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カテゴリー 映像作品に描かれたダメダメ家庭
配信日 04年10月29日
タイトル ピアニスト(2001年カンヌ映画祭グランプリ作品)
監督 ミヒャエル・ハネケ
原作者 エフリーデ・イェリネク (04度ノーベル文学賞受賞)
20世紀初頭の芸術では、フランスの印象主義と、ドイツの表現主義がありました。
フランスの印象主義ですと音楽家のドビュッシーとかラヴェルとか、画家のモネとかいますよね?ドイツの表現主義だと画家ですと、例えばエミール・ノルデとか、作曲家のシェーンベルクとか・・・

印象主義と表現主義と、漢字で書くと判りにくいものですが、英語で書くと印象主義は「inpressonism」、表現主義は「expessonism」と、単に冒頭の「in」と「ex」の違いだけです。

人々の発想をそのような主義主張のカテゴリーで分けて分かった気になるのは、ダメダメの典型。ほめられたことではありません。しかし、やっぱり特徴的なことはあるわけで・・・
ドイツ人の芸術作品に「自分自身の内面の苦悩」を、延々と「表現」する作品が多いのは、事実といえるでしょう。

長い前置きになりましたが・・・
このメールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」では、「作品に描かれたダメダメ家庭」ということで、映画などで描かれたダメダメ家庭の具体的特長をピックアップする、総集編のような回を設けております。

今回取り上げるのは、2001年のフランス=オーストリア映画の「ピアニスト」という作品です。原作がエルフリーデ・イェリネクというオーストリアの女流の作家です。
イェリネクさんは本年度のノーベル文学賞を受賞されました。今回のメールマガジンは私からイェリネクさんへのノーベル賞受賞記念のご祝儀と言ったところです。
この「ピアニスト」という作品は、まさにドイツの感性?を感じさせる、表現主義的な「自分の魂の苦悩」を延々と表現した作品です。

実にすさまじいとしか言いようがない。ダメダメ家庭の日々がまさに「すさまじく」描かれている作品です。私のような、繊細な?人間は見ていて貧血を起こしたくらい・・・ウソでなく本当に・・・まあ、多少「鈍い?」人でも眩暈くらいは起こると思います。

では、この「ピアニスト」という作品での、ダメダメ家庭の「すさまじい」ところを、清少納言のように列挙することにいたします。

1. デモシカ音楽教師・・・この「ピアニスト」という作品での主人公はエリカという女性です。年齢は40歳くらいで、独身で、母親と同居しています。職業はピアノ教師。音楽教師と言っても、ウィーンの国立音楽院の教授なのだから、ランクは高いですよね?

しかし、プロのコンサートピアニストまでは行かない。所詮は教師止まり。しかし、このエリカ教授は本当に音楽が好きなのかしら?だって、家(アパルトマン)にピアノが置いていない。本当に音楽が好きなら家にもピアノを置くでしょ?自分のために弾いたり、「こんな感じで弾いてみたらどうかしら?」って、今までと違った弾き方を試しに弾いて見ることもあるはずですよね?

このエリカさんは音楽に関する知識はあっても、音楽への愛情はなさそう・・・友人と演奏をするのも楽しくなさそう。

2. 異性関係にうるさい親・・・ダメダメ家庭は子供の異性関係を喜びません。まあ、娘が10代だったら親も気をつける必要もあるでしょう。しかし、娘が40代になったら今さらねぇ・・・しかし、ダメダメ家庭の母親は自分自身が女性として満たされていないので、娘が女性として幸福を勝ち取ることを妨害するんですね。

3. 野暮ったい服装・・・ということで、自分の娘には野暮ったい服装を着せたがる。オシャレという女性としての楽しみを娘が楽しむのは許せないわけ。40代の娘の服装に干渉するわけ。

4. 友人が少ない・・・ダメダメ家庭は会話が出来ない。だから当然のこととして友人が少ないわけ。この母親もマトモな会話ができない様子。これでは娘も会話の能力がつきませんよ。娘も友人が少なくなるわけですね。

5. 同居に拘る・・・友人が少ないので、自分の相手をしてくれるのは自分の子供だけ。そんな様相は、ダメダメ家庭ではお約束ですね。と言うことで、仲が悪い母娘なのに、同居をしているわけ。

6. 両親が不和・・・この家庭は父親が精神疾患で入院しているとのこと。それはそれでいいとして、その父親のことが母と娘で話題になることもない。見舞いにも行かない。それにその父親の写真もない。結局は、エリカの母親と父親は病気を云々する以前に、既に不和なんですね。だからこそ、その母親は女性として満たされていないわけ。

7. 思いやりがない・・・例えば映画の冒頭のシーンですが、エレベーターに乗り込んでこようとする人が間に合うように、ドアを開けて待っていればいいのに、さっさとドアを閉めてしまう。周囲への思いやりの全くない状態であるわけです。

8. やたらお金の問題・・・ダメダメ家庭の話題になるのは、お金の話題だけ。「勿体無い!勿体無い!」そんな言葉だけなんですね。そんなお約束もこの家庭でも現れています。

9. 序列に拘る・・・ダメダメ家庭の人間は会話が出来ない。だから、序列関係にこだわりがちであることは、このメールマガジンで何回も書いています。コミュニケーションが命令と服従のみなので、序列が重要になるわけ。そして、その序列を決めるのはお互いの勝ち負け。ということで、ここでも母親が「生徒に負けていいの?」と言ったりする。どんな問題も「勝った、負けた」とか言い出し、序列の問題にしてしまうのはダメダメ家庭によくある発想です。

10. 人の気持ちがわからない・・・「人の気持ちがわからない」のもダメダメ家庭の人間のお約束ですね。このエリカさんはどうもポルノショップの常連のようです。まあ、欲求不満なんでしょう。そのお店で、何と自分が教えている男子生徒とバッタリ。後で生徒に謝られる。しかし、エリカはその謝られる理由がわからない。謝罪した側の生徒の気持ちとしては「先生も、そんな姿を生徒に見られたら気まずいだろう。」と思って謝っているわけですよね?

ところがエリカさんは、そんな男子生徒の気持ちがわからない。ポルノショップでも堂々としている。まあ、ヘンに卑屈になることはないでしょうが、ポルノショップで女性が堂々していてもねぇ・・・

11. 自分を大切にしない・・・エリカは親から大切にされていないわけですから、自分自身も大切にはしない。自傷行為をしたり、「女性を大切にしない」男性を「ワタシのタイプ!」と思ったりするわけ。

12. 意外にソツがない・・・ダメダメ家庭は感情を押し殺す習慣が出来ているので、意外にソツなく物事をやり遂げることができるわけ。感情で惑わされることがないわけです。このエリカさんも生徒に嫌がらせをする際の動作が、見事に無駄のない見事?な動作をしている。それだけ、普段から感情を押し殺していることがわかるわけ。

13. 自分の都合しか考えない・・・若い男性と関係を持つ段になっても、自分の気持ちを一方的に伝えるだけ。会話にならないわけです。その男性との情事?でも、自分のやりたいことをやっているだけなんですね。アダルトヴィデオ?を目の前で実演させているような趣。情事に限らず共同作業ができない人なんですね。

14. 子育ての苦労を強調する親・・・このエリカさんの母親は、二言目には子育ての苦労を強調します。「あ〜あ、すべてを投げ打ってアンタを育てたのに・・・」こんな嘆きの言葉もお約束でしょ?

15. 近親憎悪・・・ここで若い女性の生徒が出てきます。その若い女性の生徒とその母親の関係が、エリカの若い頃における自分自身と母親の関係と瓜二つなんですね。だからその若い生徒に辛く当たるわけ。一種の近親憎悪と言えるわけです。それに自分自身が傷ついた言われ方を、長じた後に人にやってしまうような、フロイト的に言うと「反復強迫」状態と言えるわけです。

この映画は、2001年のカンヌ映画祭のグランプリを取りました。カンヌは昔から家族問題を扱った作品が多く受賞しています。それこそ、F.トリュフォー監督の「大人はわかってくれない」などもあります。

ここで主役のエリカを演じているのはフランスの女優のイザベル・ユベール。愛に渇く女性を演じれば右に出るものはない女優さんです。彼女が出演したからこその映画ともいえるわけ。だからウィーンを舞台にしているのに、セリフがフランス語になっているんでしょう。

この映画は、クラシックのピアニスト(正確にいうとピアノの先生)を主役としているだけに、クラシック音楽についての知識そこそこがあった方が、よくわかる映画です。
日本の映画ライターでは扱いが難しい作品なのかもしれません。

ここで、それらの音楽と使用された意味を解説することは、このメールマガジンの趣旨ではありませんのでやめておきますが、ちょっと頭の片隅に入れておくと、この映画がわかりやすくなることがあります。

この映画で中心になって出て来る音楽はシューベルト。まあ、「未完成交響曲」などが有名ですね。
このシューベルトは「市民社会に溶け込めないアウトサイダーとしての自分」「その疎外感」・・・それらが作品中に顕著に出てきます。この映画での音楽ですと、「冬の旅」などの作品がまさに代表例です。

主人公エリカが持つシューベルトの音楽へのこだわりは、「シューベルトと同じように、市民社会に溶け込めない」自分・・・そのような感情につながっているわけ。
エリカが意識する青年ワルターはピアノは上手だし、会話も上手だし、趣味としてアイスホッケーのチームに入って仲間とワイワイやったりしている。絵に描いたような健全な一般市民なんですね。

初期のブラームスのように素直に感情表現できない、シューベルトの悶々とした疎外感・・・作曲家シューベルトの特徴を知っていると、この映画もより分かりやすくなると思います。青年ワルターへの思いは、健全な一般市民社会への思いとダブっているわけ。そこになじめないシューベルトのような自分もわかっているんですね。

だから自分の生徒であるワルターにシューベルトを弾くことを禁じるわけ。「アンタのような真人間に、シューベルトのようなハズレモンの気持ちがわかってたまりますか!!」そんな感情なんでしょうね。

あと、映画や絵画の世界でのお約束の表現があったりします。「窓から外を見るシーン」です。そのような窓から外を見るシーンは、閉塞状況にある自分自身が外の世界に羽ばたきたいという内心の感情の比喩なんですね。窓から外を見るシーンは、この映画でも何回も出てきます。それだけエリカさんも「この状況を変えないと!」と思い始めているわけ。

だからこそ、この映画の最後は「ドアを開けるシーン」になっているわけです。自分自身の問題を厳しく見つめ、自分自身でドアを開けて一歩前に進む。
ダメダメ家庭出身の人間は、往々にして、「悪いのは全部アイツのせいだ!」と他者にすべての原因を押し付けて、自分自身は100%の被害者気分でいることが多いのはこのメールマガジンで何回も書いています。

このエリカさんは自分自身の問題を、しっかり見つめ、自分自身でドアを開けた・・・という作品なんですね。自分自身のマイナスの部分から目をそらさずに、付き合っていく・・・それは本人にとっては辛いことです。だから「気合」が必要なんです。「気合だっ!」って掛け声はレスリングだけでなく「芸術」にとっても、ダメダメ家庭出身者の再生のためにも、重要なことなんですね。

(終了)
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発信後記

この原作者イェリネクさんは本年度のノーベル文学賞を受賞されましたので、今回のメールマガジンの内容は、一般の話のネタにも使うことができると思います。

話は変わりまして・・昨今文字通り日本を震撼させている新潟県の地震は、自然災害なのでここでは何ともいいようがありません。
ビックリしたのは、イラクで24歳の日本人男性が拘束されたこと。

自分の子供にそんな最低限度の判断力も付けられないような親が、重症のダメダメであることは明白ですが・・・まあ、親がダメダメなので、子供が「自分探しの旅」をするハメになったというわけなんでしょう。
それに、ダメダメな親は普段は子供のことなどに関心がないのに、いざ事が起こると「どうしてこんなことに・・・」と被害者意識になることが多いことも、このメールマガジンで何回も書いています。典型的な事件と言えます。

しかし、人質を取ることしか能がないイスラム教徒も、ダメダメ。

私が思い出したのは、ヨーロッパの騎士道精神のたとえ。
城が攻められて、城主の息子が捕虜になる。攻撃側は城主に対して、「降伏しないと、オマエの息子の首を刎ねるぞ!」と言い渡す。騎士道精神を持つ城主は「これで息子の首を刎ねるがよい!」と剣を攻撃側に投げつける。
これぞ、騎士だ!
というわけですね。

ヨーロッパ人はこの手の騎士道で育ったわけですので、マトモな人はそんな人質をとるようなことはしないわけですが、イスラム教徒は所詮、略奪を生業をしていた人たちなので、尊厳ということが理解できないんでしょうね。

それと・・・イラクでとっ捕まるバカな日本人ですが、北海道とか九州出身者ばかり。
私は以前に児童虐待はなぜ大阪がメッカなのか?ということについて書いております。イラクで活躍?するワカモノ?が、辺境部出身者が多いことも何か理由もあるのでしょう。
私は辺境には住んだことがないので確実なことはわからないところですが、やっぱり中央部に対する恩嗟の念が原因なのかな?「本土の連中はいい暮らしをしやがって・・・」というわけなの?
まあ、あの手の連中に同情的な人間に、やっぱり九州や北海道出身者が多くいますよね?

どこの地方でもマトモな人は同じようにマトモなのですが、ダメダメなスタイルには地域差があるんでしょうね。
言っておきますが、別に九州や北海道出身であることが問題であるわけではありません。うまく行かない原因を他に求める発想が問題だと申し上げているだけです。
R.10/.11/16