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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな言い回し
配信日 06年9月26日
タイトル ごめんなさい
日本人は、よく「すいません!」と言う・・・と言っていたりする外国の人もいますよね?
『どうして日本人は、そんなにスグに謝るんだ?』

しかし、日本人の言う「すいません!」は英語で言うと「excuse me!」であって、「Sorry」でも「Pardon」でもありません。ニュアンス的には「チョット失礼!」ですよね?だから謝罪の言葉とは言えないわけ。
謝罪の言葉となると、「すいません」という言葉ではなく、やっぱり「ごめんなさい!」の方でしょ?

ダメダメ家庭の人間と謝罪については、深い関係があります。逆に言うと、謝罪の仕方なり頻度を見ることによって、その人がダメダメ家庭の出身であることがわかったりするわけ。

今回は、どうしてダメダメ家庭出身の人間が、「ごめんなさい!」と頻繁に言うようになるのか?様々な面から考えてみましょう。

1.「ごめんなさい」を言わせたがる家庭・・・ダメダメ家庭の親は被害者意識が強い。子育てだって「親である自分が被った被害」と捉えている。そんな被害者意識の強い人にとっては「ごめんなさい」と相手から言ってもらうことが何よりの喜びなんですね。だって、「自分が被害者だ!」と確認できるでしょ?何回も書いていますが、児童虐待の現場では「殴られる子供が加害者、殴る親が被害者」という認識になっているわけ。その関係を確認するためにも、子供に謝罪の言葉を言わせたがるわけ。そんな家庭で育った人間なので、何かと「ごめんなさい!」と謝罪するようになってしまう。それだけ、その家庭では、その言葉が頻繁に使われていたわけですし、子供がその謝罪の言葉を言わせられていたことがわかるわけです。

2.妄想の主人公・・・ダメダメ家庭の子供は、親のサポートがないので、自分の意向が実現される妄想の中に生きている。妄想の世界の中では、現実の反動で自分中心に世界が回っている。現実の世界を妄想で埋め合わせしているわけ。しかし、妄想が「主」で、現実が「従」の状態になっているので、現実だって「自分中心で世界が回っている!」というフィルターを通して見てしまうことになる。逆説的ですが、「自分がまったく相手にされていないからこそ、自分中心の世界が出来上がってしまう。」わけ。「自分中心に世界が回っているので、ワタシとしては責任重大!自分の失敗は、世界の崩壊を意味してしまう!」そんな妄想に浸っているから、「ごめんなさい!」なんて謝罪の言葉が出てきてしまうわけ。このことについては、以前に配信したことがあります。

3.人に合わせる・・・ダメダメ家庭では当事者意識がない。「自分でこれをやりたい!」なんて思ったりはしないわけ。ただ波風が立たないように「人に合わせている」だけなんですね。それにトラブルが起こっても、親が助けてくれるわけでもないし・・・自分の身は自分で守らないといけない。とにもかくにも「波風が立たないように・・・」と思っている。そんな人だから、人の神経を刺激しないように「ごめんなさい・・・」とか「すいません・・」なんて言葉が頻発するようになってしまうことになる。まあ、「とりあえず早めに謝っておこう!」というわけです。「万難を排して、これを実行したい!」なんて気持ちが持っていたら、とてもじゃないけど、謝ってばかりとは行かないでしょ?そのような妙に腰が低い人は、それだけ周囲に配慮しているわけです。それはそのような配慮を子供に要求する家庭の出身ということなんですね。


まあ、「ちょっと失礼!」という言葉なら、人間関係の基本と言えるでしょう。しかし、何かと「ごめんなさい」と言ったりするような人は、むしろ人間関係の基本ができていないわけです。
そんな人と接したりすると、何かトラブルがあると「ワタシを陥れようとしている!」なんて陰謀史観が爆発して面倒なことになったりするものなんですね。

何も陰謀史観のようなものまで持っていなくても、それだけ「人に合わせる」ことを強いる家庭ということだから、逆に言うと、自分の意向そのものを日頃から抑圧している。
そして、もし、「これをやりたい。」「これをわかってほしい。」ということになっても、その伝え方がわからない。
だって、それまで、ただ、人に従ってばかりだったんだから、自分の意向を伝えようとしても、今までやってことがないわけですからね。

本来なら、会話によって、自分の意向をジェントルに伝えていけばいいだけ。
しかし、その訓練ができていないんだから、どうしても強圧的な方法になってしまいますよ。それこそ、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ」末に爆発することになる。
これも前に書きましたが、いわば「窮鼠ネコを噛む」ことになってしまうわけ。
いざそんな事態になってしまうと、親譲りの被害者意識になってしまって、「報復」という位置づけになってしまう。報復だからこそ、落としどころがなく行くところまで行ってしまうことになる。

それまで非常に腰が低いと思っていた人が、急に逆上気味になってくる場合があるでしょ?
周囲への配慮なんて、必要十分というものがあるわけです。十分以上な配慮はむしろ危険人物というわけです。
必要以上に、「すいません」とか「ごめんなさい」と言い出す人は、ただ、人に合わせるだけしかできず、別の言い方をすると、会話の能力が低いわけです。
だから、その人に不満があってもそれを自分の中に貯め込んでしまう。
だから、結果的に大きな爆発となってしまう。

その人自身の不満が爆発する以外にも、子供にそのような謝罪の言葉を強いている家庭ということは、その家庭の支配者の怒りが爆発する場合もある。
児童虐待の被害者の子供が、「ごめんなさい。」とスグに言う子供だったりするでしょ?

本来なら、その時点で、周囲が適切に介入すれば、子供は助かる可能性も出てくるわけですが、これも頻繁に書いていますが、ダメダメ家庭を作る親は、自分たちのダメダメさが「ふつう」とされるダメダメな環境を求めるもの。
だから、子供がスグに「ごめんなさい。」と謝罪するような明らかな前兆に対しても、何も対処しない。
だから、結果的に、ごめんでは済まない取り返しが付かない事態になってしまう。

そんな環境で育って、たとえ、成人になるまで生き延びたとしても、自分に謝罪させることを強いた周囲に対する不信感がずっと残っていく。それに会話の不全はそのまま残っている。
だからこそ、大阪の小学校襲撃事件のようになってしまうわけ。

ミスをしたら、「ごめんなさい」と謝る。
これは、人間関係の基本。
しかし、ダメダメ家庭においては、トラブルが起きないように周囲に対して必死に配慮しており、その配慮の方法として「ごめんさい」という謝罪の言葉となっている。トラブル後ではなく、トラブルが起きる前に謝罪の言葉が出てくる時点で、かなりの危険と言えるわけです。
トラブルが起きないように必死に配慮しているわけだから、逆に言うと、いったん起こってしまうと、もう対処ができず、暴走してしまうものなんですね。
そんな暴走の前兆として、必要以上に使われる「ごめんなさい」という言葉があるわけです。

(終了)
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発信後記

このメールマガジンでは、ダメダメ家庭のレヴェルを超えた、いわゆる児童虐待の家庭について触れたりもしています。
先日も、北海道で連れ子を殺してしまった人がニュースになっていました。何でも「子供が言うことを聞かないから殴った。」との、お約束の言葉。

そこまで行ってしまうと、さすがに誰でもダメダメさがわかる。
しかし、程度問題はあれど、ダメダメの基本はそれほどかわらないわけ。

被害者意識が強い人間は、何かうまく行かない状態になると「じゃあ、自分はどうしたいのか?」を考えるのではなく「どっちが悪いのか?」を常に考えるものです。
「自分がどうしたいのか?」を意識して、それを当事者意識を持って自分で実行していくわけではないんですね。

そもそも「子供がオレの言うことを聞かない。」のはいいとして、「じゃあ、どのようなことを子供がやってほしいのか?」それが明確になっていたのなら、色々な方法が取れるでしょ?
しかし、被害者意識だけがあるので、「子供が言うことを聞かない」→「じゃあ、誰が悪いんだ?」→「子供が悪い。」→「オレは子供による被害者だ!」→「子供がオレに被害を与えている。」→「加害者である子供に復讐するんだ!」
と、虐待になっていくわけ。

程度問題はあれど、そのような発想の流れはポピュラーでしょ?
それこそ、韓国人が日本人に絡む発想と、基本はまったく同じ。
あるいは、各種のトラブルに介入するボランティアも「どっちが悪いのか?」という発想でしょ?典型的なダメダメ発想なんですね。

まあ、その北海道の虐待家庭も「ごめんなさい!」という言葉が飛び交っていたんでしょうね。逆に言うと、そのような事態になる前に、「見る人が見れば」わかるわけ。まあ、行政に期待しても無理でしょうから、せめて、自分たちが巻き込まれないように、事前に警戒するしかないんですね。
R.10/12/4