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カテゴリー | ダメダメ家庭出身者の活躍分野 |
配信日 | 06年5月1日 (10年8月22日 記述を追加) |
タイトル | LINUX使い |
パソコンのOS(基本ソフト)で、一般的に使われているのは、マイクロソフトのWINDOWSでしょう。私も使っていますし、たぶん皆さんの多くも御使用のことだと思います。 明確に取捨選択した上で、好き好んでWINDOWSを使っているわけではないでしょうが、なんとなく・・・で使っているものですよね? WINDOWSは、それなりのお金を取られてしまうので、無料のOSがあったりします。 有名なのはLINUXです。 と言っても、私はLINUXは使っていませんし、よくわからないんですよ。難しそうですしね。試しにインストールしたことはあるのですが、結局は、「こんなものかぁ・・・」「結局は、何に使えるの、コレは?」で終わってしましました。 このメールマガジンはダメダメ家庭についてのメールマガジンであって、パソコンについてのメールマガジンではありません。だから私の関心は、LINUXそのものではなく、LINUXを使う人たちです。 どうもLINUXを使う人たちの発想が、ダメダメ家庭の典型的な発想と重なっているんですね。 この件については、私は以前にある人に宛てて、「LINUX使い」と、昔の左翼学生運動との共通点を提示したことがあります。 以下に、ちょっと列挙してみましょう。 1. お金がなくても幸福になれるという立派な大義。 2. 「使うもの」ではなく、「学ぶもの」。 3. アメリカ一極集中に対する、対抗心。 4. 方法論と理念をめぐって、その活動が四分五裂。 5. 多くの一般の人たちへの啓蒙の努力をしない。 6. 一種の特権階級意識。 7. 「これって知っている?」の知識自慢の世界 私個人は、LINUXを使っているわけではありませんし、学生運動とは時代的にズレがありますので、よくわかりません。 しかし、その手の人たちの発想や行動のスタイルは、ホームページなどでわりと知ることができるものですよね? LINUXにおいて「多くの人たちに無料のOSを!」と言う大義は大義として立派なことですが、だったら、もっと初心者にもわかりやすいサポートがあってもいいのでは?あるいは、初心者がとりあえず使ってみることができる標準的なヴァージョンのLINUXがあってもいいのでは?実に多くの種類のLINUXがあって、初心者にとっては、「とりあえず、どうすればいいのか?」サッパリわかりませんよ。 金銭的な観点以外の面は、実に敷居が高いものでしょ? 理念は理念でいいとして、実際に困っている人へのサポートってありませんよね? それって、まさに学生運動と同じでしょ? 「実際に困っている労働者をどのようにサポートするのか?」学生運動って、そんな現実的な行動が抜けているものですよね?ただ理想を連呼しているだけ。そして対抗心をあおるだけ。 だから、往々にして、「LINUX使い」は嫌われたりするようです。「やたら小難しいことを言うヤツ!」そんな評価だったりするもの。 これって、学生運動の活動家に対する評価と同じ。 そのような状況を踏まえ、一般の民衆に目を向けた人が現れ、初心者へのサポートの必要性などを言い出したりして、わかりやすくしようとすると「我々の理念に対する裏切りだ!」と、糾弾されてしまう。 そして「初心者も本を読んで勉強すべきだ!」とべき論でお説教。 しかし、時間をかけて、お金をかけて、本を読んで勉強するくらいなら、1万円をだしてWINDOWSを買った方がマシですよ。マイクロソフトの商売のやり方は気に入らなくても、説教くさい「LINUX使い」の連中と一緒にやるのは、真っ平ごめん。 多くの人って、こんな感じじゃないですか? 以前にも書きましたが、ダメダメ家庭では「大義にすがる」傾向があります。会話の能力がないので、「立派な大義だけが頼り」になってしまうわけ。「パソコンのOSとしてWINDOWSがいいのか?LINUXがいいのか?」という技術的な問題は、問題としてあるでしょう。しかし、会話のできない人間が往々にしてLINUXを使って特権意識に浸っているのは事実でしょ?特権意識を守りたいものだから、人々に啓蒙しようとしない。 そんなにLINUXが気に入っているのなら、地方自治体と協力して無料講習会でも開けばいいのに・・・ねぇ? ユーザーが増えることが一番重要なことじゃないの? ここで予想しておきますが、将来は、各LINUXの流派間で「内ゲバ」が起こるでしょうね。勿論、昔の学生運動のように角棒を持って襲撃するなんてことにはならないでしょうが、特定の流派のLINUXだけに感染するウィルスを送ったりするような事態が起こるでしょう。そんなことをするヒマがあったら、実際に困っている初心者をサポートすればいいはずなんですが、そんなことをしないで、誰かを恨んでいるだけなのは、ダメダメ家庭のお約束。 何もLINUXをカルトと申し上げているわけではありませんが、LINUX使いの発想はカルトの人の発想と実に近いわけ。 たとえば、カルトの人は、一般的に見て、感覚的なものへの親和性がないものでしょ? 親和性がないというか、むしろ排除している趣があるでしょ? キレイなもの、美しいもの、あるいは楽しいこと・・・そんなシンプルな喜びとは縁がないんですね。 感覚的な楽しみを排除して、文字情報による論理構築が肥大化してしまう。 論理的に厳格に構築するのはいいとして、その体系の中に人間的な要素がずっぽり抜け落ちてしまう。 それこそ、左翼学生運動の人が、小難しいことを言うのは、若気の至りでいいとして、それ以外では、楽しいこととか「わあ!キレイだなぁ!」と思ったことはないの? あるいは、LINUXは、マルチメディア系のアプリケーションには配慮していないでしょ? もともと、その手のマルチメディア系のアプリケーションは、著作権の関係もあり、有料なのが基本なので、無料を大義としているLINUXとはなじまない・・・それは理屈としてあるでしょう。 しかし、このご時勢で、マルチメディア系のアプリケーションがほとんど動かないパソコンって、何に使うの? ただ、陰々滅々として、文章なりプログラムでも作成しているの? LINUXのパソコンも、仕事として、あるいは会社としては、会社内のサーバーとして使うのが本来の使い方かもしれませんが、一般個人としては、使いようがありませんよ。 マルチメディア系のアプリケーションは、いわば「使う楽しさ」につながっていくわけでしょ?それは、パソコンだったら、まさに使う楽しさと言えるわけですが、社会制度だったら、市民なり国民の幸福と言えますよね? 左翼学生運動の人がイメージしている市民の幸福って、どんなものなんだろう? 左翼学生運動では、幸福という言葉は、まさに規格品的・・・別の言い方をすると商品のように、気軽に使っていらっしゃいますが、その人なりの具体的な幸福のイメージはないの?それこそ、子供時代での楽しかったことはどんなことなの? あるいは、子供時代で強烈に印象に残ったことって何? それこそ、左翼学生運動の活動家にせよ、あるいはLINUXを使っている人にせよ、「子供の頃に『フランダースの犬』を読んで大泣きしたよ!」『わぁ!ボクも!ボクも!アレって、いいよねぇ・・・』なんて話をしているのは想像できないでしょ? その手の人が語る幸福って、具体的にイメージしているというよりも、規格品的に設定された「幸福という商品」を消費しているだけでしょ?なんとも、まあ、資本主義的だなぁ・・・ だから、北朝鮮の住民の笑顔のように「いかにも」なものの方が好みだったりするでしょ? カルトの人は、それがどんな分野のカルトであれ、子供っぽさとは無縁の人が多いでしょ? 感覚的なものを排除して、言葉だけによる論理が暴走してしまうと、まさに煮詰まった状態になってしまうもの。 煮詰まった状態なので、まさに近寄りがたいカルト的な雰囲気となるわけ。 ダメダメ家庭的な発想は、どんな時代だって、どんな分野だって、出現したりするもの。そんな観点で見てみると面白いものですよ。 (終了) *************************************************** 発信後記 連休中ということで、あまりシリアスではない話題にしました。 本文中にも書いてありますが、ダメダメ家庭的な発想は、いたるところに見られるもの。このメールマガジンはそのような視点を提示する・・・それがコンセプトです。 ちなみに、今週から週2回の配信です。 連休中から、バックナンバーのサイトのリニューアルをする予定。といっても結構時間がかかるでしょうから、ボチボチとリニューアルする予定です。 |
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R.10/8/22 |