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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない発想,精神
配信日 05年5月4日 (10年8月20日 記述を追加)
タイトル 約束への信頼
「お母さん!!これをやっておいてね!お願いね!」
そのように子供から頼まれて、『ハイ!わかったわ!』そんなやり取りをすることもあるでしょう。
ちょっとしたやり取りでも、それは約束の一種といえますよね?

マトモ家庭の親だったら、子供と交わした約束を果たすべく行動するでしょう。
しかし、ダメダメ家庭ではそんなことはしないわけ。
いとも簡単に子供との約束を反故にしてしまうんですね。

ダメダメ家庭の親は当事者意識がなく、被害者意識だけがある。このことはもう何回も書いています。
「一体、誰のためにこんな苦労をしていると思っているんだ?!」
ダメダメ家庭の親が、ご用達としている言葉ですね。
子育てを被害と考えているので、子供からの頼まれ事などはやっぱり被害と考えるわけ。
「そんな被害は避けるのが当然だ!」「加害者たる子供との約束を破るのは親の権利だ!」
ということで、いとも簡単に子供との約束を反故にしてしまうわけです。

「お母さん!昨日、頼んだあの件どうなった?」
『ああ、やってないよ!』と、いとも当然の表情で回答。

そんな回答をもらって、子供としてはどうすればいいの?
「その気がないのなら、最初から約束しないでよ!」そう思うに決まっていますよね?

子供としては当然のこととして、今後は親のことなど当てにしなくなりますよね?だって、頼んだって平気で無視するわけですからね。
こうなると、子供からの依頼自体がなくなるわけ。子供から何も頼まれないので、親の側もラクチンで大喜び!・・・となってしまうわけ。

子供の側としても、親に対して頼んでも実現されるわけでもなく、それどころか、ちょっとでも親の気に障るようなことを言うと、親から散々と責められるだけ。つまり、親とやり取りをするのは、百害あって一利なしの状況。だから、形だけ整えることを考えるわけ。
家庭内で顔を合わせた時は、「お母さん。こんにちは。今日はいい天気ですね。では、サヨナラ!お元気で。」で、オシマイ。

子育てを被害と考えているダメダメな親は、そんな状態でも大満足。
だって、そんな状態は「問題が何もない家庭」の姿でしょ?
別の言い方をすると、「ふ・つ・う」の家庭の姿といえるでしょ?
まあ、しばらくはそれでもいいかもしれません。
しかし、そんな状態が続くとどうなっちゃうの?

「約束は守るもの。」そんな姿を見ていない子供が、将来において自分が結んだ約束を守ったりするの?そんなことは絶対にありませんよね?
しかし、「お互いが話し合って合意に達したら、その合意を尊重しましょう。」って、人間関係の基本でしょ?
「約束などその場しのぎ。」そう考えている人は、相手に対しては言葉による説得ではなく、もっと直接的な形で要求するしかありませんよね?

当然のこととしてドメスティック・ヴァイオレンスの問題も起こるわけですよ。だって「話し合いなど無意味だ!」という世界で育って来たわけですからね。

北朝鮮の人が、約束をいとも簡単に反故にするのは当然なんですね。だって、そういう環境で育ってきたわけですから。イラクのサダム・フセインだって同じ。大阪の市役所なども、住民との約束などは守っている様子もまったくないでしょ?
約束を無視するのは、ダメダメ家庭の基本的スタイルと言えるくらいです。

ダメダメ家庭の基本スタイルはそれでいいとして、「約束を守る。」という義務感や、「合意した約束は守ってもらえる。」そんな信頼感が欠落した人間が一般社会でマトモに活動できるわけがありませんよね?そんな人にヘタに近づくと、敵として認定され攻撃をされたり、「ワタシと同じ感覚を持っているわ!」と共鳴し、「入れ込まれたり」の修羅場になるだけ。逆に言うと、そのような人はスグに分かるものなんですね。

「あの人・・・自分が結んだ約束を守らないなぁ・・・平気で無視するなぁ・・・」と思わされる人って、実際にいるでしょ?そんな人の出身家庭は、まさにダメダメ家庭だったわけ。

そんな人に近づいて、とんでもない被害に合って、その被害を大いに語る人も、結局は意図的といえるわけ。
以前に書きましたが「不幸への憧れ」を持っているケースです。被害を語ること自体が目的になってしまっているわけ。

以前にも書きましたが、「不幸なものとの接触を避けよ!」というポルトガルのことわざは、まったくいいところをついているわけです。
被害者意識を持っている人は、約束を守る責任感や義務感がない。
「悪いのは全部○○のせいだ!」そうやって自分を納得させている状態。だから自分が約束を守らないのも、「○○による被害」と認識してしまっているわけ。約束を破っても良心の呵責など感じたりはしないわけ。

マトモな人は約束を平気で反故にする人を相手にしませんよね?だから、周囲には同類のダメダメばかりになってしまう。これでは不幸な状況もますます深刻化するだけでしょ?不幸になるのは、不幸になる要因があるからなってしまうわけ。まずは自分自身でそれを自覚することが先決。
周囲が「接触」するのは、それからでも遅くはないわけです。

約束への責任感もないし、約束への信頼感もないので、そんな人は、実に言葉が軽い。
まさに、その場の空気を読んで、その場がつつがなく流れればそれでいいと思っている。
まさに「これやっておいてよ!」という依頼に、『はいよ!わかったわ!』と気軽に応え、スグに忘れてしまう。そんな軽い言葉が飛び交っているだけ。
だから、そんな人は、言葉によるやり取りにおいて、問題点を明らかにすることができないし、何かを決定することもできない。

そのようなことは、「言葉で決定しても、そんな決定には何の効力もない。」という日々の反映なんですね。
そんな軽い言葉は、何かを生み出すのには何も役には立たないわけですが、決定するための言葉ではないがゆえに、やり取りにおいて、双方に痛みを発生することはない。「な〜んとなく」おしゃべりをしていれば、それで済んでしまうので心理的には負担にはならない。
まさに肯定方向には何もないわけですが、「悪くはない」という二重否定としては、十分な働きを持つわけ。

しかし、だからこそ、問題が先送りされ、先送りできなくなったら、ドッカーンとなってしまうわけです。
後で、ドッカーンとなってしまう人って、往々にして言葉が軽いものでしょ?
扇情的で過激な言葉はあっても、事態を明示し、議論を深めていく重い言葉は持っていない。

言葉の軽さは、一見はラクチンなやり取りができる人のように見えるわけですが、ある種の危険をはらんだ人とも言えるわけです。
だって、言葉の軽さは、約束の重さからの距離を示しているものなんですからね。

(終了)
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発信後記

ダメダメ家庭の問題は、家庭に限らず、会社などでも適用できるものです。
今回のJR西日本ですが、ダメダメな発想がてんこ盛り状態。

そもそもあの手の公務員に類する組織は、会話ができないダメダメ人間が集まりやすいものです。そして被害者意識があるので、それこそスグに「置石のせいだ!」などと被害を語るわけ。
しかし、事故車両に乗っていたJRの職員が、事故現場を離れてさっさと通常勤務に戻ったのは、ダメダメの専門家?の私も呆気に取られるくらいのダメダメですね。
それについて「気が動転していたから・・・」って、JRの言い訳すらダメダメ。

そんな「気が動転」している人間が、運転している電車なんだから、事故が起こるのも当然でしょ?
せめて「言い訳」のウソくらいは、隙のないものにすればいいのに。
そんな感覚すらなくなっていたら、処置なしですよ。
そこを追求しないマスコミの知能程度にも呆気に取られましたが。
R.10/8/20