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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな単語
配信日 05年8月3日 (10年10月6日 記述を追加)
タイトル 「正統的」という言葉
ダメダメ家庭では、やたら「普通」という言葉を使いたがることは、以前から頻繁に配信しております。
「ふつうの家庭を築きたい。」「ふつうの子供になれ!」「とにもかくにも、普通にしろ!」そんな調子。
そのように自分の子供に散々と要求しながら、要求された子供の側から「じゃあ、その『普通』って何?」と聞かれても答えられない。
「普通って・・・普通のこと・・・」という形而上学的というか禅問答風の?回答をするだけ。

じゃあ、「普通にしろ!」と言われた側は、具体的にはどうすればいいの?
「ふつう道」を極めるために禅寺にでも籠って、「ふつうとは、ふつうのこと。」という公案を考えながら、座禅でもしていればいいの?
結局は、とにもかくにも周囲の人の言動に合わせて生きていくしかないわけ。
だからこそ、周囲の人をうかがってばかりとなってしまう。
こうなると、「ふつう」を要求された側は疲れちゃいますよね?

さてさて、この「普通」という言葉と同じように、ダメダメ家庭の人間がよく使う言葉があります。
それは「正統的」という言葉。
よく使うと言っても、一般的に使ったりする言葉ではありませんが、ある種の場面では頻発するわけです。

ダメダメ家庭出身者が、ある種の「仕切りたがり」の傾向を持つことは以前に配信いたしました。出身家庭で自分の考えを親に受け入れてもらえなかった過去を、集団を組織し、その集団を仕切ることで埋め合わせしようとするわけ。
あるいは、ダメダメ家庭の人間は、その点を触れられたらマズイという心理的なアンタッチャブルな領域が大きく、やり取りの相手からそのアンテッチャブル領域を突かれないように、自分で議論を仕切っておきたい・・・そのような防御的な心情があったりするもの。
だから、やたら仕切りたがりなんですね。

その手の仕切りたがりの人が跋扈している領域となると、それこそインターネットの掲示板がその代表例といえるでしょうが、もっと伝統的なものとして、芸術愛好家サークルのような例があったりします。

そんな「仕切ること」自体が目的の、ダメダメ家庭出身者が多い芸術愛好家のサークルで交わされる言葉が、この「正統的」という言葉。
「あの映画監督は正統的なの?」
「この演奏家は、正統的じゃないからダメ!」
「この批評家は正統的だ!」
こんな調子。

しかし、そんな物言いをしている人に、
「じゃあ、正統的って、どういう意味なの?」と尋ねると、
『正統的って・・・・うーん・・・・』とかの回答になり、答えになっていないわけ。
自分でも訳わからないのに、「正統」ということを、重視したりするんですね。

あるいは、別の回答の例がありました。
「正統的って・・・普通のこと・・・」なる回答です。
そう言われちゃうとね。
『じゃあ、その普通って、どういう意味なの?』とニヤニヤとして聞いてしまうのが私。
そうなると、やっぱり「普通って、普通のこと・・・」と回答。

まあ、「普通って、普通のこと。」という言葉は、論理的には確かに正しいでしょう。ただ無意味なだけ。いかにも「不思議の国のアリス」での登場人物がニヤニヤしながら言いそうな言葉ですよね?
まあ、そんなナンセンスな言葉もいいとして、「普通って・・・普通のこと・・・」という言葉を臆面もなく言い放つような人間が、他人様の表現について語る資格はないでしょ?

しかし、上記の例のように、「正統的」という言葉と、「普通」という言葉は結びついて登場するケースが多いわけです。そして、正統的という言葉が使われているシチュエーションをよく考えて見ると、その手の人たちが使っている「正統的」という言葉の意味もわかって来ます。

「権威筋が言っているとおりにしろ!」
実際には、そんな意味なんですね。

「普通」という言葉が、結局のところは、「周囲に合わせて生きろ!」という意味を持つように、「正統的」という言葉は、「権威筋に従って表現しろ!」という意味があるわけです。
違いますか?

結局は、「自分自身で考えることなく、周囲の人だったり、権威者の判断に従っていればいいんだ!」
ダメダメ家庭の人間には、そんな自己否定的な発想が根底にあるわけです。

だからこそ「正統的って・・・普通のこと・・・」となるわけ。
要は「オマエごときが、自分で考えるな!」という意味でしょ?

音楽だったり、美術だったり、映画だったり・・・色々な表現の世界において、この正統的という言葉をよく使う人って、ダメダメな人なんですね。だって中身のある示唆的なやり取りには発展しないでしょ?芸術を受け取る側にしても、表現する人の意向を汲み取って、自分自身の感想を持つ・・・そんな「会話」の精神が必要でしょ?
「ヤツは正統的でないからケシカラン!」
それって、まさに「オマエは、普通でないからケシカラン!」
というダメダメ家庭の典型的なセリフと同じじゃないの?

「正統的」なんて言葉は、格調高くて立派な言葉のように聞こえたりするものですが、だからこそ、権威主義的なダメダメ家庭には、ありがたい言葉になるわけです。

別のところで集中的に取り上げておりますが、ドイツ出身の社会心理学者のエーリッヒ・フロムの著書「自由からの逃走」において、「権威主義的な性格は、過去を崇拝する。」なる記述があります。抑圧的なダメダメ人間は、「自分ではどうしたいのか?」ということについて考えることから逃避する。つまり将来展望がないので、持っているものは過去だけになってしまう。そして、過去の来歴が、自分の立場を保障するという感覚を持っているわけ。

だから、「いかに正しい過去を持っているか?」を散々と説明することになる。
そんな姿は、それこそ韓国人に典型的にみられるものでしょ?
過去の正統性には異常にこだわることで、将来について考えることから逃避するわけ。
正統的な過去があれば、別の言い方をすれば、権威と言えるでしょ?
そして、権威主義的な人は、例外なく、将来展望について語れない人でしょ?
正統的ということは、まさに将来展望なり、将来における発展性を拒否した言葉なんですね。

芸術分野において正統的云々を語る人は、自分たちでいい作品を作っていこうと思っていないわけ。自分たちで表現の地平を切り開いていく意欲がある人は、正統的なんて物言いはしないものですよ。だって、そんなことはどうでもいいことなんですからね。
しかし、逆に言うと、表現の地平を切り開く意欲が欠如した人が、他者の表現を的確に評価できるの?
しかし、地平を切り開く意欲がないがゆえに、安全圏からご高説して、勝手に喜んでいる。

ちなみに、「普通」とか、今回の「正統的」という言葉と同じように、会話不全のダメダメ人間が、芸術作品を語る際に多用する言葉があります。
「この作者の最高傑作!」というキャッチフレーズ。

「この作者の最高傑作!」という言葉は、まさにダメダメ人間ご用達の言葉なんですね。
実際に、そのように言われちゃったら、こう尋ねてみましょう。
「どのような点が最高傑作なの?」
「じゃあ、別の作品はどのように劣るの?」
「どうして最高傑作などと順番を付けないといけないの?」

そんな感じで尋ねると、声高らかに「最高傑作!」と断定した人も黙っちゃうわけ。
「え〜とぉ・・・」と、やっぱり答えにならない状態。そんな人をやっぱりニヤニヤしながら見ているのが、この私。
結局は、そんな人は何も考えずに、「最高傑作!」などと言っているだけなんですね。

このように「最高傑作!」などと断定する発想も、典型的なまでにダメダメ家庭にありがちなものです。
ダメダメ家庭では、
1.勝ち負けだけで物事を判断しがち。
2.細かな具体論ではなく、大まかで評価者然とした判断をしがち。
そんな傾向があるのは、以前にも配信しております。だから作家の全作品を「勝ち負け」で順番付けして、「これは最高傑作だ!」なんてなっちゃうわけ。
韓国の教科書で、「我々は最高だ!」と臆面もなく主張するような発想と、ほぼ同じ。
そんなレッテル貼りをやりたければ、勝手にやっていればいいんでしょうが、そんなことして、自分自身が豊かになるとでも言うの?

「普通」だったり、「正統的」だったり、「最高傑作」だったり・・・
一見マトモで格調高い言葉と思ったりするかもしれませんが、
「じゃあ、普通って、何?」
「じゃあ、正統的って、どういう意味?」
「最高傑作って、どのように最高なの?」
そんな問いかけをすることで、それらの言葉の深い意味がわかってくるわけですし、そんな言葉を発する人間のキャラクターも見えてくるわけ。

まあ、一般的には、その手のダメダメな言葉を多用する人には近づかないことが賢明ですよ。ダメダメな言葉を多用する人は、ダメダメ家庭出身者ということ。
そんな人に対して、ちょっとした質問を投げかけて、反応を楽しむことは可能ですが、高等テクニッックが必要なもの。加減を間違うと、逆上されてしまったり、犯人認定をくらったりするだけ。基本的には「君子危うきに近寄らず。」というわけですし、もともとやり取りをしても面白い人ではないわけ。

「権威ある、正統的なことに、文句を言わず従っていればいいんだ!」
そんな感じでしか、物事を語れない人なんですから、やり取りをするだけ、自分自身が安っぽくなるだけですよ。
ただ、つまらない会話になってしまう人を見分けるチェックポイントとして、そして、危険人物を見分けるためのチェックポイントとして、「正統的」なる言葉に注目することも有効になってくるわけです。

(終了)
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発信後記

若貴兄弟ネタが終わって、今のワイドショーでは杉田かおるネタがブームなのかな?
たしか、杉田かおるさんは、以前に、とある宗教団体に入信して、広告塔稼業をやって「ワタシはだまされていた!!」と、脱退したのではなかったのかな?

大の大人が、自分の判断で入信して、「ワタシはだまされていた!」なんて大騒ぎしている様を見るにつけ、同情するより笑っちゃう人も多いでしょう。
宗教なんて相性の問題もありますので、「ワタシはだまされていた!」もヘチマもありませんよ。「やっぱり私には、この宗教は合わなかった!」でいいじゃないの?せめてその時の失敗体験をちゃんと反省しておけば、今回の離婚騒動もなかったはずですよね?

だって、今回の離婚騒動も、その宗教団体の時と全く同じ物言いなんですからね。
大の大人が自分の判断で結婚して、「ワタシはだまされていた!」ですからね。

ダメダメ家庭ならではの、当事者意識の欠如と、被害者意識・・・まさに典型ですよ。
しかし、そんなダメダメ人間とわざわざ結婚する男性も異常。また、そんなダメダメ人間を更生させられなかった宗教団体も・・・どうなのかな?
人間の再生のためには、まずは自分自身のダメダメを自覚することが出発点でしょ?ただそれは精神的にシンドイものです。少なくとも宗教の修行よりもシンドイでしょうね。
被害者意識を焚きつければ、本人はラク。だから一時的に救われた気持ちになる。しかし、その結果があのザマでしょ?
 この「正統的」という言葉と心理的に繋がりがる文章として、
06年4月19日 配信文章 本家意識」という文章があります。
R.10/10/6