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カテゴリー | ダメダメ家庭の顔 |
配信日 | 04年12月29日 (10年8月13日 記述を追加) |
タイトル | ゆるんだ顔 |
以前、容姿の問題を書いたことがあります。 その時に主に取り上げたのは、子供の「歯並びの矯正」についてでした。 ダメダメ家庭では子供の将来の可能性について考えたりはしないので、子供の「歯並びの矯正」などはしないんですね。 しかし、子供の顔の問題だけではありません。 よく言われますよね? 「人間も、40歳になったら顔に責任を持て!」 実際に相手が30歳以上であれば、人の顔を見ただけで相手のことがわかりますよね? ヘタをすれば支持政党まで見当がつくものです。あと「いいお母さんの顔」とか、反対に「意地悪そうな顔」とかも雰囲気的にわかるものでしょ?ですから、子供の顔だけでなく、ダメダメ家庭の親の側にも、特徴的な顔があったりするわけです。 以前にも配信いたしましたが、意地悪そうな顔の年配の女性が、孫と一緒に歩いているのは見たことがありません。 パリっとした服装をしていても、一人だったらねぇ・・・ それよりは、リッチな服装でなくても、小奇麗な服装で孫を連れて歩いている女性の方がサマになるでしょ? また、以前に「人生に疲れた顔」というお題でも書きました。ダメダメ家庭では、親は人生に疲れてしまって、その人生に対する疲労感を子供に伝承してしまうわけ。 今回は「知性のかけらもない顔」について書いてみましょう。 それこそ、下町のスーパーマーケットで観察して御覧なさいな。 面白いですよ。買い物客の中で、びっくりするほど「ゆるんだ」顔の人っていますよね? それこそ以前書きましたが、イギリスを舞台にした映画作品などで、典型的な下層階級の顔として出てくるような顔です。 まあ、下層階級の顔も、ある意味において世界共通なんでしょう。 勿論、本人が望んで、そのような「ゆるんだ」顔になったわけではないでしょう。 しかしそのような人を観察すればスグにわかると思いますが、顔がゆるんでいるだけでなく、服装もゆるんでいるんですね。ちょっと薄汚れたようなスウェット・スーツ(と言うんですか?)にサンダル履きだったりする。はっきり言ってだらしない格好。 身なりが、センスよく、こざっぱりとした人が、「ゆるんだ」顔をしているケースはありません。 人間あれほどまでに「ゆるんだ」顔になるためには、「心の底」からゆるんだ人間にならないと無理なんですね。 普段から本も読まず、ものを考えるようなこともしない。緊張するような時間が全然ない状態。それだったら顔が「ゆるむ」のもわかります。 しかし、緊張はともかく「ピシっ」と「締める」ような時間なんて、本来はいくらでもあるはずですよね? 料理をするときに気合を入れてやったりしているか? 子供の友人が家にやってきた時だって、親がだらしない姿なのは問題でしょ? 中には布団から出てきて、昼間でもいつもパジャマでいる人もいます。 学校帰りに立ち寄った子供の友人に「あらっ?来てたのぉ?いらっしゃ〜い!」とパジャマ姿で挨拶。 まあ、法律上は問題ありませんが・・・ 子供にしてみれば、いたたまれないですよね? どうしてそんなことも考えられないの? 外出するときの服装だって、別にオシャレする必要もないわけですが、最低限のセンスは必要でしょう? ユニクロのフリースの程度だったら問題ありませんが、真っ赤なトレーニングウェアだったらねぇ?おまけに背中にはハデな刺繍入りとか・・・ ご丁寧にそのトレーニングウェアも汚れていたりして・・・ 常に人の目を気にしていてもしょうがありませんが、最低限の身だしなみは必要でしょ? アメリカのJ.D.サリンジャーの小説「ゾーイー」の中でも、「神様のために靴を磨く」という言葉もありました。人の目とかというより、自分自身の尊厳としての身だしなみは必要ですよね? このような最低限の身だしなみにも問題のあるような人が、親をやっている家庭がダメダメ家庭でないはずがない。それにそんな人間と結婚していて、そんな行動に対して注意もしない人も・・・同じ程度。こうやって、ダメダメが進行し、顔までが、見事なまでにダメダメな顔になってしまうことになる。 それに、そのように「ゆるむ」ということは、別の言い方をすると、覚悟を持って生きていないということでしょ? 何も毎日緊張する必要はありませんが、たまには、覚悟を持って何かに取り組む必要があるのでは?あるいは、その手のゆるんだ人は、どんなことに覚悟を持つの? 覚悟がないということは、それこそ、子育てについて何も覚悟がないのに、子供を持ってしまったということでしょ? そんなライフスタイルを、「ふつう」と言って称揚しながら、相変わらずに「だらぁ〜」とした日々を送ることになる。 そんな日々だったら、顔もゆるみますよ。 覚悟を持たずに子供を持ってしまったり、自分の尊厳に配慮しないような親が、子供を大切にするの? まあ、チョット考えればわかることですよね? 覚悟がないから、何も考えずに、ダラぁ〜と日々を過ごし、緊張感とは無縁であるがゆえに、顔からも緊張感がなくなってしまう。 ダメダメ家庭はやっぱり顔からしてダメダメなんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 大津波には驚きました。「TSUNAMI」という言葉は世界共通語にもなっているようです。逆に言うと、津波への対応は、日本が最先端なので、日本と同じレベルの対応が外国でも期待できるというものではないのでしょう。 私はそもそも大自然には興味もないので、「天国に一番近い島!」とのキャッチコピーにも関心もなかったのですが、被害に合われた方々はお気の毒としか申し上げられません。 自然災害はどうしようもありませんものね。 さて、今年もあとわずかとなって来ました。 今年に起こったダメダメ家庭の事件というと、長崎での小学校6年生の事件を思い出される方も多いでしょう。 その被害者の父親が、また手記を発表されたそうです。 私はあの事件は・・・自然災害と違って・・・回避可能だったと思っています。 厳しいようですが、その被害者の父親の事件後の対応を見ていると、「このような事件も起こっても不思議ではないなぁ・・・」と思わずにはいられません。 感情的な個人攻撃と取られない様に、具体的にどのような点が引っ掛かるのか、リストアップしてみます。 1. 何か事件が起こった後で、ダメダメ家庭の親は「どうしてウチの子がこんなことに・・・」と言った感想を表明するものです。マトモな親だったら「こうなる前に自分が親として何かできることはなかったのか?」と自問するもの。ダメダメな親はそれだけ、当事者意識がなく、被害者意識だけがあるものです。 2. その被害者の母親が亡くなられた後で、妻を亡くした夫(被害者の父親)は悲しみに沈んだそう。それは当然でしょう。その悲しみを娘さんが癒してくれたそう。しかし、父親として、母親が亡くなって悲しんでいる子供を癒してあげようとは考えなかったのかな?あるいは今現在、妹をショッキングな事件で亡くして悲しんでいるはずの、被害者の兄弟のことを、父親としてどう思っているのかな?悲しんでいる親を励ますのが子供の務めなの?逆じゃないの? 3. マスコミの対応にデリカシーがない・・・と、おっしゃっているそうです。マスコミがデリカシーがなく、「がさつ」であることを今頃になって気が付くってどういうことなんでしょうか?マトモな感性を持っていたら、とっくの昔に気がつく話でしょ?それくらいあの父親は「がさつ」が身についてしまっているわけです。本人は職業柄そのような点は鈍感なのかもしれません。しかし、子供から言われたりしないの?「お父さん!あんな取材は必要なの?もっとみんなの気持ちに配慮できないの?」って。そんな会話もなかったの? 4. この事件に限らず、これだけ子供の事件が頻繁に起こっていますよね?それらについて「あの家族」はどのように家族で会話したのでしょうか?「オマエたちは何か困っていることはないかい?」って聞いたのかな?発表される「手記」には、そんな記述が出てきませんよね? どうも、一貫して「子供の話を聞いていない」親の姿しか見えないわけです。 これって、典型的なダメダメのスタイルなんですね。 生き残っている息子さんたちだけでも、救出することを周囲は考える必要があるんじゃないの?それくらい疑いもないほどに典型的なダメダメですよ。 勿論、加害者の少女の家庭が、輪をかけてダメダメであることは言うまでもないことですが・・・ ダメダメ家庭の子供同士だからこそ、「入れ込まれた」わけです。子供には責はないにしても、親には責はあるでしょ? |
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R.10/8/13 |