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カテゴリー ダメダメ家庭の親のキャラクター
配信日 08年4月7日 (10年11月8日 記述を追加)
タイトル 忘却力
ダメダメ家庭の人間は自分自身から逃避している。
様々な行動をしても、それが自分自身の意思なり思考に根ざしたものではない。だって、自分から逃避しているんだから、その自分の意思や思考や判断がないのは当然のこと。
何も考えずに「て・き・と・う」に物事を始めたり、ただ、周囲の人の見解に付和雷同して、その意見に従って行動するだけ。結果的にうまくいかず、後になって「どうして、こんなことに?!」「ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と大騒ぎ。

そんな自己逃避の人は、ダメダメにフィットした能力が付いてくるものなんですよ。
その能力とは、忘却力。

忘却力って、まあ、一般的な言葉ではなく、この私の造語なんですが、意味は字のままで、忘れ去る能力と言えましょうか?
ダメダメ家庭の人間は、自分に都合が悪いことは、実にきれいに忘れてしまうものなんですね。

そんな人と時間をおいてのやり取りすると、「あの時は、アナタはこう言ったじゃないの?」「アナタは以前にこのようなことをしたでしょ?」と言わざるを得ないことが多いもの。
その「こう言った」ということが大したことではないのだったら、『えっ?そうだったの?』『ふーん・・・そうだったかなぁ・・・』で済むわけですが、その人にとって、都合の悪いことだったら、『ワタシはそんなことは言っていないわ!』『どうして、そんなことを言うのよ!キーっ!』と逆上されるだけ。

そもそも、自分なりの目的意識を持って、自分で考えてアクションを起こしているわけではないので、自分の言動が記憶に残らないわけ。当事者意識を持っての行動だったら、「あの時は、こんな考えを元に、このような行動をして、結果的にこのような結果となった。」と記憶に残るでしょ?

しかし、「て・き・と・う」にやっているだけなんだから、記憶にも「て・き・と・う」に残って、やがては、その記憶もどこかに行ってしまうもの。
そんなことを積み重ねているんだから、そりゃ、卓越した忘却力も付いてきますよ。

しかし、ダメダメ人間の忘却力は、一方向性なんですね。
自分がやったことは忘却しても、自分が受けたことはしっかり覚えているわけ。
そもそもダメダメ家庭の人間は、被害者意識が強い。自分が「イヤな思いをした」「不快な感情になった」ことは、実に、しつこく、覚えているわけ。そもそも、自分がやったことは、きれいに忘れているので、記憶の領域は余りに余っている。その記憶領域に、たっぷりと自分の被害を蓄えておくことができる。

そうやって、蓄積された自分の被害ライブラリーの中から適宜取り出し、「あの時は、アイツのせいで・・・あんな目に・・・」「あの人のせいで、困ったことになった!ああ!あの人が憎い!」と思い出すことになる。

そうして、「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と、いつもの感情。

そんな人とやり取りをすると、その人が受けたという被害の話はいくらでも出てきますが、受けた被害以外の話は、全く出て来ないものなんですよ。つまり、「やったこと」の話は何も出てこずに、「やられた」ことについての話は延々と続くことになる。

そもそも、ダメダメ家庭の人間は、トラブルになっても自分で解決する意欲も能力もない。
そんなダメダメ人間がやる解決法は、ただ、忘れ去ることだけ。都合が悪い状態を「見ない」ことで心理的な解決としてしまう。心理的な安定のためには、忘却力が必須の能力なんですね。

だからこそ、発生したトラブルの記憶においては、「不快な思いをした。」と記憶はしていても、「どのように対処したのか?」という点については、何も記憶していない。
というか、そもそも当事者意識を持ってトラブルに対処していないので、記憶しようがないわけ。まさに、トラブルが起こっても傍観者然として事態を眺めるだけになってしまう。

だからこそ、自分は何も間違ったことはしていないし、自分の問題点も意識することはない。以前に韓国の大統領をなさったノ・ムヒョンさんが「自分は何も間違ったことはしたことはない。」とおっしゃっていたそうですが、当事者意識を持って事態の判断をしてこなかった人は、自分を完全無欠の人間と思ってしまうことになるわけ。
だって、そんな人にとって、発生したトラブルはすべて被害であって、自分のミスではなんですね。
だから、同じようなトラブルを繰り返すことになり、同じような嘆きの言葉を繰り返すわけ。
「ああ!どうしてこんなことに?!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」

逆に言うと、卓越した忘却力は、トラブルの際に、「見ない」という対処しかしてこなかったことの証明であり、事態を何も解決していないことの証明のようなもの。
だからこそ、目を背け続けることになり、背ける先がなくなってしまうと、それこそトルストイ描くアンナ・カレーニナのように、カタストロフとなってしまう。

見ないという対処しかしていないので、「見せられる」と逆上することになる。
「ワタシにそんなものを見せないで!」と周囲に噛み付くことになる。
そんな感じで、見ないで済ませてきたんだから、それが記憶に残るわけがないじゃないの?
立派な忘却力もつきますよ。そして、そんな立派な忘却力は、事態の解決力の欠如と表裏一体のものなんですね。

そんな卓越した忘却力は、それこそダメダメ家庭を作る親は顕著でしょ?
ダメダメな親は、子供が何を言っても「ワタシはそんなことは言っていない!」「何をわけわからないことを言っているんだ!」と昔のことはさっさと忘れてしまっていて、話にならない。それどころか「オマエは子供の頃に、このワタシに散々と迷惑をかけて・・・こんなイヤな思いをしたし、あんな迷惑をかけた・・・」とグチグチと言い出すだけ。
そんなシーンを実際に体験なさった方もいらっしゃるのでは?

当事者意識がなく、被害者意識が強いとなると、発想だけでなく、記憶においても、そうなっているわけ。ダメダメ家庭が当事者意識がなく、被害者意識が強いことと同じように、当事者記憶がなくて、被害者記憶があるばかり。

別のところで書いていますが、ダメダメ家庭の人間は、被害を主体とした心理的なベースを持っている。別の言い方をすると、被害を記述するような座標系を持って生きているわけ。
物事を被害という形で、認識し、その被害を減らしたり、あるいは、相手に被害を与えるという形で行動することになる。
被害の方向性とか多寡という形でしか物事を考えられないわけ。
そして、その方向性において、自分への被害については、強く認識し、他者への被害については、卓越した忘却力を発揮する。

被害という形以外では、物事を認識しないし、相手に被害を与えるという形で、それこそいやがらせとか報復などは考えることはあっても、自分の目標を達成するという形では物事を考えない。
だから、「で、アナタは、その時には、どんな考えで、そうしたの?」などと聞かれても、まったく答えられない。
むしろ、そんな質問を、被害ととらえ、不快な感情でいっぱいになる。
そうやって、ますます被害ライブラリーが増えていくわけです。

(終了)
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発信後記

以前に「老人力」なる言葉があって、忘却することを、むしろ積極的に捉えている考え方が提示されておりました。
自然に忘れるのなら、まあ、しょうがない。記憶力が良すぎても、何かと不便ですよ。

しかし、ダメダメ家庭の人間は、普段から当事者意識がないので、自分のやったことは記憶に残らない。これは老人になる前から、こんな状態。そのくせ、自分が受けた被害は、いつまでも覚えている。

そんな人とやり取りしても、コッチが不快な気分になるだけ。
だから、本当に「避けるしかない」わけ。たとえ、それが自分の親であってもね。
というか、親であるのなら、なおさら避ける必要があるわけです。
イヤな思いを繰り返しても、自分の心が荒むだけですよ。
R.10/11/8