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カテゴリー | もてなしの心 |
配信日 | 07年9月25日 (10年10月24日 記述を追加) |
タイトル | みだしなみ |
ダメダメ家庭の親は、子育てというものを「親である自分が背負わされた被害である。」と考えている。だから、子供に対して「一体、誰ためにこんな苦労をしていると思っているんだ?」というお説教がお約束状態。 子育てを被害とみなしているんだから、そんな人間が親として自分の子供の面倒を積極的に見るつもりがないことは言うまでもないこと。 そんな親は、 子供が汚れた服装をしていても、知らん顔。 子供の服が破れていても、知らん顔。 子供の健康状態が悪くても、知らん顔。 子供が怪我をしていても、知らん顔。 親が考えるのは、「親である自分に迷惑を掛けるな!」ただそれだけ。 そんな環境で育った子供が、みだしなみに注意しなくなるのは、当然でしょ? と言うか、そもそもダメダメな親自身がみだしなみには縁がなかったりする。 子供としては、みだしなみという発想もわかりませんし、いざ自分なりに気をつけようと思っても、もっとも身近な存在である自分の親から習得できないんだから、どんな感じで気をつけていいのかわかりませんよ。結局は、周囲をうかがってオドオドしてしまい気を使い果たしてしまうだけ。 何もブランド物の立派な服を着ていないとダメというわけではありません。汚れた服とか汚れた靴はマズイのでは?と申し上げているだけです。 そんなことは経済的に豊かでなくても、簡単なことでしょ? アメリカの小説家のJ・D・サリンジャーの「フラニー」という小説の最後のセリフに、「太っちょのオバサンのために靴を磨いておけ!」という言葉があります。 ちなみに、その言葉に続くのが、「太っちょのオバサンとはキリストのことなんだ。」という言葉。 太っているとか、太っていないとか、キリストとか・・・まあ、これらの言葉自体はともかく、人に見せるためではなく、自分自身の尊厳のために、身だしなみを整えておくことは必要でしょ? 汚れたままだったら、相手だってイヤですよ。だって汚れ落としくらいだったら、それこそブラシをかけるくらいでカンタンにできることでしょ?そんなことを面倒くさがるような人間は、人と会ってはダメですよ。 自分自身の尊厳に対する配慮であるとともに、相手の尊厳に対する配慮は必要でしょ? それこそ、別のところで取り上げておりますが、トルーマン・カポーティの「冷血」という小説の中で、「汚れた顔は恥ではない。汚れたままなのが恥なのです。」という言葉もありました。汚れたままの状態を放置することに、その人の尊厳はないでしょ? それはマナーの問題というよりも、尊厳の問題なんですね。 しかし、ダメダメ家庭には、この尊厳というものがないわけ。だって、ダメダメ人間は被害者意識が強く、そして「自分はかわいそうな被害者なんだ!」と思っている。自分はかわいそうな被害者なんだから、大切に扱われる価値がある・・・そのような考え方になっている。 そして、複数の被害者がいたり、複数の被害がある場合には、被害が大きい側が、価値がある・・・そんな考え方をしているもの。 だから、小汚い格好でも平気。周囲の人から注意されても、「だって、ワタシはかわいそうな被害者なのよ!しょうがないじゃない!」なんて主張するばかり。 そんな家庭の子供も、当然のこととして、小汚くなる。 というか、そんな格好の方が、同情が集まるケースがある。ボランティアの連中が寄ってきて、「まあ!なんてかわいそうなの?!」などと同情の言葉を掛ける場合があったりするでしょ?同情の言葉を求めるダメダメ人間は、そんな『成功体験』にすがってしまうんですね。 そんな汚れた格好を平気でしているような人間は、自分の尊厳に配慮しないダメダメ人間であることは確実・・・というか、そんなことは当たり前のことですよね? 重要なことは、子供が履いている靴とか、服装とかの汚れを見て、子供本人に対して注意するのではなく、その親の問題を考えないと意味がないということ。 身だしなみに欠けた汚れた格好は、「自分たちはかわいそうな人間なのよ!」と言う、その子供の親からの無言の主張であるわけ。 身だしなみとは、衛生観念の欠如の問題ではなく、被害者主張の一種なので、周囲の人から自分の子供の身だしなみに対して注意を受けたら、子供に対し、烈火のごとく怒ることになる。 「また、オマエのために恥をかいたじゃないか!」 しかし、親として子供の身だしなみに注意するという発想がないのは、相変わらず。 そして、「あ〜あ、できの悪い子供を持って、ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と小汚い服装で嘆くだけ。そんな環境で子供がマトモに育つわけがないでしょ? そんな被害者意識によって、その子供がダメになるだけではありません。その親の被害者意識は、自分に被害を与えている存在・・・つまり犯人探しに結びついてしまう。そんな人にヘタに関わると、自分が犯人認定されてしまう。 あるいは、被害者協同組合に強制的に加入させられてしまうのがオチ。 「被害者協同組合って、何を突飛なことを言っているの?」と思われる方も多いでしょうが、例の秋田県で子供を殺してしまった母親の事件ですが、殺されたお子さんの服装がいつも汚れていたとかの報道もありますよね? というか、そんなことは、報道される前から、皆さんだったら想像していたでしょ? あの母親は、周囲の親を被害者協同組合に強制的に加入させましたよね? 何も難しいことを言っているわけではありませんよ。 「身だしなみに注意しない人とは、付き合わない方がいいのでは?」そんな至極当たり前のことを申し上げているだけです。 よく男女間の付き合いの問題で、「清潔感」というファクターが取り上げられることもあるでしょ? この清潔感は、まあ、今回のテーマである身だしなみのヴァリエーションのようなもの。 「身だしなみに注意しない人とは、付き合わない方がいいのでは?」というサジェストに対して、「それはヒドイ!」とおっしゃりたい方もいらっしゃるでしょうが、実際問題として、「あの男性は、どうも清潔感がないから・・・ちょっとぉ・・・」という女性の物言いがあったりするでしょ? 言い方はともかく、身だしなみなり清潔感で人を判断するのは、特殊な発想ではなく、誰でもやっていることなんですね。だって、審美眼の問題ではないのだから、その気になりさえすれば、誰でも身だしなみなんて整えられるものですよ。 逆にいうと、そんな判断ができないのがダメダメ人間というもの。 身だしなみとか清潔感とかは、尊厳の問題に直結していると書いておりますが、つまり「自分を大切に扱う」姿勢であり、やり取りの相手を大切に扱う姿勢でしょ? その点がダメだったら、そんな人とやり取りをしても大切に扱われることがないのは小学生でもわかること。 しかし、ダメダメ人間は、「自分はかわいそうな人間なんだ!」という点を執拗にアピールして、その点から周囲の人から構ってもらおうとする。だからこそ、みすぼらしい格好を放置し、むしろアピールすることになるだけ。 そんな環境にいたら、子供も被害者アピールしか能がない人間になってしまいますよ。 そんな子供に対しては、親の問題を自覚するように持って行かないと、その子のためにならないわけ。中途半端な同情は、子供自身にも「被害を主張することで、周囲から同情を受け構ってもらえる。」という成功体験につながってしまうだけ。 あるいは、親の問題に対処せずに子供に対してだけに身だしなみを要求することは、その子供をダブルバインド的な状況に追い込んでしまうだけ。 とは言え、現実では、中途半端な同情をする人はいても、事態を改善するための導きをする人なんていないもの。 だから、秋田県のような事件が実際に起こってしまうわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 連休明けなので、穏当なお題にいたしました。 本文中でも書いていますが、子供のみだしなみの問題を子供に直接注意しても、子供がダブルバインドになるだけ。 親の問題にまで目を向けていかないと、事態が悪い方向に行ってしまうわけです。 もっとも親に注意しても、「オマエのために、ワタシがこんな目に!」と子供に八つ当たり。 秋田県の事件でも、本来なら、子供が汚れていた段階で、親から引き離すしかないわけですが・・・現実はそうもいかない。 せめて、そんな家庭から、距離を置くしかないんですね。 |
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R.10/10/24 |