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カテゴリー ダメダメ家庭の雰囲気
配信日 04年10月4日 (10年8月7日,10年11月28日 記述を追加)
タイトル ホメ殺し
子供を育てるには「ホメて育てる」「叱って育てる」・・・それぞれ必要でしょう。
「どんなことがいいことなのか?どんなことがよくないことなのか?」それを子供に分かってもらうためには、ほめることと叱ることの使い分けが必要でしょ?
一般的には、人間は人から「叱られると」うれしくはない。たとえ、そこに愛情があるとわかっていても、やっぱりうれしくはないのが人間の自然な感情というもの。逆に、「ほめられる」と、うれしいものですよね?子供だって親からほめられると、尚のことうれしいでしょ?

「自分がやったことが、親から評価された!」
そんな状況だったら・・・一般的にはうれしくなりますよね?

しかし、ダメダメ家庭ではホメることによって、子供が不快になってしまう・・・そんな「ホメ殺し」が、頻繁にあったりするんですね。

「ホメられて不快になる?」
「どうして、そんなことになるの?」
と、怪訝に思われるでしょう。まあ、確かに本来は一般的ではありません。

ダメダメ家庭では子供に要求することは決まっています。
「目立つな!」「普通でいろ!」「人に合わせろ!」「親に迷惑を掛けるな!」
こんなところでしょ?
だから子供としても、親の要求に沿うように、周囲に配慮して、行動しなくてはならないわけ。

子供が学校などで行う様々な行動も、一般的にそのような集団性が要求されるものです。
そもそも、学校というところは集団生活が重んじられますよね?
他の子供と同じ行動をすることが、要求されてしまうわけ。
「自分自身を殺して、組織に仕える。」

運動会でも、入学式でも、卒業式でも、その他の学校行事でも・・・
基本的には、学校においては「周囲の人と同じ行動をすること」が求められるわけです。
そして、ダメダメ家庭の子供も学校の要求に従って「目立たぬ」ように行動するわけ。

ダメダメ家庭の親は、そのような「子供の目立たない姿」をホメるわけです。
「おお!今日はよかったぞ!」
「やればできるじゃないか!」
「ちゃんと皆と同じだったよ!」
「他の人と区別がつかないくらいに、よくできていたよ!」

親としては心の底からホメているんでしょうね。
しかし、ホメられた子供はうれしいの?
まさかね。

だって、そのような「人と同じ行動」をしている子供が、自分から率先してやっているわけもなく、勿論のこと、楽しんでやっているわけもなく・・・自分を殺して周囲に合わせているだけでしょ?
子供だって、当人自身が主体的な形で楽しく思いながらやっている行動をホメられればうれしいでしょう。
しかし、子供がイヤイヤやっている行動を、親からほめられてもね。
しかし、ダメダメ家庭の親は子供の気持ちなどお構いなし。
「子供がその行動を楽しんで行っているのか?」「自分を殺してイヤイヤ行っているのか?」なんて、親として考えもしないんですね。
「自分を殺して」「周囲に合わせる」行動を、親からホメられてしまい、子供としては「・・・」となってしまう。

そんなことだから、それこそ結婚後にドメスティック・ヴァイオレンスのような事態になっても、親にも相談できなくなってしまう。
だって、実家にいる親は、自分を殺してガマンすることをほめ続けた親なんですからね。
心頭滅却すればほめられ、自分なりの対処をすれば、親から「つまらないことをして、親に迷惑をかけるんじゃない!」と怒られる。
そんな習慣を積み重ねているんだから、結局は、どんなに事態がシリアスになっても、ガマンするだけで終わってしまいますよ。
ダメダメな親が言う教育というものは、子供の「出る杭を打つ」だけ。
まさに、「ふつうの子供になれ!」と子供に命令し、周囲と見分けがつかない人間になることを要求する。

一般的には人からほめられればうれしいもの。
しかし、自分が不快に思っていることをほめられたり、あるいは祝福されても、対処がしようがないでしょ?
というか、曲がりなりにも「おめでとう」「すばらしい」とか言っているわけだから、表立って反論することもできなくて、当人が直面している不快な事態と、祝福によって発生した不快さが合わさって、ダブルバインド的な状況になってしまって、更に不快感が増してしまう。

実際に、それこそインターネット上のサイトなどで、何もうれしくもないものなのに、「おめでとうございます!!」なんて表示が出てくると、腹が立ったりするでしょ?
そんなサイトは現実にあったりしますよね?
「アンタが勝手に『おめでとう!』なんて言うんじゃないよ!」
「ワタシはこんなことを望んではいないよ!」
と言いたいでしょ?

まあ、インターネット上で、たまにそんなことがあっても、大したことではありませんが、毎日の現実がそんな調子だったら、やっぱり心頭滅却するしかないじゃないの?
ダメダメ家庭というものは、子供が心頭滅却することをほめて祝福する家庭なんですね。そして、子供が「考えるべき」ことといえば、親への遠慮だけ。

何も学校や家庭における行動だけではありません。
親への遠慮を賞賛し、ホメるダメダメ家庭の発想なんだから、それこそ、医療行為を遠慮するようなことも、大いにほめることになる。
「こんな高額な治療をボクは受けるわけにはいかない!」
「親にお金を使わせるくらいなら、後遺症が残っても、あるいは死んだとしても構わない!」
子供としては、当然のこととして、そうなってしまいますよね?

そして、子供がそんな感じで気を使っている姿を、親はホメるわけ。
「よく言ったぞ!こんな高い治療を受けるくらいなら、死んだ方がマシだよな!オマエもわかっているじゃないか!」
たとえ、その治療が必要もなく、もっと安価な治療方法で治ったとしても、その子供が将来はどうなってしまうのかなんて、分かり切ったことでしょ?
子供としては、言葉通りに「人生を捨ててしまっている」状態になっている。

そんな環境にいる子供としては、まさに、「この門より入るもの、希望を捨てよ!」の境地に到達しているわけ。
小さなトラブルの時の親の対応を見ていれば、子供がそんなことを言い出すようになるのは当然なんですね。
だって、自分を肯定すると、親から弾劾され、自分を否定的に扱うと、親からほめられるんだから、その「教育」の成果として、死を従容として受け入れるようになるのも当然でしょ?

「自分は子育てと言う面倒を背負わされたかわいそうな被害者なんだ!」という絶対的な確信を抱いている親としては、自分に子育てという面倒を背負わせた、いわば加害者たる子供が、親に対して遠慮なり配慮することが当然だと考えている。
そして、それこそが子供の第一の義務という発想。
そして、親への遠慮こそが、子供の成長という発想。

そんな家庭の子供としては、自分の希望を殺し、親の顔色を伺ってばかりになってしまうでしょ?
そして、親に対していつも遠慮している姿を、「オマエもやればできるじゃないか!」と、さらにホメるわけです。
「叱る」に当たっても、愛情がその背景にあれば、後は表現における方法論の問題と言えるでしょう。
「ホメる」に当たっても、そこに愛情がなければ、方法論の問題以前でしょ?
まさに「山を動かすような立派な言葉」であっても、愛がなければねぇ・・・

ダメダメ家庭では、こうやって「自分を殺す」訓練を十分に積むことになるわけです。
そんな「自分を殺す」訓練が積み重なればどうなるの?

そんなことは、論を待たないところでしょ?
しかし、そんな「自分を殺す」ような事件があった後で、その「ホメ殺し」のダメダメな親がいうセリフは、
「私たちは『ふつう』の家庭だった。子供だってホメて育てた。どうしてこんなことに?!」というもの。
しかし、その「ふつう」を実現させるために、子供は「自分を殺し」続けたわけです。
結局は、そのような事件は、親の「ホメ殺し」の結果なんですね。

(終了)
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発信後記

以前このメールマガジン用に使用していましたメールアドレスですが、ウィルスに攻撃されたらしく一時使用不能でした。その後マイクロソフトが対応してくれたようで、また使用できるようになりました。

今使っているアドレスが使用不能になりましたら、また元のアドレスにチェンジします。また以前のアドレスに意見をお寄せいただいても結構です。
R.10/11/28