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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない情報,スキル
配信日 05年2月14日 (10年10月9日 記述を追加)
タイトル リスクとの接し方
もうすぐに、金融機関のペイオフが解禁されます。今年の5月からだそうです。
預金が一つの口座で1千万円までしか補償されなくなるわけですね。

このメールマガジンを購読されている方はどう思っていらっしゃるのかな?
「ああ!困った!一つの口座が1千万円までしか補償されないとは!!」
「今後はどうしたら、いいのだろうか?」
そうお嘆きの方もいらっしゃるかもしれません。
ちなみに、メールマガジンを発行しているこの私としては、
「別に関係ないけどねぇ・・・1千万円超えることなんて、当分なさそうだし・・・」
そんなところ。
というか、金利ゼロなんだから、銀行に預金してもしょうがないし。

預金した金額全部が補償されるのは、預金者にとってはラクなことはありますが、現実離れしています。
銀行の中にはダメダメな銀行もあるわけですからね。例えば以前に破綻した足利銀行はスジの悪いことでは有名でした。破綻して当然の例だってあるわけです。

この手の議論だと、「国が責任を持って銀行を監督するべきだ!」とおっしゃる方も多くいらっしゃいます。一見、マトモな意見ですが、そんなに国に責任を押し付けるから、役人の数が増えて、その分だけ税金が取られることになるわけでしょ?

預金者が何も考えずに済むのは、悪いことではないのですが、その分のコストを払っていることは自覚しないとね。
さてさて、このメールマガジンは家庭問題のメールマガジンであって、金融関係のメールマガジンではありません。
ペイオフ問題を考えることが主目的ではありません。

今回考えて見たいのはリスクとの接し方の問題です。
「ノーリスクでハイリターン」であれば、すばらしいことであることは言うまでもありません。しかし、現実は「ローリスクでローリターン」のケースと、「ハイリスクでハイリターン」のケースの選択だったりするわけ。あるいはリスクの種類だって様々。

どっちがいいのか?
それは本人の現状認識なり価値観の問題でしょ?本人が自覚を持って選択すればいいだけですよ。

逆に言うと、そのようなリスクを向き合うことによって、自分自身について改めて考え直す必要があるわけ。

現在の資金余力はどれくらい?
自分自身の情報収集力はどれくらい?
クヨクヨするタイプなのか?熱くなるタイプなのか?
自分自身の将来設計をどのように考えているのか?
子供にはどんな将来を送ってほしいの?

危険と向き合えば、人間は色々と考えるものでしょ?
危険と向き合っても何も考えないような人間なら、100%のダメダメ。再起不能です。

リスクを向き合えば、人間は考える必要が出て来る。
だから、何も考えたくないダメダメ人間は、リスクと向き合うこと自体を敬遠するわけ。

何も「ローリスクでローリターン」を選択している人間がダメダメだ!と申し上げているわけではありませんよ。「ハイリスクでハイリターン」と「ローリスクでローリターン」を比べて「ローリスクでローリターン」を選択したのなら、それでいいわけ。
本人が考えた結果ですからね。
1億円持っている70歳の老夫婦が、「ローリスク,ローリターン」を選択するのは、むしろ当然のこと。しかし、20歳代の夫婦だったら、ちょっと冒険するのもいいでしょ?その時に損をしても、後で取り返しがききますからね。
このようにリスクと向き合うことにより、自分自身を改めて意識できるわけ。

しかし、「何も考えたくない!」「そもそもリスクと言うものを考えること自体がイヤだ!」
そんな場合もあったりするわけです。

そうなると、常にリスクとは縁遠い場所に自分を置きたがる。
リスクとは無縁な状態だと、自分自身について考えなくてもいいわけです。だから自分自身についてよくわからない状態で済んでしまうことになる。

以前このメールマガジンで、ダメダメ家庭の問題が事件になったりするケースで、特に子供の側がトラブルとなってしまう事件において、親が地方公務員だったり、教員だったりするケースが多いと書いたことがあります。
その手の人たちは、「地位」で仕事ができるため、「人と会話」する必要がないわけ。自分の命令を言いっ放しで仕事ができるわけです。
その習性を家庭内で持ち込んだりするため、自分の話を聞いてもらえない子供が事件を起こしたりするわけ。
そのようなケースでは、会話の不全という要素があるとともに、そのような地方公務員とか教員は、リスクと向き合う必要がありませんよね?まあ、そのような点は郵便局とかNTTのような組織も同じ。
まあ、雇用は絶対的に保証されているでしょ?
そのこと自体は、結構なこととして、そのようにリスクと縁遠い環境だと、すべて国まかせで何とかなってしまい、改めて自分自身と向き合う必要もないわけです。

それこそ、将来設計などについても、当人自身で考える必要もないでしょ?
「皆と同じでいいや!」
「て・き・と・う!」
「上の人が考えてくれるだろう。」
こんな感じで済んでしまう。

つまり家庭を運営している親が、自分自身をよくわかっていないケースが多く発生していまうんですね。
そもそもリスクが嫌いだからこそ、公務員になったりするわけでしょ?そして輪を掛けて、リスクとは無縁な環境。
これでは、自分自身について考えるきっかけもできませんよね?

何も金融投資だけでなく、何事もリスクは発生するものです。
家庭の問題だと、まさに結婚相手の選択なり、子供を産む産まないの選択の時にリスクを考える必要があるでしょ?
何事にもリスクがあるものでしょ?

結婚相手の選択だって「ローリスク、ローリターン」に近い相手なのか?「ハイリスク、ハイリターン」に近いのか?相手のキャラクターによって色々とあったりするでしょ?当然のこととして、その「リスク」や「リターン」の種類だって様々です。
結婚から来る「リターン」だって、収入を取るのか?楽しい会話を取るのか?精神的な安らぎを取るのか?人によって様々でしょ?

子供を作ることだってそうですよね?
子供を作るにあたっても、多くの種類のリスクが存在するでしょ?
そして、リターンとも言える、「自分にとって、子供がどのような存在になるのか?」それについて自分自身をよくわかっていないとダメですよね?それをわかった上でリスクを取って子供を作るのもよし、自分には親と言う立場は向かない、ということで子供を作らないのもよし。しかし、ちゃんと自分で考えることが必要でしょ?
子供を持つことの「リスク」を何も考えずに、「ふ・つ・う」に子供を作ったりしたら、問題が起こるのも当然でしょ?

職業的に、リスクと全く無縁な地方公務員の家庭で、ダメダメ家庭が結構な割合で発生するのは、当然のことなんですね。
そして、そのようなリスクとは無縁で、「自分自身について全く知らない」親の姿を見ていた子供は、逆に、無謀なリスクに飛び込んだりするわけ。

世界中を「自分探し」の旅に出かけ、イラクで捕まったりする。
イラクで捕まるのはレアケースですが、無謀な自分探しの旅は結構あったりする事例でしょ?
結局は、その親が子供に対し、「リスクとの接し方」を教えていない証拠でしょ?
まあ、教えようとしても、親自身だってわかっていないでしょうが。

何回も書きますが、リスクというものは、自分自身を理解するのに非常に便利なもの。
だから、わざわざ旅などして自分探しをするわけでしょう。しかし、リスクはどこにだって転がっているもの。普段からそんなリスクを意識して生きていないと、ダメダメ家庭を作っちゃうわけ。

本人がリスクと無縁のおキラク生活を送っているのは勝手ですが、子供にはリスクとの接し方を教えておかないと、子供が無謀なリスク探求を始めたりすることになってしまうわけです。

それにリスクと接することにより、リスクを掛けて行ったことが、結果的に失敗した場合についての訓練もできることになりますよね?

例えば株の投資のケースを考えてみましょう。
リスクを掛けて、とある株式に投資した。しかし求めた結果が得られずに失敗に終わった。
このような失敗することもあるでしょう。

しかし、その失敗から色々と習得できるわけ。
失敗の影響を出来るだけ小さくする善後策とか、
あるいは、失敗の影響を小さくするために、事前に打っておくべき手段とか。

このようなことは実生活でも有効ですよね?

逆に言えば、リスクとの接し方がまったくできていないので、「ノーリスクでハイリターン」というような現実離れした歯の浮くようなセールストークに引っかかってしまうことになる。
そして、そのことについて国に文句を言うだけで、当人のリスク管理は相変わらず何も考えない。
そんなことだと、その場は収まっても、また似たような失敗をするだけでしょ?

あるいは、今までやり取りのなかった人と初めてやり取りをする・・・
そんな事態となると、色々とリスクは存在するでしょ?

それこそ、相手のキャラクターとしても、「毒にも薬にもならない」ローリスク・ローリターンの人もいれば、「毒にも薬にもなる」ハイリスク・ハイリターンのキャラクターの人もいる。リスクと言っても、費用的なリスクもあれば、メンタル的なリスクもある。
やり取りにあたっては、その折々の状況に応じて、相手を選択し、リスクとリターンを考えながら、対処していけばいいだけ。

それこそ、この文章を書いている私は、どっちかというと、「毒にも、薬にもなる」ハイリスク・ハイリターン系でしょう。そんな人とやり取りをしようと考えている場合には、どうするのか?

まあ、現実的な対処としては、「とりあえず」のあたりをつける方法がポピュラーでしょうね。
それこそ、このサイトには、様々な芸術作品などが紹介されておりますが、そのような紹介された作品についての、その人なりの見解を提示してみて、その見解に対する、この私からの反応を見てみる・・・そんな方法があたりをつける方法としては有効じゃないの?
そんなやり取りによって、個人を相手にした場合の、この私のフィーリングも見えてくるわけですからね。

そこであたりをつけて、よりクリティカルな話題に移っていく・・・
いわば、ちょっと距離を置いた、ローリスク・ローリターンのところから始めて、段々とリスクを増やしていくパターンといえるでしょう。
あたりをつけるという行為は、リターンそのものは小さいでしょうが、その分だけ、リスクも小さいものでしょ?

もちろん、いきなり、本題から入るパターンもある。
「今、こんなことで困っているんだけど、いい知恵はないか?」と、相談するパターンもある。
その相談によって、直面している事態が解決すれば、それはハイリターンといえるでしょ?

ただ、まあ、事態は解決しても、この私からの鋭すぎる指摘が色々と厄介になったりすることもある。
そんなハイリスクの面も、やっぱり考慮しないとね。ただ、自信がある人は、この方法が一番有効でしょう。

リスクとリターンをちゃんと考慮したうえで、ローリスク・ローリターンをとるか、ハイリスク・ハイリターンをとるかは当人の判断次第。

一番の困りものは、求めるリターンが当人自身に明確でない状態で、コンタクトを取って来るケースです。
そんな人は、目先のリスクには過剰に反応するけど、リターンが明確ではない。
まさに、相談を受けても、「で、結局は、アンタはどうしたいの?」と言いたくなるケース。
そうなると、やり取りにおいて、情報の小出しが多くなったりする。
しかし、だからこそ、何も解決しないばかりか、「情報の小出しなんてやっていて・・・アンタは、結局は何をしたいの?」と怒られるだけ。

リスクをとってでもやり遂げたいものがないがゆえに、目先のリスクを避け続け、何も得られないばかりか、周囲から呆れられることになる。

その手の人は、結局は「ワタシに構って!」というのがリターンだったりするわけ。
だから、な〜んとなく、食いつきが良さげなネタをヒラヒラをさせて、相手方が食いついてくるようにする。
当人としては、自身を闘牛士のように考えているのかもしれませんが、こちらとしてはびっくりするだけ。
私としては、目の前のヒラヒラには目もくれず、「そんなことをしていて、何が楽しいの?」「他にすることはないの?」「そんなことばかりしているから、アホなオトコと結婚してしまったんでしょ?」「親がそんな人間だったら、子供もマトモには育つわけがないじゃん。」と続けていくことになる。
こんなやり取りが一番のダメージじゃないの?
自分の目の前に見えるリスクをとりあえず避けることと、リスクを適切に評価することはまったく違っているわけ。

ヘタクソな策謀は、一番大きなリスクを伴うもの。
ちょっとでもリスクというものを考える人間であれば、そんなヘタな策などは弄さないものなんですね。それも、よりにもよって、この私に対して。
そんな見通しができない人間が、結婚してもトラブルになるのは当然でしょ?

人間は生きているうちは失敗はつき物。失敗ができないのなら、引き篭もるしかないでしょ?
上手な失敗の仕方を習得するためにも、何がしかのリスク体験が必要となるわけです。
前にも書きましたが、社会で成功していく人は上手な失敗が出来る人です。致命的な失敗をしないためには、リスクを避けるのではなく、リスクと上手に付き合うことが必要になるわけです。

(終了)
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発信後記

先週配信した中で「ダメダメ家庭の人間は意外と容姿端麗」というお題で書きましたが、福岡県のスナックのママさんの殺人事件は、まさにドンピシャ!のケースですね。
実際の殺人犯があのママさんなのかは、わかりませんが、あの容姿端麗なママさんがダメダメ家庭の出身者であることは明白。
まあ、そんな女性とわざわざ結婚する男性も、人を見る目がありませんね。殺されたって文句は言えませんよ。

また金曜日配信したプッチーニ作曲の「蝶々夫人」ですが、今年の3月に公演があるそうです。
まあ、演奏レヴェルは予想できますが、私が興味があるのが、公演パンフレット。
「日本のメロディーをちりばめて、日本女性の犠牲的精神を高らかに歌い上げる!」とかの作品解説になっていたら・・・トホホとしか言えません。
まあ、私の分析はレヴェルが高すぎるのは確かですが。
R.10/10/9