トップページに戻る | 配信日分類の総目次に戻る | 韓国・北朝鮮問題のトピックス(その2) |
カテゴリー分類の総目次に戻る | タイトル50音分類の総目次へ | |
カテゴリー | ダメダメ家庭の人間の行動 | |
配信日 | 06年7月28日 | |
タイトル | 会議は踊る | |
70年以上前の、大昔の映画で「会議は踊る」という作品があります。 1931年の作品で白黒映画です。 ナポレオン失脚後のヨーロッパの枠組みを話し合うために、ヨーロッパの歴戦の外交官が、ウィーンに集まってきて、戦後処理を話し合った1814年のウィーン会議の舞台裏を描いた作品です。 そのウィーン会議を切り盛りしたオーストリアの宰相メッテルニッヒなんて、名前くらいは世界史の授業で聞いたことがあるでしょ? メッテルニッヒは、ウィーンに集まってきた各国の首脳に、お酒や女性などをあてがって、骨抜きにして、自分たちが有利になるように、会議の舞台裏で活躍した・・・映画では、そんな話です。 この映画の舞台裏の部分はフィクションでも、表舞台も、実際に「会議は踊って」いましたよね?辣腕政治家のメッテルニッヒの権謀術数に踊っていたわけ。 それはまあ、それ。 プロというものは、自分が得たいものを獲得するために、自分の持っているものを最大限に利用するもの。それが、舞台裏の根回しだったり、接待だったり、あるいは表舞台での言葉による説得でも・・・使えるものは何でも使わないとね。 しかし、そんなことはダメダメ家庭の人間にはできないこと。 だって、ダメダメ家庭の人間は、自分そのものがわかっていない。 何を得たいのか?自分でもわかっていないわけ。 そして、自分にはどんな手段があるのか?自分でもわかっていない。 おまけに、ダメダメ家庭の人間は会話の能力がない。 相手の話を真摯に聞く姿勢がないわけ。そして自分の意向を相手にわかりやすく伝えるという発想もないわけ。 そして、ダメダメ家庭の人間は、強い被害者意識がある。何か自分に不都合なことがあると、持ち前の被害者意識に火がついて、スグに逆上してしまう。おまけにその被害者意識から、いつも犯人探しをしているわけ。「自分に被害を与えた加害者は誰なんだ!」なんて、いつも考えているわけ。 そんな状態だから、「犯人はアイツだ!」と、常に原因を他者になすりつけることが出来るようにしておかないと、ヘタをすると、自分自身が「犯人認定」されてしまう危険があるでしょ?会議の場でヘタに妥協すると、後になってうまくいかない原因を、全部自分に押し付けられる可能性が高いわけ。だから、会議の場でも、そもそも妥協するつもりなんて、端からないわけです。 このように見て見ると、ダメダメ家庭の人間が、会議という場に出てくることが大変な苦痛であることが、よくわかるでしょ? 先日(06年)、北朝鮮のミサイル発射の問題に関連した文章を配信した際に、「北朝鮮は、6カ国協議の『議論』に戻るつもりはない・・・そもそもそのような会議自体がキライなんだ。」・・・と書きました。 これは何も政治的な駆け引きの問題ではないわけ。ダメダメな発想を持っている人間には、当然のことなんですね。 会議の席で、「いったいアナタたちは、何が希望なの?」などと聞かれても答えられないでしょ?だって、そもそもそんなことは当人自身にもわかっていないわけですしね。それに、たとえ「欲しい」ものがあっても、それにプライオリティーをつけられない。 自分自身から逃避しているダメダメ人間は、「今回の議論では、この点を絶対に押さえておかないといけない。逆に、あちらの点は、後回しにしてもいい。」そんな順序立てた発想なんて出来ませんよ。しかし、その発想がないと会議の意味がないでしょ? それに、ダメダメ人間が語るのは、グチばかり。 「ワタシって、こんなかわいそうな人間なのよ!」 言うことはそんなことだけ。 だから会議の場で、見知らぬ多くの人を相手に発言しにくいわけ。 満場の大観衆を前にして、「ああ!ワタシって、こんなにかわいそうなの!」なんて言い出してもバカと思われるだけですよ。 まあ、それでも、彼らは、実際に「やっちゃったり」しますよね? しかし、やはりグチというものは、少数の人間を相手にグチグチとしたいもの・・・じゃないの? ということで、グチを言いたい人間は、大勢の出席者がいる国際会議などよりも、アメリカなどと1対1でのやり取りを希望するわけ。 このような発想は、北朝鮮だけでなく、韓国も全く同じでしょ? かと言って、じゃあ、2カ国での話し合いの場を設定しても、言うことはグチばかり。 「ねぇ、聞いてよ、あの人ったら、ヒドイのよ!ああ!アタシって、なんてかわいそうなの?アナタもそう思うでしょ?」そんな調子。 そんな話を聞かされたら、やっぱりこう思うでしょ? 『で、アンタ・・・いったいどうしたいの?』 アメリカのブッシュさんは、韓国のノ・ムヒョン大統領が大嫌いなんだそうですが、グチばかり聞かされていたら、誰だってキライになりますよ。 あるいは、よくイスラムの国で、ゲリラ同士が集まって会議をしても、結局は、何も決まらないでしょ?そもそも自分が何がほしいのか?それが、わかっていない連中が集まって議論してもムダですよ。ただワイワイ騒いでオシマイとなるだけ。彼らは自分たちの望むこと自体がわかっていないわけ。ただ自分がトップに立ちたいだけなんですね。しかし、トップに立っても、じゃあ何をしたいのか?それがわからない。だから、結局はゴタゴタが続くだけ。 ダメダメな国の現実って、そうなっているでしょ? 別のところで書いておりますが、ダメダメな人間は、支配欲があり、組織を支配したいと思ってはいても、組織を「統治」することは想定していないわけ。 ただ、上に立ち、命令を下したいだけなんですね。 そのようなことは、ダメダメ家庭の親もまったく同じ。 ダメダメ家庭の親は、子供にとって支配者であっても、保護者ではない。 国民を統治したり、自分の子供を保護するのなら、やりとりにおいて、合意を得ていく必要がある。だって、統治なり保護をする自覚があれば、ある種の成果を出さないといけないでしょ?それを会議によって得ていく必要があるわけ。しかし、支配を目指しているだけなので、会議などで合意することに価値を見いだしたりはしない。 会議のような状況においては、 相手に伝えたいことは何なのか? 早急に実現させたいことは何なのか? 得たいものは何なのか? とりあえず後回しにしていいことは何なのか? そのようなことを、自分たちで事前にまとめて、相手にわかりやすく伝え、そして相手の意向も聞く。 多くの人を相手にする会議という場では、そのような面が特に必要となってくるわけでしょ? しかし、ダメダメ人間は、そんなことができず、会議という場を嫌がってしまう。そして対面でのやり取りを志向する。しかし、そんな場面でもグチしか言わないため、結局は対面でのやり取りも拒否されてしまうわけ。 そのような状況になって、自分自身を見つめなおすことをすればともかく、現実的には、被害者意識が爆発するだけでしょ? 自分から逃げ回っている人間が、会議に出ても得るものは無い・・・って、当たり前のことですよね? ウィーン会議を取り仕切った辣腕政治家のメッテルニッヒは、何より自分自身がわかっていたわけ。自分自身の希望も、自分が使える手段も。その上、相手についてもわかっている。メッテルニッヒの世界観が、古いものであることはともかく、自分をわかっているからこそ、求める成果が得られるわけです。 求める成果そのものが自分でもわかっていないのに、会議に出て、「ああ!みんなはオレたちのことを何もわかってくれない!!」なんて逆上する・・・ 朝鮮半島の人とか、イスラムの人たちって、いつもこんな感じでしょ? そんな珍妙な光景も、ダメダメの発想を理解していると、簡単に理解できるわけです。理解できても、そんな連中とは付き合いたくないことには、変わりませんが・・・ (終了) *************************************************** 発信後記 先日、間違っている日本語の例について、報道がありましたよね? しかし、言葉と言うものは「生きている」わけですから、時代とともに変わったりしますよ。今の正しい日本語だって、平安時代の日本語からみれば、「間違っている」わけですからね。あまり「崩しすぎる」のは問題ですが、一番大事なのは、相手にわかりやすく伝えること。その精神でしょ?そんなこと、あたりまえのこと。 その「あたりまえ」という言葉は、ご存知のように「間違った」日本語です。 もともとは、「当然」(とうぜん)という言葉。 それを、そそっかしい人間が、「当前」(とうぜん)と、漢字を間違って書いてしまい、その「当前」(とうぜん)という漢字を、そそっかしい人間が「あたりまえ」と読んだのが、「あたりまえ」という言葉の誕生の由来なんだそう。 バカバカしいけど・・・言葉なんて、そんなものですよ。 まあ、目次録なんて造語のタイトルを使っている、この私は、言葉をかなり崩して書くときもありますが、基本は押さえているつもりです。 ちなみに、ちょっと前に購読者さんからのお便りの返事に書きましたが、このメールマガジンの「ダメダメ家庭の目次録」は英語に直すと「INDEX FILE OF BROKEN FAMILY」と言った感じになります。目次の集合体であって黙示録(APOCALYPSE)ではありません。 家庭の黙示録だと・・・あまりに終末感が漂って来てしまいますからね。まあ、ダジャレも兼ねているわけですが、発行者としては、それぞれの項目を、辞書的に適宜参考にするような読み方がいいのでは?そんな感じです。当方としては、価値観を提示しているのではありません。ちょっとしたものの見方を、提示できればいいなぁ・・・と思っているだけです。それを参考に購読者さんが自分で考えていただくことが、このメールマガジンを発行している趣旨のようなものです。 後になって「ああ、そういえばあの時、メールマガジンに書いてあった・・・」と思い出して読み直してみる・・・それでいいんだと思っています。 説教するつもりも、終末感を漂わせることも、趣味じゃあありませんよ。それぞれの問題を一つづつ解決して行く・・・それくらいしか出来ないでしょ?そしてそれを確実にやっていけば、終末に至ることもなく、よくなって行きますよ。 |
||
R.10/12/3 |