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カテゴリー ダメダメ家庭をめぐる環境
配信日 07年1月12日 (10年10月19日 記述を追加)
タイトル 識者のコメント
さて、下記の文章は、児童虐待の深刻化に対して、その『専門家』がコメントしたものです。産経新聞の06年12月30日に掲載されたものだそうです。私はインターネットのニュースサイトで読みました。
ダメダメ家庭の問題が深刻化するに当たって、その家庭そのものの問題だけでなく、事件や事態を受け止める周囲のダメダメな環境もその要因になっている。その環境要因の一つとして、この分野の周辺にいる「識者」のトンチンカンな見解や発言による影響という問題ある・・・そのことは、このメールマガジンにおいて度々書いています。ということで、今回は、そのような識者さんのコメントについて考えてみます。

まずは、『識者』さんによる、そのコメントをお読みくださいな。

『児童虐待の実態に詳しい帝塚山大学心理福祉学部○○教授(児童福祉学)の話。
「児童虐待は家族の構造的な問題であることが多く、配偶者間暴力(DV)とも密接に関連している。被害児童を児童相談所が保護すると虐待している保護者が強く抗議し、時として行政側を相手取って訴訟を起こすことがあるが、これは 愛情からではない。子供への虐待が夫婦の共同事業となり、それを媒介として夫婦間のきずなを維持するための行為として組み込まれているのだ。被害児童が施設に保護されれば、DVや他の兄弟姉妹への虐待が起きる。児童虐待の深刻化の背景には育児に行き詰まった親を社会として補助し、導けないことがある。育児問題の解決方法が分からない親は子供と真剣に向き合えず、遊べず、育児の大切さや忍耐の必要性も理解できない。虐待する親自身も被虐待体験がトラウマになっていることが多い。複合的、構造的な問題が世代を継いで再生産されるのが児童虐待で、現代社会の根深い病理といえる。」 』

・・・なんだそう。

さて、このメールマガジンではダメダメな人間とのやり取りにおいては、「で、アンタ・・・結局は、何が言いたいの?」と思わされることが多い・・・このようなことを頻繁に書いています。
上記の「識者のコメント」の文章ですが・・・
このメールマガジンの購読者の皆さんは・・・上記の文章での識者さんは、結局は何が言いたいんだと思いますか?チョット考えてみてくださいな。
私にはさっぱりわかりませんヨ。
もし、説明できる人がいらっしゃいましたら、私に教えてほしいものですよ。

あるいは、上記の文章自体の意味はともかく、じゃあ、読んだ側が、一体全体どうすればいいんでしょうか?
この点についても、私にはさっぱりわかりません。

たとえば、自分の近くの家庭で、子供の泣き声と親の大きな声が聞こえる・・・そんな情況があった場合はどうすればいいの?
お茶でも飲みながら、「現代社会の根深い病理だなぁ・・・」と、しみじみ思っていればいいの?

たとえば、近所にそんな情況があったら、どこに通報するのか?あるいは、さっさと引っ越すのか?そのような実際的な問題の方が重要でしょ?あるいは、その家庭の子供と、どのように接するのがいいのか?

あるいは、自分自身が子供を虐待してしまっている。どうしよう?どこに相談すればいいのか?
そんな情況だったら、どうすればいいの?
「現代社会の病理だからしょうがないわ!」と割り切って、ゲンキに虐待に励めばいいの?

ダメダメ家庭の周辺では、あーでもない、こーでもない・・・と、議論のための議論をウダウダ・・・というケースが多い。そのことはこのメールマガジンで頻繁に触れています。
そもそも当事者意識がないので、自分で問題を解決する意欲がないわけ。むしろ、「ワタシはかわいそうな被害者なんだ!」という理屈につながるネタを探しているだけなんですね。

上記の識者のコメントですが・・・要は「こんな厄介な時代に生きることになっちゃって・・・ワタシって、なんてかわいそうなの?!」ってことじゃないの?

だから論理的にも支離滅裂。
コメントの最後の方に出てくる『世代を継いで再生産される』という言葉と、『現代社会』という言葉はどう結びつくんだろう?
私にはさっぱりわかりませんよ。
わかる人がいらっしゃいましたら、教えてほしいものですよ。

『世代を継いで再生産される』と言うのなら、「現代社会」ではなく、言うのなら「人間社会」と言った方がスジでしょ?だって世代を継いでいるんですからね。『現代』の問題とは言えませんよ。

このメールマガジンではダメダメ家庭の問題は、まさに有史以来続く問題である・・・と書いています。だってダメダメというのは当事者意識の欠如と、強い被害者意識が元になっているもの。そんなメンタリティーの人間は、どんな時代でも、どんな地域でもいるものなんですね。それこそ文学作品のジャンルでも、そんなダメダメ家庭を描いた作品も多くある。しかし、ボンクラな人間は、そんなことは全然わからない。

しっかし・・・
この『識者』さんも大学教授なんだから・・・大学で講義はするんでしょ?
こんなコメントを出すような人なんだから、さぞかし「スゴイ」講義なんでしょうねぇ・・・
そんな講義から、「なるほど!よくわかりました!!」と知見を得ることができる、その大学の学生さんは、さぞ優秀なんだろうなぁ・・・この私などは足元にも及ばないんでしょうねぇ・・・私などは、まさに靴紐を解く値打ちもないほど!まあ、こんな言い方は、ちょっとイヤミですね。

まあ、実際には、内容がないこと自体もわからないくらいのレヴェルの学生さんということなんでしょうね。何も受験の偏差値云々のことを言っているわけではありませんよ。だって、そのコメントが無内容であることは中学生でもわかることでしょ?どうして、その大学の学生にはわからないの?まあ、それはそれでしょうがないけど、そんな愚鈍な学生が親になったらどうするの?
それこそ現代社会の病理ですよ。
それこそ「世代を継いで再生産」の典型でしょ?

ちなみに、上記のコメントにあります、
1. 被害児童を児童相談所が保護すると、虐待している保護者が強く抗議し、時として行政側を相手取って訴訟を起こすことがある。
2. 子供への虐待が夫婦の共同事業となり、それを媒介として夫婦間のきずなを維持するための行為として組み込まれている。
3. 被害児童が施設に保護されれば、DVや他の兄弟姉妹への虐待が起きる。

などの事例に近いことは、このメールマガジンで以前に書いています。
「なぜこのようなことをするのか?」という心理についても書いています。
皆さんも、復習として、上記例題?を考えてみてくださいな。
「レポートとしてまとめなさい。」なんてことを言うつもりはありませんが、ちょうどいい機会ですので・・・

レポートを書いて、私まで送っていただければ、出来次第では「優」か「秀」を進呈しますよ。「ダメダメ家庭ならぬ、ダメダメ課程を優秀な成績で履修した!」なんて・・・自慢にはならないか・・・
あるいは、投稿文として採用します。
本来なら、その内容についての、ちゃんとしたレポートが書ければ、その大学教授より優秀ということなんだから、その大学に採用されるのがいいんでしょうが、一介の個人の私にはそんな権力はありませんからね。

そもそも、上記の大学って、名前からすると奈良県にある大学でしょ?
奈良県なんて、地元で頻繁にそのような事件が起こっているわけでしょ?
もっと身近な問題に目を向けないとダメでしょ?だって事例がスグそこにあるわけですからね。解決策のヒントだって、目の前にあるわけでしょ?

あるいは、自分が教えている目の前にいる学生のすべてが、「親としての適格者」と言えるの?親になるに当たって何が必要か?そんなことを自分たちで考えてもいいじゃないの?ただ、きっとこの学生連中は、「悪いのは全部、時代のせいだ!」「だって、現代社会の病理はすっごく深刻なんだモンっ、えへっ!」なんて言って、自分では何も考えないような連中なんでしょうね。

ダメダメな人間は、本気になって問題を解決する気がないわけ。自分がかわいそうな被害者であると認定するために、多くの問題があることが必要なんですね。

そもそも、『虐待する親自身も被虐待体験がトラウマになっていることが多い。』なんて本気で思っているのなら、「子供を作ることを止める」選択肢を提示しないとダメでしょ?
こんなもったいぶったコメントによって、「悪いのは現代社会のせいなんだから・・・ワタシも親から虐待されたんだから・・・ワタシたちはかわいそうな被害者なんだ。」から、「対処するのは加害者の側だ。」・・・そんな名目で、何も考えずに子供を作って、『やっぱりワタシは子供は嫌いだ!やっぱり社会が悪いんだ!時代のせいなんだ!』と子供を虐待する。そんな親を助長しているだけでしょ?とんでもないようですが、そんな親は実際にいますよ。

この識者さんがバカをやるのは勝手ですが、その被害は子供の側が受けるわけでしょ?
「ワタシって、なんてかわいそうなの?!」なんて自分の被害を語る人間は、結局は加害者になっているもの。この識者さんもその典型なんですね。
この識者のコメントから見受けられるのは、「厳しい境遇にある子供たちをどうやって助けるか?」という切羽詰った視点ではなく、まず自分たち自身の被害を考える発想ですよね?

「アンタは子供を作ってはいけない!」って、厳しいようですが、そんな現実的なことを言えないような人間は、結局は、不幸な子供をネタに楽しんでいるだけ。
実際に、このコメントの文章がその典型でしょ?

よく言う物言いに「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。」という言葉があります。
21世紀の我々の眼前に起こっていることも、ちょっと見方を変えると、人類の歴史の上ではいつでも起こっていること。だから、歴史に当たったり、あるいは、その歴史の荒波をくぐり抜けてきた芸術作品に当たると、現在発生しているトラブルも、道具立てやシチュエーションの面では違っていても、その心理としては共通していることもわかる。だからこそ見通しもつけられる。

しかし、愚者は、経験しか当たらないので、目の前の時代の現象しか見ることができない。
だからこそ、「時代が悪い。」とか「現代社会の病理」とかの文言を持ち出すことになる。
かと言って、「歴史を知らない」愚者さんは、「じゃあ、以前はどのようによかったのか?」「以前は、なぜによかったのか?」については何も説明できないわけ。
ただ、歴史を見ていないというだけ。

しかし、だからこそ、歴史から何も見通せないボンクラな人には受け入れやすい。
歴史から得られた知見は、その知見を受け入れる側も、ある程度は教養も必要になりますよ。しかし、眼前の現実に大騒ぎしているだけの識者の知見は、それゆえに、わかった気にさせてくれるわけ。しっかし、それではインターネットの掲示板の書き込みレヴェルですよ。
目の前の事件に大騒ぎするだけの、この手の識者さんは、賢者ではなく、愚者に近い存在なんですね。

ちなみに、話は変わりますが、身近に重要な問題が起こっているのに、どーでもいいことをウダウダ。
そして議論のための議論に終始する。
そんな大学関係者の姿を描いた作品があります。
「薔薇の名前」という作品。イタリアのボローニャ大学のウンベルト・エーコという人が小説を書いて、それをジャン・ジャック・アノーさんが映画化したものです。
大学関係者の姿を映画化と書きましたが、実際の舞台は中世の修道院です。
その修道院で起こった殺人事件の謎を解明する・・・そんなミステリーという名目の作品です。

謎を解明する・・・いわば「知」のあり方がテーマになっているわけ。
修道院での教義論争のシーンがあって、そこでキリスト教の細かな教義が議論されたりしますが、その議論を呆れた顔をして見つめる修道士がいるわけ。その修道士ウィリアムをショーン・コネリーが演じています。
「オイ!オイ!身近に殺人事件が起こっているのに、何をつまんない教義論を議論しているんだよ!コイツら、バッカじゃないの?」そんな雰囲気。
その修道士さんとしては、「現実をしっかり見つめ、それを才気をもって表現する・・・それが、本当の『知』ではないのか?」そのように考えている人。
まあ、そんな「表現」は、まさにウンベルト・エーコのこの小説そのものでしょ?

中世の修道院を舞台にしながら、結局は、現代の大学の・・・そして「知」のあり方を考える・・・そんな作品なんですね。
中世のミステリーロマン!なんて・・・まあ、いいけどさっ。

ちなみに、その「薔薇の名前」という映画はDVDで見ることができます。DVDになると、映像特典などがついていたりすることがありますよね?私個人はあまりそのような映像特典には興味がありません。見る時間がもったいないし・・・そもそも楽屋オチのようなものは、「見せてはいけない」類のものだと思います。
しかし、その時はたまたま見ていたら、撮影に使われた修道院の話が出てきました。実在の修道院を使ったそうですが、その修道院はドイツのエーベルバッハにある修道院なんだそう。

おお!ドイツのエーベルバッハかぁ・・・いやぁ!懐かしいなぁ・・・と、しばし感慨にふけることに・・・と言っても、そんなところなんて行ったことはありませんが・・・
行ったこともないのに、どうして懐かしく思うのかについて分かる購読者さんに、この私が言う言葉は、「アラスカに行け!」

まあ、あんな識者さんや、愚鈍な大学こそ、アラスカに行ってほしいものですが・・・

(終了)
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発信後記

今回の文章ですが、かなり怒りながら書いた文章であることは、お読みになられた購読者の皆さんには容易にお分かりのことでしょう。
と言っても、これでも文章はかなり抑えた調子なんですが・・・
正直言って、この識者さんのコメントは、本当に腹が立つコメントだと私は思うんですよ。
アタマも貧しいし、それより心が貧しい。万死に値するほど。

まあ、怒った調子をそのまま文章にするわけにもいかないので、その分は精神力で抑えることになりますが、それだけ精神的に負担が掛かる。
これでは身体がダウンするのも当然ですね。
というか、この今も胃がキリキリ言っている状態。

不幸な子供を一人でも救いたいという気持ちが少しでもあるのなら、こんなコメントにはならないと思いますが・・・
購読者の皆さんはどう思われますか?
R.10/10/19