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カテゴリー | 当事者意識の欠如 |
配信日 | 05年8月31日 |
タイトル | 自由からの逃走 |
現在(05年)、郵政民営化の議論がかまびすしいですね。 ここでは、その問題については考えません。だって、このメールマガジンのテーマとは趣旨違いですから。 民営化に対して反対している郵便局の関係者も多くいますが、それって、ある意味において不思議ですよね? 基本的には人間というものは、「自分のやりたいように、やる」ことを志向するもの。 有能な人間がよく言うじゃないですか? 「オイオイ!オレのやりたいようにさせてくれよ!責任はオレが取るからさっ!」 民営化されて自分たちの自由に運営できた方が、郵便局のスタッフには楽しいし、やりがいがある・・・本来はそんなモノでしょ? 民営化について、郵便局のスタッフが賛成し、地方の住民が反対しているのなら、まだわかりますよ。まあ、「効率化が優先されサービスが低下するかもしれない。」という心配はもっともでしょうからね。 しかし、現在民営化に反対しているのは、郵便局のスタッフであって、住民ではないでしょ? それってヘンですよね? どうして、自分たちの自由でやれる状態を、自分たち自身で否定しようとするの? この手の問題の典型が、農民の問題です。 まあ、現在は株式会社の農業運営も法律で認められています。今後はこのような民営化がもっと進展するでしょう。 この手の農民の問題も、面白いことに、自由化に反対する農民も多くいます。 しかし、その手の「農民が自由に運営する。」ことに反対する人は、普段はグチばかりなんですね。 「まったく・・・政府はケシカラン!農民のことを何も考えていない!」 「あ〜あ、農民の生活は苦しい!」 そんなグチばかり。 しかし、そんなに政府が頼りないのだったら、尚のこと自由化して、自分のやりたいようにやればいいじゃないの? しかし、グチばかり言っているダメダメ人間は、「じゃあ、自分のやりたいようにやってみたら?」などと言われちゃうと困ってしまう。だって、そうなるとグチが言えなくなるでしょ? 自分自身で考えて、自分でやって失敗した後で、「あ〜あ、自分はケシカラン!」なんてグチったりするの? まあ、自分自身で反省する人はそれだけマトモ。現実では、別の「加害者」を探し出し、やっぱりグチることになるわけ。 その手の事態にならないように、ダメダメ人間は、初めから「自分に責任が降りかからないよう」に、しておきたがるわけです。だから自分が裁量できることを拒否するわけ。 しかし・・・「ワタシの自由を奪って!もっとキツク縛って・・・あ〜」なんて、それってヘンタイですよ。本人の趣味は勝手ですが、公衆の面前で、おおっぴらにやっちゃダメでしょ? しかし、ダメダメ人間は、「自分が判断した」という状態を、できる限り回避しようとするわけ。常に「自分は受動的立場だった。」と言いたいわけ。だって、そうでないと持ち前の被害者意識が満足できないでしょ? 家庭問題でも同じ状況です。今現在でも、親による児童虐待の問題が頻発したりしていますよね?あるいは、そこまで行かなくても、このメールマガジンで書いているように「ダメダメ家庭」の問題があったりします。法律的には問題はなくても、実質的に子供の精神なり可能性を毀損している家庭も多いわけ。この手の問題が発生する数を減らすのは、子供を出産するに当たって、親の資格試験を導入するしかない・・・私は以前にそう言ったことがあります。 出産への資格試験に合格した親だけが子供を出産できるようにするわけ。 まあ、これはひとつの考え方でしょ?実現性はともかくネ。 ダメダメ人間が唯一できることは、子供を作ること。しかし、子供を作ることはできても、子供を育てることはできない。だって、そもそも子育てに対する当事者意識もないままで子供を持ってしまうわけですからね。だから、必然的にダメダメ家庭が出来上がってしまう。 誰も彼もが子供を「作る」ことができる現状では、ダメダメ家庭や児童虐待は「起こるべくして起こっている」わけ。 だから、せめて、出産は免許制にでもしないと、無責任な親が何も考えずにポコポコ子供を作ってしまうのは、必然ですよ。子育てに対して当事者意識や責任感があるからこそ、「子供を作らない」という判断も存在するわけで、子育てに対して、何も考えていない状態だったら、避妊などもしませんよ。 その考えに対して、賛成するも、反対するも、その人の自由と言えるでしょう。 しかし、子作りに当たっての制限を導入するこの手の考え方に反対するのは、ダメダメな親の方なんですね。 普段から「自分は子供を育てるハメになって、自分の人生をムダにした!」とグチっている人が真っ先に反対するわけ。 しかし、子供を出産するに当たって試験が導入されれば、出産する前に少しは考えるでしょ?それに、「たまたま、できてしまっても」出産したくない場合は、出産しない大義名分が立つわけですしね。試験を受けなければいいだけ。あるいは、イヤなオトコとの間の子供は出産しなくてもいいでしょ?だって、試験を「計画的に」「落ちれば」いいわけですからね。 そうなれば「子育てによって、自分に人生をムダにした!」「子供のために離婚できない!」とグチを言うこともなくなるでしょ?だって諸悪の根源たる子供がいないんだからネ。自分の人生もラクになるじゃないの? しかし、子育ての「被害」を語る人ほど、そんな裁量は拒否するわけ。だって、試験が導入されたら、子供相手に「子育てによって、自分の人生をムダにした!」とはなかなか言いにくい。「わざわざ試験を受けて出産したのに、今更になってそんなグチを言うなんて!」と言われてしまうのがオチ。だからグチを言いたいダメダメ人間は、試験に反対というより、自分が裁量できる状態に反対するわけ。 まあ、反対する理由は色々と付けることができますよね? 少子化問題とか、人権とか・・・そんなご高説が登場してくるもの。 しかし、試験を導入したたら子供の数が減るといっても、それは試験を「受けない」人間や、試験に「落ちる」親の子供でしょ?社会にとってだけでなく、子供当人にとっても「いいこと」じゃないの?人権だって同じですよ。子供を作りたい親の権利を擁護するのは勝手ですが、試験に「落ちる」親の子供に生まれる子供の人権はどうなるの? そんなに子供を出産したければ、試験勉強すればいいだけ。そんな勉強もイヤなら、子供なんて作っちゃダメですよ。試験勉強もしない人間が親になっても、責任感を持って子育てをするわけがないじゃないの? マトモな人間は、子供を出産するための資格試験が導入されても、何も問題はないわけ。何も司法試験のような難関にする必要はありませんからね。あくまで資格試験扱いとすればいいだけ。子育てに対して当事者意識があることを確認できれば、それでいいわけです。それに、マトモな親にしてみれば、試験でも導入された方が安心ですよ。だって、試験も受けないような、あるいは試験を落ちるような人間の子供と、自分の子供が一緒に学校に行くことを考えれば、そっちの方が恐怖ですよ。だから、そんな資格試験だって賛成するでしょ?しかし、グチばかり言っているダメダメ人間ほど、自分の裁量が発揮できる状態を拒否するわけです。 だからダメダメ人間の過去を聞いてみても、当人の裁量などは全然出てこない。 ・・・相手から「結婚してくれ!」と言われたから、「て・き・と・う」に結婚して、なんとなく「子供ができちゃって」そして出産・・・ そして子育ての最中は、「あ〜あ、子育てで自分の人生をムダにしちゃった!」とグチる。 「そうならないために、どうすればいいのか?」なんて決して考えない。 ただ、自分の被害者意識に浸りきって、グチっているだけなんですね。だからこそ、自分の裁量を拒否したりするわけ。 そんな人からのグチを聞かされると、「では、アンタはどうしたいの?」と尋ねたくなります。すると黙ってしまう。黙った後でお決まりの逆上。 「どうして、そんなことを言うのよ!キーっ!」 「ワタシは!ワタシは!こんなにかわいそうなのよ!」 ダメダメな人は、「自分はどうしたいのか?」という基本中の基本が言えない。 これじゃあねぇ・・・ そんな人が唯一できることは、子供を作ること。 そんな人と唯一相手をしてくれるのは、自分の子供。 そんな人の唯一の話が、自分が受けた被害をグチること。 ダメダメ家庭って、そんな家庭なんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 自分が裁量できる状態を拒否する・・・そんな発想だと当然のこととして、政治的には独裁政権を、内心では、望むことになります。 ダメダメなところでは独裁政権って多いでしょ?イスラムとか韓国とか・・・ そうして、後になって「我々はあの政治家による被害者だ!」と嘆くわけ。 そして過去の政治家を糾弾する。 イラク国民はサダム・フセインの被害者ではないんですね。サダム・フセインのような独裁者をイラク国民が求めたといえるわけ。 ちなみに、私はエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を読んだわけではありません。タイトルを借りただけです。たしかそのフロムの本はナチズムとドイツ人のメンタリティの関係を書いていると記憶しているのですが、もしそうなら、私の今回の文章と関係があるわけです。 人間の心理って、家庭においても政治においても大差がないわけ。みんなつながっているわけです。 |
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R.10/11/22 |