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カテゴリー 弁解と謝罪
配信日 07年7月6日  ( 10年7月1日 記述を追加)
タイトル 彼らにも事情があって
ダメダメ家庭の人間は弁解がましい。
そもそも自分自身でどうしてもやりたいことがあるわけでもないので、どうしても減点法の考え方になってしまう。
「あのことをやったら、こんなデメリットがある。」とか、
「あのようにしたら、この人たちが困る。」とか・・・

もちろん、他者への配慮は必要ですが、まずは、「自分自身がどうしたいのか?」そのことの自覚が最初でしょ?他者への配慮の問題だって、その人の希望をちゃんと聞いて対応すればいいだけ。その人の意向を聞いて会話によって調整すればいいだけでしょ?影響を想定している人自身が希望を言わないのだったら、周囲だって配慮のしようもないじゃないの?

現実的には配慮しようがないわけですが、それでも配慮しようとするのがダメダメ家庭の「いい子ちゃん」。ダメダメ家庭の人間は、ある種「いい人願望」があるもの。親から「いい子でいなさい!」なんて言われ続けたことがトラウマになってしまって、人に迷惑をかけない「いい子でいなきゃ!」と切羽詰っている。だから、様々なシチュエーションで「ボクっていい子だよ!」なんて、アピールするような行動をしたがるわけ。

いい子という存在は、周囲の人の事を考え、悪いことはせず・・・なんでしょうが、それって、典型的な減点法でしょ?
しかし、常に減点法の精神なんだから、その減点への反応は鋭いものがある。自分に減点が及びそうになったら迅速に対応。現実的には、そのように自分に減点が及ぶ前に、もっと先のところで『戦線』を作っておくわけです。

このことについては、以前にこのメールマガジンで「他人弁護」というお題で配信しております。それなりにアタマが働くダメダメ人間は、自分と似た境遇にある人間に対して、それこそ「アナタは悪くないわ!」とか、「悪いのは○○の方よ!」なんて、弁護するようになるわけ。
いわば三段論法なんですね。
「アナタは悪くないわ。」→「ワタシはアナタとよく似た境遇です。」→「だから、ワタシも悪くない。」
これだったら、直接的な自己弁護ではないので、かっこうがいい。
しかし・・・かっこうがよくてもダメダメでしょ?

そんな面倒なことをするより、「自分はこのように考えているから、このようなことをする予定だよ。ワタシに要望があるのなら言ってね!」って、はっきり言えばいいのに、当事者意識がないダメダメ人間にとっては、そのことが一番難しいこと。

結局は、他人弁護に明け暮れることになってしまう。

誰かを弁護することによって、自己弁護をしているわけ。
そんな人間がよく言う言葉が、
「彼らにも事情があって・・・」

それこそ、
「あの人たちは、どうして全然努力もせずに、グチばかり言っているの?ワタシあんな人たち大嫌いっ!」
そんな言葉には、
『いやいや・・・あの人たちにも事情があって・・・』
そんな感じのやり取りをやった方も多いでしょう。

その他の具体例だと、
「韓国人って、日本に文句ばかり言っているけど、彼ら自身はいったいどうしたいの?バッカじゃないの?」なんて言葉に対し、
『彼らと日本との間には、過去に色々と事情があって・・・』
こんなやり取りも、それこそポピュラーでしょ?

あるいは、「あの少年はどうしてあんなに悪いことばかりやっているの?」
そんな言葉には、
『彼らの環境にも、色々と事情があるんだよ!』
まあ、そんな同情ともつかない弁解の言葉もポピュラーでしょ?

往々にして、「彼らにも事情があって・・」などと他人弁護するような人は、その事情とやらの具体例を言わないもの。ただ、「色々と事情があって・・・」というだけ。だって、そんな他人弁護をするような人間は、「じゃあ問題を解決し、事態を改善するためにはどうすればいいのか?」そんなことは考えていないわけ。ただ、他人弁護をすることで自己弁護をしているだけなんですね。その具体的な事情を取り上げ、改善策を具体的に考え、対処することはしない。
実際に、そんなものでしょ?

人間は誰だって事情くらいありますよ。

事態を改善しようとしてアクションを起こして、結果的に上手くいかなかった場合には、その事情もしょうがない。
しかし、対処もせず、そもそも「自分はどうしたいのか?」そのことを考えない場合の事情って、じゃあ何?
それは事情とは言えないでしょ?
「自分がどうしたいのか?」明確に自覚していれば、その実現のために、「解決が簡単な事情」から手をつければいいだけでしょ?

それこそ、このメールマガジンだって、書籍にするためには事情もありますが、文章をまとめ多くの人に読んでもらうという目標だったら、無料メールマガジンでOK!でしょ?
目標が明確だったら、方法論も色々とあるわけ。

「事情、事情」なんて連呼するような人間は、そもそもの目標がないわけ。まあ、そんな人の存在するスローガンは「ふ・つ・う」。

本人たちが、そんな自己弁護を繰り返し、どんどんとダメダメになっていくのは勝手ですが、自己弁護をしないで済むように他人弁護をするような人間は、その弁護先の他人のダメダメを進行させてしまうんですね。

そして、お仲間が集まることになる。
自分の実家の問題から逃避しているもの同士や、自分自身から逃避しているもの同士がより集まるわけ。
上手く行かないことがあると「アナタは悪くないわ!」と同情することしか能がないダメダメボランティアが集まってくる。そして、グチが共鳴するばかり。
だから何も改善せず、同じトラブルを繰り返す。

ダメダメ人間にしてみれば、自分自身や自分の親の問題はアンタッチャブル。
だから、他者の問題にしてしまいたい。
だから、ボランティアをして、積極的に他者の問題に干渉し、色々と事情を探し、弁護する。

しかし、それは、自分自身の問題に向き合うことからの逃避なんですね。
周囲の人に甘い人は、要は自分に甘くありたいだけ。
「アナタは悪くないわ!」と、お互いで言い合いたいだけ。

その「つけ」や「ひずみ」を、遠くの存在なり、一般的な存在にぶつけることになる。
「政治が悪い」とか、「時代が悪い」とか、「アメリカが悪い」とか・・・

そんな人は、子供などの家族に対しても、ムダに甘いもの。
子供が努力しようとしているのに、それを妨害するわけ。
「オマエは被害者なのよ!だから何もしなくてもいいんだ!」
そんな甘い言葉は、ダメダメな親や、ボランティアの連中がいつも言っていることでしょ?

だって、「この人が、これから社会でどのようにやっていくのか?」「どんな能力が必要なのか?」そんなことについて何も考えていない人間なんだし、当人自身が子供などに語ることができる成果もないんだから、人の努力をくさしたり、妨害することしかできないわけ。そして、実際にトラブルになって「アナタは悪くないわ!」と弁護する。

しかし、その手の人間は、トラブルの後になって同情の言葉を掛けたりしても、トラブルを避けるという発想もないし、役に立つアドヴァイスもしない。

「いやぁ・・・彼らにも事情があって・・・」
その言葉は、それで、いいのですが、じゃあ、その彼らの事情をどうするの?そのまま放っておくの?

たとえば、決して豊かではない家庭でありながら、子供をどんどんと作っている家庭があったりするものでしょ?あるいは後進国なんて、国全体がそんな感じでしょ?そんな人たちだって事情があるでしょう。しかし、そんな家庭で生まれて育たなくてはならない子供はどうなるの?そんな子供の事情はどうなるの?子供のことはどうでもいいの?

そんなに彼らの事情に同情したり共感するのなら、親はともかく、子供くらいは引き取って自分で育てればいいじゃないの?
「アンタがそんな境遇にある子供を引き取ればいいじゃないの?それが子供のためだし、親も喜ぶでしょ?」そんなことを言ったりすると、どう回答するでしょうか?
まさに、この言葉。
「いや・・・オレにも事情があって・・・」

(終了)
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発信後記

この文章は、かなり以前に書きあがっておりました。

なぜ今回配信したかというと、テレビ番組でとある政治家が、少年法の改正問題で、まさに「彼らにも事情があって・・・」と発言した・・・らしい・・・ので、今回配信することにいたしました。

未成年者の犯罪に対し、厳罰で臨むだけが方法ではない・・・彼らにも事情があるんだ!

おっしゃることは、そのとおりなんですが・・・
重要なことは、その「事情」をどうやって、改善していくか?でしょ?
そもそも、ダメダメな親は、「自分の子供が一人前の市民になってほしいし、親としてそのように育てる義務がある。」なんて、そもそも考えない。
そのことが、まさに未成年者の犯罪における事情でしょ?

だったら、それこそ、未成年者の犯罪の際には、加害者の親が刑務所に行けばいいわけでしょ?
そもそも未成年者を刑務所に放り込んでも、ダメダメな親元に戻ったら、またワルくなりますよ。

子供のダメダメの原因である親をどう更正させるのか?
その視点がなければ、いつまでも「彼らにも事情があって・・・」と言い続けるだけ。それでは何も改善しませんよ。
「彼らにも事情がある」と思っているのなら、せめてその事情を本人が自覚するようにならないと、意味がないでしょ?せめて、その事情を当人に説明すればいいじゃないの?
それくらいは、お金とは関係なしに、できることでしょ?

ただ、「事情があって・・・」だけではねぇ・・・

しかし、このような「彼らにも事情があって・・・」という言葉が、単なる他人弁護であって、結局は自己弁護であることを理解すると、その政治家の発言なり対応も、わかりやすいもの。
結局は、「ボクが悪いんじゃないんだ!」と言いたいだけなんですね。
R.10/7/1