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カテゴリー もてなしの心
配信日 04年10月1日
タイトル お行儀
フランスの映画監督のエリック・ロメールの作品に出て来る男性はおおむね似たようなキャラクターです。皆さんお行儀がいい。あと性格的にはシャイなところがあります。
監督のロメール自身が、そんなキャラクターなんでしょうね。

96年作品の「夏物語」という映画でも、夏のヴァカンスで海辺にやってきた青年(大学院生)がフランスの浜茶屋?みたいなところで食事をする。そして食後に食器を並べなおすわけです。スプーンとかフォークとか・・・
食べた後なんだから、別にそんなこと必要はないはずですが、几帳面に並べなおす。
あと、別のお店でパンを食べているときにも、パンをナプキンで包んで食べたりしています。本当にお行儀のいい青年といえるでしょう。

浜茶屋でバイトしている女の子(こちらも大学院生)が、そんな几帳面でお行儀のいい青年の姿を覚えていて、海でその青年に声を掛けるわけ。映画はそこから話が始まっていきます。

その手のお行儀というものは、出身家庭の品性のレベルを如実に示しているわけです。それに、出身家庭が経済的に恵まれなくても関係ないことでしょ?以前に取り上げた「箸の使い方」と同じです。

ちゃんとしたマトモ家庭の出身者だったら、もし万が一、その人と結婚して家庭を築くことになっても、かなり安心ですよね?それだけ、育った環境の質の高さを示しているわけですからね。会話する基本ができていることも想定できる。もちろん、家庭を作る際の見本を知っているということだから、その見本を真似さえすれば、当人にしてもマトモな家庭を築くことができる。そもそも家庭を作る際の出発点において大きなアドヴァンテージを持っていると言えるでしょう。
だから、そのようなお行儀のいい男性にチェックを入れるのは・・・実に賢い方法です。まあ、そのバイトの女の子もマトモ家庭の出身者であるんでしょう。

逆に、お行儀が悪い人は・・・最初は目立って格好がよく見えることもありますが・・・生活を供にするには向きませんよね?そのお行儀以外にも問題が多くあることが想定できるわけ。
お行儀って、自分自身の尊厳への配慮であり、相手に対する配慮でしょ?「会話」なり「共同作業」をするのに必要な資質なんですね。

しかし、なんとなくお行儀の悪さが格好よく見えて印象に残ってしまうこともある。そして付き合いだす。結果的にやっぱりダメだった。
「あらら?!失敗しちゃったわ!」
まあ、それも勉強でしょう。

しかし、この手の「お行儀の悪い人間が印象に残る」人間は再犯性??があるわけ。次にも似たようなお行儀の悪い人間とくっついてしまう。そしてやっぱり面倒な結果に・・・
まあ、そもそも「自分自身の尊厳に拘る」ことや、「相手への配慮」のない人間と付き合ってもいいことはありませんよね?そんな人は、当然のこととして相手に対して配慮はしないでしょ?そんなこと最初から分かっていること。

しかし、やっぱり行儀の悪い人に惹かれてしまう人もいるわけで・・・そのような女性がよく言う言葉ってなんでしょうか?
「ワタシって、男運が悪くって・・・」
しかし、その言葉を聞いていると思うのは、「それは男運ではなくて、家庭運でしょ?」ということ。
女性の側の実家がダメダメだったので、人の「見る目」が出来ていないんですね。大体その「男運」が悪いと自認する女性だって箸の使い方が悪かったりする。似たもの同士であるわけです。

お行儀とかマナーとかについては、個々の具体的なものは国とか地域によって違いがあります。しかし、基本的な考え方は同じです。「自分自身の尊厳」と「相手への配慮」。多少風習は違っていても、お行儀のいい人って、スグにわかるものです。

テーブルマナーとかは習うこともできるでしょう。しかし、ダメダメ家庭では、その手の技術は身に付けられても精神までは習得できない。ほんのちょっとしたところでお行儀のいい人と、悪い人の差が出てしまうんですね。

そこがチェックできるようになったら、「男運」が悪いなんて言わなくても済むのでは?
お行儀がいい人は一見「面白くない。」と思うんでしょうが、それとこれとは別問題。派手なアクションをしないというだけなんですね。勿論、本当に面白くない人もいますが・・・

ちゃんと会話して面白ければマル、面白くなければバツ。それで問題ないわけです。しかし、ダメダメ家庭の女性は会話そのものができない。だからこそ目立つアクションに惑わされてしまって、後になって自分の男運を嘆くことになってしまうんですね。

ダメダメ家庭では親は子供を大切にしない。だから子供自身も自分を大切に扱わない。人に対しても配慮の欠いた振る舞いをするわけ。まさにダメダメ家庭の親の行動の伝承となっているわけです。

それに、ダメダメ家庭を作る親は、被害者意識が強く、そんな親によって育てられた子供も、親譲りの被害者意識を持っているもの。
被害者意識があり、「自分こそが一番かわいそうなんだ。」と思っているので、他者に対して配慮するわけもないし、被害者としての自分を主張するためにも、何事も「させられた」という受身の姿勢をアピールすることになる。
やらされているという感覚なんだから、お行儀をよくしませんし、そのようなお行儀の悪さをアピールすることで、「やらされている」という受身の立場をアピールするわけ。

被害者意識が強い人間は、そのような「やらされている」という受身の立場のアピールを見て共鳴してしまう。お行儀の悪い人の心理の根底にある被害者意識に共鳴してしまうわけ。
とうことで、お行儀の悪い人に惹かれてしまうことは、再犯性が強いわけです。

ちなみに、そのロメール監督の「夏物語」では、男の子に声を掛けた女の子は、男の子を評してこういいます。
「アナタは30歳近くになったら、味が出るタイプよ!」
自分の尊厳や相手の尊厳のことを考える人は、年齢を重ねながら、会話を重ねながら、人間的に深みを増していくわけ。
まあ、そのようなことがわかるから、マトモ家庭出身同士の結婚となるんでしょうね。

実はこの「夏物語」では、ダメダメ家庭の女の子も登場してきます。主人公の男の子が熱愛している女性。しかし、どうもどうも・・・
自分の尊厳に拘らないし、相手への思いやりがないし、約束は守らないし・・・と典型的なダメダメ家庭の人間。どうも会話も成立していない。ただ、お金持ちではありそうです。ちなみに、いかにも女の子が嫌うタイプの女の子。

そのようなダメダメ家庭の人間の目立つ振る舞いに、男の子はボーっとなっているわけ。しかし、その手の目立つ女の子は、結局は会話の相手としては向かない。
まあ、その男の子も、そうして反省し、人生経験を重ねて、人間的に味が出て来ることになる・・・と言うわけなんでしょうね。

それに対して浜茶屋のバイトの女の子と、男の子は会話が弾んでいる。
そんなちょっとした会話の積み重ねが、人生において重要なんだと・・・その男の子も・・・やがて気づくことになるんでしょう。この映画はそんな感じで終わります。
よろしかったら、どうぞご覧になってくださいね。
派手なシーンは全然ない映画ですので、ハリウッドの派手な作品に慣れた方は戸惑う方もいらっしゃるでしょうが・・・

ちなみに、最近でお行儀の悪い例ですと、ちょっと前の中国での反日暴動がありました。
勿論、中国人全部があんな程度なのではないでしょうが・・・
あんなところで元気な人間と結婚したらどうなるのでしょうか?

自分の尊厳や相手への配慮のない人間と暮らしても、ロクなことになりませんよね?
それにその家庭の中でうまくいかないことが発生しても、「悪いのは全部日本のせいだ!」でオシマイとなってしまう。自分で勝手に納得するだけで、何も対処しないわけ。
結局は、そんな家庭で育った子供が最大の被害者になっちゃうわけです。
まあ、「ゲンキ」な中国人が、自分の子供をどうしようが勝手でしょう。

全く残念なことに、似たようなことは、日本でも起こっているわけです。
目立つ振る舞いも結構ですが、自分の尊厳とか相手への配慮という会話の基本原則がないと、先は見えていますよね?
まあ、相手のお行儀というのは、そのような失敗を回避する比較的簡単なチェック項目と言えるわけです。

(終了)
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発信後記

昔「積み木くずし」という本がありました。俳優の穂積さんが書いた本です。自分の娘の家庭内暴力とかが書いてあるそう・・・
私は読んでいませんが・・・

先日、その作者さんがまた本を出したそうです。
その「積み木くずし」の発行の後で、妻は自殺し、娘さんは拒食症でお亡くなりになったとのこと・・・

その作者さんに言わせると「なくなった妻に『娘は普通の人間になって死んだ』と伝えたいので本を書いた」とのこと。
ダメダメ家庭の象徴との言える『普通』という言葉を、この期に及んでまだ使っているのには、開いた口が塞がらないとしか言えませんねぇ・・

「普通の人間」って何?
それって答えるのに非常に難しい問いかけですよね?
結局、「周囲に合わせて生きろ!」という意味で終わってしまうものです。子供だってそんなこと言われ続ければ暴れたくもなりますよ。

子供や妻が死ぬほど困っていても、知らん顔で、「自分こそは一番の被害者だ!」と悲劇の主人公を気取る例は実に多くあります。
長崎の事件もそのケースですね。
R.10/11/16