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カテゴリー | ダメダメ家庭と学校 |
配信日 | 05年10月26日 |
タイトル | 女子大学 |
このメールマガジンでの「ダメダメ家庭と学校」というカテゴリーにおいて、以前に「地方国立大学」の問題を取り上げました。 別に地方国立大学が悪いわけではありませんが、いかにも「どこにでもいる」「よい子」「普通の子」を量産するのが使命である、そのような環境だと、決して規格品とは言えないダメダメ家庭の出身者としては、理解してくれる人が周囲にいない状態なので、逃げ場がなくなるわけ。閉塞感がより強くなるわけです。だからこそ、孤立感が高まり、暴発しやすいわけ。 今回は、別の種類の大学といえる女子大学を取り上げてみましょう。 何も女子大学がダメダメ家庭の温床などと申し上げるつもりはありませんヨ。 しかし、色々な人とやり取りをしたりすると、「あれっ?この人は女子大学の出身だな?」とわかることも多いわけ。やっぱりそれなりの傾向があるわけ。でないと、そもそもそんな学校の存在意味もありませんしね。 そもそも何故に女子大学に進学したの? それを考えることによって、見えてくるものがあるわけです。 受験した共学の大学は全部落ちちゃったから・・・だから「しかたがなく」女子大学に進学した。そんな理由だったら明確ですが、この場合は、ダメダメ家庭の問題とは言えない。まあ、「もっと勉強しなよ!」と言われるだけ。ダメダメは心理的な問題であって、学力の問題ではありませんからね。 家の近くにあるのが、たまたま女子大学だったから・・・という理由だったら、別の面でダメダメですが、家庭がダメダメとは言えない。「もうちょっと、色々と考えて進学先を選びなよ!」とは言いたくなっちゃいますが。 あるいは、高校からの友人が女性大学に進学するので、大学も一緒にいたいから・・・となると、いささか問題でしょう。気持ちはわかりますが、もっと先を見て、大学を選ばないとね。 希望する授業があるとか、あの教授の講義を受けてみたいとか、あの資格をマスターしたい。そんな明確な考え方を持って、進学先を志望した人もいたでしょうが、それって少数派でしょうし、そのような場合は、共学も受験しますよね? では、わざわざ女子大学への進学を希望するって、どのような理由なの? それって、やっぱり男性に警戒感があるからでしょ? それはそれでいいとして、ではその警戒感はどうして芽生えたの? 小さい頃に男性の変質者の被害にあった・・・なんて極端な事例の場合は致し方がないでしょうが、そんな明確な理由がないケースもありますよね? 何となく男性に警戒感を感じる。 ダメダメ家庭の問題を考えるにあたっては、このような「何となく」という漠然とした心理状態の方が、様々な情報を得られるものです。 これについては、別のところで「苦手意識」という文章があります。 苦手意識は、明確な嫌悪感ではない。苦手なものは、いわば思考停止をもたらすものといえるでしょ? 明確な理由は自分でもわからないけど、何となく、男性の近くに居たくはない・・・その手の理由はある意味簡単なんですね。それは、昔からロクな男性と接していなかったからでしょ? ロクな男性と接して来なかったのなら、女子大の中で女の子だけの環境で羽を伸ばしたいと思うもの当然ですよね? しかし、一般的には、子供であれば周囲に男性がいるもの。 父親という存在がね。 明確な信念をもって女子大学に行く人って、往々にして父親という存在が嫌いなんですね。 一番頻繁に触れ合っている男性である父親が、自分の話を聞こうともせず、やたら高圧的な人だったら、やっぱり男性全部を嫌いになりますよ。 それはそれでしょうがない。自分の父親は自分では選べませんもの。 重要なことは、そのことを自覚しているかどうかということ。 しかし、一番よく知っている存在がアンタッチャブルとなってしまうと、まさに思考停止が習慣化してしまい、苦手意識となってしまう。 せっかく、大学に進学したのなら、そのような自分自身の問題に向き合えばいいでしょうが、そんな簡単にはいかないもの。 結局は、自分自身の問題には蓋をしたままで、卒業後の将来に臨むことになってしまう。 この手の人って、意外に簡単に結婚したりするもの。 だって、男性が苦手なので、会社などで多くの男性との触れ合いを少なくするために、早めに結婚してしまうわけ。 しかし、少ない男性との触れ合いから、マトモな男性を選ぶことって、かなり難しいですよね?第一、深層心理的には男性が嫌いなのだから、男性とお気楽なおしゃべりなり会話だってしていないわけですから、一体何を基準に相手を選択したのやら? 結局は、「この男性は自分の父親と違って高圧的ではない。」・・・それくらいの理由のことが多いわけ。 「この人はワタシの話をちゃんと聞いてくれるわ!」 それって確かに大切なことですよね? しかし、男性への警戒感を強く持っている女性とわざわざ結婚するような男性って、一体どんな人なんだろう? たしかに、その結婚がうまく行くこともあるでしょう。 それならラッキーと言えるでしょう。 しかし、男性への警戒感を自覚しないままだと、子育ての段になったら、簡単にはいかないでしょ? 子供が男の子だったら、「自分の父親のような男性にはしたくない!」なんて無意識的に思ってしまって、子供の自由を制約してしまう。子供が女の子だったら、自分と同じような男性への警戒感を持った女の子にしてしまう。 あるいは、この手の人は、往々にして妙なボランティア活動をしたりするわけ。それこそドメスティック・ヴァイオレンスの問題に関わったりするわけ。そのような活動を通じて、「かわいそうな被害者の女性を守ろう!」なんて一生懸命になる。 それはそれでいいとして、そのような自己逃避的なボランティアによる「救済」が、ダメダメ家庭出身者の向上のチャンスを摘み取ってしまって、また同じような「被害」に遭遇する土壌を温存させてしまうことは、このメールマガジンで何回も書いています。 しかし、その手の女性は、「悪い男性」を糾弾することで、心理的には自分の父親を糾弾しているわけです。だから異常なまでに必死でしょ? 男性への警戒感なんて、別に悪いものではないわけですから、自覚していればいいわけ。気楽に話ができないという自覚があれば、その問題を克服するために、逆に共学に行くことだってあるかもしれないでしょ?だって、お気楽に男の子と話をするのは、共学の方がカンタンなのは言うまでもないことでしょ?サークル活動なり試験対策を一緒にやればいいだけですよ。試験対策の相談なら、男女間の込み入った話にはなりませんよ。そんなヒマもありませんからね。 自覚がないままだと、女の子だけで一時の安らぎを得てしまって、自覚については、結局は先送り。男性への警戒感を自覚をしないままのそんな女性と結婚する男性だって、問題があったりするもの。やっぱり自己逃避的であり、現実逃避的なんですね。 そうなると、夫婦の間が結局うまくいかず、自分の家庭の問題から目をそらすために、ますますボランティアなどをやったりするわけ。 妙にクレーマーっぽい女性には、女子大学出身者が多かったりするでしょ? それって、深層心理的には自分の父親からの抑圧に対するクレームなんですね。 本来なら、他人の問題に関わるよりも、「ワタシは自分の父親が大嫌い!」「あんな強圧的な人なんて絶対にイヤ!」なんて堂々と言えばいいじゃないの? 一番本質的なことから目を逸らして、「か弱い女性たちを守ろう!」なんて・・・そんな「心の『か弱い』人間」が、人の役に立つわけがないでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 今回のお題は、前回の「男女の分類に拘る」と、深い関係があります。 男女の分類に拘るからこそ、女子大学だけを進学先に選ぶわけでしょ? 何回も申し上げますが、別に女子大学がダメダメと言っているわけではありませんヨ。 もし、「絶対に女子大学でないとイヤだ!」と思っていたのなら、「どうしてなのかな?」と自分で考えて見ることから、自分自身について理解できるものでしょ? ちなみに、次回は、とある女性監督の映画作品を取り上げます。 今週は女性問題の特集というわけ。 |
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R.10/11/24 |