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カテゴリー | チェックポイント |
配信日 | 07年6月8日 (11年1月18日 記述を追加) |
タイトル | その他の面 |
かなり以前に、「ワタシの夫は子育てに非協力的で・・・」なんて言葉を取り上げております。まあ、そんな言葉を言う女性にマトモな女性はいませんし、そんな言葉に対し、『まあ!なんてお気の毒なの?!』と同情する人にもマトモな人はいませんよ。 その折にも書きましたが、『子育てに非協力的』なのはいいとして、「じゃあ、何に協力的なの?」そういう話になるでしょ? 食事の後片付けや、フロ掃除や、庭の手入れをしっかりやっているのに、子育てには非協力的だとしたら・・・まあ、そうだったら、「ワタシの夫は子育てに非協力的で・・・」とグチるのも、論理的にありでしょう。しかし、それくらいの非協力だったらいいじゃないの?完璧な人間なんていませんよ。 しかし、現実はそうじゃありませんよね? 子育てに非協力的というだけでなく、全部に非協力的でしょ?存在するとしたら、子育てだけは手伝ってくれる・・・そんな夫はいるでしょう。しかし、子育てだけに非協力的な夫なんていませんよ。 ダメダメ人間は、被害者意識が強い。自分の被害を常に語り続けている。だから、その「語り」も上達する。そして、被害者意識が強い同類の人は、人から被害を語られると、単純に同情してしまう。そしてお約束の同情の言葉である『まあ!なんてお気の毒なの!』という声を発してしまう。 しかし、本当に物事を解決する意欲があるのなら、現状を的確に伝える必要があるでしょ? 「子育てだけに非協力的なのか?」 「あらゆることに非協力的なのか?」 ダメダメな人間が言いたいことは「ワタシはかわいそうな被害者なんだ!」ただそれだけ。 だから、一番とおりがいい物言いを使う。しかし、とおりがよくても、「それが一番的確な表現なのか?」というと全く別でしょ? 「ワタシの夫は子育てに非協力的で・・・」なんてグチを聞かされた人は、『じゃあ、別の面はどうなんだろう?』と考えてみる必要があるわけです。 その他の面から見えることが多いですね。 このような注意点は、ドメスティック・ヴァイオレンスに陥った女性が、実家に相談しないことについての理由として挙げる、「親に迷惑を掛けたくない!」も同じといえます。 ドメスティック・ヴァイオレンスの相談をしないのはともかく、 「じゃあ、結婚前に相談したの?」 「進学の際に相談したの?」 「子供の頃に相談したことがあるの?」 そんなその他の面も見ていく必要があるわけです。 いまだかつて、親に対して相談したことがないというのなら、「親に迷惑をかけたくないから相談できない。」という言葉も、間違ってはいないにせよ、的確な言葉とはいえないでしょ? これとよく似た事例が韓国の問題です。 韓国は日本にからんできますが、じゃあ、韓国と仲がいい国ってどこ? まあ、中国か北朝鮮だけでしょ?かと言って、所詮は韓国はその両国のパシリでしょ? 基本的には、世界中の国からマトモに相手にされていませんよね?韓国人だってそれがわかっているから、海外では日の丸がついた読めもしない日本語のガイドブックを持ち歩いて「ワタシは日本人だ!」と偽装するわけでしょ? そして、日本に対しては「日本には困ったものだ!日本の側のせいで、日本と韓国の関係はうまくいかないんだ!」と主張することになる。 しかし、日本以外の国とも、相手にされていないんだから、その理屈は本来なら通用しませんよ。 しかし、世の中の多くの人は「ワタシの夫は子育てに非協力的で・・・」なんて言われると単純に信じてしまう。 「親に迷惑をかけたくないから相談できない!」という理由も、簡単に通ってしまう。 同じように、「日本の占領のせいで韓国はダメになった・・・」というと、単純に信じてしまうケースが多い。 韓国のケースだと、アメリカともイギリスともアフリカ諸国とも、仲がよくて、日本とだけ仲が悪いのなら、そのような物言いも意味がありますが、実際はそうじゃないでしょ? 逆に言うと、ほとんどの面でダメダメだから、自分の被害を一番主張しやすい物言いで語ることになる。 何度も書きますが、韓国の問題は韓国人が決めること。 いつも失敗ばかりしている人が、また失敗して、「今回はこんな事情があって・・・」なんて言っても説得力がないでしょ? いつもは上手に物事をやり遂げる人だったら、たまたま失敗してしまった際に、「今回はこんな事情があって・・・」という弁明も意味があるでしょう。しかし、いつもは上手にやれる人は、たまたま失敗しても、そんな弁明なんてしませんよ。 あるいは、「ワタシの子供は、この家から出て行ったら、まったく訪ねて来ない。」というダメダメな親によくあるグチも、別の面から考えることで見えてくるもの。 「訪ねてこない」はいいとして、そんな親は子供に対して手紙を出すわけでもないし、電話を掛けるわけでもないし、誕生日プレゼントを送るわけでもないし、それに家の中には子供の写真もない。 あるいは、ちょっとやり取りが疎遠になりかけた段階で何も対処していない。 何も考えず、何も対処せず、「てきとう」に家にいただけ。そして、いつの間にか完全に没交渉になってしまっただけ。 「ウチの子は、まったく連絡も寄こさない。」とグチることはあっても、親の側も、子供にとって、同じ状況なんですね。 視点を変えることによって、その状況の本質が見えてくるわけです。 まあ、「ワタシの夫は子育てに非協力的で・・・」なんて言葉に、『じゃあ、その他の家事は協力的なの?』なんて聞いてご覧なさいな。 顔面蒼白になったり、逆に、顔を真っ赤にして逆上するだけ。 とおりがいい言葉の裏には、言いにくい言葉が多く隠されている。 せめて、当人自身がそれを自覚しながら言うのだったらまだしも、実際には、それを見たくないものだから、とおりがいい言葉に頼って、自分を騙すことになる。 「ワタシは悪くない!」なんてダメダメにお約束の言葉も同じ。 自分が決めたわけではないんだから、トラブルになっても「自分は悪くなんだ!」となる。それはそれではいいとして、『じゃあ、アナタは何を決めたの?』と聞いても、返事なんて返ってこないものでしょ? あるいは、インターネットの掲示板に入り浸っているのはいいとして、じゃあ、その他は何をやっているの?あるいは、その人なりの成果があるの?その手の人はインターネットの掲示板の価値については熱く主張したりするものですが、議論の成果や自身の成果など、それ以外の面こそが重要でしょ? しかし、ダメダメ人間は、一番とおりがいい言葉を言うばかり。 ダメダメ人間は、そんな傾向があるわけですし、そんな人たちとのやり取りでは、そんなことに気をつける必要があるわけです。 一般の人は、『じゃあ、その他の面は、どうなっているの?』と的確に指摘することはできないでしょう。しかし、そんなグチを聞かされると『・・・そうなのかもしれないけど・・・なんか違うんじゃないの?』と思うもの。まあ、フィーリング的に『違うのでは?』と分かれば十分ですよ。マトモな人は、そのようなフィーリングは持っているものなんですね。 逆に言うと、そんな言葉に単純に同情してしまう人は、被害者意識への同調性が高いということ。つまり危険人物なんですね。 この手の人間は、被害者意識が強いので、「触れられたく面」を指摘されると、逆上することになる。 よくあるのが、「偏見だ!」なる物言いです。 それこそ、「夫は子育てに非協力的だ!」というグチに対して、『じゃあ、何に協力的なの?』という質問をすると、「夫は○○と△△をやってくれる。」という回答ではなく、「どうして、そんなヒドイことを言うのよ!それは偏見だわ!」との回答の言葉になってしまう。 あるいは、ドメスティック・ヴァイオレンスにおいて『親に迷惑を掛けたくないのはいいとして、じゃあ、今までどんな相談を親にしたの?』という質問に対しても「結婚前に色々と相談に乗ってもらった。」とか「就職前に相談に乗ってもらった。」という回答ではなく、『ホンット、ヒドイことを言うのね!それは女性に対する偏見よ!』と逆上されるだけ。 しかし、その質問がどうして偏見になるのか、私にはさっぱりわかりませんよ。 しかし、ダメダメな人はスグにそんな物言いをするものでしょ? 現実の問題を現実に即して対処していくには、状況の周辺をしっかり把握する必要があるでしょ? よくある、10歳代の女性の妊娠出産の問題も、母子単独で考えるのではなく、周辺を含めた全体像を見る必要があるでしょ? たとえば、「10歳代で母親となってしまった自分の娘を、その実家はどのようにサポートしているのか?」その点をしっかりふまえないと、逆に言うと、そのように育ててしまった実家の流儀を繰り返すだけですよ。 実家が若くして母親となった自分の娘の育児をサポートしているのなら、単純に10歳代の母親が直面するハンディキャップの問題といえるでしょう。 しかし、実家のサポートもなく、母親一人で、あるいは、若い夫婦だけで、育児を行っているのなら、それは単純に若い母親の問題とは言えないでしょ? 母親の実家は何をしているの? それって、もはやネグレクトですよ。育児放棄ではなく、育児へのサポートのネグレクトですよ。 まずは、その点を母親自身に自覚させないと、その流儀を繰り返すことになってしまう。 周辺の問題まで目を配らないと、その本質は見えてこないわけです。 しかし、そのように事態の周辺部に目を向けようとすると、正論オバンが登場して、「偏見はよくない!彼女もがんばっているんだ!」と大仰に叫ぶことになる。 しかし、そんなオバンは、「偏見はよくない!」と正論はぶっこいても、その若い母親をサポートするようなことはしない。 むしろ、「ダメなオトコに騙されてしまって、まあ、なんてかわいそうなの?!」と若い母親に同情を寄せるだけ。そんな同情の言葉を受けてしまうから、その若い母親も、「自分はかわいそうな被害者なんだ!この人もそう言ってくれているわ。」と、自分を被害者としてしまう。 被害者だから、自分で現状を改善しようともせず、そのツケは結局は、子供に集約してしまう。 若い母親の問題を考えるにあたって、その母子だけを見ても理解はできないわけです。 逆に言うと、その母子の周辺に、実家の親ではなく、現実無視で被害者意識が強い正論オバンが徘徊していることが、その事態の本質や、将来について雄弁に語っているもの。 事態を語る際に、通りのいい言葉の裏には、多くの不都合なことが隠されている。 事態を本気に改善しようとしたら、その隠されている面を直視していく必要があるでしょ? しかし、そんなことをしようとすると、正論オバンや市民団体やボランティア団体が現れてメチャクチャにしてしまう。 「偏見だ!」という抗議の声は上げても、具体的なサポートは何もしない。 「まあ、なんてかわいそうなの?」という同情の声は上げても、具体的なサポートは何もしない。 ボランティアや市民団体はそんなものでしょ? そうして、結局はカタストロフになってしまって、「この女性は何も悪くない!この女性は被害者なんだ!あのオトコが全部悪いんだ!」と、血走った目で言い出す。 まあ、そのオトコも大問題ですが、苦境にある女性に対して、同情の声を書けるだけで真実から目をそらすようにし向けていたボランティアのような連中が一番タチが悪い存在なんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 ダメダメ家庭の問題を考える際には、「言っていること」から考えるよりも、「言われていないこと」「どうしても言おうとしないこと」そこから考えて行った方が、見通しもいい・・・ このことは、このメールマガジンで何回も書いています。 「ワタシの夫は、子育てに非協力的で・・・」なんて言葉もその典型ですよね? さて、そのように「言われていないこと」「言おうとしないこと」からダメダメが見える例が最近ありました。 なんでも、日本のテレビ局が若いゴルフ選手を盗撮をしたり、盗聴しようとしたらしい。 そのテレビ局の社長が曰く、 「ばっかじゃなかろうか。何を考えているのかとあきれた。腹立たしいし不愉快です。」 なんだそう。 この文章についても「言われていないこと」から見てみると、わかりやすい。 そもそも、上記の発言の主語は何? あるいは、目的語は何? どうして主語を言わないの?どうして目的語が無いの? 主語も、目的語もなければ日本語とは言えませんよ。 もし、的確な日本語を使うと、例えばこんな感じになります。 「ワタシは、このような行為をしてしまった職員の意図を理解できない。ワタシはその話を聞いて、何を考えているのかとあきれた。ワタシとしては、そのような行動をした職員に対し腹立たしいし不愉快な思いです。」 これが、適切な日本語でしょ?まあ、報道機関の人は、日本語は上手ではないんでしょうね。内容なり当事者意識の問題は別として、社長としては、的確な日本語を使う必要があるんじゃないの?社長がそんな不明確な日本語だから、部下が不始末をするんでしょ? そんな日本語とは言えない文章はともかくとして、じゃあ「一体何を言いたいの?」あるいは、聞き手は「何を判ればいいの?」 この社長の発言が言いたいのは、結局は、これでしょ? 「ああ!オレって何てかわいそうなんだ?!」 ダメダメって、見る人が見ると、スグにわかってしまうもの。 「何を言おうとしないのか?」 「言っていることはいいとして、じゃあ、その他の面は?」 そんな視点が、ダメダメを見分けるのに、重要な視点なんですね。 |
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R.11/1/18 |