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カテゴリー | ダメダメ家庭が好きな単語 |
配信日 | 07年11月2日 |
タイトル | とりあえず (先送りの連鎖) |
『とりあえず、ビール!!』 居酒屋さんに行った場合に、最初に言うのはそんな言葉。 まあ、ビールだったら、どこのお店にもあるし、 スグに出てくるし、 一緒に来たみんなにしても、いわばお約束。 ビールを飲みながら、お品書きを見て、注文するものをじっくりと考えればいいじゃないの?最初から、いきなり「どれにしようかなぁ・・・」って長時間考えるより、ビールでも飲みながら考えようよ! ・・・それが、その場における「とりあえず」という言葉の意味でしょ? 「後で、じっくり考えるから、今の時点では、これにしておく・・・」 しかし、言葉というものは、「どこにプライオリティーを置くのか?」によって、全然違っていたりするものです。 上記の「後で、じっくり考えるから、今の時点では、これにしておく・・・」という言葉のうちで、「後で、じっくり考える」部分にプライオリティーをおくのか? それとも「今の時点では、これにしておく」にプライオリティーを置くのか? どっちにプライオリティーを置くのかによって、違ってくるでしょ? それこそ居酒屋さんでのビールでも、「とりあえず、ビール!」とビールを飲みながら、次にも「とりあえず、ビール!」なんて注文したらヘンな客ですよ。そんなにビールが好きなら、「とりあえず」という言葉は不適切。「もう1回ビール!」というのが、適切な注文の言葉・・・でしょ? 「とりあえず」という言葉は、基本的には一回しか使ってはいけない言葉なんですね。 何も、このメールマガジンで居酒屋さんの問題を考えるつもりはありませんヨ。 まあ、「とりあえず」という言葉が実際に使われる例を、とりあえず出してみただけです。 ダメダメ家庭の人間は、自分で考えることから逃避する。そして自身から逃避しているので、自分から逃避していること自体を認識できない。この「とりあえず」という言葉は、基本的には「後で考える」という意味ですから、判断の先送りにつながることが多いわけ。自分で考えることを先送りして、その先送りしていることを認識すること自体を先送りする・・・そんな人は、まさに「とりあえず」という言葉をよく使ったりするものなんですね。 それこそ、以前より頻繁に触れております、ボクシングの亀田親子のお父さんですが、先日(07年)行われた「謝罪会見」で、この「とりあえず」という言葉が頻発していました。 記者からの質問に対して、二言目には、「とりあえず・・・このまま・・・」と回答するだけ。 そんな言葉を聞いた側は、『今の時点で、とりあえずはいいとして・・・じゃあ、いつになったらじっくり考えて。そして結論を出すの?』そう思うものでしょ? あるいは、『そんなに何も考えていないのなら、こんなところに出てくるなよ!』って思うもの。「オレはこのままで行くんだ!文句あるかよ!」とタンカを切るなら、まだわかりますが、「とりあえず」「とりあえず」だけではねぇ・・・ 何回も書きますが、「とりあえずビール!」と言っておいて、後になって、「お品書き」を見ながら、「どうしようかな?」って、考えるのが、本来の「とりあえず」という言葉の使い方と言えます。 しかし、判断を先送りすることに馴れてしまうと、何でもかんでも「とりあえず」で処理してしまうわけ。そして「とりあえず」で処理していること自体に気がつかない。 ヘンな話、物事を「とりあえず」で、先送りしていることを認識すること、それ自体も、「とりあえず」で先送りしてしまう。 まさに「とりあえず」のスパイラル状態。だから「とりあえず」という言葉が積み重なることになってしまう。 まあ、亀田親子のダメダメはかなり重症ですし、ありがたいことに、有名になりましたから多くの人にも理解できるでしょう。 判断を先送りにして、その先送りしていることを認識すること自体も先送りする・・・そんな「とりあえず」という言葉が、やっぱりよく出てくるのは、夫婦の修羅場。 それこそ、妻が夫に暴力を振るわれるようなドメスティック・ヴァイオレンス(DV)のような場面でも、この言葉が、実によく使われたりするものです。 「アナタ・・・いつまでも、そんなオトコと一緒にいても、先がないでしょ?アナタ自身はどうするつもりなの?」「どうしたいの?」 『うーん・・・とりあえず・・・今のままで・・・・』 まあ、こんなやり取りは、夫婦の修羅場ではおなじみのやり取り。 DVのような、絵に描いたような修羅場ではなくても、夫婦の不和とか離婚の危機なんても事態もありますよね? しかし、やっぱり「とりあえず・・・今のままで・・・」で処理してしまう。 そもそも、自分自身で判断すると、後になって「ワタシは悪くないっ!」なんて言えない。逆に言うと「ワタシは悪くないっ!」と後で言うためには、自分で判断してはマズい。だから判断すること自体を回避したがる。しかし、そんな判断逃避の人間だからこそ、最初の段階がいい加減で、結果的に修羅場になるんでしょ? トラブルが起こって、「とりあえず」で判断を先送り。しかし、「とりあえず」で問題が解決するわけもなく・・・ そんな夫婦も、子供が出来たりするわけ。なんと言ってお、避妊するという判断をとりあえず、しない人と言えるわけだから、結果的に妊娠してしまいますよ。そうなると、「子供がいるから離婚できない!」となる。 まあ、そのような状態になると「とりあえず」という言葉は使わなくてもいいでしょう。しかし、何か事態が解決したの?より重症になっただけじゃないの? 逆に言うと、もう自分で判断することは不可能な状態になり、安心して、何も考えない。何も考えないから、「ワタシは悪くないっ!」とのお約束の自己弁護の言葉を持ちだすことになる。 そんな「とりあえず」の人は、何かを始めるのは実に安直なもの。 まさに「とりえあず」で始めてしまう。そして、「とりあえず」「とりあえず」で、そのまま突っ走る。 結局は、事態がニッチもサッチも行かない状態になってしまい、そして言うのが「どうしてワタシだけ、こんなことに?!」「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」 それこそ夫婦の問題でも、「年齢が年齢だから『とりあえず』結婚しようかぁ・・・」で結婚しようとして、相手についても「まあ、顕著な減点がないから、『とりあえず』あの人と結婚しよう・・・」となり、結婚後は、「一緒にいても、面白くないけど、まあ『とりあえず』様子を見るか・・・」で離婚をせず、その後は、「周囲のみんなは子供がいるから、『とりあえず』避妊はせずに、そのままで・・・」となり、そして「子供がいるから、『とりあえず』今のままで・・・」となって行く。 そうやって、事態がどんどんと悪化して、それを出来てしまった自分の子供や、周囲の人にグチグチとグチる。 そんなグチを聞かされて「で、アンタは結局どうしたいの?」と聞くと、やっぱり「とりあえず、このままで・・・」となるだけ。 今の時点は、その「とりあえず」でもいいとして、『じゃあ、いつになったら、真剣に考えるの?』なんて聞くと「どうして、そんなことを言うのよ!キーっ!」と逆上されるだけ。 たとえば、亀田さんのお父さんですが、そもそも自分の考えがまとまっていない段階で謝罪会見も何もないでしょ? 彼と同じように、夫婦の問題の相談でも、「自分がどうしたいのか?」という当人の希望、そして「現状はどうなっているのか?」という認識がない状態で、相談を持ちかけてくるもの。 まずは、当人が、「自分は今度どうしたいのか?」という点の自覚が先でしょ? しかし、謝罪会見も、人への相談も、やっぱり「とりあえず」で始めてしまう。 そして、人から『アンタ自身はどうしたいの?』と突っ込まれると、「とりあえず、このままで・・・」と回答。 まあ、DVのような夫婦のような問題ばかりではなく、家庭の問題に関しては、それこそ子供の「いじめ」問題もありますよね?あるいは、登校拒否の問題もあります。困っている子供を親としてはどうサポートするのか?本来は色々と考える必要もあるでしょ? しかし、ダメダメな親は「とりあえず、このままで・・・」と判断保留。 結局は、ドッカーンとなった後で、大騒ぎ。 シュールなギャグを書いていると思われる方も多いでしょうが、結構ポピュラーな事例ですよ。やり取りの相手がそんな「とりあえず」人間だったら、皆さんはどう言いますか? 正直言って、この私もわからないんですよ。 しかし、そんな「とりあえず」の人間ができることは子供を作ることくらい。そしてそんな人間の相手をしてくれるのは、自分の子供くらい。 だから、そんな「とりあえず」も、連鎖してしまう。 親子そろって、「とりあえず」人間というパターンも結構ポピュラーでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 人間は何かを始めるにあたっては、やっぱり「とりあえず」ですよ。 マトモとダメダメは、その最初の「とりあえず」以降が違ってくるわけ。 「とりあえず」始めて、そこで、自分自身の希望なり問題点を自覚して、それにターゲットをあわせて、次の行動に移っていけばいいわけでしょ? 最初から、綿密な計画を立てるって、なかなかできないことですし、そんな必要もないわけ。 この「とりあえず」の積み重ねは、文章でもあったりします。 最初に「とりあえず」の文章を書いて、「自分が表現したいもの」「どうしてもわかってほしいこと」それを自覚して、次の文章で、それをより緻密に表現する・・・後世に残る作家も、そんな段階があったりするもの。 自分が書いた文章それ自体が、自分自身について教えてくれることも多いわけ。 しかし、ダメダメな物書きは、「とりあえず」文章を書いて、次にも「とりあえず」文章を書いたりするもの。 自分から逃避しているので、自分が本当に伝えたいことについて考えることから逃げている。だからパンチのない文章が次々と登場することになる。そして、読んでいても「で、結局何が言いたいの?」と思うだけ。 メールマガジンの文章でも、あるいは、書籍になっている文章でも、そんな文章ってあったりするでしょ? |
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R.10/12/8 |