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カテゴリー | 映像作品に描かれたダメダメ家庭 | |
配信日 | 04年10月22日 | |
タイトル | ヴァージン・スーサイズ(原題:Virgin Suicides) | |
監督 | ソフィア・コッポラ | |
今回のメールマガジンは、「ヴァージン・スーサイズ」という映画を取り上げます。 この作品は、「地獄の黙示録」などの作品で有名な映画監督フランシス・フォード・コッポラさんの娘さんのソフィア・コッポラさんの監督作品です。 まあ、ダメダメ家庭の具体的要素がテンコ盛の作品といえるでしょう。 こんな作品を作ってしまうということは、コッポラ一家もダメダメっぽいですね。 まあ、しかし、だからこそ、ソフィアさんも、「自分を表現したい!」と強い表現意欲につながるのでしょう。 さて、この「ヴァージン・スーサイズ(原題はvirgin suicides)」と複数形です。ちなみにsuicideは自殺という意味です。日本では学校では習わない類の言葉ですが、結構よく使われる言葉です。まあ、日本でこの映画を配給する人も邦題をどうしようか?と色々と考えたでしょうが、結局は原題とおりですね。これでは分からない日本人が結構いると思いますが・・・かと言って、「どんな邦題にしようかな?」と思ってもいいのが浮かばない。まあ、配給元泣かせのタイトルともいえます。 映画の舞台となっているのはアメリカのミシガン州での一家です。時代的には今から30年ほど前です。キッスとかエアロスミスとかのレコード・・・CDじゃないよ・・・などが出て来る・・・そんな時代。 舞台となっている一家はリズボンさん。父親は数学の教師。母親は専業主婦。そして5人の娘。この5人の娘たちが自殺する話です。 では、この映画で描かれたダメダメ家庭の具体的事例を検証してみましょう。 1. 子たくさん・・・ダメダメ家庭の子沢山は、ダメダメ家庭にしてみれば、もはや、ほとんど「お約束」の世界といえるでしょう。このリズボン家は5人の娘がいる。30年前のアメリカにしてみれば、やっぱり子沢山ですよね?ただ、この父親は数学の教師なので、お金に困っているわけではない。まあ、立派な家も持っているし・・・お金があるので、子供たちの歯並びも問題ない。 しかし、親が子供に何か与えてやろう・・・と思っていないところはやっぱりお約束ですね。 2. 宗教的熱心・・・このリズボン家はカトリック。アメリカでは少数派です。フランス系の移民の子孫なのかな?まあ、カトリックなのはともかく、どうも堅苦しい。これでは子供も息が詰まってしまいますよ。身近にいる子供との会話よりも、神父のお説教を聞こうとする・・・まあ、これもダメダメのお約束。 3. 写真が少ない・・・家に家族の写真を飾るということをしていない。家に飾っているのは、しょーもない絵くらい。父親も写真を撮りなれていないし、子供の方も写されなれていない様子。だから、映画において家族のアルバムも出てこない。 4. イヴェントが少ない・・・13歳から17歳の娘がいるのに、家でパーティーなどを開催することもない。末娘が自殺未遂をしでかして、一回パーティーをやったきり。あと家族旅行などもほとんどない様子。 5. ホスピタリティーがない・・・折角パーティーを開催しても、お客をもてなすという発想がない。お客も手持ち無沙汰・・・挙句の果てには娘のボーイフレンドが娘に手を出さないようにジャマをする始末。 6. 結婚するまで処女でいろ!・・・まあ、この映画のタイトルのとおり、この両親はやたら異性関係にシヴィア。特に母親が厳しいわけ。結局は子供の方は隠れてやることになっちゃうわけです。 7. 野暮ったい服を着せる・・・異性関係に厳しいので、娘には野暮ったい服を着せたがるわけ。まあ、母親もオシャレを楽しむという人間ではなさそう。 8. 趣味を持たない・・・父親の方は、飛行機の模型などを趣味としている様子。まあ、家族で楽しんでいる様子はありませんが、一応は趣味を持っている。しかし、母親の方は何ともまあ、無趣味。ひたすら娘に取り付いている状態。 9. 人脈が少ない・・・ということでこの両親には友人が少なそう。子供たちが外の世界に触れる機会がほとんどない状態。 10. 娯楽が少ない・・・見るテレビ番組はNHKの教育放送?のようなものばかり。ラブコメとかアニメなとはとても見せてはもらえない様子。これでは息が詰まってしまうでしょ?子供には堪りませんよね? 11. 子供への配慮がない・・・末娘が自殺未遂をしでかして、その女の子の気分をよくするためにパーティーを開催したのに、どうも肝心の末娘の意向などそっちのけ。パーティーの前にその末娘の希望でも聞いた様子もないんですね。親が勝手にパーティーのやり方を決めてしまっている。これでは「またやっちゃう」のも当然ですよね? 12. 親が真っ先に悲しみに沈む・・・その末娘の2度目の自殺が今度は成功してしまい、両親は悲しみに沈む。親が悲しむこと自体は当然といえるでしょう。しかし、残された4人の姉たちも悲しいでしょ?親として残された4人の子供のことも考える必要がありますよね?真っ先に「悲劇の主人公」になりきって、一人で悲しんでいて、親として「やらなければならないこと」へ配慮がない。まあ、こんなダメ親の姿は、日本でもちょっと前にありましたが・・・ これでは「続くもの」が出てくるのは当然でしょう。 13. 自分を責めない・・・ということで、末娘が自殺した後で、マトモな親だったら「こうなってしまう前に、自分がやらなければならないことがあったのではないか?」と自分を責めるところでしょ?実際に映画の中のテレビの報道を見ていた視聴者が「あのご両親も自分を責めるでしょうに・・・」と感想を言うシーンがあります。しかし、このリズボンさんはどうも自分を責めている様子がない。さっさと「悲劇の主人公」気取りになっちゃって、それから考えが及ばないわけ。 14. 当事者意識がない・・・マトモ家庭の視聴者がその報道を見た時、横にいる自分の子供の方をチラっと見ます。「自分の子供は何か悩みを抱えていないか?」と、ちょっと見るわけです。それだけ当事者意識があるわけですね。ところがリズボンさんは「子供が今現在、何か困っているか?」考えている様子もない。1人死んだのだのはともかく、せめて残った4人をしっかり見ればいいのに・・・ 15. 原因を他者に求める・・・何か事件があったりすると、何かと目立つ人間が名指しされて「アイツのせいじゃないか?」とかで犯人認定されたりしますよね?この映画でもドミニクという少年の悪影響ということで片付けようとしたり、「ロックの影響」などと片付けてしまう。だからロックのレコードを焼いて娘を「正しい」道に導こうとするわけです。しかし、実際にはそんなことが原因ではなく、親そのものが原因なんですね。 16. 大雑把・・・このリズボン家の母親は専業主婦です。しかし、娘を管理することは熱心でも、実際の家事は熱心とはいえない様子。特に食事面ではおいしくしようとは思っていない様子。娘のお弁当でも「何か持たせてやればいいや!」と、いい加減さがミエミエの状態。 17. 会話がない・・・ダメダメ家庭のお約束として、このリズボン家には会話がない。親は子供の意向を聞いてあげようという気持ちがさらさらない状態。子供は家庭の外に出て会話を楽しんだりするわけ。 18. 子供を見ていない・・・4番目の娘が朝帰りをして、外出禁止になってしまう。まあ、それはともかく、その娘が自宅の屋根の上で情事をしたりするわけ。自分の子供に口うるさくいう割には、「今子供が何をやっているか?」全然考えていないんですね。「口うるさくしていればそれでOK!」と自分で勝手に納得しているのもダメダメ家庭のお約束ですよね? 19. 自分を大切にしない子供・・・親から大切にされていないので、子供も当然のこととして自分を大切にしません。自殺するのは典型的ですが、付き合う男性も、「女性を大切にしない」タイプばかり。「娘がダメな男にたぶらかされた!」と親が嘆く前に、そんな風に自分の娘を育てたことを反省する必要があるのでは? 20. ダメな環境・・・周囲も「あそこの家庭ちょっとおかしいわ!」と思っていても何もしない。子供が自殺しても「自殺じゃあ、保険がおりないわね!」と言ったりする。この家庭の周囲は、経済的にはともかく、やっぱり精神的に貧しくなって来ているわけです。 21. 興味本位のマスコミ・・・まあ、子供が自殺した家庭に突撃訪問するようなマスコミのレベルの低さは日本だけではないようです。これでは改善は望めませんよね? 22. トンチンカンな議論・・・子供が自殺したりすると大体は似たような議論が出てきますよね?「現実と虚構を混同している!」とか、それこそ「ロックが悪い」とか・・・この映画でもそのようなセリフが出てきます。程度の低いボンクラな人間が言うことはどこの国も同じなんですね。まあ、昔は「ロックの影響」とかで片付けられていたのでしょうが、今だったらインターネットでしょうね。かと言ってインターネットがないこの時代だって、今と同じような事件が起こっているわけです。 ・・・と、ダメダメ家庭の「お約束」がテンコ盛の作品と言えます。 そして5人の娘が全員自殺した後で母親が言うセリフもお約束。 「ウチは愛に満ちた家庭だった・・・どうしてこんなことに・・・」 まあ、子供に限らず自殺などの問題があったりすると、この「お約束」のセリフが出て来るものですが・・・ この「お約束」は今の日本だけでなく、30年前のアメリカも同じというわけです。 結局は、このような事件は、ダメダメ家庭の「会話」のなさが原因と言えるわけです。 何か問題があったりすると、時代背景とか経済状況とか、地域問題などの特殊要因が遡上に上がるものですが、そのような目立つ要因ではなく、いつの時代でも、どこの地域でもこの手の家庭は似たような様相を持っているもの。まさにこの映画で描かれていることは、現在の日本のダメダメ家庭と悲しいほどよく似ていますものね。 (終了) *************************************************** 発信後記 このような事件があったりすると、よく考えもせずに、何か目新しいもの・・・例えば当時だとロックミュージックだとか、今だったらインターネットだとか・・・そんなものの影響で片付けてしまう・・・そんな発想はいつの時代も同じなんでしょう。 しかし、インターネットがない30年前だって、今と同じ事件が起こっているわけですから、インターネット云々などという理屈はバカそのもの。 バカは死ななきゃ直らない・・・のですが、バカは死んだりはしない。結局死ぬのはバカではない方。 そんなことは、昔も今も、全然変わっていないんですね。 ちなみに、次週の金曜日も、とある映画を取り上げます。 映画ばかり取り上げるのも、ちょっとぉ・・・なんですが、ちょうど話題になっている人の作品なので・・・ |
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R.10/11/16 |