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カテゴリー 会話のスタイル(聞き手側)
配信日 06年4月21日 (10年12月1日 記述を追加)
タイトル 会話が弾まない返事
ダメダメ家庭は会話不全の家庭です。
お互いの言葉は音声の上では飛び交っていても、自分の意見を相手にわかりやすく伝える意欲とか、相手の話を真摯に聞く姿勢がないわけ。というか、現実的には相手に対して分かってほしいこと、それ自体を持っていないし、持っていないことを自覚していない状態なのに、やり取りの形だけを整えるように、言葉だけが飛び交っている状態になっている。だから話をしていても、スグにやり取りが止まってしまう。
そんな人は、やり取りの場において、相手方から話を切り出してきても、やり取りが止まるような言葉で返事をしたりするわけ。

このような物言いの一例として、先日配信した文章で、「違いますっ!」なんて言葉を取り上げました。
会話の能力のない人は、「アナタの言っていることって、要は○○ってことなの?」などと聞かれると、『違いますっ!』なんて返事をするわけ。
「違います」は「違います」でいいけど、じゃあ、「違わない」のはいったい何?
誰だってそう思いますよね?
その折にも書きましたが、必要に応じ、追加説明でもすればいいだけ。

ダメダメ家庭の人間と、言葉でやり取りをしようと思っても難しい。どうしても話が弾まないんですね。
たとえば、このような例を考えてみましょう。

「アナタは、普段は、本を読んだりするの?」
そんな質問はちょっとしたやり取りでも、あったりするでしょ?
ダメダメ家庭の人間だったら、その質問に対する返事も至ってシンプルなもの。
『読むわ!』
まあ、「シンプル イズ ベスト」なる言葉もありますが、ここまでシンプルだと話が弾まないでしょ?
『読むわ!』なんて返事をもらって、次にどう言えばいいの?

しかし、「アナタは普段は、本なんか読んだりするの?」なんて問い掛けに対し、『ちょっと前に、○○という本を読んだわ!面白かったわ!』という返事だったら、話も弾むでしょ?
それこそ『へぇ・・・その本は、どんな内容なの?どんな感じで面白かったの?』なんて物言いで追加して質問をしたりするものでしょ?
そんな質問を受けたら、「えぇとぉ・・・あらすじは・・・」なんて言って、どんどんと会話が弾みますよね?

まあ、本をめったに読まないようなケースでも『本は読まない。』なんてシンプルな回答をするよりも、『最近は全然読んでいないわねぇ・・・何か面白い本を知らない?』なんて聞き返してもいいわけでしょ?

そうすると、会話だって弾みますよね?
このようなことは、何も難しいことではないでしょ?
それこそ小学生だってできることですよ。

逆に言うと、そのようなシンプルすぎる回答をするような人間は、普段から会話をしていないことがわかるわけ。
たとえ言葉によるコミュニケーションがあったとしても、単に命令と服従の関係だったりするんですね。
実際に命令と服従の関係だったら、やり取りはシンプルなものになってしまう。
「おい!オマエ!これをしなさい!」
『ハイ!分かりました。』

シンプルすぎる物言いは、その人が命令と服従の関係を元に生きてきているということが見えてくるわけ。
相手の意向を聞いて、自分の意向を相手にわかりやすく伝える習慣があれば、つまり、会話によって、相互理解を達成して、合意を積み重ねていくやり取りをしてきているのなら、そんなシンプルな回答はしないものでしょ?

「どうもあの人と話をしようとしても、会話がストップしてしまう・・・」そんな人って現実にいますよね?
そんな人の物言いは、その他にも、やっぱりダメダメ家庭の会話不全の物言いの特徴が多く見られるものです。
観察してみると、面白いですよ。

それに、会話不全の物言いをする人というのは、まさに命令と服従の関係で人を見てしまうわけだから、ヘタをすると、相手を支配しようと攻撃的になってしまうこともある。
「オレの言うことに文句を言わずに従え!」となってしまうわけ。
しかし、「どうして従う必要があるのか?」については、客観的な説明をしない。というか、できない。できないからこそ、ますます、相手を支配下に置いて、命令で事を済まそうとする。

本来は、そんな人は、周囲の人から避けられてしまうわけですが、逆に言うと、会話不全の同類にはフィットする場合もある。
会話不全の人間にしてみれば、丁寧に説明してくる人の方が不快ですよ。
だって、その説明を受けて、自分で考えなくてはならないわけですからね。
ヘタに生返事でごまかしても、「おいおい!何をトンチンカンなことを言い出して・・・ワタシの説明をちゃんと聞いていたの?」と怒られてしまうだけ。

だからこそ、シンプル過ぎる物言いで、自分に対して命令してくれた方が、自身で考えなくてもいいし、自分で判断しなくてもいいので、心理的な負荷が小さいわけ。
だからこそ、シンプル過ぎる物言いをする人同士は、結びつきやすく、ヘタをすれば結婚してしまう。
そんな夫婦は、相互理解によって一緒になったわけではない。
マトモな会話が出来ないもの同士の吹き溜まりで一緒になっただけ。
だから、新しくできた家庭も、吹き溜まり家庭となるのは当然のこと。

そんな夫婦もさっさと離婚してくれれば、まだキズも小さいわけですが、吹き溜まりは吹き溜まりであるが故に、それなりの強固な結びつきとなってしまう。
その結果として子供ができてしまう。
しかし、その子供は、会話不全の両親から、会話の訓練が受けられるわけがないでしょ?
というか、その子供に対し、親はどのように教育とか指導するの?
もう、フィジカルな手段となってしまうでしょ?
だって、会話の能力がないんだから、フィジカルなものになりますよ。
ということで、虐待家庭ができあがってしまうわけ。

とはいえ、その親にしてみれば、その親なりの「ふつう」をやっているだけなんですね。
命令と服従の関係で人を判断する人間にしてみれば、支配関係を確立することこそ「しつけ」と見なしているわけ。「親に対して逆らうことができない。」ことを子供に自覚させることが、その手の親にとっての「しつけ」というもの。
そんな発想は、その親の出身家庭で培われ、そして、夫婦双方ともそんな常識となっている。
そんな常識で子供と接するから、結果的に、事件となってしまうわけ。

しかし、そんな事件も、親の物言いから、おおよそ予測もできたりするもの。
大人との間でさえ、会話が弾まない人が、子供とやり取りができるわけがないんですね。

(終了)
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発信後記

家庭問題とは全然関係ありませんが・・・
現在、旧ソ連のウクライナに住んでいた元日本兵のおじいさんが帰国していますね。
ウクライナの女性と結婚しているとか・・・

そんなシチュエーションを聞くと、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの顔を思い出し、あのセンチメンタルなメロディーが思い浮かぶ人もいるかもしれません。
今回はあの映画と違って、独身で兵役についたので、本国の妻とソ連の妻での修羅場は起きませんが。

あの「ひまわり」という映画について、私はある人に「あまりにゆっくりと進むので、途中からヴィデオを早送りにして見ていたよ!」と言ったことがあります。
そうしたら「アンタだめねぇ・・・あのじっくりとジワジワと盛り上がって行くのがいいんじゃないの?せっかちねぇ・・・」と言われました。
私個人は映画などの作品を理解する能力は、大変なものだと勝手に思ってはいるのですが、テンポがのろいのは苦手。まあ、実際にせっかちなんでしょうね。

しかし、ソ連に残った異国の兵士とソ連の女性の結婚というシチュエーションは、実際にかなりあったのでしょうね。1万組や2万組では済まないのでは?
しかし、あのおじいさんも顔つきが、純日本風とは言いがたい。やっぱりヨーロッパの考え方に浸ってしまうと、顔つきまで変わるんでしょうね。
あまり日本風の考え方をしない私が言うんだから、間違いありませんよ。
R.10/12/1