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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな言い回し
配信日 07年8月17日  (10年6月5日に大幅に記述を追加)
タイトル 関係ない (重要じゃない)
ダメダメ家庭は否定形の物言いが多い。
「ダメ」とか「ない」とか「違う」とか・・・
と言うことで、今回は「関係ない」という言葉を取り上げましょう。

「関係ない」なんて、どうと言うことない「ふ・つ・う」の日本語でしょ?
そんな、ありふれた言葉なんて、それこそダメダメの問題に関係ないのでは?

そう思った人もいるのでは?

しかし、皆さんも思い起こしてくださいな。
人とのやり取りをしていて、かなり早い段階から「そんなことは、この話題と関係ないわ!」なんて言い出す人とのやり取りで、何か価値ある結論が導き出されたことがありましたか?
「そんなことは関係ない!」なんて一言で、そもそも会話の雰囲気がしぼんでしまうものでしょ?

たとえば、今現在、ある話題について議論している状況としましょう。
「現状の理解のためには、どんな考え方や視点が有効なのか?」
「事態を改善するためには、とりあえず有効と思う考え方や視点を元に、その問題を考えてみよう!」
それで、いいんじゃないの?
どうして、議論の最初から「関係ない!」なんて、断定し、いきなり排除する必要があるの?
「とりあえず、こちらの考え方は、後回しにしておきましょう。」
言うとしたら、それでいいじゃないの?
しかし、ダメダメ人間とのやり取りでは、かなり早い段階で「関係ない」という言葉が出てきてしまうものなんですね。

実際の例で、面白いなぁ・・・と思ったのは、この私にご意見をされた方の文章にそんな表現があったんですね。
このメールマガジンでは度々韓国の問題に触れております。何も韓国そのものが問題ということではなく、ダメダメの問題の例示としては実に「役に立つ」というだけ。だって、必ずダメダメの実例があるんですからね。
ただ、度々触れるので、不快に思う方もいらっしゃるでしょう。
韓国の問題に関連して、とある方より、「何を食べるのか?どんな言語なのかは、その人の精神には関係ないと思う。」とのご意見でした。

何も、意見は、人それぞれ。私としては、自分とは違った考え方を言下に否定するつもりはありませんよ。
ただ、不思議に思ったのは、私は韓国人の食生活について言及したことはないので、「そんなことを言われてもなぁ・・・」と思っただけ。私にご意見をされた方は、たぶん、韓国人の犬肉愛好を想定しているんでしょうが、私は屠殺の方法は言及したことがありますが、犬を、当人たちが、食べること自体は、ダメダメとは思っていませんよ。

まあ、このご意見の方が、「食生活や言語は精神の問題とは関係ない。」と、どの程度まで確信を持って考えているのか?どの程度まで自分でじっくり考えた上での考えなのか?私としては、その点が不思議なんですね。
いうまでもなく、人間は言語を使って考えます。言語は思考の枠組みを作るもの。言語は思考の道具であることは誰だって認めるでしょ?料理の際、魚をさばくにあたって、包丁を使うのか?カッターナイフを使うのか?ノコギリを使うのか?それによって切れ方なんて全然違ってくるでしょ?たとえば、ある事象を表現し記述するに当たって、能動形で表現するのか、それとも受動形で表現するのか、そのようなことは、実際の心理と直結しているもの。言語と精神は、実に密接に絡み合っているものなんですね。

あるいは、食生活も精神と深い関係がある。
「何を食べ物とするのか?あるいは、しないのか?」そういう問題は、「タブー」の問題と直結しています。動物にとって、一番自分の身になる食べ物は、たんぱく質構造が近い動物。人間にしてみれば、魚より哺乳類。哺乳類でも人間に近いもの。まあ、人間を食べるのが栄養的には理想。そして同じ人間でも、より自分に近いもの。つまり自分の親戚。親や兄弟や自分の子供が栄養的には一番身になる。しかし、一般的には、そのようなものは食べない。この食べない理由は、「栄養を吸収する」という観点からは説明できない。いわば精神的「タブー」の領域なんですね。そのタブーは、別の例だと性の問題と同じ。まあ、一般的には、自分の近親者は、そもそもそのような対象とは「もともと」考えない。しかし、たとえばプトレマイオス朝のエジプトのクレオパトラのように近親者と結婚する文化もある。
タブーというものは、文化に依存するわけですし、逆に言うと、文化に影響を与えている。
もちろん、遺伝子的な近親性がでてくると、食としても、あるいは、性の問題でも、病気の発生が起こりやすい。
そんな知恵が、ある種のタブーとして、人間の文化に反映されたりする。
タブーは文化に直結しているわけですし、それは食の問題をみれば、典型的に見えてくるもの。

まあ、そんな感じで理路整然と説明できる人が多数というわけではないでしょうし、そもそも「関係ない」ということ自体を論理的に証明することはなかなか難しい。だから、「関係ない」と言っておけば、なかなか反論されないもの。
だから、深く考えることもなしに、「関係ない」なんて言ってしまう。
その「関係ない」という見解が、当人なりにじっくり考えての上だったら、たとえそれが間違いであっても、それはしょうがない。
しかし、じっくり考えていないのに、いきなり「関係ない」なんて言う人も多いんですね。
このようなことは、何もメールマガジンに対するご意見のメールだけでなく、一般的なやり取りでも同じ。

それこそ、話が実家の問題に移りそうになったら、
「実家の問題は、この問題とは関係ないわ!」
そんな感じで、即座に防御してしまう。

本当に「関係ない」のなら、焦って「関係ない」なんて言わなくてもいいでしょ?
「とりあえず、こっちの観点から考えて行きましょう。実家の問題は必要に応じ、後になって考慮していきましょう。」
それでいいんじゃないの?
本当に関係がないのなら、その考え方を取り入れなくても、十分な結論が得られるわけでしょ?だったら、結果的にそれが不必要になるだけ。いきなり除外するのではなく重要度の高いと想定できるものから議論すればいいだけ。

もし、「関係ありそう」な観点から議論して、有効な結論が得られなかったら、今までとは違った観点も取り入れていく必要があるでしょ?そうなったら「関係ない」とされていた観点も、取り入れた方がいいじゃないの?
なぜ、そんな当たり前のことができないの?

それって、その人にとっての「触れられたくない部分」だからでしょ?

「関係ない」ということの証明は、当人が「関係ある」と考えていることを元に、説得力のある結論を得れば、それが、まさに「その点は関係ない」の証明になります。
繰り返しますが、その観点なしに有効な結論が得られること・・・それが「関係ない」ということの証明といえるでしょ?
そんな結論から、「ああ!確かに、あの点を考慮しなくても、いい結論を得ることができた!やっぱり関係なかった!」となりますよね?
それでいいじゃないの?なぜそうしないの?
どうして、いきなりアンタッチャブルにしてしまうの?

この「関係ない」とよく似ているのが、「重要じゃない」という言葉です。
まあ、言葉の使われた方はほとんど同じと言えます。
「重要じゃない」という言葉の場合は、プライオリティーに目が行っているだけ。

人とのやり取りで、実に早い段階で「そんなことは、この問題の議論には重要じゃないわ!」「そんな些細なことが何になるの?!」なんて言い出す人って、実際にいますよね?
あるいは、相談の場においても、「今回の問題には、そんなことは重要じゃない!」なんて、熱く語る人っていたりするでしょ?
相談を『受けた』側が、「その点は重要じゃないよ。」と回答するのは、まあ、ありでしょう。
しかし、相談をする側が、「重要じゃない」という言葉を言い出したりすることが多いんですね。

しかし、それってヘンでしょ?
何が重要で、何が重要でないか分かっているのなら、つまり、そんなに的確な現状認識ができているのなら、人に相談をする必要はありませんよ。
当人が、重要と考えていることを組み合わせて、自分なりの解決法を見出していけば済む話じゃないの?

「この点とあの点が重要で、あっちの問題は重要じゃない。だから、ワタシはどうすればいいの?」
そんな相談はシュールですよ。
「そんなに自分で事態の要素の重要度がわかっているのなら、自分で解決しなよ!」って、私でなくても誰だって思いますよ。
皆さんも、そんな相談を受けたことがあるのでは?そんな相談を受けたら、「コイツはバカか?!」って思ったでしょ?

本気で自分の現状を解決しようと思っているのなら、できるだけ多くの情報を伝える必要があるでしょ?そもそも、何が重要で何が重要でないのか、その判断が間違っているからトラブルになってしまったわけでしょ?
本来は無意味なことにこだわってしまって、重要なことには目をつけない・・・そんな状態だったら、そりゃ、トラブルになりますよ。だから、トラブルが怒った時には、プライオリティーを見直す必要があるでしょ?
トラブルの原因となった、間違ったプライオリティーを、相談相手に押し付けて、「これで解決してくれ!」って、ギャグですし、失礼でしょ?

たとえば、コースの料理を食べる際に、「最初はこっちの料理を食べて、次には、あっちの料理を食べて、ここでワインを飲んで・・・最後にはコーヒーを・・・」そんな手取り足取りの指導もいいのですが、食べ慣れていない側・・・つまり相談を持ちかけた側が、そんな指導をしてどうなるの?

そんな「重要じゃない」なんて言葉が早い段階で出てくる人は、結局の目的は「ワタシがかわいそうな被害者であることを分かってほしい!」、あるいは「アナタの知識や論理で、ワタシのかわいそうなところをうたい上げてほしい!」ただそれだけ。
だからこそ、「かわいそうな被害者」につながらない情報は「重要じゃない」「関係ない」という名目を持ち出しカットしてしまう。

そうして、相手から「まあ!なんてお気の毒なの!アナタは全然悪くはないわ!」と言ってもらって大満足してしまう。
そんな人は、事態を改善することが「重要ではない」わけです。
「重要じゃない」という言葉は、ダメダメを考えるには、重要な言葉なんですね。

ダメダメ家庭の問題を考えるにあたって、「言っていること」「やっている」ことから考えるよりも、「言おうとしないこと」「やろうとしないこと」から考えた方が考察が進むと、このメールマガジンでは頻繁に書いています。
ダメダメの領域におけるトラブルは、一番肝心なことを、まさにタブーとしてしまって、目をそらしてしまっていることが積み重なって、ニッチもサッチもいかなくなって、ドッカーンとなってしまう。
逆に言うと、目をそらそうとしている、その対象自体が、トラブルの原因の可能性が高いわけです。
そして、そんなアンタッチャブルな領域の大きさが、トラブルの要因でもあるといえる。

その人が「関係ない」「重要じゃない」なんて一言で、議論から排除し、「見ようとも」「言おうとも」しないようにしていること・・・そして、その「食いつき」のよさ・・・そのこと自体が、『実に重要』で『関係が深い』ということの証明なんですね。

(終了)
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発信後記

ちなみに、「食生活や言語は、その人の精神に関係ないと思う。」と意見をされた方を、非難しているわけではありませんよ。
「関係ない」という言葉は慎重に使った方がいい・・・と言うだけです。たぶん、もう購読されていないでしょうが・・・

「関係ない」と否定形で主張するよりも、「自分はこの問題を、このような事例を元に考え、このような結論を得ている。」と肯定形で言えばいいだけ。
安易に「関係ない」なんて言葉を使うような人は、「自分ではどのように考えているのか?」ということをまとめることから逃避しているケースが多いわけ。だから、ちょっと説明されると、そそくさと逃げ出してしまう。

「自分ではこのように考える。」なんてことが出来ている人は、相手から反論されても、「しかし、このような事例もあるし、その事例は、コッチの視点から考えた方が説明しやすいよ!」と言えて、やり取りも弾むでしょ?

会話って、考え方が違うから、弾まないのではなく、会話の基本姿勢が違うから弾まないものでしょ?そして、自分のアタマの中でやる会話が思考というもの。会話の能力は思考力と、実に関係が深いわけです。
会話が上手でないことは、単に表現能力の問題という以上に、自分の言っていることが、本当に自分のものになっていないことの証明だったりするものなんですね。
R.11/1/11