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カテゴリー ダメダメ家庭をめぐる環境
配信日 06年11月7日 (11年1月29日 記述を追加)
タイトル ポーランド・・・(韓国人のメンタリティとの共通性)
このメールマガジンでは韓国の問題を取り上げることが多くあります。
別に民族問題云々を申し上げているわけではありません。韓国人はダメダメ家庭の具体的な特質を、実に多く持っている・・・だから、ダメダメの例示としては最適である。そんな観点です。

もちろん、世界には多数の国があり、韓国と同じようなダメダメな特質を多数持っている国も多くある・・・それは簡単に予想できること。
ダメダメ家庭の特徴は、会話不全と、当事者意識の欠如と、強い被害者意識と言えます。
それらが、色々な形で合わさって、ダメダメの具体的な諸相になっている。

今回は、韓国と同じようにダメダメの特質を強く持っている国として、ヨーロッパのポーランドを取り上げます。

と言っても、私個人はポーランドには行ったことはありません。前回の文章において、ちょっと言及したアメリカの作家ウィリアム・スタイロンの小説「ソフィーの選択」の中で、アメリカ南部と、ポーランドの類似点を描写した箇所があります。
その類似点が、まったく持って、韓国とも共通、つまり典型的なダメダメ家庭の特質そのものなんですね。

アメリカ南部も、ポーランドもダメダメと言うことなんでしょう。

かなり長くなりますが、スタイロンが描写したポーランドとアメリカ南部の共通点を小説「ソフィーの選択」から抜き出してみましょう。
それに、せっかく、図書館から借りた本が、まだ手元にあるわけだし・・・

と言うことで、以下引用です。

『国の魂、内奥深く荒らされた陰鬱な心、苦悩の中から形成されたその心が、逆境と貧困と敗北からなるアメリカ旧南部のそれと類似しているのだ。・・・退屈なほど一定の間をおいて「よそ者」に規則正しく踏みにじられ、搾取されてきたポーランドは、南部と同じく貧困にさいなまれた農民的な封建社会だ。古い昔からの屈辱に対抗する一つのとりでが精神的な誇りである点も旧南部と共通している。家系や家名への誇り、それに概して作為的な貴族や身分への誇りがあることも記憶すべきだろう。敗北して、ポーランドもアメリカ南部も熱狂的な愛国主義を生んだ。その他にも、馬や軍事的な肩書きへの情熱、女性を支配下におきたいという欲望、民話を語る伝統、火酒の恵みに耽溺することなども共通だ。それに意地の悪い冗談の対象になることなども・・・
・・・どちらも、何世紀に渡ってすべてを包含する精神分裂病の悪夢を生み出してきた。ポーランドもアメリカ南部でも、残忍と憐怒、偏狭と理解、敵意と友愛、搾取と犠牲、焼き焦がすような憎悪とやるせない愛情と言った相対するものを、同時に作り出してきた・・・』
(「ソフィーの選択」前巻 346ページから)

いや〜呆れるほど、韓国についての描写と共通しているでしょ?もちろん、北朝鮮とも実に共通しています。
これらの心情なり行動を一言で言ってしまうと、こんな感じかな?

『習慣化された自己弁護』

「ワタシは悪くない!」
そのような自己弁護がもはや習慣化されてしまっている。「悪いのは全部○○のせいだ!」なんて言葉が、もはや何も考えずに出てくる。
そしてその犯人認定したものを、いじめることによって、「こいつのせいで、私はタイヘンなことに!!」「ワタシはかわいそうな被害者なんだ!」と自己確認の儀式とすることになる。

しかし、そうやって、自己弁護ばかりが上手になってしまったので、ますます「敗北」に慣れてしまう。そうやって「敗北」に安住して、ますます自己弁護。
いじめることが、自己弁護につながるので、どうしても、やり方がどんどんと残酷になってしまう。
自己弁護に浸って、自分で考えることをしないので、どうしても既存のカテゴリー分類だけでものを見る。だから人種差別が起こりやすい。アメリカ南部の人種差別はいうまでもないことですが、ポーランドのユダヤ人差別も有名ですよね?第2次大戦前のドイツにいたユダヤ人は、ポーランドから逃げてドイツに行ったという側面もあるくらい。それに、まあ、韓国人の人種差別については言うまでもないほどでしょう。

ポーランドも・・・周囲には大国がひしめいている。
ドイツ,ロシア,スウェーデン、かつてのオーストリア・・・
韓国も、北朝鮮も・・・言うまでもないこと。

「戦争しても、どうせ負けちゃうんだ!」と諦めきっているから、何も考えないし、何も準備しない。そうして見事に敗北して、「内部の敵」を探してリンチ。
「何もかもコイツのせいだ!」

そんな姿を見ていた周囲の人は・・・
『やっぱりアイツらは、ダメなヤツ!』

何でもポーランド人は、周囲の国から、「侮蔑」のまなざしで見られるそうですが、こんなことをやっていたら、そりゃ軽蔑されますよ。

日本人は、ヨーロッパの国々の違いなんてよくわかりませんが、やっぱりヨーロッパの中でも「格」が上の国と、格が下の国があるんでしょうね。これは単に人口とか、面積の問題ではなく、国民の品格のレヴェルという意味で・・・

ポーランド人は「ポラ公」(polack)なんて言われたりするそうですが・・・そんな言い方がいいわけがありませんが、そんな言い方をされるのを本人たちが呼び込んでいる・・・そんなもの。
そしてダメダメな人間は、自身に浴びせられたそんな侮蔑を、自分が受けた被害と捉え、逆上するばかり。逆上して、やっぱり、内部の敵をリンチして憂さを晴らす。そんなことばかりだから、周囲からますます相手にされなくなる。

小さい国でもスイスとかチェコだったら、侮蔑を向けられることはありませんよね?チェコはボヘミアだからボヘミアンなんて言い方がありますが、ボへミアンは、ちょっと違う意味だし・・・
チェコはそれこそボヘミアン・カラスなど工芸品もさかんで、首都のプラハは・・・私は、行ったことはないけど・・・きれいな街らしい。しかし、ポーランドには何があるの?
東欧の小さな国の中でも、様々な特徴がある・・・日本人には分かりませんが、そんな中ならダメダメについて考えるヒントもあるんでしょうね。

韓国の問題だって、韓国の事情から考えるよりも、ダメダメ家庭の一般的な特質から考えていった方が理解しやすいわけです。ダメダメな心は、どこにもあるわけですし、誰だって程度問題は別として、持っているわけです。

ちなみに、「ソフィーの選択」でのソフィーがポーランド人です。その恋人であるネイサンがユダヤ人です。このネイサンはやたらアタマがよく教養がある人ですが、ユダヤ人らしく不幸自慢の傾向がある。
「オレは、ユダヤ人だから、自分が苦痛や苦難の権威だと思っている。」なんて言葉も出てきます。自分が一番不幸な人間だから、他者の不幸には頓着しない・・・そんな傾向も持っている。

苦痛とか、苦難とか・・・そんな言葉からしか自分自身を考えられない・・・それって、やっぱりダメダメの典型でしょ?
こんな2人だからこそ、「入れ込み」「入れ込まれ」で、ドメスティック・ヴァイオレンスになり、やがて心中することになってしまう。

「ソフィーの選択」におけるソフィーもネイサンも、頭脳は明晰な人ですが、双方とも「自分が何をしたいのか?」が、明確ではない。
だからこそ、不幸を呼び込んでしまうことになる。そして、呼び込んだしまった不幸の原因を探し、報復する。
そんな報復活動に満足しているがゆえに、ますます「自分としてはこれをしたい!」という発想を持つことがない。
まず、「自分はこれをしたい!」って、掲げることは、誰だってできることでしょ?

しかし、心理的に抑圧してしまっていると、敵や犯人を設定し、報復活動をすることがアイデンティティになってしまう。つまり、対抗心に依存するようになってしまうわけです。
そして、心理的に抑圧してしまっていると、敵を設定するにも、自分でしっかり考えることなく、安直なカテゴリー分類に頼ってしまう。

それこそ、ポーランドではユダヤ人が、敵認定されたわけですし、
アメリカ南部は黒人が、敵認定されたわけです。
そして、韓国では、日本人が敵認定されているんでしょう。
そして、報復行為をすることで、自分たちこそ被害者であり、「悪いのは全部○○のせいだ!」と確認する儀式とするわけです。

別のところでも取り上げておりますが、11年でのサッカーの国際大会で、韓国人選手が、日本人を侮蔑するパフォーマンスを行ったとのことですが、つまり、彼らとしては、それだけ「敵認定」や「犯人認定」に依存しているんですね。
「うまくいかないのは全部○○のせいだ!」と、いつでも言えるようにしておかないと、言い訳ができないことになり、心理的に不安になってしまう。
だからこそ、その侮蔑のパフォーマンスも日本人に向けたものではなく、同胞である韓国人に向けたものになっているわけです。

自己弁護というのは、誰かに分かってほしいというものではなく、自分を納得させればそれでいい。
しかし、そんな姿が、周囲から侮蔑を呼んでしまうのは、本来なら子供でも分かること。
しかし、そんな侮蔑を受けるが故に、ますます「敵認定」や「犯人認定」に依存してしまう。
そんな姿は、ポーランドや、アメリカ南部や、韓国だけでなく、それこそ学校などのイジメの周辺でも見られたりするでしょ?

(終了)
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発信後記

「ソフィーの選択」の作者の死によって、この私も体の調子が悪くなってしまいましたが、改めて思うのが、「文章を書くことは、体に負担になるんだなぁ・・・」と言うこと。

こんなメールマガジンの文章でも、切り口はどうする?導入はどうする?緩急はどうする?エピソードはどうやって入れる?等々・・・色々と考えることがあります。
まあ、読む分には、そんなことまで読んでおられる方はいらっしゃらないでしょうが、書く側は色々と考えるわけ。

しかし、書くために色々と考えるので、文章を読むに際しても、「よく読める」ことになる。
「あっ?これはあのことね・・・」「この人は、もっとも重要な問題から逃避しているねぇ」なんて読んでいてスグにわかる。
よくわかるから、なおのこと体に負担になってしまう・・・
えっ?別に不幸自慢しているわけではありませんよ。
人間にはそれぞれ使命がある、ということです。
R.11/1/29