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カテゴリー ダメダメ家庭の会話の雰囲気
配信日 06年4月10日 (10年11月14日 記述を追加)
タイトル 言葉と心理のズレ
このメールマガジンでは、オペラについて度々触れたりしています。作品のテーマについて考えてみたり、表現手法の例として考える場合もある。
オペラの題材で多いのは、言うまでもなく男女の恋愛沙汰。

まあ、誰だって理解しやすいネタですからね。
舞台上で、オペラ歌手が「好きだあ!」と歌い上げたりするわけ。

オペラにおいて登場人物の「好き」という感情を表現するのには、2種類の方法があります。
ひとつは、歌手が「好きだ!」と歌い上げて、バックのオーケストラも「好きだ!」と情熱的に盛り上がるパターンです。イタリアオペラなどで多くあるパターンと言えます。

もうひとつのパターンは、歌手が「アンタなんかキライよ!顔も見たくはないわ!」などと歌っているのに、オーケストラの方が「好きだ!」と演奏するケース。
このようなケースでは、登場人物の言葉と心理が別になっているわけ。あるいは本音と建前が分離しているとか、意識と無意識で逆になっているとも言えるでしょう。建前の部分や意識の部分は、歌手が言葉で表現する。そして本音の部分なり無意識部分は、言葉を使わないオーケストラの方で表現されるわけ。

このようなケースはオペラですと、たとえばモーツァルトのオペラなどに結構登場したりします。このようなオペラの「つくり」は、結構難しい。そもそも台本つくりが難しいし、作曲だって簡単にはいかない。それに、聴衆だって、「本音と建前」「意識と無意識」を両方いっぺん聞き取らないといけない。誰にでもできることではないわけ。

それに、そんなに繊細な表現が長く続くと、作品全体の統一感がなくなってきますし、聴衆の感性のスタミナだって切れてしまう。
よっぽど上手にやらないと、ずっこけてしまうんですね。
しかし、「決まる」と、実に楽しいもの。登場人物の「好き」という感情が、より細やかに伝わりますよね?

「えっ?ワタシ?ワタシは○○君のことなんて何とも思っていないわよ!ホントだってば!」
と、言いながら、目の表情は豊か。
そんなシチュエーションだと、現実でも面白いでしょ?
『アンタねぇ・・・ちょっとは素直になりなさいよ!ミエミエよ!』なんて言われて、「違うわ!違うってば!」とムキになったり・・・
こんな光景は、かわいいもの。

本音では大好きなのに、言葉では「何とも思っていないわ!」なんて言ったりする。
これは、よくある話ですし、バレたって笑って済む話。
だって、結局は「好き」なんでしょ?

しかし、ダメダメ家庭で頻発している、「言葉と心理」「意識と無意識」「言葉と心理」の分離は、逆のパターンなんですね。
本音では、「好きでもなく」むしろ「キライ」なのに、言葉の上では「好き」なんて言ったりするわけ。

「アナタのことを大好きよ!」
「ワタシはいつもアナタの味方よ!」
「困った時は、いつでもワタシのところにおいで!」

よくあったりしますよね?そんな言葉。
言葉は言葉でいいでしょう。しかし、じゃあ、どんな表情でそんな美辞麗句を言ったりするの?
ダメダメ家庭の人間は、本音ではそんなことを思っていないわけ。だから、それこそ公務員の窓口業務のオジサンのような無愛想な表情で、そんな言葉を語るわけ。
そんな無表情で、「愛の言葉」を語られても、困っちゃうだけでしょ?
公務員の窓口オジサンが、マニュアルを見ながら、「ワタシは、アナタたちを助けたいと思っております。」と無表情に語っても、本気にする人はいないでしょ?

そんな無表情だったら、「アナタなんか何とも思っていないわ!」「アンタがどうなろうと知ったことじゃないよ!」「オレに面倒を持ち込むなよ!」と、はっきり言われたほうがラクですよ。

あるいは、問題の多発する学校の教員が、「困ったことがあったら、オレに言って来い!」と強圧的に命令するようなパターンもありますが、その「語り」で伝わるのは、言葉の意味ではなく、その語りのスタイルが問答無用で強圧的なことの方でしょ?

それに、顔の表情の問題だけではありません。普段からの実績もあるでしょ?
子供が何か相談しようとしても、普段は「もうっ!鬱陶しい!アッチへ行け!」なんて言ったりするような人間が、突然に「困った時は、いつでもワタシに相談しなさい!」なんて言い出したりしても、聞かされた方はどうすればいいの?

だって、どうせ相談を持ちかけても、「今は忙しいんだ!ワタシがヒマな時に相手になってやる!」そう言い出すのはミエミエでしょ?

しかし、ダメダメ家庭を作る親には被害者意識がある。子育てだって自分の被害だと捉えているわけ。だから子供の相手だって気分次第。
しかし、言葉の上だけは「困った時は、いつでもワタシに相談においで!」と、思いつきで子供に言ったりする。このような時は、瞬間的な意識の部分では、本当にそうなっているわけ。しかし、無意識の部分では違うんですね。
そんな状態は、意識と無意識が乖離してしまっている。

そのようなケースは「無意識では好きなのに、言葉ではキライ。」などと言っている場合と違ってタチが悪いわけ。
だって、「意識では好きなのに、無意識ではキライ。」という状態だったら、次に来るのは被害者意識。
だって「ワタシがこんなにあの子のことを考えてやっているのに、あの子は全然ワタシに応えてくれない!」そうなっちゃうでしょ?
よくありますよね?そんなグチ。

その時の言葉だって、過去の実績なり、言葉を発する際の表情と無縁なものではないでしょ?
オペラにおいて、歌手の言葉よりも、言葉ではないオーケストラの部分に本音が表現されているようなもの。

あるいは、その時点での言葉と心理のズレ以外にも、時間経過後に、その本音が見えてしまうこともあるでしょ?
以前に「丁寧な挨拶」というタイトルの文章を配信いたしましたが、ダメダメ家庭の親は外面は良いことが多く、出会った人と丁寧な挨拶をしたりする。そして、その後で、「あ〜あ、イヤなヤツに会っちゃったわ!」と本音を子供に見せるわけ。
つまり、丁寧な挨拶の言葉と、数分後に遭遇する本音との乖離を、子供としては頻繁に見ているわけです。
言葉と本音が乖離している人の言葉をマジメに受け取る人はいないでしょ?

それに、ダメダメ家庭を作る親は、抑圧的であり、自分で考えた上で、言葉を発しているわけではない。もともと言葉が軽いわけ。言葉と心理がズレているというよりも、言葉にもともと気持ちが入っていない。だからこそ、「心にもない言葉」をお気軽に出してくることになる。

このメールマガジンにおいて、また、ダメダメ家庭を扱ったオペラを取り上げようと思っていますが、オペラの中には「言葉では好きと言っていても、本音ではキライ。」のシーンが出てくるオペラもあったりします。そのような場合の表現は、歌手が「愛の言葉」を歌っても、オーケストラが無表情だったり、やたらリズムを叩きつけるような強圧的な表情をしたりします。
だから「愛の2重唱」には、決してならないわけ。

大人と子供のやり取りでは、子供が受け取るのは、見せ掛けの言葉ではなく、本音の部分でしょ?
まずは、自分自身の本音に気が付くこと。
キライならキライでしょうがないでしょ?それを認めないとダメダメのスパイラルが進行して、にっちもさっちも行かなくなるわけ。

そうして実際に問題が起こった後で「ああ!どうしてこんなことに!ワタシって、何てかわいそうなの?!」なんて嘆いて、犯人探しをして、自分を納得させるだけ・・・こんな親も実にポピュラーですよね?

(終了)
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発信後記

このメールマガジンも発行回数が400回を超える回数になってしまいました。
バックナンバーを「全部は読みきれない」というご意見も当然のことと思います。あるいは、とりあえず2,3の特徴的な文章を読んでみたい・・・という方には実に不親切なつくりになってしまっています。

なんとかしなくては・・・とは思っているのですが、「とりあえず文章を全部書き上げたら、再編集しよう!」などと考えているうちに、ズルズルと来てしまいました。
とりあえずは、「作品の中に描かれたダメダメ家庭」というカテゴリーが総集編の役割を果たすように作ってありますから、まずはそこから・・・というのがいいのかな?とにかく、バックナンバーの収録のスタイルを見直したいと思っています。

前にも書きましたが、発行頻度を週3回から2回にして、出来た時間で、そのあたりを考えてみる予定です。何かご希望やアイデアがありましたら、ご遠慮なくおよせください。
R.10/11/14