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カテゴリー | ダメダメ家庭をめぐる環境 | |
配信日 | 05年8月1日 (10年11月21日 記述を追加) | |
タイトル | 運動能力が高い | |
基本的には「いいこと」なんですが、別の観点から見ると「アレっ?」となることってありますよね? このメールマガジンで度々触れていますが、ダメダメ家庭の人間は「意外と容姿端麗」のケースがあったりするもの。子供が容姿端麗ということは、その親の容姿自体もレヴェルが高いわけです。容姿って本人の努力では何ともなりませんからね。 容姿端麗であること自体は、何も悪いことではないのですが、別の見方をすると、その親が「会話能力よりも、容姿で結婚相手を選んだ結果」とも言えるわけです。 「会話能力」も「容姿」もレヴェルが高い・・・ それだったら、勿論のこと、「すばらしいこと」なんですが、ダメダメ家庭を作るような人間は、会話能力には関心がない。というか、本人自身も会話能力がないし・・・ ということで、ただ相手の「見てくれ」だけで結婚相手を選んだりすることになってしまう。 その結果生まれた子供なので、子供自身も容姿端麗になる。しかし、その家庭に会話があるわけでもないので、子供も会話能力が身につかない。 ということで、ダメダメ一直線になることに・・・ 同じようなことは、運動能力にも言えます。 運動能力なんてあるに超したことはありませんよね?あって困るものではないでしょ? 運動能力も会話能力もあれば、すばらしいこと。 しかし、現実というものは、そんな理想的なケースばかりとは言えません。 「会話能力を取るか?運動能力を取るか?」 結婚相手の選択に際し、この2つの間で考える場合もあるわけです。 これほどまでに明確な言葉で二者択一の選択にすると、誰だって会話能力の高さの方を取るものです。 しかし、ただ漠然と、「この人と・・・あの人・・・どっちの人の方がいいかなぁ・・」などと考えたりしていて、結果的に、体が大きくて、運動能力の高い人の方を選んだりする・・・そんなケースってあるでしょ? まあ、小学生レヴェルだったら、そんな発想ですよね? と言うか、「体が大きくて」「運動能力が高い」相手を選ぶのは「どーぶつ」としては当然の発想ですよ。 逆に言うと「どーぶつ」レヴェルとも言えますね。 会話能力があって、運動能力もあれば、申し分がない。そんな理想的な相手が自分のような人間に回ってくるのかは別としてね。 明確に「運動能力を取るか?」「会話能力を取るか?」と、問題点を言葉に出来ること自体に、現状認識能力なり一種の知的思考があるわけですし、まさに会話に必要な言語化能力であるとも言えるわけ。逆に言うと、会話能力がないと、そんな感じで言葉にすること自体が難しいわけです。 だから、運動能力が高い人と、深く考えずに、「な〜んとなく」くっついてしまったりする。 ということで、ダメダメな人間の間では「体が大きく」て、「運動能力が高い」人がドンドン子孫を残すことになる。これに会話能力が伴っていればいいわけですが、現実的には、会話能力がないまま、運動能力があることによって、ドンドン子孫を作ってしまう。 何回も書きますが、このような事態は「どーぶつ」としては当然のことと言える。人間だって「どーぶつ」の一種なんですから、そんな面も持っているわけです。 体が大きくて、運動能力が高い親を持っていれば、その子供だって「体が大きく」て、「運動能力が高い」人間になるのは当然ですよね? ここで、親に会話能力があれば、子供だって会話をしながら育つことになるでしょう。しかし、会話能力を度外視した結婚のケースも現実にあるわけです。 そんな人たちが多くいる地域では、運動能力の高い子供が多くなることになりますよね?そして有名なスポーツ選手を輩出するわけ。 このこと自体は、本当にいいことですよ。 しかし、現実的には運動能力の高い地域と、会話能力の高い地域は相反するケースもあったりするわけです。 実際に、日本で運動選手を輩出している地域となると、どこを思い浮かべるでしょうか? 西日本だったら大阪。東日本だったら千葉でしょ?その地出身の有名なスポーツ選手って多いですよね?もちろんのこと、人口自体が多いということもあるでしょう。しかし、その点を考慮してもやっぱり多いですよね? 何回も書いていますが、スポーツ選手を輩出すること自体は、いいことといえるでしょう。 しかし、この大阪と千葉がまさに日本の2大ダメダメ地域であることも疑いがないことでしょ?まさに、東西の両雄といえるくらい。児童虐待などの家庭問題も輩出している地域と言えますよね? その地においては、運動能力の高い人間が、淘汰の過程で生き残っていると言えるわけです。そんな環境だと、一部のマトモな人だって会話能力が身につきませんよ。だって、会話というものは、一人でするものではないでしょ?会話の相手の能力が低ければ、いくらその人自身に会話のポテンシャルがあっても、その可能性が伸ばされずに終わっちゃうでしょ? 本人の運動能力が高いということは本人の努力というより、親から受け継いだもの。親がどんな判断で、その結婚相手を選択したのか?ちょっと考えてみても、参考になるわけです。 ちなみに、人口当たりで換算するとスポーツ選手が多いというと、世界的にはオーストラリアがそうですよね?本家のイギリスよりも運動能力が高そう。オーストラリアは元々はイギリスの流刑地だったわけですから、ダメダメの血を引いているわけです。 しかし会話というものは、本人たちの意欲次第で向上することは可能です。今現在のオーストラリアが比較的マトモなのは、カンガルーが住んでいるようなノンビリした環境で、精神的に「落ち着く」ことができたのかもしれません。しかし、先祖譲りの運動能力は持っているわけですから、スポーツ選手を輩出できるわけ。 あるいは、運動能力というと、韓国人は平均すると日本人より運動能力が高そう。韓国系のスポーツ選手って多いですよね?韓国人もそれだけ、体が大きくて、運動能力の高い種類の人間が子孫を残してきたと言えるわけです。 運動能力が高いこと自体は、何も恥ずべきことではありません。何も「どーぶつ」並なんて言うつもりもありませんヨ。 しかし、会社でマトモな仕事をしていて、週末になるとスポーツを楽しむような人のケースと、スポーツを専門に行うような人では意味が違ってくるわけ。 会社でマトモな仕事をしているということは、会話の能力もあることになりますから、これに運動能力が加われば、すばらしいこと。 しかし、世の中には会話の必要がない仕事もありますよね?何もプロスポーツ選手ばかりではありません。たとえば学校における体育教師などもその例でしょ? 教員というものは、会話の必要はありませんよね?生徒に一方的に命令を下すだけ。だから教員がダメダメ家庭を作ってしまう例も多くあります。 こうなると体育教師というものは、ちょっと考慮する必要がある。 何も世の中の全部の体育教師がダメダメというわけではありませんが、少なからずの体育教師が会話不全の人間であることは、皆様の経験上もそうでしょ? 何も学力の問題や知的能力の低さのことを申し上げているわけではありませんよ。会話能力の低さのことを申し上げているだけです。 体育教師なんだから、運動能力が高いことは言うまでもありません。それは彼らの親の運動能力が高いということですよね?その運動能力の高い親に、はたして会話能力があったのか? 会話能力がある親のケースも勿論あるでしょうが、会話能力が乏しい親のケースだって、やっぱりありますよね?そのようなケースでも本人に自覚があれば問題はありませんが、本人に自覚がない場合にはどうなっちゃうんでしょうか? 学校での授業なり、クラス運営が、会話による、相互理解なり合意形成を基本としたものにはならずに、命令と服従の関係で行われることになってしまう。つまり、自分が育った実家のやり方を踏襲することになってしまうわけ。 それこそ、別のところで書いておりますが、京都教育大学の体育教師のコースにおいて、集団で陵辱する事件がありましたが、会話不全で、合意形成とは無縁であり、命令と服従の関係しか築くことができないというダメダメ家庭の雰囲気を理解していると、そんな集団陵辱事件も理解しやすいわけです。 それに集団でことに及んだということは、誰も止める人がいなかったということですから、命令と服従のダメダメな雰囲気に染まっているわけですし、もともと染まりやすいキャラクターであることも想定できるわけ。 そんな人に対しては何を言ってもムダ。だって会話能力がない人に、話し合いで説得なんて矛盾そのものですよ。 そんなダメダメ人間は、スポーツの指導だって会話不全なのは当然でしょ?それにダメダメ家庭によくある強い対抗心を打ち出したりするわけ。 「アイツらに負けるな!」 そんな対抗心ばかり焚きつけられたら、子供の心だって貧しくなっちゃうでしょ? 「健全な身体に、健全な精神が宿る。」という言葉もあります。しかし、これは「健全な身体と、健全な精神の両方が備わっていれば、言うことはない。」という言葉が間違って伝わったものです。 健全な身体と、健全な精神の両方あれば、本当に、すばらしいこと。 体を鍛えれば、心が強くなると言った単純なものではないわけ。人間は「どーぶつ」ではないんですからね。まずは会話が出発点というわけです。 「あの人・・・どうも会話の能力が低いなぁ・・・」と思うようなスポーツ関係者がいたとしたら、その人はダメダメ家庭出身の人と見て間違いがないわけ。 そんな人は、その人の親から立派な運動能力と、乏しい会話能力を受け継いでいるわけ。 そんな人からは早めに避難しないと、ロクな結果にならないわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 以前にダメダメ家庭というものは、トイレに無頓着と書いたことがあります。 トイレという別に収益を上げるわけでもなく、人からはクレームがつけられない部分には「いいかげん」になっているわけ。 しかし、トイレというものは、人間が生きていくには避けて通れないもの。たとえ他人からクレームはつかないとしてもね。 しかし、人から文句を言われないと何もしないダメダメ家庭は、トイレのような部分はおざなりになってしまうわけです。 ちなみに、今現在スペースシャトルが宇宙に上がっていますよね? スペースシャトルのトイレってどうなっているんでしょうねぇ・・・ やたらめったら物知りのワタシも、知らないんですよ。 スペースシャトルのトイレは、相当のハイテクトイレのはずなんですね。 だって、宇宙だと「出たもの」が自然と下に落ちるわけではない。無重力なんですからね。何かで引っ張らないといけないはず。バキュームか何かで引っ張っているのかな? ちょっと前に中国が有人宇宙飛行を成功させましたが、単なる日帰りだったら、多分、乗組員は「オシメ」をしていたんでしょうね。しかし、長期滞在となるとそういうわけにもいかない。 それなりのトイレがあるはずです。 それも結構大掛かりなものがね。 それに、トイレにトラブルがあって、「出たもの」が外に漏れ出してしまったら、大変なことに!!! 自然と下に落ちるわけではないので、飛び散ったものを回収するのは、非常な困難を伴うわけです。ヘタをすれば宇宙船中に撒き散らされてしまうことになる。そしてプカプカと船内中に浮いていたりするわけ。多分今までの宇宙開発の歴史の中で、そのような「悲惨な事故」もあったはずなんですね。人命に関わる事故ではないので、発表はされなかったでしょうが、そんな「目も当てられない」事態もきっとあったはず。 宇宙開発ってスゴイなぁ・・・宇宙遊泳ってカッコイイ!などと気楽に思っていらっしゃる方も多いでしょうが、宇宙の「ツウ」の人は、宇宙遊泳のシーンより、トイレのシーンを想像して胸を熱くしているものなんですね。こんなことを書くとヘンタイみたいですが。 多分アメリカの宇宙船のトイレと、ロシア系の宇宙船のトイレでは結構違っているはず。アメリカのトイレの方がずっと快適じゃないのかな? そういうところまで気を使うことができるかどうか? トイレというものは、人間の快適さのレヴェルを示すバロメーターでしょ? 宇宙船であろうと、家庭であろうと、トイレを見るとよくわかったりするものなんですね。 |
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R.10/11/21 |