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カテゴリー 会話のスタイル(聞き手側)
配信日 08年4月21日 (10年12月13日 記述を追加)
タイトル シカトの積み重ね
ダメダメ家庭というものは、会話不全の家庭である。
このことは、このメールマガジンで頻繁に書いています。
やり取りの言葉は飛び交っていても、「相手の話を真摯に聞き」「自分の考えを相手にわかりやすく伝える」そんな基本姿勢がないわけ。
ただ、一方的に言い放っているだけ。

ダメダメな人間は、会話を弾ませようなんて、そもそも思っていないわけ。

しかし、会話というものは、まさに『やり取り』でしょ?コッチが切り出し、それに相手が応え、その回答に対し、また応える・・・そんな往復運動でしょ?
相手の言葉の中身を踏まえた上での返事でないと、もはやシュールな世界となってしまいますよ。

ちなみに、以前にも書きましたが、この手のシュールなやり取りを描いた作品が、ルイス・キャロルの「不思議な国のアリス」です。あの作品は、心温まるメルヘンではないんですよ。むしろ20世紀の不条理劇に近い作品なんですね。そんな視点で、もう一度読み直してくださいな。本職は論理学者であるルイス・キャロルが表現している、「論理と意味の不整合」「言葉と意味の不整合」が簡単に見つかるでしょう。
まあ、それはいいとして・・・

会話を発展させるためには、ちゃんと相手が言っている中身を踏まえないとダメ。
相手が質問してきたら、それに回答するのがスジでしょうし、相手が新しいネタを振ってきたら、それを発展させた方がいいでしょ?

「アナタがさっき言ったあのことだけど、もうちょっと詳しく説明してくれない?」とか、
「アナタのその考えなんだけど、その具体例はあるの?」とか、
「この問題は、こっちの面から考えて行った方がいいんじゃないの?」とか。
会話を発展させるためには、そんな質問があったら、その質問に対して、ちゃんと答えるのがスジでしょ?

相手からの質問なり、切り出しとは無縁のことをしゃべったとしたら、相手も「なんだい?コイツ?」となっちゃいますよね?
「コイツ・・・どうしてオレの話をシカトして、自分のことばかり言っているんだ?」

もちろん、相手からの質問のすべてに答える必要はないでしょう。答えたくない話もありますよね?あるいは、それほどに重要とは考えない話題だってある。
映画の話をしていたら、急に「アンタの体重はいくつ?」なんて振られたら、シカトすることも当然でしょう。しかし、「色々とよく知っているねぇ・・・アンタは、歳はいくつ?」なんて振られ方だったら、微妙。

しかし、その質問に答えたくないのなら、シカトすればいいでしょ?逆上して、『どうしてそんなことを聞くのよ?!』なんて血色ばむのは大人気ない。さりげなく別のネタに話題を持って行けばいい話ですよ。
重要なことは会話を弾ませることであって、相手の質問に正確に答えることではないでしょ?裁判をやっているのではないんですからね。

かと言って、次から次にシカトしたくなるような質問を投げかけてきたり、そんな話題に振られたら、どうなるの?

一般的には、もうそんな人とはやり取りをしなくなりますよね?だって、シカトというものは、する方も不快だし、される方も不快。

しかし、ダメダメ家庭の人間は、人の気持ちがわからない人が多い。
相手がイヤがっているとわからないケースが多いんですね。覚悟と自覚を持って、不快なことでも明らかにしようと思っているのではなく、何も考えずに、「人のイヤがること」をするわけ。
それに、ダメダメ家庭の人間は、皮肉が通じない。
当事者意識がないので、「自分自身の問題」が何も自覚がない。だから婉曲的にそれを指摘されても、自分のこととは考えない。そんな人に対しては、「これを止めてくれ!」と直接的に伝えるしかなくても、ヘタに直接に言うと被害者意識が刺激され逆上するだけ。

結局は、ダメダメな人間は、一方的に当人が言いたいことを言うだけ。その言っていることについて、コッチが質問しても、まさにシカト。
このシカトは、当人が意識してやっているわけではないんですね。その手のダメダメな人間の会話のスタイルは、まさにそんなスタイルが基本であって、これ以外のスタイルは知らないわけ。
本当の意味での会話をやってきていないので、そもそも相手からの質問に答えるという習慣がないわけ。

相手にわかりやすく伝えようという気持ちを、そもそも持っていないダメダメ人間の言葉はわかりにくい。そして、質問しても無視なんだから、聞かされても何もわからないでしょ?単にわからないだけでなく、質問しても無視なんだから、その面での不快感もたまってくる。

となると、
「サッキからグチグチ言っているけど、で、アンタ・・・いったい何が言いたいの?」
と、ダメダメ人間に対してのお約束の質問となってしまう。
しかし、シカトの達人なんだから、そんな質問もやっぱりシカト。相変わらず一方的にグチグチが続くだけ。

結局は、会話が積み重なって相互理解に到達するのではなく、ただシカトが積み重なって、不快感が積み重なるだけ。本来なら、シカトなんて積み重なるものではないでしょ?シカトしたくなる質問をして来る人は、自分から避けるものでしょ?

しかし、人の気持ちがわからない人間は、相手からの質問を自分ではシカトしているのに、その相手に寄って行って、相変わらずのグチ。
かと言って、その話しを聞いていても、やっぱり「何が言いたいのか?」が、さっぱりわからない。
オマケに、その手のシカトの達人は、相手に対して「これを伝えよう。」「このことを分かってもらいたい。」と思った上で話し掛けているわけではないんだから、前にも言った話を何回も言い出す始末。
そんな感じで話を振られても、「オイオイ!この話をまたするのかよぉ〜。それって前にも言っていたじゃないの?それに・・・その時にも気まずくなっただけだし・・・」
そうやって途方に暮れることとなる。

ギャグを書いていると思われる方もいらっしゃるでしょうね。
しかし、実際に体験なさった方もいらっしゃるのでは?
「コッチの質問をシカトするのなら、それでいいけど、だったら、もうコッチに寄ってくるなよ!しかし、あの人は、なぜかコッチに来ちゃうんだよなぁ・・・」
そう言いたくなるような人を、実際にご存知の方もいらっしゃるのでは?

何も対面でのやり取りばかりではなく、メールでのやり取りにおいても、こちらからの質問なり、見解の提示に対してノーリアクションの人っているでしょ?

別のところでまとめておりますが、ダメダメ家庭の人間は、会話をするに当たっての心理的ベースができていないまま成長する場合もあるわけです。
人間という動物は、養育時に、養育者とのやり取りを通じて、やり取りの基本的な技術を習得するわけですが、その訓練ができない家庭も多いわけ。それこそ、ネグレクトの家庭だったら、そんな訓練はできないでしょ?
狼によって育てられた人間の子供は、後になって人間に保護されても、人間とのやり取りができないでしょ?
ダメダメ家庭で育った人間も、そんな面があるわけです。
幼児期においての養育者が、その子供からのアクションに対して、ノー・リアクションだったり、一貫性のないリアクションだったら、「相手から質問があれば、それに対し回答する。」・・・そんな基本もできないわけです。

そんな人とのやり取りにおいては、コッチからの質問には答えないし、会話は弾まないし、皮肉も通じないし・・・そして、その話のネタはつまらないし、そのつまらないネタは繰り返すし・・・
しかし、なぜだか、コッチに寄って来る。
いったい、どうすればいいの?

最初のうちは、コッチも丁寧に対応していても、だんだんと面倒になってくる。
結局は、同じ質問を繰り返して聞くしかない。
かと言って、やっぱりコッチからの質問はシカト。シカトし続けるのに、寄ってくる。
そうやって、シカトがどんどんと積み重なっていく。

その手のダメダメ人間とどう付き合うのがいいのかな?
やっぱり、コッチもシカトするしかないんでしょうね。

(終了)
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発信後記

以前に、このメールマガジンで「ダメダメ家庭の人間は積み重ねの発想がない」というお題で文章を配信しております。
当事者意識がないダメダメ人間は、そもそも自分の目標がないので、小さな努力なり成果を積み重ねて、目標達成のために前進していく・・・そんな発想を持っていないわけ。

プラス方向への積み重ねをしないダメダメ人間ですが、マイナス方向には、積み重ねを現実的にやっているものです。このメールマガジンでは、スパイラルという言葉を使うことが通例ですが。
小さなダメダメを積み重ねて、結局は大きなダメダメとなり、最後にカタストロフに至る。
そんな光景がダメダメの周辺ではポピュラーなもの。

今回の「シカトの積み重ね」ですが、本来なら、シカトは積み重なるものではありませんよね?シカトが発生するような相性の合わない人とは、やり取りをしないことになるわけだから、積み重なりようがない・・・それって、当然でしょ?しかし、ダメダメの世界では、そんなマイナスの方が積み重なっているわけ。自分で状況判断すれば、簡単な対応で済むのに、自分では何もしないで、相手に絡むだけになってしまい、ますますマイナスが積み重なる。

誰でも「それってヘン!」と思えるようなことも、ダメダメが進行してしまうと、そんな判断もできなくなるわけです。だから、ますますダメダメが進行してしまう。

典型的な事例として、皆様もご存知なのは、以前にあった石原東京都知事の「ババァ」発言に対する抗議の人たち。まあ、「ババァ」という文言に対し不快感を持つのは当然でしょう。しかし、抗議のご婦人たちは、「その記事を、読むたびに、読むたびに、怒りの気持ちがこみ上げてきた。」とおっしゃっていました。まあ、「積み重ね」という言葉を使うと、「読むたびに、怒りの感情が積み重なってきた。」と言い換えることができますよね?

しかし、そんな抗議の言葉を聞いても、マトモな発想が残っている人だったら、どう思うのか?そんなことは分かりきったことでしょ?それこそ小学生でも、失笑するレヴェルですよ。

だから、そんな抗議の言葉から見えてくるのは、その抗議のご婦人の『周囲』も、かなり「進んでいる」ということです。だからこそ周囲からの「当たり前の」助言も得られない。
むしろ、お互いが、自分の被害を競い合っている状態。そうでないと、あんな「読むたびに、怒りの気持ちがこみ上げてきた!」とは言えませんよ。

そんな抗議の言葉から、周囲からして、かなり傷んでいることがわかるわけ。積み重ねを由来とする言葉から見えるもののあるわけです。個別の状況でダメダメが進行して、カタストロフに至るケースも多いわけですが、ダメダメ家庭の事件が多発している地域の方々の、事件後の発言に注意してみると、「そんな言葉を周囲の人はどう聞くんだろう?」そう思ってしまうことってありませんか?

素っ頓狂なコメントが言えてしまう状況・・・素っ頓狂を素っ頓狂と指摘されない状況・・・だからこそダメダメがスパイラル進行して、お約束のカタストロフに至る。
それをなんとなく予想できるマトモな人は、そんな環境からサッサと避難してしまう。だから、ますますダメダメがスパイラル進行する。
事件後のコメントはともかく、ちょっとした抗議の言葉でも、「そんな言葉がよく言えるよなぁ・・・」と思わされる言葉があったら、その素っ頓狂な言葉を非難するより、サッサと避難しないと危ないわけ。

まあ、石原都知事に対する抗議の言葉「その記事を、読むたびに、読むたびに、怒りの気持ちがこみ上げてきた。」をおっしゃったご婦人の周囲がどうなっているのか?簡単に想定できるでしょ?
 会話を成立させるに当たっての基本的な枠組みについては、
09年7月14日 配信 会話の心理的ベース 」という文章を参照ください。
R.10/12/13