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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな言い回し
配信日 06年12月8日
タイトル なのかは知らないけれど 読者投稿の文章を中心とした文章です。)
前回に引き続いて「おひつじ座」さんからの投稿の文章を主体としたものです。
今回の事例も、ダメダメ家庭において「なじみ」のある情景だと思います。

************以下投稿 ************
お題:なのかは知らないけれど

具体的な例として私の母親から言われた言葉を引用します。

「あんたはほとんど実家に帰ってこない。何が気に入らない『のか知らないけれど』、私はあんたの気に触るようなこと何もしてないのに」

まず、「知らないけれど」という言葉そのものが、「当事者意識の欠如」を表しています。
母親は、「ワタシのいる家にどうして帰ってこないの?」という愚痴を私にこぼしているのですが、「実家」が母親の運営する家庭であるならば、「どうしてあの子は実家にほとんど帰らないのか?」を具体的に考える必要が出てきます。
それと「どうしたらあの子が実家にもっと顔を出すのか?」も合わせて考えないとね。

愚痴っているだけでは何も解決しないことは、子どもにだって分かることです。

また、なぜ子どもが実家を気に入らないのかを「知らない」と言い放っている時点で、「自分に責任を取る気はない」ということを同時に宣言してしまっています。

さらに、「私は気に障るようなことを何もしていない」と言い逃れをすることで、どんな「つもり」であっても「自分と子どもの間に決定的な溝がある」事実を認めることから逃げているのです。
「あんたの喜ぶことをいろいろしてきたのに」ではなく「気に障るようなことをしていない」という言葉も親子という関係の心構えにしては消極的に感じますね。

最後に上記の言葉自体、親が自問自答するものであって、子どもにぶつけて愚痴ってスッキリ!という類のものではないことは、分かりますよね?
本来なら親自身が考えなくてはならないことを子どもにぶちまけて、「私は気に障ること何もしてないのに!理由も明らかにせず 実家に帰ってこないあんたが悪い!」とでも言いたいのでしょうね。

言葉のままだと当事者意識の欠如。言い換えてみると被害者意識の爆発。

ダメダメは、やはり本人が覚悟を持って自覚しないと改善されないのですね。

***** 投稿終了 **************

前回の文藻において、「子育てを自分が被った被害」と捉えるようなダメダメな親が唯一相手になってくれるのは、自分の子供だけ。
と書きましたが、だから「付きまとわれる」わけ。
今回の情況はそんな情況です。

さて、このメールマガジンではダメダメ家庭を考えるに当たって、「どんな言葉が言われているか?」から考えるより、「どんな言葉を言おうとしないのか?」その点から考えていった方が理解が容易である・・・私は、よく、そう書いています。

このおひつじ座さんのご母堂の言葉ですが、「言おうとしない言葉」があるわけ。
たとえば、
「アンタに会いたい!」
「来てほしい!」
「話がしたい!」

という言葉を言っていません。実際にそうでしょ?おひつじ座さんの文章に登場しませんが、これは文章に登場しないだけでなく、実際のやり取りでも登場しないもの。このことは、何もおひつじ座さんのご母堂だけではないわけ。ダメダメな親に典型的なことなんですね。

ダメダメな親が、このような情況の際に言うのは、
「どうして帰って来ないのか?」
「親子は会うものだ!」
「たまには帰って来るのが自然だ!」

そう言われてもねぇ・・・
「たまには会うものだ!は良いとして、じゃあ、アンタ自身は本気で会いたいと思っているの?」
今回のおひつじ座さんの気持ちも、こんなところでしょう。
実際には親は「会いたい」と言っているわけでありませんよね?
会うことを肯定しているわけではなく、二重否定として、「会わないと、格好が悪い。」と思っているだけ。どうせ、顔を合わせたとしても、話が弾むわけもありませんしね。
ヘタに会ったとしても、「アンタとは別に会いたくなかったのに・・・時間がムダになった・・・あ〜あ、忙しい!忙しい!」なんてグチを言われるのがオチ。

「じゃあ、結局は、アンタはどうしたいの?」
ダメダメな人とのやり取りでは必ず思わされるのが、コレ。
結局は、自身でやりたいことがない。だからそんな人の物言いには否定形の物言いが多い。
まさに「気に障るようなことをしていない」なんて言葉になってしまう。
「気に障る」という言葉も、意味の上では否定形と言えますよね?
そして「していない」は、文法的にみて、純然たる否定形。
ダメダメ人間がよく言う「ワタシは悪くないわ!」と、基本的に同じ。否定形の精神のダメダメ家庭の人間は、そんな二重否定表現が多発しているもの。

「悪くない」という、否定形に満ちた表現を聞かされても、「じゃあ、結局は、アンタがしたのは、何?」
そうなるでしょ?

まさに「結局は、自分はどうしたいの?」
「自分は今まで何をしたの?」
「結局は、自分は何が言いたいの?」
その点を、考えることから逃避しているわけ。だから、そのようなことについては決して「言われない」。そんな人とのやり取りが楽しいわけがないでしょ?

しかし、そんな当事者意識とは無縁な人が出来ることは、唯一、子供を作ることくらい。そして、会話とは無縁の人にとって、唯一相手になってくれるのは、自分の子供。

厳しい物言いになってしまいますが、ダメダメ家庭の問題を考えるに当たって、それが基本的な情況なんですね。
その点を認めることを回避しても、現実離れした理想論で終始するだけ。現実的にはますます悪化してしまう。

まあ、この私はボランティアの連中を蛇蝎の如く嫌っていますが、ダメダメ家庭の現実を無視して、問答無用に正論をぶっこく連中が一番タチが悪いんじゃないの?
まずは、現実を直視することでしょ?
しかし、それは、自身にとって厳しくて、痛いものなんですね。

自分の親はダメダメだった・・・そのように話す人もいますが、本気で自覚していないケースも多いわけ。そんな人が語るのは、親からの被害ばかり。そうして「ワタシの親ってヒドイ人。ワタシってこんなにかわいそうなのよ!」そんなことばかり。
そうして「ワタシは自分の親を反面教師にしている!」なんて、言ったりする。
しかし、結局は、被害者としての自分しか語れないもの。まったく「カエルの子はカエル」なんですね。

自分の実家の問題を、厳しく考えた上で、「じゃあ、結局は、自分はどうしたいのか?」「結局は、何を言いたいのか?」そのような問題につなげていく。
しかし、ダメダメな自分の実家について考えるだけで、感情が昂ぶってしまうことは、今回の「おひつじ座」さんの文章が示しているとおり。言うほどラクなことではないわけです。

しかし、それをやらないと、ダメダメだった自分の実家が、自分の手によって再現されてしまう・・・
厳しい道のりですが、おひつじ座さんが、まずは、その出発点に立たれた勇気と決意には敬意を表したいと思います。
出発点に立つことすら、ほとんどの人はしない・・・それも、また現実なんですね。

(終了)
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発信後記

前回の配信で、投稿依頼の話を書きましたが、その人からは、最初のメール以降、連絡がありませんねぇ・・・
いずれにせよ、今回投稿していただいた「おひつじ座」さんには感謝申し上げます。
この文章が、「おひつじ座」本人ならびに、この文章をお読みになられておられる方々にお役に立てば、何よりです。

いつのまにか、12月になってしまって・・・
メールマガジンもドラフトがあがっている文章だけでも、それなりにありますから、どうやら2007年に突入することになりそうです。
2004年9月以来、数多くの文章を配信してきましたが、「それなりに」理解できていると、現在ちまたで起こっている家庭問題を「かなりの」程度は理解できると思います。
せっかくですから、どれか実際の事件を例にして、自分で考えて見られてはどうでしょうか?
うまく分析できたら、投稿していただけると助かります。
たまには、この私と違った視点もほしいなぁ・・と思っているところなんですよ。
R.10/12/5