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カテゴリー ダメダメ家庭出身者の活躍分野
配信日 05年8月8日 (11年2月17日 記述を追加)
タイトル ボランティア関係者
一見「すばらしい」ことであって、確かに悪くはないのですが、現実問題として詳細に考えてみると、「コトは、そんなに簡単じゃないのでは?」と考えさせられることってありますよね?

恵まれない人を助けるボランティアも、その理念としては、勿論すばらしいこと。
これは誰も異存がないでしょう。
しかし、実際問題として、コトはそんなに簡単じゃない。

このメールマガジンに対してご意見を頂戴することがあります。以前にも書きましたが「逆上メール」も来たりすることがあります。内容も支離滅裂で、文章表現も乱暴なもの。
その種の逆上メールの書き手で、ボランティア関係者が結構いたりするんですね。
「なぜにボランティア関係者からのメールだと判るのか?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、これも以前に書きましたが、逆上メールを送られる方は細かな配慮などしない人が多く、個人情報がバレバレのケースも多かったりするんです。

そんなメールを受けると、「こんな問答無用で、支離滅裂で、強圧的な文章を書く人が、困りごとを抱えている人とどんな感じでコミュニケートするんだろう?」と、不思議に思ってしまいます。
しかし、逆に言うと、そのように会話の能力がない人だからこそ、ボランティアという場に自分の身を置く必要があるといえるでしょ?
だって、「恵んでやる」という立場だったら、自分自身の会話能力が低くても、相手は付き合ってくれるでしょ?
対等な立場だったら敬遠されるような人でも、「施しを与える」「アナタに恵んであげる」という立場だったら、相手だって・・・一応は・・・感謝してくれますよ。
内心では感謝していなくても、少なくとも「逆らったりはしない」でしょ?

このような点は、以前にシガニー・ウィーバー主演の「愛は霧のかなたに」という映画を考えた際に触れたことがあります。あの映画の主人公のダイアン・フォッシーさんも会話能力がない人間の典型でした。
会話の能力がなく、対応の間柄で、合意を積み重ねていくことができない。だから、ボランティアという序列関係が形成される状況の中で「オマエに恵んでやる」という上の序列に立場に立とうとする。
それに、これも以前に書きましたが、ダメダメ家庭出身の人間は、その家庭の中で居場所が不安定であって、だからこそ、「自分自身の存在理由」を求める傾向があります。「何がしかの役に立たなければならない!」なんて強迫的に思っていることも多い。かと言って、自分自身を見つめる心の強さがない。ということで、人の役に立つことで、自分の役割や存在理由を安直に獲得しようとする。

人の役に立つことは、すばらしいこと。
しかし、ダメダメ家庭由来のボランティア関係者は元々会話の能力がない人が多く、また、被害者意識が強い人が多いので、ボランティアスタッフ同士の対立が起こったり、援助される側だって、「堪忍袋の緒が切れる。」事態が発生したりする。そんな事件も、よくあるでしょ?
そうなると、そんなダメダメ・ボランティアは別のボランティア団体に行って新たなボランティア活動を模索しようとする。
しかし、トラブルが起こったら、本来は自分自身を見つめないとダメですよね?新たなボランティアの場を模索するより、自分自身を模索することの方が先でしょ?そんなボランティア遍歴は、「自分探しの旅」と同じように「自分からの逃避」が主目的になってしまっているといえます。

しかし、ボランティア関係者というと、一般的に「とおり」がいい。
「アナタは、ボランティアをなさっているの?!まあ!立派なことをやっているのねぇ・・・」と人からほめられたりする。
しかし、逆上メールを送りつけるくらいの人がやっている「人助け」って、一体何?
自分自身を律することができない上に、そんな貧しい会話能力で、どうやって人助けしているの?
しかし、何回も書きますが、「恵んでやる」という立場だったら、人は従ってくれることになる。つまり、ある種の人々は、ボランティア「も」やっているのではなく、ボランティア「しか」できないわけです。

本来は、ちゃんと会社勤めをして、税金をちゃんと払えば問題ないでしょ?後は税金で福祉活動を充実させればいいじゃないの?こっちは安くもない税金を払っているんだからね。
その上で、もっと人助けをしたい人は、おのおのの意欲や能力に応じて、人助けをすればいいわけでしょ?

「ボランティアをしないと生きていけない!」なんて状態は異常ですよ。一種の中毒なんですからね。それは、別の言い方をすると、「依存」でしょ?まさに「抜けられない」状態となっている。
本来は、そんな状況から抜けることを考えないとね。人助けをやっている場合じゃないでしょ?だって、当人自身がアップアップの状態なんだから。
しかし、ダメダメ家庭の人間は自己逃避であり、自分自身について考えたくない。また、会話の能力がないので、「恵んでやる」という立場でないと相手をしてもらえない。自分の役割や、自分の居場所を求めて、どうしてもボランティア活動にすがってしまう。

実に面白いケースがあります。先日(05年)逮捕された西武鉄道の堤義明氏です。
彼が重症のダメダメ家庭出身者であることは有名ですよね?
彼はスポーツ団体などの役員を歴任したりしていました。
これらはすべて無給です。つまり一種のボランティアといえます。

それ自体は立派なことと言えますよね?
しかし、ご存知のように西武グループ・・・なかんずく堤氏の一族は税金を払わないので有名な一家ですよね?勿論、その種の「節税」は、基本的には、合法的な方法でしょう。
合法的な節税は非難するには当たらない。
しかし、法律の網をかいくぐって、必死で税金をケチるくらいに、そんなにお金にガメツイのなら、ボランティアなんてしなければいいじゃないの?
なぜにわざわざ無給の役職を?

この種のスポーツ団体の役職は、無給であるのが基本ですが、「給料を払って優秀な人間を雇った方がいいのでは?」という意見に、反対する人が多いんですね。
「オレたちは無給でやりたいんだ!」
そんな反対意見が出てきて、給料を払って優秀なスタッフを雇うという計画が頓挫してしまうそう。
「給料をもらったら、成果を出さないといけない。それがプレッシャーになってしまう。だから無給でいい。オレは気軽にやりたいんだ!」そう考える人もいるんでしょう。しかし本来は、無給でやっていても成果を出す義務があるでしょ?いい加減な気分でやっているのなら、下っ端のお手伝いだったらともかく、それなりの役職に就いてはダメでしょ?

無給でやっているということは、一種の「持ち出し」ですから、当人にとっての「被害」とも言えてしまう。「被害者意識」に満ち満ちたダメダメ家庭の人間には、「なじみ」の世界といえるわけです。
だから、「なじみ」のグチが、展開されることに・・・
「オレたちが無給でやっているのに、周囲の連中は何やっているんだ!」
「オレたちがこんなに世話してやっているのに、当人たちは感謝もしない!ケシカラン!」
あるいは福祉の分野だったら、
「こんなお気の毒な人たちを放っておくなんて、この人の子供は何をしているんだか!!」

そんなにグチばかり言っているのなら、そんな役職を辞めればいいでしょうが、グチを言いながら続けていたりする。いや、グチを言いたいがために続けているとも言える。
たとえば堤氏だったら、しっかり税金を払って、そのお金で優秀な人材を雇った方がいいわけでしょ?
「国のやり方は気に入らん!オレが自分でやるんだ!」
確かにそのような面はあるでしょう。一般庶民だったらそうでしょうが、堤氏のような衆議院の議長を父に持ち、政財界に影響力を持っている人間が言うことではないでしょ?
堤氏が一言言えば、国の制度だって改善されますよ。少なくともスポーツなどの分野だったらね。そっちのほうが本来の彼の仕事でしょ?

しかし、会話能力のない人間は、直接的に「恵んでやる」立場に自分を置きたがる。そして無給でやっているという、自分にとって被害がある状態のほうが「なじみ」となる。自分に被害者意識があるので、他者の被害には無頓着。「自分こそが一番の被害者だ!」「オレはこんなにも持ち出しをしているんだ!」「だから、他のヤツには何をやってもいいんだ!」と思っている。だから女性スポーツ選手に無体なことを平気でやったりする。

ボランティアをする人に限って、あるいは、「自分のやっていることはボランティアだ!」と語る人に限って、税金を払うのに異常なまでに抵抗したりするものでしょ?
そんな言動も、自分の持ち出しに対する過剰なこだわりという点から見ると、共通性があることなんですね。
自分からの持ち出しに対する過度なこだわりがあるので、その「見返り」が明確な形になっていないと、非常に不快になってしまう。被害者としての自分の立ち位置が否定されたように感じて、不満になってしまう。

人助けそのものは一般論的には結構なことなんですが、まずは自分自身が一人前になることが先決でしょ?
ちゃんとした会話能力を身につけ、相手に配慮する。人への善行だって、まずはそれからですよ。
半人前の人間が出来ることはボランティアくらい・・・確かにそうでしょうが、そんな人助けって、相手に失礼ですよ。

しかし、ダメダメ家庭の人間は、自分の問題から目を逸らしたい。
だから、大きな問題のあるところに出かけて、大きな問題の洪水の中で自分の問題を埋没させようとする。
しかし、目を逸らすのが目的なので、現実的な対応ができない。
深刻な問題を扱うボランティア活動の領域では、現実的な改善よりも、「キレイこと」の連呼で終わっているところも多いでしょ?
現実的な改善策について考えると、自分自身の問題と直面することになる。「それはイヤだ!」と言うことで、現実無視のキレイ事の連呼で終わってしまう。

そんな流れは、10年に日本の総理大臣をされた鳩山由紀夫氏に典型的にみられるでしょ?
彼の場合は被害者意識はあまりないでしょうが、自己逃避や現実逃避の方法論として、「恵んでアゲル」立場を築き上げるという、今回の文章で述べてきたボランティア的な手法そのものでしょ?また、彼も会話の能力というか合意形成能力が著しく低い人ですよね?
だからこそ、恵んでアゲルことによって、相手を支配しようとするわけです。
あと、彼も堤さんと同じように、個人としてお金を払うのには抵抗を示しますが、誰かにお金を恵んでアゲルことには、もはや強迫的なまでにこだわったりしましたよね?
その手の人は、「余裕があるから誰かに施しをする。」というよりも、「相手に恵んでアゲないと、相手になってくれない。」という二重否定的な視点から見た方が理解しやすいわけです。
だからこそ、そんな人が語るご高説は、恵むための大義名分になってしまっている。そのような人が語るご高説は、自身の信念というよりも、「説明しなくても済む」という点が重視され、当人自身にも、実は実感がなかったりする。
それこそ、鳩山由紀夫氏の語る「友愛」も、「恵んでアゲル」ための大義名分とみれば、見通しがよくなるでしょ?

ダメダメな人は、現実離れした理想を掲げ、恵んでアゲルことで、相手を支配し、会話による合意形成から逃避する。そんな人が掲げる理想は、むしろ現実から逃避するための方法論というか方便であって、「どうしても、これを達成するんだ!」という目標ではない。
立派とされるボランティア活動も、自己逃避なり現実逃避のメンタリティから、そして、会話の能力の不全という点から、その心理的な意味も理解できるものなんですよ。

トラブル状況にある事態をなんとかして改善していきたいという強い信念ではなく、「ボクちゃんも仲間に入れてよぉ〜、そして、ボクちゃんに面倒なことは言わないでね!」というのがボランティアの本質・・・このようなことについて、以前に典型的な事例に遭遇したことがあります。
とあるドメスティック・ヴァイオレンスの講習会でのことです。その講師の方がどうしようもない。
まずは話がヘタ。語り口がヘタというだけでなく、内容にまとまりがない。一種の自己陶酔型なんですね。「ドメスティック・ヴァイオレンスは会話の能力の欠如です。」なんてありきたりなことを語るのは結構なんですが、本人そのものの会話の能力が著しく欠落していました。
そんな会話能力のない人に相談しても、事態が改善させるわけがありませんよ。結局は、会話能力のない人間が集まってグチを言うだけで終わってしまう。
グチを言いたいドメスティック・ヴァイオレンスの当事者と、やっぱりグチを言いたいボランティア・おたくが集ってグチ大会。
そんな人間が出す結論なんて、現実無視の「べき論」くらいと相場が決まっていますよ。
そして、「本来はこうすべきなのに、うまくいかないのはケシカラン!」とやっぱりグチ。
しかし、それで事態が改善されるわけもありませんよね?

ボランティアなんて、自分の身を削って、持ち出しを意識しながら、被害者意識を持ってまでやるものではありませんよ。余っている時間でやればいいわけです。しかし、ダメダメ家庭のボランティアは、それなしには生きていけないほどに中毒になってしまっている。
結局は、自分自身の問題から目を逸らしたいと必死になっている。

まさに、アルコールの中毒者がそうであるように、厳しい現実から目をそらすために、「そこ」に逃げ込むことになる。
お酒に逃げ込むケースだったら、周囲の人間から指導が入ったりするし、幸か不幸か当人自身も身体を壊したりする。
しかし、ボランティアに逃げ込んでいる人は、周囲から絶賛されたりする。
そして、その活動によって壊れていくのは、ボランティアをしている当人ではなく、助けられている側・・・って、現実はそうなっているでしょ?

(終了)
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発信後記

どうやら衆議院が解散されそうですね。
小泉首相も、郵政の改革という政策自体はいいとして、もうちょっと「進め方」を考えればいいのに・・・と思うのは私だけではないでしょう。

反対派に対して「オレの言うことを聞かないと、どっかーんとなるぞ!」と脅したりするのは、北朝鮮の典型的手口。
折角、日本にはPRの方法だって沢山あるわけですからね。それを色々と使えばいいのに・・・

たとえば、「ドラえもんと学ぶ楽しい郵政改革」なんてアニメのヴィデオでも製作して、国会議員に配れば、国会議員だって地元の人に説明しやすいでしょうに。
全盛期の小泉さんだったら、そんな配慮もできたのでしょうが、一回悪い方向にスパイラルが回りだすと、なかなか修正が効かない・・・

ダメダメになった組織の難しさって、家庭でも政治でも同じなんですね。
この文章に関連した文章として 09年11月9日 配信 「恵んでやれる立場」 という文章があります。
R.11/2/17