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カテゴリー ダメダメ家庭出身者のキャラクター
配信日 05年1月17日 (11年2月10日 記述を追加)
タイトル 自分の子供を好きになれない
ダメダメ家庭出身の人で、意外と子供を持ちたがる例が多いことは以前に配信しております。
自分自身の会話能力が低いので、自分の子供しか話相手になってくれないし、自分の老後の面倒を見させたいし、「ふつう」の親子の外見がほしいし、あるいは、子供から愛情というものを教えてもらおうという期待を持って子供を持つ人間が実際にいますよね?

しかし、実際に子供を持って、育てていても、結果的には自分の子供に対し・・・心の底からの・・・愛情は持たなくなってしまう。
だって、そもそもダメダメ家庭出身の親なので会話の能力が低い。子供に対して自分の意向を上手に伝えることが不得手。おまけに子供の意向を聞く意欲がなかったり、聞く能力もなかったりする。
ちゃんと子育てをしようと思っても、自分が体験した自分の親の子育てを再現するわけには行かない。親のまねをすればいいというマトモ家庭出身者のように簡単には行かない。どうしても妙に緊張感が漂ったりして、ぎこちないものになってしまう。

ダメダメ家庭の人間は自己逃避であり、まずもって自分自身から目を背け、自分自身が自分でも分かっていない。自分で何か達成したい目標があれば、それを一人でやっていけばいいだけなんですが、自己逃避であるので、自分の目標自体が存在しない。
そして、ダメダメ家庭の人間は、信頼と好意の区別が付かない。というよりも、信頼というものが心理的に認識できない。
だから、他者に過剰に期待する。その他者に対する期待も、自分の自身の目標がないので、具体的な協力を期待するのではなく、好意を期待する。
つまり、自分の子供から、好意を期待している・・・というよりも、それにすがっているわけです。
しかし、会話不全で、話のネタもなく、他力本願なダメダメな親から好意を強要されても、子供としては対応できるわけがありませんよ。

しかし、だからこそ、ダメダメな親としては、「あれだけ、子供に期待していたのに、裏切られたわ!」と被害感情に浸ってしまって、子供に対する報復行為を行うことになる。
そんな報復行為は、親にしてみれば、「ワタシは悪くない!」ということを確認させる儀式となっているわけですが、そんな行為で「親は悪くはない、子供であるオマエが悪いんだ。」と主張されても、子供としてはますます対応できないでしょ?親の側が、自分の問題点について自覚があればなんとかなるわけですが、自己逃避なので、むしろ「悪いのはこの子供のせいだ!」という方向に突っ走ってしまう。
ということで、親と子供の心理的な距離がますます大きくなってしまう。

ということで、どんどんと「懐かなく」なってしまう。
生物的には親という関係であっても、その親は、会話の能力がないだけでなく、緊張感を漂わせていて、ちょっとのことで怒り出すんだから、子供が寄り付くわけがないじゃないの?
親の方としても、懐かない相手に対して愛情なんて持ちようもなく、さらなる報復行為となってしまう。結局は、「子供が懐かないから叩いた!」などの、お決まりの言葉になってしまう。

あるいは、子供に愛情を持たなくなる、他の理由もあります。
以前に配信した文章で「親と似た部分を嫌がる」というお題の文章があります。ダメダメ家庭出身の人間は、自分に冷たかった親が嫌い。しかし、遺伝的な要因や、長期間やり取りをしたわけだから、当然のこととして当人自身も親と似た面が出てきてしまう。大嫌いな親と似た面を持つ自分自身を発見した時に、どうしようもない不快感や絶望感に襲われてしまう。

これでは自分自身を好きにはなりようもないでしょ?前にも書きましたが、自分なりの目標を掲げ、それを達成したのなら、その面で自分を肯定できるでしょ?しかし、当事者意識がなく、目標を持つこと自体から逃避しているんだから、自分を肯定するにも、肯定できる具体的な成果がなく、感情面だけになってしまう。だから、何も肯定できず、結果的に、「自分自身がキライ。」という、ダメダメ家庭出身者の典型的な状態になってしまう。
そんな「自分自身がキライ。」という人間は、まさに他にすることがないが故に、親になってしまう。そして、できてしまった自分の子供を見ていると、自分とよく似た行動をする。
こうなると、顔面蒼白の瞬間ですよね?

「自分自身が好き!」と臆面もなく言ったりする人はチョットいかがわしい。しかし、一般の人は少なくとも「自分自身がキライ。」なんて意識はほとんどありませんよ。
だから、自分の子供に自分と似たところがあっても、「ああ、ボクもこんな仕草をしたりするなぁ・・・コイツもやっぱりオレの子だ!」と、うれしくなったり、笑ってしまうだけ。
しかし、「自分自身がキライ。」と日頃から思っているダメダメ家庭出身者が、その嫌いな自分とそっくりな面を持つ自分の子供を発見すれば、穏やかに笑ってはいられないでしょ?

たとえば、自分の子供が、「自分の子供時代と同じように、周囲をうかがって、オドオドしている。」状態を発見することもある。
自分の子供のそんな姿を見せられれば、虐待なんて起こっちゃいますよ。
そのような場合には、自分の子供を叩くことで、自分自身を叩いているわけです。大嫌いな自分と同じ面を持つ自分の子供は、親の身代わりなんですね。

ダメダメ家庭の人間が、自分の欠点を他者に投影して、その投影した欠点を集中的に攻撃することがあることは、別のところで文章をまとめております。
自分の欠点こそ、ある意味において、もっとも「身近」であり、もっとも「目を背けたい」もの。だからこそ、他者に投影して、他者の問題にしてしまう。
無意識的な面においては、自分の欠点を修正するという面もあるので、その「指導」も限度がない。そもそも、自分の欠点を投影したものなので、距離感も取りようがない。まさに「行きところまで行ってしまう」ことになってしまう。

母親が自分の子供を虐待する際には、特に女の子がターゲットになりやすいでしょ?
自分自身が嫌いで、自分と似たところが嫌いなんだから、自分と似た面が多くある同じ性別の子供がターゲットになりやすい。逆に言うと、同じ性別の子供に対する集中的な虐待は、自分自身への嫌悪感の裏返しなんですね。
自分への嫌悪感を持っている状態で、周囲から「子供に対し愛情を持て!」と言われても無理でしょ?

しかし、そんなことはちょっと考えれば予想できることなんですね。
「自分が親としての能力があるのか?」あるいは、せめて、「子供を育て上げる覚悟があるか?」について、ちょっと自問自答すればいいだけ。
あるいは、「自分自身の子供時代はどうだったのか?それを自分としては肯定しているのか?」という点について、自分なりに考えておく必要があるわけです。
別の言い方をすると、自分自身との距離感について、自問自答すれば、そのようなトラブルは事前に予想できるわけです。しかし、自己逃避であるがゆえに、自分自身との距離感があいまいなままで、その不安定さを子供にぶつけることになる。

自分を肯定していない人が、自分の子供を肯定できるわけがないし、自分自身との距離感が不安定な人が、自分の子供との距離感を適切なものにできるわけがないでしょ?
しかし、子供の頃から、「普通にしろ!」と言われ続けたせいで、深く考えもせずに、「普通」に結婚して、「普通」に子供を産んでしまう。
そんな思考停止の人間と結婚するような人間も、結局は、同じようなダメダメ家庭の出身者であり、まずもって自分自身を嫌っている。
そして、両親の持つ自己嫌悪が、子供に投影されてしまう。
その結果として、「普通」とはかけ離れた家庭ができてしまうわけです。

(終了)
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発信後記

郵便局の民営化が話題になっています。
意外に思われるかもしれませんが、都会の人はそのことに関心が薄い。郵便局なんて近くにいっぱいあるし、なくても別に困らないし、態度が悪い郵便局があっても、その郵便局を避ければいいだけですからね。

むしろ地方に住む方の方が、郵便局民営化に賛成なさっておられます。
地方では、郵便局は競争相手がないせいで、態度が悪いらしい。
おまけに郵便局の職員なんて、コネで採用されたような能無し人間が多くいるでしょうから、テンポが合わないようです。
地方に住む方が、郵便局に対する不満を言い出すとゾロゾロ出て来る。

声が大きい人間の言うことばかり聞いていると、ロクなことにはならない。ダメダメな人間ほど被害者意識が強いので、妙に声が大きかったりするわけ。
地方が住みにくいのは、そんなことも原因なんだと思います。

サイレントマジョリティが何を求めているのか?
どんな分野でも重要ですよね?                                                   
R.11/2/10