トップページに戻る | 配信日分類の総目次に戻る |
カテゴリー分類の総目次に戻る | タイトル50音分類の総目次へ |
カテゴリー | ダメダメ人間の自己逃避 |
配信日 | 06年3月27日 (10年7月21日 記述を追加) |
タイトル | 努力のための努力 |
かなり以前に、日本の民主党は、野党の状態でした。その時は鳩山さんが党首の番でした。その鳩山さんが、インタビューの質問にムっとしていたことがありました。 その質問は、「どうして民主党は政権を取ろうとしないの?」と言うもの。 鳩山さんは、いささかムキになって「私たちは政権を取るために、一生懸命にがんばっている!」と力んでいました。 たぶん、多くの人からその質問を言われているんでしょうね。 しかし、「政権を取るためにがんばっている!」のはいいとして、では、そのための具体的アクションって、実際に何をやっているの? 具体的なアクションが重要でしょ? それが周囲の人間に見えないから、「どうして政権を取ろうとしないの?」なんて聞かれてしまうわけでしょ? 「オレたちはこんなにがんばっているのに、周囲の人間はどうしてわかってくれないんだ?!」なんて、ムキになっている場合じゃないでしょ? ダメダメ家庭の人とやり取りをしていると、この「オレたちはこんなにがんばっているのに、周囲の人間はどうしてわかってくれないんだ?!」という言葉が頻発してくるものです。 彼らは彼らなりに努力しているつもりになっている。周囲の人はそれを認識することはありませんが。 努力しているとの言葉はいいとして、では、 「では、具体的に何を目指して努力しているの?」 「どんな結果が欲しいの?」 「あなたたちは、具体的に何を得ようとしているの?」 「どんな状態になれば、それなりに満足できるの?」 そんな話になりますよね? 政治の世界だったら、政権をとった後の、実現したい具体的な政策が明確になっていないとダメでしょ?「政権がほしいよ!」と、連呼しているだけだったら、上手く行くわけがありませんよ。逆に言うと、目的となっている具体的な政策が明確になっていれば、政権が取れなくても、折衝次第では個別に実現できる可能性もあるわけでしょ? そういう折衝能力がないからこそ、いつまで経っても野党なんでしょ? ダメダメ家庭は自己逃避であり、自分自身がわかっていない。 自分自身の本当の希望がわかっていないわけ。 だから、その努力も、いわば「努力のための努力」なんですね。 別の言い方をすると、「言い訳のための努力」、あるいは「形を整えるための努力」。 具体的な目標達成のために、ガムシャラに努力するということをしないわけ。だってそもそも、肝心な具体的な目標そのものが無いわけですからね。 だから、その努力だって、やたら「格好がいい」もの。 あるいは、「あちらに配慮して、こちらに配慮して・・・」と、八方美人。 具体的な目標に到達することよりも、自分自身が傷つかないことが優先されるわけ。 それこそ夫婦が離婚するような段になってもこんな感じ。 子供の養育権はほしい。 夫からお金はほしい。 夫には会いたくない。 しかし、周囲に迷惑はかけたくない。 それが出来ないのなら、離婚しなくてもいい。 結構、ポピュラーな事例でしょ? けど・・・・、そんな話を聞かされると、「アンタはいったいどうしたいの?」って思いますよね? と言うか、そんなトンチンカンな女性は、子供を養育してはダメですよ。まずもって母親失格ですよ。そんな母親は最後には、子供にこう言うようになるのは目に見えているでしょ? 「オマエたちを育てるために、ワタシの人生を棒にふった!」 まあ、離婚できないからと言って、顔を見るくらいに不快な相手との同居を我慢すれば、事態が解決というものではないでしょう。 まだ、当人が覚悟を決めて我慢することに徹すればいいわけですが、現実的には、そのストレスを子供に対してぶつけることになる。 事態の打開のためには、まずは、プライオリティを明確にする必要があるでしょ? 困難な状況こそ、一点突破に徹する以外には、局面は打開できませんよ。 そんなことを言ったりすると、そんな女性が言うことはやっぱりこれ。 「ワタシはこんなにがんばっているのに、アナタはどうしてわかってくれないの?!」 そんなに、にっちもさっちも行かない状態になっても、「失うもの」に目が行ってしまっているわけ。これでは何も改善できませんよ。 「捨てる技術」などが言われたりしますが、「何を捨てるか?」という問題は、「自分は何を得たいのか?」という問題と表裏一体でしょ? 当人は、この「自分は何を得たいのか?」がわかっていない。だから何も捨てられない。しかし、とにもかくにも、努力する。しかし、何も捨てられないものだから、現状のすべてに配慮してしまって、何も変わらない。 本人は努力しているつもりだけど、結局は、「努力のための努力」で終わっているわけ。 そして、そのような「努力のための努力」というか、「言い訳のための努力」ばかりの人は、まさに議論する段においても「議論のための議論」になっているのは、小学生でも予想できるくらいの簡単な論理。 そんな人たちが集まってする議論は、結論を出すために議論するのではなく、ただ単に、「あーでもない、こーでもない」とグチが飛び交っているだけ。 それこそ、そんな状況の典型なのが、インターネットの掲示板でしょ? あのような場も、情報交換としては、それなりに意味があるでしょう。 そもそも、掲示板の祖先といえる駅の掲示板なんて、単なる連絡事項を記しておくだけのもの。 そこから名称をもらっているのだから、インターネットの掲示板も、情報交換どまりですよ。 それを分かった上で、距離を置いて利用すればいいだけでしょうが、そんな場に意見を持ち込んでしまうのがダメダメ人間。 その場で意見交換をするのは、その人たちの勝手でしょうが、それで結論が得られたことがあるの? あるいは、そんな場で議論するのはいいとして、今までどんな「成果」がでたの? あるいは、情報交換として利用するのはいいとして、そこで得られた情報で、当人は何をしたの? そのように問いかけられると、答えられないでしょ? つまり、そんな場所でやっている「議論」とやらも、「議論のための議論」であり、「努力のための努力」であり、自分を納得させるための議論であり、「自分はかわいそうな被害者だ。」と認定するための議論なんですね。 そんな場所でやり取りするのはいいとして、そんな場所以外で、本気に取り組んでいるのは何なの? それこそが重要でしょ? そんな場で熱くなっているのはいいとして、その場以外のところでは何に熱くなるの? まあ、そんな場ではグチの共鳴で終わってしまうでしょ? あるいは、「悪いのは全部○○のせいだ!」と犯人認定しておしまい。 しかし、そんな姿は、まさにその人の親の姿そのものと言えるでしょ? 達成するための努力ではなく、努力のための努力ばかりをしている人に限って「ボクはこんなに一生懸命にやっているのに?!」と更にグチが熱くなる。 そんな人に吸い寄せられるのは同類ばかり。 結局は、「努力のための努力」もスパイラル進行することになる。 そして努力については色々と語れても、達成した成果については何も語れない・・・そんな状態がスパリラル進行してしまうわけ。 (終了) *************************************************** 発信後記 私は民主党がダメだと申し上げているわけではありませんヨ。 ただダメダメの特徴が随所に見られるなぁ・・・と思っているだけです。 まあ、民主党のダメダメというと、例の「がせメール事件」が典型ですよね? あの事件については、そのうちまとめてみようかな?とも思っています。 先週の永田さんの証言で、「私も被害者だ!」という彼の言葉に、「おお!ダメダメのツボをしっかり押さえているなぁ!」と感嘆の声を上げた方もいらっしゃるでしょうネ。 不思議なのは周囲の民主党議員。どうしてその永田氏を議員辞職させないのかな? どうしてその首を取ろうとしないの?今こそビックになるチャンスじゃないの? 戦国時代の豊臣秀吉が天下を取った契機は、裏切り者の明智光秀を討ち取ったからでしょ?裏切り者を討ち取った功績により、発言権は非常に大きくなる。これは今の時代だって同じ。 永田氏は裏切り者ではなく、単なる粗忽者だ!というのはもっともですが、いずれにせよ、獅子身中の虫でしょ?ジャマ者ですよ。さっさと始末しないと。 オレがヤツを討ち取ってやる!と名乗り出てくる人がいないようでは、絶対に政権なんて取れませんよ。たぶん、「みんな」に配慮して、何もしないんでしょうね。 |
|
R.10/7/21 |