トップページに戻る | 配信日分類の総目次に戻る |
カテゴリー分類の総目次に戻る | タイトル50音分類の総目次へ |
カテゴリー | 自己への抑圧 |
配信日 | 07年9月4日 (10年5月13日に記述を追加) |
タイトル | アンタッチャブル領域の増殖 (過去の遮断) |
ちょっと前に、奈良県で救急車に乗った妊婦の方をたらいまわしにして、結果的に流産という事態になりました。 なんでも、奈良県では同じような事件が、1年前にもあったとか。 まあ、騒音オバサンくらいなら、特殊な個人の例と言えるかもしれませんが、たらいまわしということは、個人の問題とは言えないでしょ?たらいまわしなんて、人間一人だけでは、できませんからね。 本来なら、前にあった事件を踏まえて、問題点を改善する必要があるでしょ? しかし、そのような改善は、まあ、関西では・・・難しいんでしょうね。 関西という場所は、実にアンタッチャブル領域の多い場所と言えます。 それこそ、民族的アンタッチャブルや、出身地アンタッチャブルや、宗教的なアンタッチャブルや、アンタッチャブル政治団体や、アンタッチャブル武装団体も、関西が本場でしょ?そして、それぞれのアンタッチャブルが絡み合っている状態となっている。 現状の改善のために、何か方策を取ろうとすると、その手のアンタッチャブルの利害と関わることになってしまう。アンタッチャブルは、まさにアンタッチャブルなんだから、接触が発生した時点で、もう何もできなくなってしまう。 それこそ、救急車のたらいまわしのような問題だって、たとえば医者の方を救急車に乗せて、移動させて、どこかの救急病院で落ち合う・・・なんて方法だってあるでしょ? 少なくとも、たらいまわしよりもマシですよ。 あるいは、産婦人科医が他の府県よりも不足しているのなら、高給で引っ張ってくることも検討する必要もあるのでは?背に腹はかえられませんよ。 しかし、そのような新たなことをしようとすると、イヤがる人も出てくる。単にイヤがるだけでなく、「そんなことは、我々の人権に対する不当な侵害だ!」「アイツだけ優遇しやがって!差別だ!」なんて主張し始める。 怖〜いアンタッチャブル集団からそう主張されたら、現実的にはどうしようもないでしょ? そもそも、「そんなアンタッチャブルな人を、そんなポジションに就けなければいいじゃないの?」と思われる方も多いでしょうが、もし、そんなポジションに就けなければ「どうして我々を差別するんだ!我々の人権に対する不当な侵害だ!」とやっぱりクレーム。そのポジションに就けたら、ちゃんと仕事をしてくれるのならともかく、実際には何もしないことは、年に数日しか出勤していなかった公務員もいたことから、明らかでしょ? その手のアンタッチャブルな集団の出身でも、マトモな人は、そんな場所から出て行ってしまいますよ。そんなハンディキャップがない場所で一からやり直せば済む話でしょ?だから、関西に残っているようなアンタッチャブル集団の人は、そもそも向上心がない人なんですね。まあ、出て行かない残り物が関西に残るだけならまだしも、現実的には、日本各地から、同業者が寄ってくることになる。ある種のアンタッチャブルが成功すると、別の種類のアンタッチャブルも寄って来ることになる。 だって、甘い汁が吸えるわけですから、その手の人は寄ってきますよ。それに、寄って来るのは日本各地からだけではないわけですし・・・ そうなると、アンタッチャブルはどんどんと増殖するようになってしまう。 アンタッチャブル人間が増殖するだけではありません。アンタッチャブル人間の主張する「我々の人権に対する不当な侵害だ!」のような主張もどんどんと増殖してしまう。それこそ、「もっと補助金をよこせ!」なんてことになってしまう。 アンタッチャブルをいったん認めたら、その種の人間が増殖するだけでなく、その手口も増殖するものなんですね。 結果として、アンタッチャブル領域が増殖してしまい、何かやろうとすると、スグにその種の利害と関わるようになってしまう。 もうこうなると、打つ手はありませんよ。 それに、そんな人が多くなってくると、お互いが疑心暗鬼で見るようになるでしょ? 「アイツは・・・大丈夫な人かな?」とか・・・ 妊婦のたらいまわしだって、「子供を産んで、後になってトンズラするのでは?」「費用を払わないんじゃいのかな?」「その人は、『そのスジ』の人じゃないの?」と病院から思われたことは確かでしょうね。 結果として、『そのスジ』ではない妊婦とか幼児とか、自分の権利を主張できない、最も弱い人たちにしわ寄せが行ってしまう。 このような状態は、何も関西だけでなく、イスラムでも同じでしょ? 色々と文句を言っても、結局は、自分とは別のものを犯人認定するだけ。 関西は、東京に絡んで、ストレスを発散しているし、イスラムはアメリカにケチをつけて喜んでいる。 「全部、あの○○が悪いんだ!」 あるいは、中国だったら共産党がアンタッチャブルな存在。だからトラブルになると、別の何かを犯人認定するしかない。 まあ、何もイスラムなどには関わらなければ済む話。関西だって、無理に行くことはありませんよ。命あっての「ものだね」って言うじゃないですか? しかし、この手のアンタッチャブル領域の増殖は、ダメダメな場所だけで起こるものではありません。個人レヴェルでも起こったりすることになる。 ダメダメ家庭の人間は、自分から逃避している。このことはこのメールマガジンで実に頻繁に書いています。特に自分の親というか、実家の問題から逃避している。つまり、ダメダメ家庭の人間にしてみれば、自分自身なり自分の実家はアンタッチャブルなんですね。 かと言って、自分自身から逃避している人間が、何かを成し遂げられるわけもなく・・・何も成果がない日々なので、結局は不平不満がたまってくる。 本来は、「自分自身が本当にやりたいことは何か?」について、ちゃんと自覚して、「その実現のために使える方法は何なのか?」と、ちゃんと現状認識して、自分なりに実行していけば済む話ですよ。 しかし、自己逃避しているダメダメ人間はそんな発想はしない。 成果とは無縁なので、ますます自分自身がイヤになり、アンタッチャブル領域が増大していくことになる。そして、どんどんと自分の思考の範囲を圧迫してしまう。と言うことで、自分以外の外部に敵を設定して、攻撃するようになる。 「あの○○が悪いんだ!」 「あの○○をやっつけろ!」 そんな心理的アンタッチャブル領域を抱えた人に、「アナタ自身のこの問題を、アナタ自身は、どのように考えたの?」なんて、そのアンタッチャブルに関する箇所を指摘すると、お約束のように逆上することに。 『どうして、そんなことを言うのよ?!その件は、今の問題には関係ないわ!』と熱く反論することになる。 まあ、言葉で逆上するくらいならまだしも、それこそ武装系アンタッチャブル団体と同じようなこともするようなケースも現実としてありますよね? そんな人は、相談などの場を使って、色々な人とやり取りをしても、何も改善しない。当人がダメダメになって行くのは勝手ですが、ヘタに関わると、コッチまで危ない。前にも書いていますが、その種の人間は、自分のアンタッチャブルを考えないようにするために、他者を犯人認定するもの。「関係が薄い」がゆえに、つまり、それだけアンタッチャブルなものから遠いゆえに、犯人認定されやすいものなんですね。 と言うことで、マトモな人は、アンタッチャブル集団とは、まさにタッチしなくなる。 個人の心理においても、社会においても、スグにアンタッチャブルに接触する習慣があると、何かと言うと、「遮断」が起こってしまう。考えることを遮断したり、現状を認識することを遮断するようになる。いわば、遮断が習慣化されてしまうことになる。 特に、過去との結びつきがなくなってしまう。 それこそ、離婚した人は、往々にして、その結婚の前のことについて、記憶を遡ることができなかったりする。 「どうして、あんなオトコと結婚してしまったのか?」 「どうして、周囲の人間からのアドヴァイスがなかったのか?」 そんなことを考えることから逃避するために、離婚地点を、アンタッチャブル時点としてしまう。 ある時点より前の、記憶がほとんどないような状態になってしまう。 純粋に心理的なマターだけでなく、それこそ、写真もない。 写真もないんだから、過去を遡ろうとしても無理でしょ? あるいは、自分の名前の由来もわからない。 名前こそ、まさに親からの思いが流れたものと言えるでしょ? しかし、ダメダメな親は子供の名前を「てきとう」につける。 だから、自分より前に存在していた人々の気持ちなどに思いをはせることができない。 そんなことだから、自分の原点と言える地点も曖昧になってしまう。 そのようなことは、個人だけでなく、ダメダメな組織でも見られるでしょ? ちょっとトラブルがあると、スグに「その件の記録書類は、既に破棄されております。」とのコメントが出てくるものでしょ? ヘンな話になりますが、トラブルを頻繁に起こす組織ほど、書類の破棄には一生懸命なもの。 まさにアンタッチャブルを守ろうとするわけです。 パソコンのOSのWINDOWSでは、「状態の復元」という機能がついていますよね? トラブル状態になってしまったら、「順調に稼動していた地点の状態に戻す。」という機能です。 そのようなことは、その状態を、適宜チェックしていたからできるのであって、アンタッチャブルなものが多いダメダメな個人や集団は、そんなステータスの記録などはやっていないし、やろうとすると、差し障りがある。差し障りがあるからということで、ますます何も考えないようになってしまう。 そうやって、どんどんとアンタッチャブル領域が増殖することに。 結局は、そんな地域は避けるしかないし、心の中に大きなアンタッチャブル領域を抱える人間も避けるしかない。 奈良県で、続けて事件が起こったわけですが、続けて起こるには理由があるわけです。その理由は、往々にして、地元の人間なら分かっているものなんですね。ただ、それを言うのがアンタッチャブルだというだけ。 言うのがアンタッチャブルくらいならともかく、そこに住んでいると、やっぱり関わりが発生するわけでしょ?今後も事件は起こるでしょうね。 せめて、その覚悟は必要になるわけですし、個人レヴェルでアンタッチャブル領域を抱えた人とのやり取りにおいても、ある種の覚悟が必要になってくる。 アンタッチャブル領域は、それに触れると過激な反応となってしまう。その点は、アンタッチャブルを抱えているのが、組織だろうが個人だろうが、まったく同じと言えます。 ちなみに、何も私は関西や関西の人を非難しているわけではありませんよ。 もともと関西は、長年のアンタッチャブル領域がありましたよね? ただ、その伝統的なアンタッチャブルは、いわば「格上の」アンタッチャブルでしょ? そんな人たちは、放っておいても済む話ですよ。一般人にクレームを付けて来るわけでもないし、トンズラするわけでもない。「格上の」アンタッチャブルは、それなりに自分たちの尊厳に配慮しているわけですから、ある意味において、安心な存在と言えます。それに、なろうとしてもなれるわけでもないので、どんどんと増殖するわけでもない。 そんな伝統的なアンタッチャブルとのやり取りの蓄積があったので、関西ではアンタッチャブルに対して「脇が甘く」なってしまったんでしょうね。 しかし、「新興の」アンタッチャブルは、放っておいても大丈夫というわけにも行かない。そもそも被害者意識があるので、他者への迷惑に配慮しない。どんどんと増殖してしまう。 ヘタをすると、自分自身も仲間に入ることになってしまう。 「新興の」アンタッチャブルを放置すると、どんどんとその主張もエスカレートする。そうなると、その種の人たちに利益供与すること自体が目的とする活動が多くなってしまう。 必要もないのに、役所に部署を作って、その種の人員を採用したり、関心がないのに、催しものを開催することになる。 ちょっと前に、大阪でスポーツの大会をやっていたようですが、選手をホテルで雑魚寝させたり、走る距離を1周間違えたりと・・・まあ、メチャクチャやっていますが・・・ そもそも大阪の「一般の」人が、あのような陸上大会に強い関心を持って「いない」ことは、観客の数が証明していますよね? しかし、アンタッチャブルに対して利益供与をするためには、あのような「どさくさ」が有効でしょ?そもそもそんなことが主目的なんだから、トラブルも起きますよ。そしてトラブルが起こっても、やっぱりコレ。 「ボクは悪くない!」 あのようなトラブルって、まさにアンタッチャブルに関わると発生するトラブルの典型といえます。せめて、一般の人は、あの種の、アンタッチャブル集団とは関わらないのが、利口というわけです。 しかし、個人レヴェルでも、自分自身のアンタッチャブルな面から逃避するために、ボランティア活動に入れ込む例が多いことは、このメールマガジンで頻繁にふれております。 ボランティア活動をして、「気の毒な人」をわざわざ観察し、「まあ、なんてタイヘンなの?!」と大騒ぎして、自分自身から逃避してしまう。 組織でも個人でも、アンタッチャブル領域が増殖してくると、普段の生活がアンタッチャブルによって妨害されるという段階を超えて、普段の生活が、アンタッチャブルのためにある・・・なんて状態になってしまう。もう、こうなると、アンタッチャブルとすら言えなくなってしまうでしょ? アンタッチャブルに対する一番適切な対処は、触らないこと、って、まさにトートロジーになりますが、触らないためにはそれなりの用心も必要になるわけです。 病気のウィルスへの対処と同じように、罹らないためには、相応の注意が必要になってくるものなんですよ。 (終了) *************************************************** 発信後記 ちなみに・・・ 大阪のスポーツ大会での不始末を見ると、ナポレオンが言ったという言葉を思い出しました。 「ピレネーの向こうはアフリカ。」 |
|
R.11/1/8 |