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カテゴリー 文芸作品に描かれたダメダメ家庭
配信日 07年10月12日
タイトル 冷血(1965年)
作者 トルーマン・カポーティ
私はこのメールマガジンで、ダメダメ家庭の問題は、人類の歴史とともにある・・・今までも多くあったし、現在も多くあるし、未来においても多発する・・・そのように書いています。
ダメダメ家庭を特徴つける当事者意識の欠如強い被害者意識、そして会話の不全・・・このようなことは、人間にとっては、所詮は程度問題。人間は、誰だってそんな面を持っているわけ。完全な人間なんていませんよ。

そんなダメダメ家庭で育った人間が、やがては事件を起こす・・・これもある意味においては当然のこと。親譲りの被害者意識が爆発するのはいいとして、本来はその対象はダメダメな自分の親でしょ?しかし、親の問題はアンタッチャブルになってしまって、他者を犯人認定する儀式を行うわけ。
それこそ大阪で小学校に突入した人もいましたし、山口県で母子を殺害した人もいましたし、アメリカの大学で大量殺人をした人もいましたし、秋田県で自分の子供を殺した母親もいましたし・・・そんな事件の犯人は、自分の親への不満を、他に転化してしまっているわけ。事件の表層は、違っていても、その内面の基本は共通しているわけ。

そんな事件も、過去にも多くありましたし、今後も何度も起こるわけです。というか、アメリカでまたあったようですね。なんともまあ!

さて、今回取り上げるのは、アメリカの作家トルーマン・カポーティの「冷血」という1965年の作品。アメリカのカンザスで1959年11月15日に実際に起こった残虐な殺人事件を元に、犯人の心理などを描写したノンフィクション・ノヴェルです。作者のカポーティは、有名な映画「ティファニーで朝食を」の原作者である・・・と書くと、「ああ!あの人なの?」と思う人もいらっしゃるでしょう。

カポーティは、作者である自分自身の思考を直接表現することを、極力抑えた「スタイル」でこの作品をまとめています。
カンザスで起こった残虐な殺人事件が、なぜに起こったのか?犯人はどんなことを考えたのか?この犯人はどんな人間なのか?

日本語版で300ページにわたる作品を単にダイジェストしても、焦点がボケてしまう。ですから今回は、2人組の犯人のうちの一人のペリー・スミスという人物について、彼と関係のあった人々はどう評しているのか?その点に焦点をあてて考えてみます。

今回の文章では、その人物評の文言を、作品中から引用する形の文章にします。

1. ウィリー・ジェイ(事件前の刑務所での仲間)
このウィリー・ジェイは、ペリーが刑務所にいるときの、囚人仲間です。ペリーは、この刑務所を仮出所して、犯行に及んだわけ。この囚人仲間のウィリーってヤツが、卓越した知性を持つ囚人。このウィリーが、ペリーを評して言う言葉を引用してみましょう。

・・・貴兄は激情の人、自分の欲望がどこにあるのかが判然としない飢餓の人、自分自身のあり方を厳格な社会の慣行という背景に投影しようとして苦闘する欲求不満の人です。貴兄は2つの上部構造、すなわち、一つは自己表現、もう一つは自己破壊の間に宙吊りになった半端な世界に存在しているのです。貴兄は強い人ですが、その強さには欠陥があります。抑制することを学ばねば、その欠陥は強さを上回り、貴兄を打ち破ることになるでしょう。その欠陥とは?状況との均衡を失した爆発的とも言える感情的反応です。なぜなのか?幸せであったり、満足であったりする他人を見た時に、この不合理な憤怒が生じるのはなぜなのか?人々への軽蔑がつのり、彼らを傷つけたいという欲望が起きるのはなぜなのか?そう、貴兄は彼らを愚者と思い、彼らのモラルや幸せが自分の欲求不満や憤懣の源であるという理由で彼らを軽蔑するのです。しかし、これらは貴兄が自らの内に抱える恐ろしい敵なのです・・・やがて弾丸並みの破壊力を持つことでしょう。弾丸は情け深くも、犠牲者の側をその場で殺してしまいます。しかし、この病原菌は生きながらえて、その宿主の人間を、引き裂かれ、ゆがめられた生きた屍のような残骸にしていまいます。生きた屍となった人間の内部にはまだ火が燃えていますが、侮蔑と憎悪のたきぎを投げ与えなければ、それは消えてしまいます。残骸となった人間は侮蔑と憎悪を蓄積することには成功するかもしれませんが、成功を蓄積することはありません。なぜなら、侮蔑と憎悪に生きる自分自身にとっては、勝ち取った成功こそが敵であり、自分が達成したものを心から楽しむわけにはいかないからです。・・・

上記の文章が囚人仲間ウィリー・ジェイによる、ペリーについての人物評。
日本語版の翻訳の人が中身をわかった上で翻訳しているのではないようですので、翻訳の日本語に手を加えております。しっかし、脅威の洞察力を持つ囚人だねぇ・・・

次にペリーの姉の言葉の中から、弟ペリーに対しての人物評を抜き出してみましょう。

2. ペリーの姉
・・・汚れた顔をしているのは恥ではない――汚れたままにしておくのが恥なのです。
・・・あなたの手紙は、自分の問題の責任は他の人の責任であって、決して自分の責任ではないと言っているように読めます。
・・・でも、あなたは実のところ、何をしたいのですか?
・・・あの子(ペリー)は誰にも敬意を感じませんから。
・・・あの子は人をだませるんです。かわいそうな人間だと思わせることができるんです。

3. ジョーンズ医師(事件後に精神鑑定をした人)
彼(ペリー)の個性の中では、2つの特徴が、特に病的なものとして際立っています。第一は世間に対する偏執病的な態度です。他人に対する猜疑心と不信感が強く、他人が自分を差別する感じる傾向を有し、他人は自分に対し不公平で、自分を理解していないと思っています。他人からの批判には過敏で、からかわれることには我慢できません。他人が口にすることの中に軽蔑や侮蔑が含まれていると、それをすばやく感知し、善意を伝えられても誤解することがしばしばあります。自分が友情や理解を大いに必要としていると感じてはいますが、なかなか他人を信用する気にはなれず、信用するにしても、いずれ誤解されたり裏切られたりすることを想定します。他人の意図や感情を測るにあたって、自分の心理に投影された像から現実を分離する能力がきわめて乏しいのです。すべての人間が偽善的で、敵意に満ちており、したがってどんな仕打ちをしてもかまわないと、十把一からげにして考えることも珍しくありません。・・・ほとんど抑えきれない憤怒は、他人にだまされたり、蔑まれたり、劣っていると言われたと感じると、容易に引き金を引かれます。・・・夢中になるあまり、細かなことにとらわれて方向を見失うことが時々あります。彼の思考のあるものは、神秘的な資質、つまりは現実無視を反映しています。彼は他人と感情的に親密な関係を結んだことがめったになく、たとえあっても、それは小さな危機に耐えることができないものでした。

4. ディック(ペリーの共犯者)
正直言うと、オレはペリーと折り合いよくやろうとして、がんばりすぎちまったんだ。あいつは、いちゃもんが多くてな。裏表があるし、小さなことにも、いちいちやきもちを焼くし。
正直言って、ペリーとうまくやっていける人間なんていないよ。ほんとに自分を何様だと思っているんだ?


これらはカンザスで4人を殺害した犯人のうちの一人であるペリーと関係のあった人間によるペリーに対する人物評です。何もこの59年のカンザスの事件だけでなく、過去に起こったこの種の事件って、まさに絵に描いたようにこのパターンの人物が犯人でしたよね?
それこそ、ちょっと前のアメリカの南ヴァージニアの大学で起こった事件の犯人って、まさにコレでしょ?あるいは、大阪の小学校襲撃事件の犯人も、まさにコレでしょ?
あるいは、今現在、そんな人を知っている購読者さんも多いでしょ?
あるいは、過去において、そんな人とやり取りをした経験がある人もいらっしゃるのでは?
まあ、日本の近くにある国の人たちが典型的にこのキャラクターですよね?
あるいは、ご自身がそのまんまの方もいらっしゃるのでは?

幸運にも、まだ事件を起こしていないのなら、早めに自覚して、対応を取る・・・
また、周囲にいるそんな人と、折り合いよくやろうとして、がんばると、事態が余計に悪くなるだけ。
善は急げですよ。
いや、ホント・・・マジで・・・

☆ちなみに、日本語版は新潮社から発行されております。
今回使用した訳文や、基本的にはその日本語版から取っています。
わかりやすくするために、原文を参照して、文言を追加いたしました。

(終了)
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発信後記

ちなみに、この「冷血」の作者であるトルーマン・カポーティが、この「冷血」を描く過程を描いた映画「カポーティ」が、レンタルショップにあります。
ご興味がありましたら、ごらんになってくださいな。ちなみに、その「カポーティ」という映画については、そのうちに、このメールマガジンで取り上げる予定です。
あと、「冷血」という小説自体も、図書館には置いてあったりします。
色々と参考になりますから、お読みになられることをお勧めいたします。

この「冷血」という小説は、ノンフィクション・ノヴェルということなので、事実をありのままに記述した小説です。だから、それほど、難しい表現が出てくるわけではありませんので、意外にも読みやすいでしょう。もちろん、精神的な負担という面では、読みにくいかも?まあ、その点は、このメールマガジン自体も、典型的にそのパターンですが・・・

その「冷血」には、ちょっと笑えるシーンがあったりします。
その「冷血」には日本人も登場します。農業労働者のアシダさんのご家庭。
その日本人が、一所懸命働くし、地域活動にも熱心ということなので、地域で表彰することになった。そのアシダさんの奥さんが、表彰しようとする人に頼むわけ。
「表彰してくれるのはありがたいけど、スピーチはさせないでね!ワタシはアナタと違って、自分がスピーチをすると考えただけでもパニックになっちゃうんだから・・・」

本を読んでいて、この部分には苦笑いしました。
私も同じようなことを言われたことがあるので・・・
スピーチとか文章をまとめるとか、得意な人は、何の苦労もなく出来てしまうわけですが、まあ、心理的な抵抗を持っている方も大勢いるもの。そんな人がダメダメだ!なんて申し上げるつもりはありませんが、「ワタシはそれが苦手だ!」とちゃんと言っていただけると助かるもの。
人間誰だって得手不得手がありますよ。重要なことはそれを説明できればいいわけ。
ちなみに、今回参考にしたのは、下記の本です。

日本語版(表面)

もともとの英語版(表面) 英語版(裏面)
R.10/11/8