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カテゴリー | ダメダメ家庭の会話の雰囲気 |
配信日 | 08年4月25日 (10年8月25日 記述を追加) |
タイトル | 違いを主張する |
以前に「違います!」というお題の文章を配信しております。 自分自身から逃避しているダメダメ人間は、「自分はどのように考えるのか?」ということから逃避している。あるいは、やり取りにおいて、「相手に分かってほしいことは、どのようなことなのか?」という点を明確にする前に、やり取りをしてしまう。だから「アナタの言っていることって、結局は○○ということなの?」なんて聞いて来られると、『違います!』と返答するもの。 『違いますっ!』という返答はいいとして、じゃあ、「自分ではどう考えているのか?」という点は答えられない。いつまで経っても『違いますっ!』の繰り返しなんですね。 そのようなケースの『違います!』は、いわば、自己逃避の産物といえます。 抑圧的で自己逃避のダメダメ人間は、自分自身の考えを、自分の言葉で語れない。だから、他者の言葉に対して、反応をするしか能がない。 他者の言葉を肯定する場合もありますが、ダメダメ家庭の人間は基本的に否定的であり、他者の見解を否定することが多く、「違いますっ!」と否定することになる。 しかし、ダメダメ家庭の人間が主張する「違う!」には、別のケースもあったりします。 「違う!違う!」と言いながら、実際は「違わない」ケースです。 このような事例だと、実にわかりやすいのは、こんなやり取りでしょう。 「アンタは、子供ねぇ・・・」 『違うわ!ワタシは子供じゃないわ!子供扱いしないでよ!』 そのように「子供扱いしないこと」を強く主張した人が、大人なのか? これはちょっと考えれば分かることでしょ? 大人だったら、こんな受け答えになるもの。 「アンタは子供っぽいところがあるねぇ・・・」 『アハハ・・・確かに、そうかもねぇ?ワタシも、まだまだ子供ねぇ・・・』 そんな余裕の受け答えが大人のやり取り。 大人だったら、「アンタは子供ねぇ・・・」と言われても冷静でいられますが、実際に子供だったら、逆上することになる。 そうして、「ワタシはこんなこともできるわ!あんなこともできるの!」・・・「だからワタシは大人なんだってば!!」 それくらいの抗弁は、まあ、かわいいもの。身に覚えのある方も多いでしょう? 「違わない」がゆえに、無理に違いを主張するようになってしまうことになる。 これが「ワタシは大人だってば!」というような子供っぽい主張なら、聞いていても微笑ましいものですが、政治のような、形の上では『大人の』世界でもやっていたりする。 今現在(08年当時)では、国会では衆議院では自民党が多数であり、参議院では民主党が多数になっていて、何も決まらない状態となっている。本来なら、それぞれの院の議決が違っていても、それを調整しながら進めていけばいいだけ。それが二院制というものでしょ? ・・・なんですが、ことは単純ではない。 そもそも民主党は、自民党と本質的な違いがあるわけではないでしょ?民主党には自民党のOBもいっぱいいるんだから、基本的には同じですよ。 だからこそ、必死で「違い」を主張する必要がある。 ヘンな話になりますが、参議院の多数が共産党だったら、話し合いももっとスムーズに進みますよ。だって、自民党と共産党の間に「違い」があることは誰だって分かっていること。当人たちが、あえて、「違い」を主張する必要はありませんよ。違いがわかっているんだから、あとは合意方向に話を進めればいいだけ。 今現在の国会の混乱って、「ボクは子供じゃなんだ!」と「子供じゃない」具体例を必死に挙げ続ける子供の行動と大差がない・・・そう見ると理解しやすいでしょ? 「違うんだ!違うんだ!」と必死に主張するよりも、「自分たちはこのように考えていて、このようなことを達成したい!」と言えばいいだけ。 しかし、自己逃避している人間は、「自分はこうしたい!」そんな自分の希望が言えない。だから相手の出方を待って、それを否定することしかできない。 しかし、必死で「違い」を主張すればするほど、「な〜んだ!結局は同じじゃないの?」と思わされてしまうもの。 「ボクは子供じゃないんだ!」と必死で主張する子供は、かわいい面もある。 国会で「ボクはアイツらと違うんだ!」と言っている政治家は・・・処置なし。 あるいは、スポーツの世界では、同じ地域を地盤とするチーム同士は仲が悪いとのことですが・・・同じ地盤を元にしながら、無理にも違いを見つけなくてはならないので、どうしてもそうなってしまうんでしょうね。しかし、このケースは、所詮はスポーツの話ですよ。 この手の状況が、ダメダメ家庭の周囲で生じるのは、まさにその人のダメダメな面を指摘された時です。 「違うんだ!違うんだ!ボクはダメダメなんかじゃないんだ!」と必死に主張される方も結構います。 必死であるがゆえに、相手の話を聞こうともせずに、一方的に、そして感情的に「ボクはダメダメではない!!」と主張する。しかし、感情的で、論理的に支離滅裂な主張のスタイルが、その人の、会話不全や強い被害者意識を証明していたりするもの。 まあ、本当にダメダメではない、つまりマトモな人は、「ワタシにもそんな面もあるわねぇ・・・自分でも注意しているんだけど・・・今後もより一層注意しないとネ。」となるもの。 そんなフィーリングは「アンタは子供っぽい面があるわねぇ・・・」で発生するやり取りと同じなんですね。 必死で違いを主張することで、相手の見解を肯定してしまっている。 相手の見解に対して、無理に違いを主張するのではなく、自分なりの認識を落ち着いて語ればいいだけですよ。 しかし、自己逃避なので、自分なりの認識を自分の言葉で語ることができない。 それに加えて、ダメダメ人間は、対抗心が強い。 「○○に対抗する!」という発想が基本になっているので、何かを否定したり対抗するという段になると、テンションが上がってしまって、ますます気合を入れて「違うんだ!」と主張することになる。 相手との違いよりも、自分自身の現状なり将来的な希望に目を向ける・・・そっちの方が本来は簡単でしょ? しかし、自己逃避のダメダメ人間には、それが一番難しいことなんですね。 ダメダメな人ほど、「オレは、あの○○とは違うんだ!」という主張ばかりして、「自分としては、このように認識し、そしてこのように考えている。」というシンプルな形では語れない。 むしろ、「○○とは違うんだ!」と主張するための「○○」を必死で探している。 「ああ!このボクが人と違っていると主張できるようなダメダメなものは、どこかにないだろうか?」 そうやって、必死になって、周囲を見回している。そうやって、自己逃避してしまう。 周囲を見回して、違いを主張しても、自分なりの考えを、分かりやすく語ることはできないまま。そんな姿は、他の人からは、「あの人・・・熱く語るのはいいとして、何を語っているのやら?」「いったい、何を考えているんだろう?」と呆れられてしまうだけ。 それこそ、左翼学生運動で、中核派とか革マル派とか、それぞれに違いはあるようですが、外部から見ている人間には、その違いなんて全く分からないでしょ? 彼らは、彼らなりに「オレたちは、アイツらとは違うんだ!」と主張しているようですが、そんな「違い」を主張するよりも、「実際に貧困にあえいでいる人を、どのようにサポートしていくのか?」について議論して、周囲に主張していった方がマトモですよ。 あるいは、宗教においても、その宗教がカルトっぽくなるほど、他の宗派との違いばかりを主張するでしょ? あるいは、そのようなシリアスな事例ではありませんが、オタクの業界?でも、「オレはアイツたちとは違うんだ!」という主張をしたりする人がいるようですが、そんな「違い」を主張するよりも、自分の好きなことで勝手に盛り上がっていればいいだけ。 男性オタクが女性オタクに対して反目したり、あるいは、似た作品の間の違いばかりに注目したりする。私としては、その分野には詳しくありませんが、「キモイ」オタクほど、そんな違いを主張するものでしょ?違いを必死で主張する姿がますます「キモク」見えてしまうことになる。アニメとか漫画なんて、所詮は趣味なんだから、無理に違いを主張するのではなく、オバカなオタクに徹して、自分の好きな作品を、好きなように楽しんでいればいいじゃないの? あるいは、インターネットの掲示板も、それぞれに特徴があったりするようですが、外部の人間にしてみれば、その違いなんてわかりませんよ。ヤフーの掲示板だろうが、あるいは、悪名高き「にちゃんねる」だろうが、その違いなんて、分かりませんよ。 「オレたちは、『にちゃんねる』とは違うんだ!」なんて主張されても、「ふーん・・・」となるだけ。むしろ、そんな形で「違い」を主張されてしまうから、「目くそと鼻くその間には、確かに違いはあるだろうけど・・・その違いにどんな意味があるの?」と怪訝に思わされてしまうことになる。そんな「違い」主張するよりも、「インターネットの掲示板での議論によって、問題点が整理され、このような知見が得られた。」と説明すればいいだけでしょ?たとえ「にちゃんねる」で議論されたものであっても、もし、その成果が価値のあるものだったら、その成果について説明すればいいだけ。 そんな客観的な説明ができる成果が得られれば、それがどこで議論されようと、どうでもいいことですよ。 逆に言うと、議論の成果を説明できず、「オレたちは、アイツらとは違う。」で留まっているということは、そこでの議論もその程度だったということ。 違いを主張するということは、別の言い方をすると、成果を提示できないということでしょ? 「ワタシはダメダメではない!」と主張する、その主張の仕方で、自分のダメダメを証明したり、あるいは、「ワタシの方が被害者なんだ」と主張し、自分こそが被害者なんだから・・・ということで周囲に迷惑をかけて、加害者になったりするもの。 往々にして、「ダメダメとの違い」を語れば語るほど、ダメダメの証明になってしまうもの。 違いに意味があるわけではなく、当人の考え方そのものに意味があるわけでしょ? 違いを必死になって主張するということは、逆に言うと、自分の考えを丁明確に伝えることができないということ。 そのことがまさにダメダメなんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 もうすぐオリンピック聖火が日本にやってきますよね? 世界各国で大フィーバー(古いっ!)を巻き起こしている。 日本の前ではオーストラリアを回っていたようでしたが、ニュースでは中国国旗を持った雲霞の如くの東洋人がゲンキに暴れ回っていました。あそこって、ホントにオーストラリアなの? 中国も、チベットを平定した後は、オーストラリアの平定だねぇ・・・ そのうちに、オーストラリアも、見事に「解放」されるんでしょうねぇ・・・ あそこまで集団で活躍されると、迷惑の一語。まあ、本音としては、迷惑というより、恐怖でしょう。 しかし、まあ、ダメダメの見本としては、実に役に立つ。 会話不全で問答無用。 被害者意識が強くて、集団ヒステリー。 他者に対しては対抗心が強く、自分では根拠のない自負心。 集団で群れても、個人の尊厳はない。 このメールマガジンでは、ダメダメ家庭の人間とは離れるしかないとよく書きますが、あの中国人の姿を見ると、それがよくわかるでしょ? 日本人でもダメダメな人は、あんなことをやっているもの。 そんな人に対して、「迷惑を受けたから反撃をしたい!」なんて思ってはいけないわけ。そもそも常軌を逸した人たちなんだから、もともと中身なんてものはない。だからダメージを与えることができないわけ。 ホント、離れるしかないんですよ。 |
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R.11/2/12 |