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カテゴリー | 相談という場におけるダメダメ家庭 | |
配信日 | 05年3月16日 (10年12月31日 記述を追加) | |
タイトル | 相談という形でのグチ | |
ダメダメ家庭は当事者意識がなく、被害者意識だけがある。 このことはこのメールマガジンで何回も書いています。 当事者意識がないので、何か不都合な事態になっても、自分自身で解決する意欲すらなく、ひたすらグチるばかり。 それどころか、グチを言うために、わざわざ問題を引き起こすようなことをしたりする。 このことは前回配信の文章で書いております。 まあ、グチもしょうがないところもあります。 不満を感じていたり、困っている状態だったら、自分に溜め込んでいても、事態が悪くなってしまいますよ。何がしかの形で、吐き出して、スッキリしないとね。 しかし、グチも洗練されてくると、「いかにもグチ」というスタイルではなく、違ったスタイルを取ってグチるようになるわけです。 このことについても、以前にちょっと触れております。 今回はその一つとして、「相談を持ちかける」というスタイルでのグチについて考えてみます。 前回配信の文章でも触れましたが、ダメダメ家庭の人は、グチの場面として、「相談」という場を利用することも多いもの。 だって、相談という場であれば、思う存分に自分の困りごとが言えるでしょ? それに「かっこう」がいい。だって、相談という形であれば、曲がりなりにも「解決策を検討する」という外見が得られるでしょ? 単なるグチを並べるよりも、ランクが高く見えたりするわけです。 しかし、やっぱり本質的にはグチに過ぎないわけです。 勿論のこと、「本当に解決したい!」と、当事者意識を持って考えた上で、相談されるケースもあります。しかし、このケースはダメダメ家庭の相談においては、むしろ少数派なんですね。 当事者意識を持って解決したいと思って相談されておられる方と、単に被害者意識だけをもってグチを並べている方の違いはスグにわかります。 相談の言葉なり文章自体が全然違っているんですよ。 当事者意識をもって自分自身で考えて相談を持ちかけておられる方は、相談の文章自体も分かりやすい。自分自身で十分に考えているので、相談相手がその問題について考えるに必要な情報が、当然のこととして入っている。それに、その人なりに考えた途中経過が、相談を持ちかけられた人間にも分かりやすい。 相談の文章というか表現自体が客観的であり、いわゆる5W1Hもそれなりに分かるようになっている。 だから、相談を持ちかけられた、つまり回答する側の人も、質問してきた人による検討の時点で抜け落ちている部分を、簡単に見つけることができることになる。 こうなると、それまで抜け落ちていた部分を考慮した上で考えなおすことによって、改善に近づくわけです。 これは当事者意識を持って、自分自身で考えた上で、相談してきた場合と言えます。 人間はどうしても、「見えていない部分」って、ありますからね。当事者意識が強すぎると、逆に「見えない」部分も出てしまうでしょ? しかし、ダメダメ家庭での相談はそうは行かない。 だって、ダメダメ家庭の人は、たとえ相談という形であっても、グチなんですからね。 おまけに始末が悪いことに、ダメダメ家庭のグチは、それ自体が目的になっている。グチを並べるために、状況を悪くするわけです。 だから、相談そのものの言葉や文章も分かりにくい。 具体的で客観的な表現ではなく、主観的な表現で「ああ、困った!困った!ホント、どうしたらいいのかなぁ〜」となっているだけ。 そんな言葉を聞いていると「アンタが困っているのは分かるけど、じゃあ、アンタは一体全体どうしたいの?」、あるいは、「困っているのはいいとして、現状は具体的にはどうなっているの?」と、思ってしまうんですね。 ダメダメ家庭の相談においては、回答者からのその問いかけに答えられない。 相談を持ちかけられた側としては、相談者の希望に添えるようにサポートしたいと思っていても、相談者の希望そのものや、現状が具体的に分からないと対応のしようがないでしょ? 相談という場においても、グチを並べることが本音の目的だったら、私としても対処はできませんよ。 私には私なりの特色もありますからね。 それを認識した上で、私に対して相談を持ちかけていただければ、お互いにとって有意義となるのでは? たとえば、このメールマガジンの文章ですが、目の前のものを見ようとしている人には参考になるでしょう。自身で色々と考えようとしている人にも参考になるでしょう。自分がある程度知っているものについて、新たに考える示唆を得ることができた・・・そんな感想もあったりします。何回も書いていますが、見えているものを、見えるようにしたいだけです。私としては、相談を持ちかけて来られた方にとって示唆的な視点を提示できればそれでよく、人を導くつもりはありません。 だから、自分の目で見ようとしない人には参考にならないでしょう。 相談する場合でも、当人がよく考えた上での相談であれば、私とのやり取りも参考になるでしょう。逆に、「困った!困った!」と言っているだけの人には参考にならないでしょう。自分の現状なり希望は、自分で整理しないと何も解決しない。それくらいの事前準備は、本来は誰でもできること。 逆に言うと「困った!困った!」と嘆いているだけの人が「参考になった!」と言っている文章なり相談相手って、どんなレヴェルなの?それって、自分で見なくて済むのに役に立ったということでしょ? そんな「役に立った」相談によって、トラブルを発生させている土壌の問題が解決したの? ダメダメ家庭の相談は、そもそもがグチを並べているだけなので、本心では、解決するつもりはないわけです。むしろ、状況が解決してしまうと、グチが言えなくなってしまうでしょ? 解決に向かわないように、わかりにくい表現で、相談するわけです。そうして長期間グチを並べるのを楽しむことになる。 だから、その手の「相談という形でのグチ」にヘタに同情すると、解決からますます遠ざかることになる。 「アナタはどうしたいの?」 「どうして、こんな状況になってしまったと考えているの?」 「この時点で、アナタ自身でできることはあったのでは?」 「今現在の状況を自分なりに整理してみては?」 「自分自身では、今までにどんな改善策を取ったの?」 「じゃあ、アナタが考える最大の障害は何なの?」 相談を持ちかけて来た人からの嘆きの言葉を散々と聞かされて、そんな問い掛けをこちらから発しても答えが返ってこない。だって、ダメダメ家庭周辺のその手の相談は、問題の解決のため持ち掛けて来ているのではないからです。 だから本人自体の希望が言えないし、希望実現のための障害も分からない。 同情心に富んで、ちょっと鈍い人は、この手の相談という形でのグチに引っかかりやすい。 「あらまあ!大変ねぇ!ワタシでお役に立てることがあったら何でも相談に乗るわ!」 そうやって、話を聞いていても、最後にはこのように言わざるを得なくなってしまう。 「じゃあ、アンタは一体どうしたいの?」 そう言われてしまったら、その「相談会」も、それでオシマイとなる。その相談相手は使用済みというわけです。 相談を持ちかけた側は、そうして次のターゲットを物色しに行くことになる。 しかし、本来なら「アンタはどうしたいの!」聞かれても、『私はこうしたい!』と、言えばいいだけでしょ? しかし、相談という形であっても、所詮はグチなので、自分の希望が言えないわけです。 その相談会?を終えて、『あの相談相手の人はワタシのことを全然分かってくれない!』『何も役に立つことは言ってくれなかった!』と、グチのネタが増えてしまうだけ。 当人としては、自分の本当の希望が実現して、満足でしょう。 しかし、そんな人の子供はどうなるの? しかし、子供の状況も悪くなると、なおのこと「相談という形のグチ」が楽しめるわけです。 この「相談という形でのグチ」は、当人自身も意識の上では「相談」と思っているので厄介なわけ。しかし、解決の意欲もないし、自分の希望すらない状態なので、実質的に解決にはつながらないわけです。 このような点においては、以前に取り上げたクレーマーと同じなんですね。 クレーマーが主張するクレームは、着地点のないクレームであり、クレーマーはひたすらクレームをし続けることになるように、この手の「相談という形のグチ」も、本人に具体的な希望や到達点がない。ただ、「困った!困った!」と声高に言うだけ。 着地点を何も想定していない状態での嘆きの声となっている。 グチはグチでしょうがない。当人が自覚した上でグチればいいだけ。 しかし、グチにヘタに体裁などつけるから、周囲の人からますます相手にされなくなってしまうんですね。 しかし、周囲の人から相手にされなくなってしまったこともグチのネタになってしまう。 そうして、ダメダメ家庭においては、グチが絶えることはないわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 今までちょっと言及していました、ライブドアの堀江社長がご活躍ですね。 しかし、今回は堀江社長の方がフジテレビよりもわかりやすいし、スジが通っている。 まあ、私はラジオなんて聴きませんので、ニッポン放送なんて知りませんでした。 株主の利益か?従業員の利益か? 色々と言われているようですが、リスナーはどう思っているのだろう? ニッポン放送が今までリスナーに愛されていたのなら、まずリスナーが声を上げるでしょ? 先週取り上げたソニーもそうですが、ユーザーが見放すような会社は、その時点で終わっていると思うのですがねぇ。 |
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R.10/12/31 |