ダメダメ家庭問題の考え方 | 配信日分類の総目次に戻る |
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カテゴリー | ダメダメ家庭問題の考え方 |
配信日 | 06年11月17日 (10年11月20日 記述を追加) |
タイトル | きっかけへの配慮 |
劇場で生でオペラを見ていると面白いシーンがあったりします。ただ、舞台上ではなく、客席の中でのシーンです。 オペラ歌手が歌って、客席にいる観客からのブラヴォーの声。 そのタイミングが面白かったりするわけ。 馴れた人だったら、やっぱりちゃんとしたタイミングで声を上げることになる。 それこそ、歌手の歌がまさに終わって、「ブラヴォー!」となるわけ。 しかし、馴れていないとそんな芸当は出来ませんよ。そもそも、その「歌」が終わったのか、それとも単に息継ぎなのか、初心者にはわからないでしょ?そもそも、オペラなんて外国語なんだし・・・ 歌い終わったと思って喜んで拍手をしたのはいいけど、実は、単に息継ぎで・・・歌が続いているのに、一人だけ盛大に拍手をしている・・・それを白々と見つめる周囲の観客の目。 うわぁ〜ハズカシイ!! だから、初心者さんは、ベテランの観客のブラヴォーの声を聞いた後で、拍手をしたりするんですね。 しかし、馴れているベテランの観客は、歌った歌手の出来栄えやオペラ上演の「出来」や「美醜」もわかるはず。 本来ならベテランの観客は、ヘタレな上演にはブラヴォーなんて声を上げませんよ。 オペラでの公演の中には、歌手などの上演のレヴェルが素人レヴェルの時もあったりします。しかし、そんなヘタレな上演でも、なぜか、すばらしいタイミングで「ブラヴォー」の声が客席から上がったりすることもある。 いや〜、舞台上の歌手は素人レヴェルだけど、一流の観客がいるよ!まさしくプロの技だ!すばらしい! 歌手の方は「サクラチル」だけど、観客の方は「サクラサク」だよ!ブラヴォー! ブラヴォーという声を上げるのは、実に難しいわけ。それこそタイミングの問題もあります。前にも書きましたが、歌が終わったかどうか?なんて初心者はわからない。それだけではありません。ブラヴォー(bravo)はイタリア語で、まさに「すばらしい!」という意味です。だから「ブラヴォー」と言うより、「ブラーヴォ」と言ったアクセントの方が正確な発音。そして、この「bravo」というイタリア語は男性型の単語。だから女性の歌手が歌った場合はブラーヴァ(brava)と女性型で言わないといけない。また女性歌手と男性歌手のデュエットの場合は複数型でブラヴィ(bravi)と言う必要がある。イタリア語の活用の問題もあるんですね。 とあるイタリア人の女性歌手は日本の観客からブラヴォーと言われて逆に怒っちゃったとか。女性形のブラーヴァではなく、ブラヴォーと男性形で言われたので、自分への賛辞とは思わなかったんだそう。けど、しょうがないじゃん。まあ、歌手がイタリア人なら、ちゃんとしたイタリア語で讃えなければいけないのでしょうが、日本人の歌手が歌って、観客も日本人の場合も多いのに、どうしてイタリア語の文法が問題になるの?という疑問はもっともなんですが・・・まあ、お約束というヤツ。 いきなり脱線してしまって申し訳ありません。 まあ、今回はちょっとしたムダ話にしたいと思っているわけ。 私個人は、そんなプロの観客がいるような公演をする主催者の公演は、2度と行きたいと思いません。これは、プロの観客がケシカランなんて意味ではなく、歌手が素人レヴェルなのが問題だからです。歌手がプロのレヴェルだったら、プロの観客を配置して、無理に盛り上げる必要はありませんからね。歌手が一流だったら、自然と盛り上がりますよ。 しかし、これが純然たるアマチュアだったら、しょうがない。 たまにアマチュア・オーケストラからの招待状が来たりするので、その公演に行ったりすると、演奏しているオーケストラの技量はともかく、聴衆が初心者ぞろいのケースもあります。そんな時は、やっぱり拍手のタイミングがわからないわけ。聴衆の皆さんは、「ここで拍手をしていいのかなぁ・・・」と不安な雰囲気。そんな時は、「ここで拍手をするんだよ〜ん。」とばかりに私が拍手をすると、皆さんが安心して拍手をしだすわけ。ボランティア嫌いの私ですが、拍手のタイミングの指導役のボランティアくらいはしますよ。頼まれたわけではありませんが・・・ こんなことを書いたのは、政府が始めたタウンミーティングの問題に関してです。安部内閣での開催において、サクラの参加者がいたとかで問題になり、実際に「サクラ質問」があったとか。それに対して「サクラなんてケシカラン!」なんて清廉潔白で高潔な意見もあるようです。 しかし、考えても見なさいな。 タウンミーティングって、政府の大臣がいて、護衛のゴツイSPもいたりして、周囲は初めて見る人・・・そんな雰囲気なんでしょ?最初に質問するのは勇気がいりますよ。なかなかできることじゃあありませんよ。 誰かが切り出して、質問しやすい雰囲気にする必要があるでしょ? それこそブラヴォーと声を上げて、初心者の観客に拍手をするタイミングを教えるようなもの。初心者にはむしろありがたい存在なんですね。それに最初の質問は会場の雰囲気を決定してしまう。 やたら攻撃的な質問だと、会場の雰囲気は殺伐としてくる。 やたら専門的で高度な質問だと、別の人間は質問しにくい。 やたら教科書とおりの優等生的な質問でも、別の人間は質問しにくい。 最初の質問は、誰にでも理解できて、ちょっとくだけたもので、ユーモアがある・・・そんな質問であることが必要なんですね。「ああ、そうそう!そんなことをワタシも思ったことある!」そんな質問が理想。質問された側もニッコリしながら答える、会場全体も和やかな雰囲気になる・・・そんなわかりやすくて、ユーモアがある質問。 そんな質問って、実に難しいわけ。素人が簡単に出来るわけがありませんよ。 それに最初の質問だけではありません。会場の雰囲気が殺伐としてきたら、ユーモアのある質問で、場を和らげる必要があるでしょ?そんな質問を事前に用意しておくことも必要なんですね。 オペラ上演のブラヴォーの声も、アマチュア・オーケストラでの拍手も、ミーティングでの最初の質問でも、切り出しということは非常に重要で難しいわけ。 それこそ、「質問はありませんかぁ?」なんて声があった時に、会場がシーンとなってしまったら格好が悪いでしょ?そんな時にはちょっとくだけた質問を用意しておくと、別の人も質問し易いじゃないですか?気の弱い人は「こんなこと・・・聞いていいのかなぁ・・・」なんてどうしても思ってしまうもの。誰かがきっかけを作ってあげることも必要なんですね。 ダメダメ家庭出身者は、人に合わせすぎる傾向があります。何事にも無難に無難に・・・と強迫的に思っているわけ。そして、自分の考えを自分の言葉で伝えると言うことが不得手。だから、人前で質問することに抵抗がある。だから、ダメダメ家庭の問題を扱うミーティングを開催するのなら、そのようなサクラは、絶対に必要なんですね。質問しやすい雰囲気を作って上げることが必要になるわけ。そうでないと、自分の考えや、直面している問題を伝える発言することもできないわけ。 と同時に、回答する側の問題もあります。 ちょっと気に入らない質問に対し、余裕を持って答えられるか? その点も重要なんですね。 特にダメダメ家庭の領域のミーティングというかセミナーだと、その講師もダメダメ家庭出身者だったりする。そんな人は、質問に対し、余裕を持った受け答えができないことが多いわけ。これ以上の質問を受けつけないような強圧的なスタイルで回答することも多いわけです。 もちろん、特にダメダメ家庭の領域でのやり取りにおける質問は、その質問自体がトンチンカンなものも多い。 しかし、本当に切実な問題を抱えている他の人が、質問しやすい雰囲気になるような回答にすることも必要になるわけです。それが難しいのなら、サクラの質問者を用意して、雰囲気を変える準備をしておくのも意味があるわけ。 政府が主催したタウンミーティングのサクラさんはどんな質問をしたのかはわかりませんが、もし、くだけてユーモアがある質問だったのなら、それは積極的に評価されてもいいのでは?逆に教科書とおりの優等生的なものだったら言語道断。 サクラの存在が悪いわけではなく、会議の進行に貢献する出来のいい優秀なサクラなのか?会議をぶち壊す出来の悪い無能なサクラなのか?その違いの方が重要なんですね。たぶん、最初はそんな意図でサクラを用意したんでしょうネ、しかし、後になって形骸化してしまった・・・このようなことってよくあること。 会場の雰囲気を盛り上げるのは、それこそプロの仕事。素人ができることじゃあありませんよ。それなりの配慮なり技術が必要なんですね。 実は、このような切り出しの問題って、随所に見られるもの。それこそ文章でもそんな感じでしょ? わかりやすく、ちょっとくだけていて、ユーモアがある書き出しが最高なんですが、それってまさに言うは易し。中々できませんよ。しかし、読んでいる人の興味を触発し、思考を呼び覚ますような書き出しでないと、読んでいても面白くないでしょ? 逆に言うと、文章の書き出しを読んだだけで、その書き手がどの程度の人間なのか?見当もつくわけ。 やたら、説教くさい文章なのか? ブツブツと自己弁護調なのか? そもそも読み手に配慮していないような書き手なのか? これはいわゆるメールマガジンの文章だけではなく、プロの物書きの文章でも同じ。文書の導入部分で、その書き手の力量なんてスグにわかってしまうもの。 以前にこのメールマガジンで、ダメダメ家庭の人間は社交辞令がヘタという内容で書いたことがあります。社交辞令もいわば「会話の切り出し」。社交辞令はムダということではなくて、上手な切り出しは、どんな場面でも必要なんですね。 個別の対面でのやり取りにおいても、相手が言いやすい雰囲気を作ることも必要でしょ? そのためには、ムダなやり取りも必要になる場合も多いわけ。 特にダメダメ家庭の問題でのやり取りにおいては、そんなサクラのやり取りも用意しておいた方がいいんですね。 ダメダメ家庭の問題とは直接関係ありませんが、そのような「きっかけ」なり「切り出し」の問題に注目すると、コミュニケーションの問題も、より見えてくるようになると思います。 一般のメールだってそうですが、往々にして「最初よければすべてよし。」と言っても過言ではありません。だって、最初でコケれば、最後なんて読みませんからね。会議だって、最初で集中力がなくなれば、後は意欲がなくなるでしょ? 最初の切り出しに配慮することから、コミュニケーションが始まる。 まさに、そういうものなんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 シリアスなネタが多いこのメールマガジンですので、今回はチョット軽い話題にしてみました。 「きっかけ」の問題もありますが、ある種の「チェンジ・オヴ・ペース」も、会議なり文章なりには必要なもの。 しかし、そのようなことができるためには、やっぱり「引き出し」が多くないと難しい。 このメールマガジンでは、たまにお気楽なネタもやったりしますが、まあ、そんなネタは購読者さんの「引き出し」として使っていただければ幸いです。 |
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R.10/11/20 |