになった芸能人の弟さんが大仰に嘆いていましたが、その弟さんがマトモな神経や知能を持っていたら、こうなる前に何とかしていますよ。現実的に言うと、そのような非難を投げつける親戚もダメダメなんですね。 まあ、このような思いやりのない非難を浴び続けたら、「社会は自分を理解していない。」という心理に陥ってしましますよね?こうなると、今度はその人が自分の子供をマトモに育てられるの?大体において、「社会は自分を理解していない。」という心情は、様々な凶行の原因となるものです。「オレを理解しようとしない社会に復讐してやるんだ!」という発想になってしまいますよ。それこそ大阪教育大学付属小学校事件の宅間被告の心情と同じでしょ?あるいは、秋葉原の通り魔事件もそんな心理的な構図があるでしょ? 「たまには、実家に『帰って』ご両親に会ったら・・・」なんてセリフも、無神経に発したりすると殺人事件の要因にもなりかねない。 行きたくない理由があるから、実家に行ってないわけで・・・ 無遠慮に他人の善意を押し付けられても困るんですね。 相手に配慮しない善意の言葉などは、人を追い込むだけで逆効果になるだけですよ。 ダメダメ家庭の問題が深刻化する理由として、困ったことを相談できない環境があることは以前に配信いたしました。 そもそも相談というものは、最初には家族に相談するのが自然ですよね? 社会においても、「相談はまず家族から」という前提で、社会システムができている。 だから家族が原因となっている問題については、相談のシステム自体がないわけです。 何回も書いていますが、例えば、子供が家族の問題で困っていて、その子供が周囲に相談しても、 「子供を愛さない親はいないのだから、家族で話あったら?」と門前払いするだけ。 つまり周囲の人間にしてみれば、その家庭がうまくいかないのは「愛され方」がヘタな子供の側に原因があると言い出すわけです。 勿論のこと、子供にアドヴァイスする周囲の人も、それなりには「善意」でやっているでしょう。 しかし、曲がりなりにも善意だからこそ、子供も対応に困ることになる。 実際にどうすればいいの? そんな善意のアドヴァイスを受けたら、どうするの? 人の善意を無視するの?そうなると子供もますます自己嫌悪ですよね? では、親と話し合うの? しかし、親と話をしようとしても 「うるさい!アッチへ行け!」ですよね? 結局は、親と善意の人とのダブルバインドになるだけでしょ? こんな思いやりのない善意を押し付ける環境で育ったらどうなっちゃうの? たしかに、善意は大切でしょう。 しかし、相手のことを考えずに一方的に自分の善意を主張されても、対応ができないわけです。 ダメダメ家庭の問題が深刻化する背景には、このような相手のことを考えずに一方的に自分の善意を押し付ける、周囲の環境が大きな原因となっているわけです。 善意が人を傷つけ、悪となる場合もあるんですね。 そもそも、先制的にお節介をするような人間は、逆に言うと誰かから相談を持ちかけられたら、対応ができない人といえます。本来は「困りごとがあったら、いつでも自分のところに来て相談してほしい。」と呼びかけるのが、善意というものでは?そもそも、困りごとなんていつもあるわけではないんだから、「困った時には相談しにきてくれ。」と呼びかけるのが、相手を思いやった態度ですよ。しかし、その手の人は、自分が言っていることについて本当に分かってはいないので、教科書的で規格品的な善意を語ることはできても、ケース・バイ・ケースでの困りごとには対応できないわけです。 だからこそ、自分が主導権を取った形で善意を振りまくしかできない。 それこそ、上記の芸能人の弟さんも、兄の元妻とかその娘・・・つまり自分の姪が困っていた際には相談に乗ったりしたの? 葬儀に出席拒否した娘さんも、信頼関係がない人からの依頼などは聞くわけがないじゃないの? 何かと善意を振りまくその手の人は、まさに、あまり反論してこないような相手をねらい打ちにして、自身の善意を得意気に語ることになる。 しかし、そこには善意の言葉はあっても、愛はあるの? 新約聖書でパウロさんが言っているでしょ? 「たとえ山を動かすような強い信仰があっても、そこに愛がなければ何も意味がない。」 その言葉と同じように、 「たとえ強い善意からであったとしても、そこに愛がなければ何も意味がない。」わけです。 相手を分かった上で、相手に配慮した上での善意でないと、かえって逆効果なんですね。 ちなみに、テレビで活躍していたコメディアンの田代まさしという人が、またまた逮捕されたそうですが・・・ 最初の逮捕の前は、田代さんは「絵のようにすばらしい家庭」の夫であり、父親として知られていました。 以前にダメダメ家庭の出身者が「絵のようにすばらしい家庭を作る」ケースが多いことは配信しております。 家族に対し愛情を持たなかった自分の親に対して、自分が作り上げた「絵のようにすばらしい家庭」を見せつけ、「どうだ!私はこんなにすばらしい家庭を作り上げたぞ!」と意趣返しをするわけです。まあ、イギリスのダイアナ皇太子妃などもそのケースといえるでしょう。 しかし、当然のこととして無理がある。現実的に、長続きするものではない。 また、ダメダメ家庭出身者にフィットした職業として芸能界があると何回も書いています。特にコメディーは向いている。だって人とは違ったものの見方ができますから、笑いを取ることができることもできる。それにダメダメ家庭出身者特有の「自分を表現したい!」という強い欲求もある。 だからこそ、田代さんも、コメディーの分野で成功できたのでしょうが、「よき夫」「よき父親」の仮面があったために、家庭内で、まさに「息が詰まってしまう」ことになってしまう。それこそ志村けんさんのように、家庭など持たずに芸の道に精進すればこんなことは起きなかったのでは? 「絵のようにすばらしい家庭」を作ったりすると、「絵のようにすばらしい」夫、「絵のようにすばらしい」父親という役割を演じなければならないので、精神的に疲れてしまうんですね。 そもそもダメダメ家庭出身者は、見本となる夫や父親を見ていない。どうしても必要以上に「すばらしく」してしまう。これでは「持ち」ませんよ。事件も起こしちゃいますよ。 田代さんの最初の事件の後で、「あんなすばらしい家庭のためにガンバレ!」と彼を励ました人がいたと思いますが、そのような励ましが一番無神経なんですね。 「すばらしい家族」そのものが、本人の重荷になってしまう。友人としては、そこから解放させてあげることがまず重要でしょ? 彼の家族も、すばらしい家庭人を演じている姿しか知らないので、困った時は頼りにならない。勿論のこと、家族の方には罪はありませんが、周囲の人間が、家族のことを持ち出すのは、本人にとって最悪なんですね。 彼が何回も事件を起こすのは、このような、周囲からの思いやりのないお節介も、原因の一つなんですね。彼が一番困っていることは何なのか?本人自身もわかっていないのかも知れません。しかし、周囲が「家族のために更正しろ!」と言い続ける限り更正は難しくなってしまう。だって、家族そのものが最大の原因なんですからね。 (終了) *************************************************** 発信後記 そういえば、現在の皇后の方の品川区のご実家が壊されそうになったとき、反対派が現れて結局壊されずに公園になったようですが・・・ 「ご実家が壊されるのは、皇后にとっても寂しく思われるだろう・・・だから保存しよう!」という主張でした。 まあ、実家が保存されるのは皇后も喜んだかもしれませんが、それが公園のような施設になって、その家に全然関係ない人にジロジロと見学されるの一番恐れていたと思うのですが・・・ マトモな神経を持っていたら、そんなこと喜ぶ人はいないでしょう? 関係のない人にジロジロと見られるくらいなら壊された方がマシと・・・私なら思いますが・・・どうせ気軽に訪問できるわけもないし・・・ 「皇后陛下のため・・・」などと、「人のため」を御旗に掲げるのは一番いかがわしい。 同じように「君のため」というお節介も・・・それこそユダヤ人にアウシュビッツ帰還を勧めるくらい無神経だと思っています。 自分の出来ることを確実にやる・・・人間のできることってそれくらいでしょ? |
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R.11/1/31 |