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カテゴリー 相談という場におけるダメダメ家庭
配信日 06年4月12日 (10年7月17日 記述を追加)
タイトル 主観と客観の霜降り
食事をした後で、「ああ、いっぱい食べちゃった・・・」などと言いながら、お腹をさすっていたりしている人に、「食べた後にお腹をさすっていたりすると、お腹のお肉が霜降りになっちゃうよ!」とギャグを飛ばしたりする人もいますよね?

まあ、人間のお腹のお肉はそう簡単に霜降りにならないでしょう。
牛肉などの霜降りは、脂身とお肉の部分が渾然一体に溶け合っている・・・だからおいしい・・・それが多くの人の考えでしょ?
しかし、逆に考える人もいます。
霜降りだと、脂身だけやお肉の部分だけを別々に食べるようなことができない。自分はむしろ脂身とお肉の部分がはっきり分かれていた方がいい・・・そんな人もいるようです。

しかし、言われてみれば確かに、霜降りだと、脂身とお肉の部分の切り分けができませんよね?
まあ、食べ物の好みは人それぞれ。

このメールマガジンは食べ物のメールマガジンではありません。ダメダメ家庭についてのメールマガジンです。それにしてはムダ話がいつも多くなっていますねぇ・・・
さて、ダメダメ家庭の特徴のひとつは会話の不在と言うこと。
相手の話を真摯に聞き、自分の考えを相手にわかりやすく伝えようとする発想がないわけ。

おまけにダメダメ家庭には強い被害者意識がある。自分の言っていることがうまく相手に伝わらないと、自分の説明能力の不足と考えずに、相手の理解力の不足ととらえてしまうんですね。そうして「ああ!どうして、アイツはオレのことをわかってくれないんだ?!」と、嘆くばかり。

相手に対してわかりやすく伝えるための基本的な態度として、客観的な事実を、相手に正確に伝えることって・・・こんなこと当然でしょ?
ところが、ダメダメ家庭の人とやり取りをしていると、客観的な事実が全然わからないわけ。

客観的な事実を正確に伝える・・・というと、このメールマガジンでも度々書いていますが、5W1Hを正確に記述すれば大体のところは伝わるもの。5W1Hは、いつ(=when)、どこで(=where)、誰が(=who)、何を(=what)、どうして(=why)、どのように(=how)そのような事項を伝えれば基本的には問題ないわけ。
そのような客観的な事実を記述した後で、じっくりと自分の考察を言えばいいだけでしょ?

そのような話を聞いている側は、相手が語る客観的な事実を自分なりに理解し、その次に相手の考察について考えればいいだけ。

しかし、ダメダメ家庭の人間は、この主観と客観の記述の切り分けができないんですね。
どこまでが客観的な事実で、どこからがその人の主観なり考察なのか?
それが渾然一体となって溶け合っているので、聞いていてサッパリわからないわけ。

いつ、どこで、誰が、何を、どうして、どのように・・・そのようなことを説明している段階で、もう主観的な判断が入ってきてしまうので、その人が直面している現実が見えてこない。いつ、どこで・・・なんて本来は主観とは無縁のものでしょ?しかし、ダメダメ人間とやり取りをしていると、もうこの段階で主観が入ってきてしまうわけ。伝えないと相手がわからないような重要な要素なのに、勝手に判断して、言わなかったりするわけ。

実に典型的に見られたのは、以前に取り上げた韓国の歴史教科書でした。
あの教科書は歴史の年号などの客観的な情報はほとんど記述されていないのに、教科書の作者の主観がテンコ盛り。
「この建物は美しい!」
「我々は勇猛に戦った!」
そのように熱い思いを持ち、語るのはいいとして・・・それにしても、どうやって試験問題を作るのかな?
「この建物は美しいか?美しくないか?」そんな試験問題にするの?いやまあ!シュールな世界ですよねぇ・・・

このような点は、何も韓国人だけでなく、ダメダメの世界では一般的に見られたりするもの。
人に相談を持ちかける際にも、自分が直面している現実を、客観的に正確に、具体的に説明しようとはしないわけ。それこそ「あの人がヒドイの!」「ホント!腹が立つわね!」そんな言葉ばかり。
そのような感情は感情でいいとして、では、客観的な現実はどうなっているの?
そんな嘆きばかりの話を聞いていると、「嘆くのはいいとして、アンタはいったい何に困っているの?本当に困っているの?」そう思わざるを得ないわけ。

また、そのような感情的な主観がいっぱい入っているのに、肝心の自分の希望が入っていないもの。
「ワタシはこうしたい!」
「この点がわからないから、教えてほしい!」
そんな言葉が入っていないんですね。自分の希望は客観ではなく主観ですが、そのような主観は相談の際には語る必要があるでしょ?それが入っていないと、相談されても協力のしようがないじゃないの?

それに、感情を延々と聞かされてどうすればいいの?
客観的な事実はわからないし、当人の希望もわからない。
ホント、どうすればいいの?

相談という場において、主観と客観の霜降りになってしまうと、トラブルを解決するどころではないわけ。
というか、そんな人だからこそ、客観的な現状認識ができずに、トラブルになってしまうんでしょ?

そんな雰囲気は、トラブルの後の相談のような事案ばかりではなく、その前の段階から見えたりするものなんですね。

たとえば、誰かの作品について語る場合を見てみましょう。
ダメダメ家庭の人間は、抑圧的であり、やり取りにおいて、「感動どまり」になってしまうことが多いことは、以前から書いております。

それこそ、「面白かった」「つまらなかった」とかの概括的な感想になってしまうわけ。
作品に接して「今までわからなかったこの問題が、この文章でわかるようになった!」という具体的な感想ならともかく、「面白かった」とか「くだらない」とかの概括的な感想は、持つこと自体はともかく、わざわざ人に伝える必要はないでしょ?
やり取りの相手から聞かれれば、その人なりの感想を答えればいいだけ。

「作品をどのように語るのか?」
そこから見えてくるものも多いわけ。
客観的なスタイルで紹介できるのか?
内容について、客観的に説明できるのか?

そんなこともできない人が、「てきとう」に結婚して、離婚などのトラブルになってしまい、その相談の場において、やっぱり主観と客観の霜降り状態で相談してきたりする。

ダメダメ家庭の人間は、客観というものを心理的に理解できていない。
だからこそ、主観と客観の区別もできない。
そして、自分が主観と客観というものを区別できないことも、自覚していない。

だからこそ、トラブルが多発するわけですし、その認識がいい加減であるので、それを解決することもできないわけです。

相談なんて、まずは相談の目的を伝え、客観的な事実を正確に伝達し、自分の希望を説明し、必要に応じ自分の考察を述べる・・・それでいいじゃないの?
逆に、最低限、そのようなスタイルであることは必要でしょ?
華麗なる文体で、文学作品からの修辞も巧み・・・なんて文章である必要はありませんよ。

「客観的事実を伝え、自分の希望を伝える。」
「それが相手にわかるようにする。」
これって当然のことでしょ?

相手にわかりやすく伝えるためには、客観的な事実を単に言うだけでなく、自分の主観との「切り分け」が出来ていないとダメでしょ?
それこそ、データーの段階から、主観が入っているのを、捏造を言うわけでしょ?

ダメダメ人間は、主観と客観の切り分けが自分自身でも出来ていないわけ。そんな状態で人とやり取りをするから、聞かされた方は途方に暮れるばかり。
しかし、主観と客観の霜降りをするような人は、つまり、主体性がないということだから、やっぱり被害者意識があるもの。そんな人は、自分がやった霜降りスタイルの説明で相手が全然わからないことを、自分の被害と捉えてしまって、相手を恨むばかり。

韓国人がまさにそうですが、日本のダメダメ人間もそんな感じでしょ?
霜降りはお肉だけで十分ですよ。
だって、そんな主観と客観の霜降りは、煮ても焼いても食えませんからね。

(終了)
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発信後記

前回もちょっと書きましたが、このメールマガジンのバックナンバーのサイトですが、現在の予定では、今バックナンバーを収録しているinfoseekのサービスを、もうひとつID取って、新たなIDのサイトに少しずつ移動していこうかな?と思っているところ。

色々な事件についてふれた文章も多いので、それもピックアップしやすいようにしたいなぁ・・・と思っています。基本的には文章だけになってしまって、ヴィジュアル的に面白みがないのが残念。

映画とかオペラを取り上げた文章だったら、画像をキャプチャして貼り付けると、楽しいのですが、まあ、おおっぴらにやると著作権の問題もあるし。

いずれにせよ、「とりあえず」2,3の文章を読んでみたい方が、ラクに読めるようにしたいな、と思っているところです。
R.10/7/17