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カテゴリー | ダメダメ家庭が持っている発想 |
配信日 | 04年11月17日 (10年10月14日 記述を追加) |
タイトル | 二流のメンタリティー |
先日(04年)、アメリカでイチローさんが、野球の記録を作ったようですが・・・ 私は野球の技術的なことは全然わかりません。しかし、ダテに週3回メールマガジンを発行しているだけあって、他人の言葉や文章を読む技術なり視点は発達しています。 イチローさんは・・・そのコメントの言葉を読んでいると・・・やっぱり天才で、人とは見えている世界が違うんでしょう。そのコメントからは他の人との視点の違いが読み取れるんですね。まあ、彼は一流ではなく超一流なんでしょう。あるいはアマデウス(=「神に愛されたもの」という意味)と言えましょうか? 「イチローさんはスゴイ!」という簡単な言い方では、言葉慣れしたものとしては芸がありませんが、他に言いようもないし・・・「神様はスゴイ!」なんて当たり前ですが、ほかの言い方があるの? しかし、面白いことにそのような立派な業績を上げる人を揶揄するような人もいますね? まあ、典型的な言葉は「アイツは態度が悪い!」と言うもの。 しかし、そんなコメントを発する人は、イチローさんと同じフィールドで戦っているアメリカのメジャーリーグの人ではなく、全くの外野の人ばかりです。 まあ、同じメジャーリーグの人だったら、何か否定的なコメントを発したりすると、「だったらオマエも同じことをやってみな!」「悔しかったら、アイツを三振に取れよ!」と言い返されることは明白ですしね。当然のこととして否定的なコメントは言えませんよ。 まあ、感情的なところで引っかかっている人はいるかもしれませんが、業績そのものに対しては、否定できないでしょ? と、同時にメジャーリーグの選手だとイチローさんのやっていることの意味もわかるんでしょう。彼がどんな課題に取り組んでいるのか?どんな困難があるのか?「自分とは全く違う世界が見えているんだろうなぁ・・」「自分とは全く違ったレヴェルの困難があるんだろうなぁ・・」と、一流の同業者だからこそわかる面もあるわけです。 一流になると、超一流の困難さがおぼろげにわかってくる。二流の人の場合には、一流と超一流の違いなどわからない。 何もスポーツの世界の話だけでなく、その他の分野でも同じです。 二流の人は、超一流の人に否定的な見解を示すものなんですね。 それこそ、映画の「アマデウス」で描かれた18世紀ウィーンの音楽界でも同じ。作曲家モーツァルトの超一流さを理解できたのは、超一流仲間のハイドンは別として、当時の一流の作曲家のサリエリだけ。あとの人は「モーツァルトは態度が悪い!」でオシマイ。モーツァルトのお父さんでも、そんなもの。 二流の人が、超一流を理解できないのは、どんな分野でも、どんな時代でも、どんな地域でも同じなんですね。 では、一流って、何でしょうか? それって、「自分の得意分野を見つけて、自分のやれることを確実にやる。」その積み重ねの結果として、到達されるものと言えるのでは? 得意分野がスポーツの場合もあるでしょうし、料理の場合もあるでしょうし、ピッキングのような不穏当な分野の場合もあるかもしれません。それを職業としてやっていけるかは別として、自分の得意分野を究めていけば一流にはなれるものです。まあ、「沢庵の漬け方」とか「餃子の作り方」が一流というケースもあるかもしれませんが、そんな分野でも一流と二流はやっぱり違うでしょ? そのように一流に到達すると、超一流の世界があることがわかってくる。「自分がこんなに努力してやっていることを、あの人はいとも簡単に、それも更にすばらしく達成してしまうじゃないか!!」 人間業を究めているからこそ見えてくる「神業」の世界というわけ。そんなことは、どんな分野でもあることなんですね。逆に言うと「神業」の偉大さは、人間業を究めていない、あるいは、究めようとしていない人には理解されることはない。 あるいは、別の言い方をすることもできるでしょう。 超一流の天才の凄味を理解できるのは、天才仲間だけ。 一流の秀才だと、天才の凄味を、何となくは感じられ、敬意を持つ。 二流の凡才は、天才を奇妙奇天烈なヤツと思っているだけ・・・ そんなパターンは、どんな時代でもあったりするでしょ? つまり、そのような超一流なものへの対応の違いを見ると、その人が「一流」なのか?「二流止まり」なのか?スグにわかるわけです。 超一流の価値を認められないということは、その人は、どんな分野でも一流とは言えない・・・つまり「二流止まり」のメンタリティーであることがわかるわけ。これって、日頃から「自分のやれることを見つけて、それを確実にやり遂げる。」・・・つまり人間業を究める日々を送っていないことなんですね。 だからこそ、二流の人は、超一流の人が直面している課題があることにも思いが至らないわけ。 それは、その人の日頃からの怠惰な日々の証明でしょ? まあ、本人がそのような二流に徹しているのは勝手でしょう。 しかし、そのような「二流に徹している人」が子育てをしたら? それこそイチローさんがアメリカで記録を達成しても、テレビを見ながら「アイツは態度が気に入らない!」とか子供の横でブツブツ言ったりしたら? そんな親の姿を子供はどう見るんでしょうか? まず、子供の側が思うのは、「この親の気に入る態度ってなんだろう?ワタシは気に入られるような態度にしなくっちゃ!」というところですね。 まあ、「親の顔色を伺う」必要が出て来るわけ。 これじゃあねぇ・・・ 他の人をクサすよりも「イチローは野球がスゴいけど、ワタシの餃子つくりもスゴイのよ!」とでも言えばいいじゃないの?子供だって、『またママの餃子自慢が始まったぁ・・・』と笑って聞いていられるでしょ?人をクサすよりも、会話に発展しますよね? 大体において、「人とは違った世界が見える」人に、一般人と同じ振る舞いを期待する方が不遜ですよ。視力0.1の人が、視力4.0の人にアドヴァイスしたらシャレにしかなりません。「世界って、こうなっているんだよ!」って・・・ しかし、二流止まりの人は、自分の視力0.1の世界を視力4.0の人に強引に適用しようとするものなんですね。まさに「井の中の蛙」は、井戸の外を知らないがゆえに、他の人に対しても、自分の流儀を強引に適用させようとするもの。 モーツァルトの例を挙げましたが、似たような例は随所にあります。 世界的な日本人のオーケストラの指揮者小澤征爾さんは、若い頃に日本のクラシック音楽界から追放されて、今でも実質上は追放状態です。まあ、「態度が悪い!」とか「我々の事情に配慮しない。」とか色々とあったようです。 しかし、日本から追放された小澤さんが世界のトップになり、「態度が立派」なはずの日本の音楽家が世界から相手にされず、日本国内でしか活動できないことから見れば、その騒動の中身は明らかですよね? 結局は、日本の音楽家は「二流止まり」のメンタリティーだったわけ。「自分のやれることを、確実にやる」姿勢だったら、自身も一流には到達し、超一流の発想も少しは理解できるはずですよ。 そもそも、音楽家が謙虚にならなければいけない対象は「音楽の神様」なのであって、同僚の音楽家やマスコミに対してではないでしょ?その根本の時点での心得違いがあるんだから、一流になれるわけがないじゃないの? テレビを見ながらの例でも書きましたが、ダメダメ家庭というものは、このような「二流のメンタリティー」が多く見られる家庭です。 超一流の人をクサすよりも、自分自身が一流になるべく努力したり、自分の子供の得意分野を見つけてあげて、その才能を伸ばすことを考えた方がマトモでしょ? オリンピックに出ていた○○が気に入らない・・・と、テレビを見ながらブチブチ言うよりも、その人も同じ練習をしてみればいいのに・・・金メダルは取れなくても、同じ練習量はできるでしょ? 絵日記を毎日欠かさず4年間書き続けることがどれだけ大変なことなのか?ラジオ体操を4年間続けるのだってそう。他人のことをブチブチ言う前に、そんなことでもやってみたらいいのに・・・絵日記ならお金がかかるわけでもないし・・・ しかし、ダメダメ家庭の子供が見る親の姿は、「自分のできることをコツコツやっている。」姿ではなくて、人の態度にブチブチと文句を言っている姿だけなんですね。 これで子供がマトモに育ったら、それこそ神業ですよ。 子供と一緒にテレビを見ながら「アイツの態度は気に入らない!」と言ったりするのか?それとも「あのような記録を達成するには大変な努力があったのだろうねぇ・・・」と言ったりするのか? その違いが、横にいる子供の将来に大きな違いをもたらすことくらい、小学生だってわかることでしょ? しかし、ダメダメ家庭の人間は地道な努力などとは無縁。だから、人の努力もわからない。結局は、死ぬまでブチブチ言うだけで終わってしまうんですね。 色々とやってみた結果として、歴史に残る偉業を達成するまでは行かなくても、とにもかくにも、人間技を究めようとしてみたら?そこから得られるものがあるんですね。 それに関連して、ちょっと前(09年)に、「一番じゃなきゃダメなんですか?二番ではダメなんですか?」なる文句が話題になりました。 やってみた結果としての二番なら、それはそれでしょうがないわけ。決してダメとは言えませんよ。 しかし、目標としての二番だったら、それは、1番のやり方を見て、真似するだけで終わってしまうでしょ?結局は、当人として何も考えないで済んでしまうわけ。だから、結果としての2番にもなれないもの。 同じようなことは「ワタシはふつうの家庭を築きたい!」と言っている人が、ダメダメ家庭を作ってしまうようなもの。 「ふつうの家庭を作る。」という言い回しで、周囲の人間の真似をするだけで終わってしまう。だから、周囲の人ばかりを見て、自分の家族の話も聞かないわけ。とにもかくにも、周囲の人の行動をまねてばかり。 だからこそ、家族の意向が無視され、小さなトラブルに対して何も対処せず、家族の不満が蓄積し、ダメダメ家庭になってしまう。 「二番でもいいや!」と、最初から考えていると、目標や目線がどんどんと下がってくる。 「二番でいいや!」が、いつのまにか「ふつうでいいや!」になってしまう。 そして、結局は、「下には下がある。」と、一番下でない状態に満足するだけ。 最初の頃は、曲がりなりにも、一番上の存在を見ていたのが、いつのまにか一番下の存在ばかりを見て、自分を満足させるようになってしまう。 何も、手がけたもののすべてにおいて一番なり一流を目指す必要はありませんよ。 「じゃあ、どの面で一番を目指すのか?」 それくらいは、当人自身で考えてもいいのでは? 最初から二番でいい・・・という人は、つまり一番の存在に依存していて、精神的に自立していないわけ。そんな人はゼロから物事を立ち上げることができないし、そもそもそんなゼロから何かをするという発想自体を持っていないわけ。 そして、一番の存在を見つめ、そして、「てきとう」に真似をするだけで、自分では考えずに、求める結果が得られない。最後には一番のものをくさすようになってしまう。 まあ、名前に「二番」の「二」がついているようなところは、そんなものでしょ? 有名なインターネットの掲示板にも、その「に」がついているものがありますが、まあ、上にいる存在をくさし、必死になって下の存在を揶揄し、そして自分たちではゼロから何かをやろうとはしていないという「二番」の姿そのものでしょ? あの掲示板の住人こそが、「一番でなきゃダメなんですか?二番ではダメなんですか?」という発想そのものですよ。 あるいは、日本のオペラ団体で、その「二」のついた名前の団体があります。 私は以前にその機関紙の文章を読んだことがありますが、まあ、スゴイの一言。 高校生離れしている文章というか・・・まあ、どっちの方向に離れているかは別として・・・ まさに、上記のインターネット掲示板の文章がそのまま印刷されているかのよう。 オペラ歌手は自分の身体を共鳴させて声を出すんだから、脳みそはカラッポでないと、いい声は出ないとか、いわばネタ的に言われたりしますが、機関紙にあった文章が、その「修練」の成果が十分に発揮された文章だったので、私としては腰が抜ける思いでしたよ。 まあ、そのレヴェルの文章を書く当人はともかく、そんな程度の文章をどんな人が読んでいるんだろう? それが不思議なんですね。 それは、「二」のつくオペラ団体だけでなく、「に」のつくサイトの文章でも同じですが。 前にも書いていますが、二番でもいいと思っている人は、ゼロから作り上げるという発想がないということ。 人のやったことに乗っかって、それにイロをつけているだけ。 ゼロから何かを立ち上げる二番というのは論理的にありえないでしょ? 二番という限りは、創造性を否定しているわけ。 あるいは、一番の存在ということは、別の言い方をすると、かけがえのない存在ということでしょ?一番でなくてもいいということなら、そんな人が子供を持ったらどうなるの? 最初から二番を目指す人は、自分の子供の子育てにおいても、一番を目指さないわけ。 自分の子供にとっての一番の大人であることを目指さない。 他の人が育てても、変わらない状態でOKとなってしまっている。 他の人が育てての変わらない・・・つまり「ふつうの親」であればいいと思っている。 そんな親は、子供にとって、「かけがえのない」存在ではなく、まさに「その他大勢」の一人であり、現実的には、子供にとって「いるとジャマになる」存在になっているもの。 ダメダメな親は、自分の子供にとっての一番の大人であることを目指さない・・・と書くと、「そんな親がいるのか?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、前にも書いていますが、一番を目指すということは、人間業を究めるということだから、どんな分野でも厳しいもの。 だから、ラクをしたがり、その怠惰さがどんどんと増大し、結局はダメダメ家庭となるわけです。 言葉としての、一流、二流はともかく、どこかの分野では人間業を究めてみては? ゼロから何かを立ち上げてみたら? ゼロから立ち上げれば、確実に一番ですよ。 そこから見えてくるものも色々とあるんですよ。 当事者意識が欠如したダメダメ家庭は、その立ち位置として傍観者であって、超一流の神業を傍から見ているだけではなく、人間業をも傍から見ているだけ。 そして、それを揶揄しているだけ。 そして揶揄している自分に酔っているだけ。 そして、お仲間と一緒になって「ふつうはすばらしい!」と喜んでいるだけ。 一流を目指して、結果として平均レヴェルなっているのはともかく、最初から「ふつう」を目指しているものは、結局は自分よりも下の存在を探して安心しようとする・・・ そんなダメダメな人は多いでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 ダメダメ家庭の人とはちょっと離れて付き合うと面白いわけ。深みにはまらない程度にね。 ダメダメ家庭OBとして健闘しておられるライブドアの堀江社長ですが・・・ そのライブドアを応援している人もいるでしょう。 しかし、ライブドアのサイトに行ったりしますと、「ヴァリュークリック」というスパイウェアが入ることになります。まあ、そのヴァリュークリックはライブドアの関連会社なんだから当然ですが・・・ ライブドアのサイトで応援メッセージを書き込んだら、スパイウェアがいつの間にか自分のPCに入っているなんてシャレにもなりませんよ。 私は「Spybot」と「Ad-Aware」という2つのスパイウェア除去ソフトを使っています。両方とも無料なので、便利です。 まあ、ライブドアのようなところと付き合うには、こんな工夫も必要なんですね。 ちなみに、私がスパイウェア対策ソフトを初めて回したときに顔面蒼白になりました。いつのまにかこんなに・・・と絶句状態。皆さんもお気をつけくださいね。何も対策をされておられない方は多分10個くらいは入っていると思います。 スパイウェアは、自分のPCに悪さするわけではありませんが、やっぱり気持ち悪いし・・・ |
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R.10/10/14 |