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カテゴリー | 様々な二重否定表現 |
配信日 | 07年11月16日 (11年2月11日 記述を追加) |
タイトル | 泣いちゃダメ |
備考 | この場合の「泣く」は意味的に否定形ですので、「泣いちゃダメ」は二重否定表現となります。 |
ダメダメ家庭の人間は否定形の物言いが多い。 「悪い」とか「ない」とか「ダメ」とか、そんな否定形の言葉ばかりが飛び交っている。 そして、そんな否定形が積み重なって二重否定表現になったりする。 それこそ、このメールマガジンでよく取り上げますが「悪くはない。」なんて、代表的な二重否定表現でしょ? 今回は、そんな二重否定表現の一つとして「泣いちゃダメ」という言葉を取り上げましょう。と言っても、「泣く」は「○○しない」の「ない」ではないんだから、否定表現とはいえず、「泣いちゃダメ」という言葉は二重否定表現ではないのでは?そう思われるでしょう。 まあ、文法的にはまさにそうなんですが、「泣く」状態は、やっぱり、ある種のマイナスの感情が発現されたものであることが多いでしょ? つらいから・・・泣く。 悲しいから・・・泣く。 悔しいから・・・泣く。 もちろん、映画などを見て感動して泣くこともあるでしょう。あるいは何かの大会で優勝して達成感から感動して泣くこともあるでしょう。それは否定的な感情ではありませんよ。映画を見てポロポロ泣いている人に対して、「泣いちゃダメだ!」なんて言わないでしょ? 「泣いちゃダメ」と言われるケースは、その涙が否定的な感情に起因している場合ですよね? さて、二重否定表現を受けた側が、思ってしまうのが、だいたいこんなこと。 「じゃあ、結局は、どうすればいいの?」 それこそ以前にも取り上げましたが、『子供を愛さない親はいない。』なんて二重否定表現ですが、「じゃあ、アンタ自身は自分の子供を愛しているの?」と思うものでしょ? 「泣いちゃダメ!」という言葉を聞かされても、まあ、泣くより笑っていた方がいいのは、まったく持ってそのとおり。 しかし、当人だって好きで泣いているわけではない。 「泣いちゃダメ!」と命令されても、じゃあ、どうすればいいの?余計に泣きたくなるよ! しかし、この「泣いちゃダメ!」という命令に付随して語られる、「泣いても何も解決しないぞ!」という正論については、確かに、おっしゃるとおり。 だから、そんな正論を言われると、何も反論できない。 特に子供にしてみれば、反論できない正論であるがゆえに、プレッシャーになってしまう。 「泣いても解決しない。」のは、まったく持ってそのとおりですが、「泣いても」いいわけでしょ?「ワーっ!」と泣いて気分を転換して、その後に解決のための行動を取ればいいじゃないの? 「泣いちゃダメ!」「泣いちゃダメ!」「泣いちゃダメ!」・・・と自分にプレッシャーを掛ける方が、解決のための行動からは遠くなってしまいますよ。 ダメダメというより、しっかりしすぎた親の場合は、このような反論できない正論で子供を追い込むことがあるものです。 しかし、しっかりどころか、ダメダメな親も、「泣いちゃダメ!」なんて自分の子供に言ったりするものなんですね。 ダメダメ家庭は被害者意識が強い。このことは、もう何回も書いています。 そして、ダメダメな人間は「自分こそが一番かわいそうな人間なんだ!」と確信を持っている。ダメダメな人間は、どんな事態も自分がこうむった被害と捉え「ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と自分を憐れむばかり。 そんな被害者意識が強いダメダメ人間は、自分の子供を育てることだって自分がこうむった被害と捉えている。だから、被害者である親が、加害者である子供に「報復」するような児童虐待も起こることになる。フィジカルな虐待まで行かなくても、「ワタシより子供の方が恵まれている。」と思っているので、子供へのサポートはしない。 そのように自分こそが一番かわいそうな人間と思っている人間の眼前で、泣いている人間がいる。 「本当は、自分こそが一番かわいそうな人間なのに・・・コイツは泣くことで、自分の被害を高らかに宣言しているぞ!被害者の世界の頂点に立つこのワタシの立場を脅かそうとしているのか?!」そんな感じで対抗心を持ってしまう。 このような「被害者への対抗心」については、前回配信の文章で考えております。日本でフェミニズムの闘士として活躍されている女性が、まさにその典型と言えるでしょう。 まあ、そんな「被害者への対抗心」を燃やしているダメダメ人間の姿なんて、笑って見ていればいいだけですが、そんな人たちも、子供を持つこともある。そうして、そんな強い被害者意識をもつ人間の前で、自分の子供が泣いている。 目の前で子供に泣かれると、被害者意識が強いダメダメな親としては、面倒な事態に直面することになったという被害に過剰に反応することになる。 子供によって、自分の側が迷惑を受けたと認識してしまう。 迷惑というか被害と認識するから、その被害に対して報復することになる。 まさに「泣き止まないから、殴った。」という、その種のお約束の言葉になるわけです。 子供を殴っている親としては、自分が受けた被害に対して報復しただけなので、その行為に正当性があると考えている。だからこそ、「あれは、しつけだった。」と本気で言えてしまう。 被害者意識が強いダメダメな親は、「泣いている自分の子供を、親として慰めよう。」なんて思わない。子供に泣かれてしまった自分の被害に視線が行くのと同時に、泣いているという行為から、その子供からの被害者アピールを読みとることになる。 だから、「コイツ・・・自分の方がもっとかわいそうだと思っているのか?」と怒り出してしまう。だから、「泣いちゃダメだ!」「いったい誰のために、ワタシが苦労していると思っているんだ?!」「ワタシの方がもっとツライんだぞ!」とお叱りの声。 このようなダメダメな親が言う「泣いちゃダメ」は、自分以外の被害者を見たくないという心情から来ているわけです。 「泣く」という行為から、被害アピールを読み取ってしまって、緊張状態になってしまうんですね。このような事例だと、トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」のアンナの夫のアレクセイがそんなキャラクター設定でした。 被害者意識が強いダメダメな人間は、被害という観点でどんな事態も見ることになる。 逆に言うと、「泣いちゃダメ!」という言葉が感情的に出てくる状況としたら、その親に強い被害者意識があると言えるでしょう。 「泣いちゃダメ。」という物言いと、親の被害者意識は直結しているわけです。 しかし、ことは単純ではない。 そもそも、ダメダメ家庭では子供は親からのサポートは受けられない。 だから子供としては、子供自身であらゆる問題を解決する必要がある。だから、ある意味「しっかりもの」になったりするケースもあります。キャラクター的に、もともと思慮深く「しっかり」している人間もいるわけですが、ダメダメ家庭の親が頼りないがゆえに、子供として「しっかり」した人間にならざるを得なかった場合も少なからずあるわけです。 そんなダメダメ家庭出身のしっかりものの親が、自分の前で泣いている子供に「泣いちゃダメ!」と言ったりする。 そうなると、ダメダメに由来する「しっかり」から来ている、「泣いても何も解決しないだろう。」という正論と、ダメダメの被害者意識から来ている、「かわいそうな姿をワタシに見せるんじゃないよ!」とが合わさってしまう。子供としては、まさに両方向から「泣いちゃ、ダメ!」と責められる。 「泣いちゃダメ。」という言葉が二重否定であり、言われても対処ができないように、正論の方向と、親の被害者意識の両方面から、子供の感情は否定されてしまう。 こうなると、子供は「泣いても解決しない!」「泣いて親に迷惑を掛けてはいけない!」「だから泣いちゃダメ!」と、ますます自分で自分を追い込んで、やがてドッカーンとなってしまう。 子供が自分を追い込むだけではありません。前にも書いていますが、「泣いちゃダメ」と子供に言うような親は、その「泣いちゃダメ」を実力行使することもある。 まさに、児童虐待によくあるセリフである「子供が泣き止まないから、○○した!」となるわけです。 泣くのが悪いのではなく、泣いた後で何もしないのが、ダメなんでしょ? 親としては、泣いた後のフォローをすればいいだけ。 しかし、当事者意識が欠落したダメダメな親は、そんなフォローはしたくない。それにそもそも当事者意識がないので、何も考えたくない。だから自分の子供に対して「泣いちゃダメ!」と命令することになる。 つまり、事態を解決していくという発想ではなく、面倒な事態を見たくないというだけなんですね。 みなさんが子供の時代を思い出せば、親から「泣いちゃダメ!」と言われたら、どう思いましたか? 対処のしようがなかったでしょ?そうなると、子供としては、自分自身を抑圧するしかないじゃないの? 自分が親となって、子供に対して、「泣いちゃダメ!」と言っているようだったら、ちょっと自分を見つめなした方がいいわけです。もしかしたら、自分の親が言っていたケースが多いものなんですね。 強い被害者意識の場合でも、しっかりしすぎの場合でも、子供にとっては、プレッシャーになるだけ。特に親子2代に渡った「泣いちゃダメ!」の家庭だったら、ちょっと注意しないとね。 泣いても何も解決しないのも、確かですが、「泣くのを我慢しても」もっと悪くなるだけでしょ?「泣く子は育つ。」って、けだし名言なんですね。それだけ、周囲の環境がマトモであることが見えてくる。 周囲を信頼しているから泣ける・・・子供にしてみれば、そんなものでしょ? この「泣いちゃダメ!」という言葉によって、面倒な事態から解放される成功体験を得てしまうと、その手の親は、その実績のあるその方法を繰り返すことになる。 それこそ、子供がちょっとでも困っている雰囲気を見せると、「そんな困った顔をしてはダメ!」と説教する。 それこそ、知っている人が自殺したような事態になっても、「アナタは、死んじゃダメ!」と、自分の子供に命令する。 まさに「泣いちゃダメ!」での成功体験を、そのまま利用しているわけです。 「死んじゃダメ!」と命令することはあっても、「アナタは何か困っていることはないの?」と聞くことはない。ただ、一方的に命令するだけ。 しかし、「困った表情を親に見せるな!」と子供に対し命令し、子供もその命令に従っているわけだから、その家庭は、「何も問題のない家庭」となってしまうのは、当然の論理でしょ? しかし、不都合な状態を見ないようにしているだけだから、事態が悪化し、結局は、子供が自殺してしまう。 そんな事件があった後で、親の側は、「子供は何も困った素振りは見せていなかったのに・・・」「あれほど、死んではダメと言い渡してあったのに・・・」と弁解するもの。 しかし、逆に言うと、子供としては、困っている表情を親に見せないように必死になっていたわけです。 そんな流れだと、それこそ、岡山駅で突き落とし事件を起こした高校生がその典型でしょ? その高校生の親は、茨城県での通り魔事件を受けて、「あんなことをするな!」と自分の子供に命令することはあっても、「オマエは何か困っていることはないか?」と聞くことはなかったわけですからね。 ダメダメな親は、常に、「自分こそが一番かわいそうな人間なんだ。」と確信を持っている。 だから、自分以外の人間に困りごとがあるという発想自体を持っていない。 そんな人は、まさに「泣いちゃダメ!」なんて言葉を使うわけですが、その段階で当人も周囲の人も注意しておかないと、ダメダメな土壌がますます腐ってしまい、カタストロフに至ってしまうものなんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 前回配信の「被害者への対抗心」の文章は、今回のお題の予備説明になっています。 ひとつのお題を配信する前に、その前提となるダメダメの心理を説明した文章を配信しておかないといけないので、その点には結構苦労しているんですよ。 なにも考えずに、書きたいことを書いている・・・と言うわけにはいかない。 ひとつの文章中での論理展開もありますし、多くの配信文章中に渡った論理展開もある。 もちろん、文章中での修辞とか、緩急とか、リズム感とか・・・結構考えることが多い。 ちなみに、前回配信の「被害者への対抗心」が強い人が親になると、自分の子供が泣いている場合には、むしろ逆上することになってしまう。 「泣いちゃダメ」と子供に言うどころか、フィジカルな虐待も起こるわけですよ。 |
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R.11/2/11 |