トップページに戻る 配信日分類の総目次に戻る 韓国・北朝鮮問題のトピックス(その1)
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ
カテゴリー ダメダメ家庭の対抗心
配信日 05年2月2日 (10年11月23日 記述を追加)
タイトル クレームの場面を作る
ダメダメ家庭の人間は、いざとなった時は親から何も助けがない。そんな精神状況で育ってきたので、いつも切羽詰っている。だからトラブルがあったとき過剰反応になってしまい、いわゆるクレーマーになってしまうことは以前に配信しております。

トラブルが起きた時に過剰反応するケースもありますが、好き好んでクレームの場面を作りたがるケースもあったりするわけ。
「実現不可能なクレームを続ける。」ことが、生きがいになっちゃうわけです。

クレームというと、体裁のいい「グチ」ですよね?自分が受けた被害を穏やかに語るのがグチであり、正義感を持って攻撃的に語るのはクレームとなる。語るスタイルは違っていても、受けた被害を語るという内容面では同じでしょ?
受けた被害を語るというだけではありません。ダメダメ家庭は「当事者意識がなく、被害者意識だけがある。」このことは何回も書いています。だから自身を「被害者の立場」に置きたがるわけです。そして、被害者の立場にあえて身を置いて、ダメダメ家庭の決めセリフ「悪いのは全部○○のせいだ!」と言い出す。その「悪い○○」を打倒することに喜びを持ったりするわけです。
クレームの場面こそ「悪いのは全部○○のせいだ!」と、存分に語ることができる場面ですからね。

例えば、学校の卒業式の「君が代」斉唱の問題などがありますよね?
公立の学校で「君が代」を生徒に歌わせるべきか?
まあ、強制することが、いいわけはないでしょう。
しかし、卒業式なんて毎日やっているわけでもないし、人生の大問題というわけではないでしょ?

そんなにイヤなら、私学に行けばいいだけ。
そんなに反対するのなら、自分で対策を取ればいいじゃないの?
クレームはクレームとしていいとして、そんなクレームよりも、人生にはもっと重要なことが沢山ありますよ。

このような「君が代」反対の運動をする人は、なぜか公立学校の教員なんですね。わざわざそんな場面の発生するところに行って、クレームの花を咲かせることになる。

「君が代」がキライなのは、本人の問題としていいわけですが、それなら民間企業に行けばいいわけでしょ?
ホンダ自動車がレースに勝った後で、「君が代」を斉唱するの?まさかね?
民間企業だったら、入社式には「君が代」斉唱もあるところもあるでしょうが、それ以降は、そんな機会もないでしょ?定年退社式なんてあるわけもないし・・・

「君が代」なんて社会人になれば、どうせ縁がないものなんですね。
それともカラオケで歌うの?
「オイ!次は“君が代”を入れておいてくれ!」
『おお!オマエの“君が代”入ったぞ!さあデュエットしよう!君が世はぁ〜♪』そんなことあるの?絶対にありませんよね?

結局は、クレームのためのクレームになっているんですね。
クレームをすることを楽しんでいるわけ。その楽しいクレームのために、クレームを言いやすい状況に飛び込んで行きたがる。そう見ると、その手のクレームも理解しやすいでしょ?

「君が代」の問題だけでなく、旧国鉄の問題も不思議でしょ?
労働組合の人間の再雇用で今でもモメている。
しかし、新しい会社から「オマエなんかいらない!」と言われちゃっているわけですから、何故に再雇用に拘るの?民間企業でがんばればいいじゃないの?

しかし、ダメダメ家庭のメンタリティーで「権威主義」ということがあります。
ダメダメ家庭は国の権威というものに、エクスタシーを感じる人間なんですね。それにダメダメ家庭の人間は会話ができない。国の権威がないと、人から相手にされないことを何となくわかっている。
だから、その手の人ほど、「国にしがみつこう」とするわけ。

公務員関係で、その手の労働運動に励む人って、ヘンでしょ?よりにもよって、何故に公務員になったの?国からの押し付けがイヤなら、民間企業に行けばいいだけ。
この手の公務員の労働運動が活発になっているのは、関西とか千葉とかのダメダメな地域なのも、うなずけるわけです。

あるいは、先日(05年)在日韓国人の女性が、東京都で管理職になれないことについての裁判がありました。敗訴した在日韓国人の女性いわく「世界の人に言いたい!日本に来るな!」なんだそう。
あれも不思議ですよ。
東京都の管理職になりたいのなら、日本に帰化すればいいだけ。定職があるのだから、問題なく受理されるでしょ?日本の国会議員の中にはフィンランドから帰化した人もいます。フィンランド人よりも、韓国人の方が帰化もラクでしょ?

それにそんなに韓国に愛情を持っていたり、日本を敵視しているのなら、韓国に帰った方がいいですよ。どうしてそんなに日本に拘るの?あるいは日本でも民間企業に行けばいいだけでしょ?どうして公務員に拘るの?そもそも「来るな!」という言葉は、その地をホームグラウンドにしていることでしょ?日本を異郷と認識しているのなら、「行くな!」という言葉になりますよ。日本をホームグラウンドと思っているのなら、帰化するのが自然。

そんな人は、クレームの場面を自分で作っているわけ。そうして、お決まりの「悪いのは全部○○のせいだ!」が出てくるわけ。
本人は、心行くまでクレームを言えて満足でしょうが、マトモな在日韓国人にしてみれば迷惑な話でしょ?あんな「やっぱり韓国人はクレーマー」という目で見られたら、今後やりにくくなりますよね?

あるいは、以前に東京都の石原知事が「ババァ」なる言葉を言って、女性たちにクレームを受けていました。まあ、「ババァ」という言葉が上品とは言いがたい。しかし、クレームを言っていた女性たちは「石原知事の文章を何回も読み直して、その都度、腹が立ってしょうがなかった!」んだそう。

しかし・・・腹が立ったのなら、そんな文章を読まなきゃいいじゃないの?どうして何回も読んでその都度怒りに震えるの?そんな文章は放って置いて、ゲートボールするなり、ゴルフをするなり、俳句でも作ってみたり、カラオケでも楽しんだりすればいいだけじゃないの?そんな姿を見たら石原さんだって「ゲンキのいいバアサンだわい。負けたよ!」でオシマイでしょ?

わざわざそんな状況を作り出し、頭から湯気出してクレームなどするから、「頭がおかしいんじゃないの?」と思われちゃうわけ。そんな人にわざわざ寄っていく人も、要は同類の人。

ダメダメ家庭の出身者で、わりと頭がいい人は、この手のクレーム愛好家になるケースがあったりするわけ。アタマがいいので、それなりの「大義」を持ち出すことができる。そして、相応の論理を組み立て、自分がかわいそうな被害者という状況を語るわけ。
被害を語る能力に多寡はあっても、結局は、被害しか語れない。
それは、その人の育った家庭環境の反映なんですね。
そして、その手のクレーム愛好家に同情を寄せる人も、同類のダメダメ家庭出身者。

そうやって、ダメダメな人間が集まって「悪いのは全部○○のせいだ!」と、納得する。しかし、それって日頃の不満を転嫁しているだけなんですね。

被害者意識が強いダメダメ家庭においては、被害を語らないと親から相手にされてこなかったという原体験を持っている。だから、執拗に自分の被害を語ることになる。
だって、人との関わりのスタイルは、そんなパターンしかないわけですからね。

被害を主張すれば、いきなりは無碍にはできない。そして、その対処は、加害者の側ということになるでしょ?
被害者の側が、主体的に対処するものではないでしょ?
被害を主張することで、「ワタシに構って!」と言っているわけ。

それに被害を語る際には、客観的な説明じゃなく、感情的にがなりたてているだけでも、それなりにサマになったりする。そのようなことは客観的な説明能力が欠けているダメダメ家庭の人間にしてみれば、メリットとなる。

逆に言うと、主体的に物事に対処する発想もなく、客観的な説明能力がない人間は、被害を主張することしか、人間関係が存在しないわけ。
だからこそ、まさに、人のあら探しをして、対応する自分の被害を見つけ出し、その発見した被害で大騒ぎをすることになる。

ちなみに・・・
君が代とか、旧国鉄の問題に言及しておりますが、別に「左翼陣営がケシカラン!」とかのモンキリ的なことを言っているのではありませんよ。
「人間はやれることから、やればいいじゃないの?」、あるいは「そもそものやりたいことは何なの?」と言っているだけです。
人生には、クレームをつけることよりも、もっと重要なことがあるでしょ?クレームで人生をムダにしてしまうなんて勿体ないでしょ?

左翼的な発想はいいとして、まずは、実際に困っている労働者の声を真摯に聞くことが先じゃないの?しかし、この手の人たちは、人の話を聞く際にも、「クレームのネタ探し」という視点に凝り固まっているでしょ?
そうして、見つけたネタで、周囲に対してクレームを上げることになる。
そうして、被害を語り、大騒ぎ。

よく言うじゃないですか?
「金持ちケンカせず。」ってね。
ケンカのためにお金を使うよりも、ケンカをしないためにお金を使った方がマトモでしょ?あるいは、自分の目標を成し遂げるためにお金を使った方がマトモでしょ?目標達成のためなり、ケンカをしないためにお金を使うマトモな人の元には、マトモな人や、お金も集まってくる。スグにケンカをするような人間の元には、マトモな人間も、お金も集まって来ないものでしょ?

しかし、このようにクレームの場面を自分自身で作り出すことによって、「悪いのは全部○○のせいだ!」と、自分を納得させることができる。本人はそれが楽しみになっているんだから、その人の勝手でしょう。しかし、周囲の人は迷惑ですよね?
そんなに相手が気に入らないなら、わざわざクレームをつけ、反対するのではなく、避ければいいだけ。

結局は、この手のクレームを作り出す人は、相手のことが好きで好きでしょうがないわけです。
よく言う物言いで、「愛の反対は、憎悪ではなく、無関心。」と言われたりするでしょ?
憎悪という感情は、愛と表裏一体のものなんですね。
それこそ、国の権威が大好きだから、「君が代」云々を持ち出して国の権威に反対する。
あるいはイラクのサダム・フセインは、アメリカの西部劇が大好きなんだそう。アメリカが大好きだから、アメリカにちょっかいを出すわけ。
また、北朝鮮の金正日はメイド・イン・ジャパンが大好きなんだそう。だから日本にちょっかいを出すわけ。

それって、昔、あったじゃないですか?
小学生の男の子で、やたら特定の女の子にちょっかいを出す男の子が・・・
とうとうブチ切れた女の子に言われてしまう。
「もうっ!アンタ!どうして、いつもワタシに、絡んでくるの?もしかして、アンタ、私のことが好きなんじゃないの?」

クレーム愛好家って、そんなガキのレヴェルってことですね。

小学生のちょっかいは、まあ、笑い事。
しかし、そのまま進んでしまうと、厄介なことになってしまう。
クレームの場面を、わざわざ作るような人は、まさに、子供を作って、その子供をネタに周囲に対してクレームをつけるようになってしまう。

それこそ、昨今、話題になったりするモンスターペアレンツなんて、まさにクレームの場面をわざわざ作っている人でしょ?
あるいは、自分の子供の周囲の大人に対してだけでなく、子供本人にもクレームをつけるわけ。
「オマエが生まれたせいで、うまくいかない!」

そんな親は、そもそも子供を好きでもないし、子供を育てる覚悟もない。
だから、ちょっとでも考えれば、そんな人が子供を持ってしまったらトラブルになることが、それこそ小学生でも予想できること。
しかし、何も考えずに、なんとなくで子供を持ってしまう。
何も考えていないで出来てしまった子供だから、まさに「ワタシは間違った判断はしていない。」「ワタシは悪くない。」と言えてしまう。

そうして、加害者たる子供に対して、クレームをつけるわけ。

クレームをつけ続けている人間に限って、語られている被害が発生しないようにする対処は何もしていないものでしょ?
というか、実質的には、そんな場面を「望んで」そうしているとしか見えないものでしょ?
別のところで取り上げておりますが、アメリカの詩人のエミリー・ディキンソンが言うように、「人の試練がどんなに錯綜していようとも、結局 予定の苦しみを自ずと選んでしまうもの。」そのもの。
バルザックが「谷間のゆり」の中で書くように、「わたくしの生活は、ただそれ以来、ただもう耐えることのない苦痛となって、しかもその苦痛が、わたくしには嬉しかったのでした。」という心情を持っている。

「苦痛が、そして被害を語ることが、実は、うれしい。」
ダメダメ人間にはそんな心情があるわけ。
だから、求めて嘆くことになる。
嘆きだけでは格好が悪いので、立派な大義名分を持ち出し、クレームをつけることになる。

クレームをつけることは、自分自身から逃避し、自分の被害を自分で確認し、不幸な境遇に歓喜する行為となっている。
ダメダメ家庭の人間にしてみれば、人にクレームをつけている時間は、まさに「プハぁ〜、ワタシって、この時のために生きているんだよねぇ〜」と言えるくらいに大好きで、生きている実感を味わえるものなんですね。

(終了)
***************************************************
発信後記

メールマガジン用の文章は、基本的に書き溜めてあります。
一時、ストックが30本くらいまでに減少したのですが、また増えて50本くらいになりました。
ということで、あと半年は続くと思います。

もしリクエスト等がありましたら、お寄せくださいね。
R.10/11/23